第20話:応じるは龍なりて
「……イードゥラ……?」
呆然とした表情で私を呼ぶフィネッサに微笑み返す。いきなり今の姿で出てきたら驚くだろうとは思っていたけど。私だってまさかこうなるとは。
さて、今のはなんとか出来たけどまだ終わった訳じゃない。私は改めて視線を前へと向ける。改めてフレイアを見るけれど、貫禄が増したとはいえ、やっぱり二十年経っているとは思えない若々しさね。
「……ラーナリアス……?」
「いつから呼び捨てにする事を許したのかしら? 相変わらず常識知らずのお馬鹿さんね、フレイア」
まるで幽霊でも見たような表情を浮かべているフレイアに鼻で笑って返す。
「……あの白蛇がいない……? じゃあ、貴方、守護聖獣に……? それでフィネッサを……?」
先程まで私が転がっていた場所を見てフレイアが呟く。ようやく現実を認識し始めたのか、その表情が歪んでいく。憤怒と憎悪に塗れた表情で、その美貌が崩れている。
「そうまでして……そこまでして! そんなに私の邪魔をしたいの、ラーナリアス!!」
「邪魔とは失礼ね。貴方が私の邪魔をしているだけでしょう? 私が悪い事をしたように言わないでくれるかしら?」
「黙りなさい、死に損ない! 折角殺したのに、全部手に入れたのに! 死んでも私を邪魔するなんて忌々しいのよ!」
「厚顔もここまで来ると清々しいわね……人を殺そうとしておいて、よくもまぁ言うわ。だから常識知らずのお馬鹿さんと言われるのよ? 理解出来て?」
「――ラーナリアスゥ!!」
フレイアの怒りが頂点まで高まり、私を焼き殺そうと熱線を放つ。かつて私の命を奪った光を私は最小限の動作で回避して、地を蹴った。
半龍人とも言えるこの姿で出せる力は人であった頃とは圧倒的に違う。その差異を私は感覚的に理解していた。これこそが半身だったあの子から託された力だから。
龍という力そのものを人の体に押し込めたようなもの。その脚力は一気にフレイアとの距離を詰めて、彼女の腹に膝蹴りを叩き込む。
「足を使うなんてはしたなかったわね、御免遊ばせ?」
「げぼっ……!? げぇっ、げほっ……!」
「あら、もうちょっとお淑やかに痛がったら如何? 演技は得意でしょう? ほら、泣いてみせなさいよ」
「――アァァアアアアッ!!」
フレイアが狂乱したように目をぎょろりと私に向けて火を猛らせる。勢い良く後ろに飛んで距離を取って回避する。放たれた火がフレイアを取り巻くように燃えさかっている。まるでフレイアの傷を癒そうとするかのようにだ。
フレイアの背に控えている鳳凰は未だに沈黙したまま、私とフレイアをジッと見ているようだった。フレイアとは対照的に、私を見つめる鳳凰に負の気配は感じない。
「殺す……殺してやる……アンタさえ殺せば……アンタさえ死ねばぁッ!!」
憎悪を滾らせた目で私を睨むフレイアは、最早狂気を孕んでいた。一体何がそこまで私への殺意を燃え上がらせるのか、私にはわからない。
「何がそこまで貴方に殺意を抱かせたのか心当たりがないのだけど? 逆恨みで殺される身にもなりなさいよ」
「アンタが息をしているのも気に入らない! 目に入るのも気に入らない! 生きている事が許せない! アンタがずっと目障りだったのよ!!」
「嫌われたものね?」
「嫌い? 嫌いなんてものじゃないわよ、憎いのよ、憎い、憎い! アンタが憎い! ずっと、ずっとお姫様のアンタにはァッ!!」
「? お姫様?」
何を言い出すのだ、いきなり。フレイアから放たれた火球の魔法を水槍の魔法で相殺しながら私は眉を寄せる。
「生まれた頃から全部持ってて、与えられたものがあって当然の顔をして、それを見せびらかすアンタがずっとずっと気に入らなかった!!」
「……つまり、私に嫉妬していたの?」
「……違う!」
「違わないわよ。勝手にアンタの言うお姫様に当て嵌めて、それで勝手に恨んで私を殺したの? 何様のつもりよ」
「違う!」
「何が違うって言うのよ!」
「私は聖女よ、聖女として生まれたの! だったら私だって持って無いとおかしいじゃない!! 誰もが私を望んだわ!! 私は望まれた者だって!! じゃあ、なんで私が持ってないとおかしいのよ!! アンタが持ってるもの全部、どうして私にはなかったのよ!! 不公平じゃない!!」
歯を剥くようにフレイアが迫ってくる。その背には炎の翼が浮かんでいる、思わず目をギョッとさせてしまう。
守護聖獣と化した今の私にならわかる。あれは〝鳳凰の翼〟だ、彼女は自分の身に鳳凰を降ろしている。つまり、それは――。
(私とイードゥラと同じ……!?)
――この常識知らず、やっぱりただの馬鹿じゃない!
でも、鳳凰はあそこにいる。この矛盾は何を意味しているの? そんな疑問を抱きつつも私はフレイアが振るった拳を受け止める。
「聖女だからって何でも叶うと思ったら間違いよ! 立場には! 相応の振る舞いが求められる! それが聖女でも、公爵令嬢でも変わらない!」
「振る舞ったじゃない! 求められるように、笑って、笑いかけて、愛してあげて!! 私は愛されないとダメなの、愛されないと聖女じゃいられない、アンタが受けてる愛だって私のものにならないと、そんなのおかしいの!!」
「どんな理屈よ……!」
苛立ち混じりに私は殴りかかろうとしてきたフレイアの首を折る勢いで、体を回して尻尾を叩き付ける。確かに首の骨を折った感触が尻尾越しに伝わってくる。
それでもフレイアの瞳がぎょろりと私に向く。折れた筈の首は炎が取り巻くように焼かれ、傷が一瞬にして消える。その隙を突かれて、フレイアが突き出した炎の刃が私の肩に食い込んだ。
「ぁっ、つぅ――!?」
「あはははははッ! 泣け、泣きなさいよ、泣いて喚け! もっと藻掻いて苦しみなさいよ!!」
「ッ、ふ……ざ、けないでッ!!」
炎の刃を水を纏わせた手で掴み、抜き去る。そのまま突き出したフレイアの腕を掴んで背負い投げをして勢い良く大地に叩き付ける。尻尾の遠心力も加えた叩き付けはフレイアの骨を折る音を響かせる。
フレイアの全身が燃えている。命の炎が燃えている、フレイアの目は死んではいない。私はフレイアの手を離して一度、距離を取る。
「……ッ……」
幸い、血は流れていない。そもそも、この体って血が流れるのかしら。涙は流せるけど、あぁ、痛みで思考が纏まらない……!
その間にもフレイアが起き上がっていた。傷は癒えても痛みは無くなってはいないのか、足下がふらついているけれども。
(……不死身ではあるけれど、無敵ではない)
フレイアの体をどれだけ痛めつけても、あの女が止まるとは思えない。なら、どうする?
私は息を吸う。痛みで乱雑になりそうな意識を束ねていく。集中し、フレイアを見据える。
「フレイア。私は貴方の事が世界一嫌いで考えの合わない人間だと思うわ」
「……奇遇ね、私もよ」
「――でも、私は私の誇りにかけて貴方の事を認めざるを得ないわ」
「…………は?」
フレイアが何を言われたのかわからないというような表情を浮かべていた。それだけ私の言葉が予想外だったのか、目を皿のようにして私を見つめる。
「業腹だけど、アンタの才能は認めざるを得ない。聖女と呼ばれるだけの事はあるわ。だからこそ、私は腹が立つの。どうして貴方はその才能をそんな形でしか使えないの? 人を虐げ、苦しめて、自分本位ばかり。それが私が一番、貴方に腹を立てている事よ。はっきり言って私を殺した事は感情としては憎しみしかないけど、私を暗殺出来た事には賞賛だってしてやっても良いほどよ。馬鹿だけど無能ではないわ」
「――――」
「もしヒュードラ公爵家が去る事がなく、この国の治水が正しく成されていたならば、そこに貴方の力が加わればこの国はもっと豊かになっていた。それは認めざるを得ない。貴方の力にはそれだけの価値がある。――私が貴方を一番許せないのはそこよ」
「何を……」
「レオニスタの愛が欲しいならくれてやったわ。婚約を破棄をしたいって言うなら正式な手順を踏んでくれれば幾らでも話を聞いてあげたわ。なのに何も話そうとしなかったのは貴方達でしょうが? だから言うのよ、馬鹿なの? って」
当時は、ちょっと、ちゃんと話を聞いてあげられたかは定かじゃないけど……。
「そうね、貴方が望むならどこかの有力貴族の養子になれるように口利きをしても良かった。養女と言えども、聖女の名を欲しがる貴族はいたでしょう。神殿だけでは保証出来ない身分もその手段なら得る事が出来たでしょう。それならレオニスタとの婚約も誰からも認められる形で成立したかもしれない」
「何を……言って……!」
「愛されたいなら、愛されたいって言えば良かったのよ。聖女だから愛される訳じゃないのよ、貴方が優秀だから認められる方法だってあったって、そう言ってるのよ。貴方が愛されないのは、ただ単に貴方が常識知らずのお馬鹿さんだからよ、何度も何度も何度も私は貴方に言ったわよね?」
別に私は最初からフレイアを疎ましく思っていた訳じゃない。あの婚約破棄の、裏切られた瞬間までは相手にすらしていなかった。ただ、諭さなければいけない平民だった。
聖女だから何をしても良い訳じゃ無い。立場には相応の振る舞いが求められる。ただそれを知らなければいけない。だから教えた、それだけの事で私が貶められた事が許せなかった。
「だから平民でしかないのよ、貴方は。貴き血を背負う義務も、認識もない。ただ子供のような癇癪を振り回して、力だけ振り翳して。だから誰も貴方を認めないのよ!」
「――だから何?」
静かな声だった。猛り狂っていたとは思えない程に、とても静かな、それでいて切実な声だった。フレイアはただ真っ直ぐ私を見ていた。
怒り狂う訳でもなく、憎しみを向けるのではなく。私は、この時になって初めて彼女と真っ正面から向き合えたのかもしれない。
「認めてたら、誰か救ってくれたの? 助けてと言えば、誰か助けてくれたの? ――嘘。全部、嘘。誰も彼も綺麗な言葉で飾るだけ、誰も本当に誰かを救いたいなんて思ってない」
「……」
「聖女って持ち上げれば私が何かしてくれるって思ってる。じゃあ、私が一番苦しかった時に手を差し伸べてくれなかったのはなんで? 私がどんな生活をしてるのかも知らないで、わかった時にだけ、都合の良い時にだけ綺麗な言葉で飾って目を眩ませて」
「……フレイア、あなた」
「――〝愛〟なんて、そんなものでしょ? だから、認める? そう、本当に貴方はお貴族様らしい。綺麗な言葉で、綺麗な事しか言えない」
お腹を抱えるようにして、フレイアは笑い声を零した。ゆっくりと持ち上げた顔には嘲笑の表情が浮かんでいる。
「救えないよ、誰にも。私を、救わせてなんかやるもんか――ッ!!」
「――それが、貴方の本音ね」
聖女と持ち上げられて、彼女が何を手にしたのか。そこに至るまで、何を失ったのか。
何を期待して、何を裏切られたのか。その全てはわからない。この推測が正しいのかもわからない。
わかってあげる事は、出来ない。それを誰よりも彼女が拒んでいる。きっと傍にいたレオニスタですら、彼女を癒す事は出来なかった。
静かにこちらを見ている鳳凰に視線を向ける。その目が私と合った気がする。――そこで初めて、鳳凰はその目を閉じた。
……本当に、契約主とそっくりな奴ね! あぁもう、腹が立つ!!
「――それでも、救うわ」
「――――」
「この国を、貴方も、纏めて救うわ。それが私の背負う義務だから」
「……は、はは――ッ」
「終わらせてあげるわ、聖女様。もう貴方はその結末でしか救えない」
「――じゃあ、やってみなさいよ! 私に殺された癖にさぁぁあああッ!!」
フレイアの黒髪が燃える。まるで赤く、朱く、紅く、彼女の身を焦がすまでに。
全身に炎が燃えさかるフレイアが爪を立てるように手を振りかぶる。その手を水を纏わせ、水の爪を象った手で弾き返す。
相手を引っ掻いて切り裂こうとするだけの、そんな戦い。もしもなんの力もなかったら、きっと子供のような引っ掻き合いを私達は命をかけて繰り返す。
「死ね、早く死ね、死んで! 死になさいよ! 早く、早く、早くぅッ!!」
「死なないわ」
「何なのよ、私がどれだけ命を貪ったと思ってるのよ! 何百人も、何千人も殺した力があるのよ!! なのに、どうして、なんで――!!」
苛立ったようにフレイアが爪を繰り出す。回避した時に髪をかすったのか、私の銀髪が周囲に散らばって消えていく。
――あぁ……次に死んだら、何も残らず消えるのね、私。
(だったら尚更、ここで殺されてやる訳にはいかない――!)
この命が残されてしまった、その責務を、その約束を、私はまだ何一つ果たしていないのだから。
「フレイア、貴方は貪った人達の名前を覚えてる?」
「――は?」
「覚えてないの? なら、そんな数字だけの命で――」
私の腕が変化していく。水の爪で覆っていた手が、そのまま水を取り込むようにして鱗が立っていく。爪は鋭く、固く、しなやかながらも逞しい龍の腕。今までの一生の中で何よりも力を込めて握り締める。
――幸せになって良いと、送り出されたんだから。私は幸せにならなきゃいけない。逝ってしまった半身に願い、乞うて、叶えられた責任がある。
そして、私を案じて祈るように両手を組み合わせて見守る彼女の――フィネッサの気配を感じる。失ってしまった半身と、今共にある半身の祈りの分だけ、握った拳に力を込める。
「――命を背負った私が! アンタに負けられるかぁッ!!」
フレイアの炎の爪を砕いて、私の拳がフレイアの心臓へと打ち込まれた。通常であれば致命傷の一撃を受けたフレイアは血を吐き出し、その場に膝をついて、そのまま崩れ落ちた。
私は荒く息を吐きながらフレイアを見下ろす。フレイアは藻掻くように起き上がろうとするけれど、その手が発火を始めた。
「――……ぁ」
ぽつりと、フレイアがか細い声を漏らした。今にも消えそうな、弱々しい声だ。その声に反して炎は勢いを増してフレイアを包んでいく。今までフレイアを守ろうとしていた炎が、フレイアを焼き包んでいく。
……限界だ。彼女はもう限界だった。抱えすぎた力に、守護聖獣から降ろしすぎた力によって身を滅ぼす。私と違ってフレイアは生身だ。過ぎた力は、身を滅ぼしていく。
燃えさかる自分の手をぼんやりと見つめたフレイアは、それでもふっと笑った。――今まで見た事の無い、柔らかな笑みだった。
「……あぁ、アンタなんかに、救われてたまるものですか」
フレイアが呟くのと同時に、今まで静かにしていた鳳凰が猛り狂ったかのように私に向かって来た。慌てて突進してきた鳳凰と距離を取るように離れると、燃えさかるフレイアを包み込むようにその翼を丸めて、鳳凰もまた共に燃えていく。
鳳凰が司るは命の炎、浄化と再生。その炎が、ただフレイアの全てを焼き尽くしていく。その炎に包まれながら、フレイアは夢見心地のような表情を浮かべながら呟く。
「……もう飽きたわ。だから、貴方にあげる。この遊び場は、それなりに楽しめたわ……」
「フレイアッ!」
「貴方に救われなんかしない。私は、自分で捨ててやるの。あははは……! ざまぁ見なさい……! 皆、皆、みぃんなっ! 私のもの! だから全部要らない、全部壊して、捨てて、無くなっちゃえば良い!!」
「――お母様!!」
フレイアの叫びに被せるように叫んだのはフィネッサだ。戦いの終わりを悟った彼女は足を縺れさせながらも駆けてくる。
私の傍まで来た所で転びそうになったので、咄嗟に抱き留めるようにフィネッサを抱える。フィネッサは涙に潤んだ瞳でフレイアを見つめている。
「お母様――私は、ずっと……ずっと恨みます! 貴方を、ずっと憎むから! 貴方を絶対に許さないから!!」
「……」
「貴方を、貴方のような人を許さないから。もう二度と、この世に生まれさせないと! そう誓います!!」
「……そう」
「――だから! 今度は、普通のお母さんになってください!!」
叫んで、唇を噛みながらフィネッサはフレイアを睨み付けた。その目からぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
フィネッサの肩を抱くように支えながら私はフレイアを見る。彼女は……もう炎に包まれてその表情が見えない。
「――本当に、私の子とは思えないぐらい馬鹿な子ね……」
誰かを嘲るようなその言葉が、フレイアの最期の言葉だった。
灰すらも残らず、鳳凰の炎は全てを焼き尽くして……そして、消えていった。