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第15話:そして、全ては動き始める

 その日、ピスキス伯爵領の領民達は領主の召集の声で広場へと集まっていた。元々、領主が住まう街にいる者ばかりではなく、各地にお触れを出して町長や村長といった人を束ねる者達が呼ばれたのだ。

 広場に集まる彼等の表情は一様に暗いものだった。諦観や悲嘆に暮れた表情はここ数年、変わる事のないものだった。ヒュードラ公爵からピスキス伯爵へと領主が変わり、この地が罪人の流刑地となった事で領地からは活気が失われた。

 罪人として送られてきた者達と現地住民の諍いが起き、更に駄目押しと言わんばかりに襲いかかってきた水害の数々。明るさが失われるのも当然という話だ。

 そして領主からの呼び出し。その多くは謝罪からだった。今は苦しい時だから耐えて欲しい。その力を貸して欲しいと。

 ピスキス伯爵は決して悪い人間ではなかったが、目立った成果も出せていない。彼とて何もしていなかった訳ではないが、かつてのヒュードラ公爵領だった時代を知る者からすればどうしても凡庸に過ぎない。

 また年貢の引き上げの話か、と。誰もが諦めた気持ちで壇上にピスキス伯爵が上がるのを今かと待ちわびていた。


 ――しかし、彼等が目にしたのはピスキス伯爵ではなかった。


 夜空の色を溶かし込んだような黒髪に空のように澄んだ青色の瞳。身に白から青へと色彩がグラーデションに変わっていく華美なるドレスを纏った少女だった。

 気品溢れる姿に誰もが目を奪われ、困惑のざわめきが強くなっていく。自分達を呼び出したのはピスキス伯爵の筈。なのにこの少女は一体誰なのかと。

 そんな中、誰かが呟いた。


「あれ、王女様じゃないか?」


 誰が口に出したのか、それが次第に伝播していくようだった。守護聖獣たる私は知覚の範囲を広げればそういう声も拾えてしまう。

 姿を消し、フィネッサの傍に意識を漂わせながら私はフィネッサの様子を伺う。どこまでもフィネッサは静かだった。まるで領民の一人一人を見るかのようにゆっくりと見渡してから、その口を開いた。


「突然、このように姿を見せた事で困惑を覚える事は当然かと思います。此度、ピスキス伯爵の名の下に集まって頂いた皆様、私はこのアルマーティア王国の第一王女、フィネッサ・アルマーティアです」


 スカートの端を持ち上げるようにしてフィネッサが堂々と一礼をした。ざわめきは強くなるばかりで、フィネッサの声も届いているのかわからない。

 それに気付いた誰かが声を落とすように諫めた。波が引いていくかのように、フィネッサの言葉を聞き漏らさないようにと静寂が訪れる。


「まず、何からお話しをすれば良いのかずっと考えていました。今日、皆様の顔を見るまでは迷いが募るばかり。ですが、今、私の心は定まりました」


 一度目を閉じるように伏せて、フィネッサは瞳を開くのと同時に問いかけを民達に発した。


「皆様、今の暮らしは十分満足に足るものでしょうか? ……いいえ、返答を求めている訳ではございません。今、ここにいる皆様方の表情とこの領地の現状を知れば自ずと答えは知れるというもの。そして皆様の苦境を招いたのは何より私達、現王家の政策によるものだと私は申し上げます」


 再びざわめきが大きくなっていく。それも当然の事だ、フィネッサが、つまる所は王族が自らの非を認めたのだから。

 それが例え王女であったとしても、フィネッサはお飾りのようなものだ。でも、その内情まで詳しく知らない者からすればフィネッサの言葉には衝撃を受けて然るべきものだ。


「何故、父が民を選別するような政策を取ったのか。その疑問を抱く者は多いでしょう。その一因には二十年前に起きたラーナリアス・ヒュードラ元公爵令嬢の死があった事は間違いありません。あの日を境に治水を担っていたヒュードラ公爵は爵位を返上、混乱の中で即位した父には多くの苦悩があったものと思います」


 言葉を紡ぎながら、胸を痛めていると言うようにフィネッサは己の胸の前で両手を握り合わせる。


「父には決断をしなければならない大きな理由があったのだと思います。――しかし、だからといって民を選別し、優遇する事など本来はしてはいけないもの。貴方方はこの国の領民なのですから。例え、罪人であろうとも罪を償う機会は与えられて然るべきなのです。その罪でさえも、私にはそれが正当な判決によるものなのかと疑問を抱いてしまいます」


 そう、フィネッサと一緒に調べた流刑を下された罪人達の罪は半ば、でっち上げと言われても仕方ないものだった。

 疑わしきは罰せよと言わんばかりに起きた粛正の嵐。それは現王家が政治を担う為に起きた混乱を鎮める為の強攻策だったのだろうと思う。

 どんなに理不尽でも後ろ盾となれる有力な貴族の多くは王家に愛想を尽かしてしまっていた。だから庇護者がいなかった。勿論、王家に背いた貴族達とて何もしなかった訳ではない、それでも零れ落ちてしまう人達がいた。

 そんな混乱の最中、不幸にも冤罪にも等しい罪を負わされた者達。本物の罪人も勿論いたけれど、そんな人達がいる事を忘れてはならないのだとフィネッサと共に胸に刻んだ。私にとっては、私が齎してしまったという自責の念もあるのだから尚更に。


「多くの民が不満を抱えている事、一部の民だけが裕福な暮らしを許されている事。明らかな水害による被害があるのにも関わらず対策を打てない王家への不信感。それがどれだけ皆様の胸に育ってしまったのかと思えば、私はただ胸を痛めるばかりです。ですが私も王家の一員、座して待つ事など出来ようもありませんでした。その為に、今、私はここにいます」


 祈るように握り合わせていた手を解いて、フィネッサは民達を見渡してから一呼吸を置く。


「かつてこの地は白蛇の守護聖獣による加護を賜り、水害にも負けず皆に活気があったと聞き及んでおります。しかし、かの公爵は愛娘を失い、国を去ってしまいました。その心情、察して余るばかりです。一因となってしまった王家としてはこの教訓に学び、活かさなければなりません」


 フィネッサの言葉に顔を歪める者は多くいた。今にも泣き出しそうな者、実際に泣き出してしまった者、不満や怒りに表情を曇らせる者。

 今更王家が何を言っているのか。そんな心情の者も多いだろう、とピスキス伯爵は言っていた。事実、私もそうだと思う。それでも王家を敵に回す事は容易ではないし、してもいけない。するのだとしても大義名分が必要だ。


「この地でピスキス伯爵も力を尽くしてくれましたが、どうしてもかつての栄華に迫る事は叶いませんでした。なればこそ、この地にもう一度、過去の栄華を呼び戻さなければなりません。――イードゥラ! ここに!」


 宣言と共にフィネッサから魔力が注がれる。未だ実体を現していない私の視線がフィネッサの視線と絡み合う。

 えぇ、行きましょう。ここから私達の為すべき事を始める為に。注がれた魔力を全身で受けとるようにして、私はフィネッサの背後に姿を現した。

 私の姿を見た者達は、誰もが驚きの目で見つめて来た。私こそ、この土地の栄華の象徴であり、失われてしまったものそのものだ。体を大きく見せるように張ってみせる。


「白蛇だ……」

「まさか、今の王家の王女様が……」

「じゃあ、王女様は……」


 一番大きなざわめきが響き渡る。混乱と、そして僅かに浮かび上がって来た期待と共に。

 そのざわめきを制するようにフィネッサは今日一番に声を張りあげて宣言する。


「私、フィネッサ・アルマーティアはこの度、成人の儀で白蛇との契約を交わすに至りました! これこそ、私の天命! 失われた栄華を再びこの地に! 皆様! どうかここにいる皆様に聞いて欲しいのです!」


 震えそうな程に感情を込めた叫びを、それでも声が割れてしまわないように必死に押さえつけながらもフィネッサは続ける。


「皆様の幸せは何ですか? 生活の安寧ですか? 犯した罪の清算ですか? えぇ、勿論ですとも。それは皆が求めて当然の権利です! では、その先にあるものとは? それこそが幸せの意味の筈です! 生きるだけでは足りません、誇りを胸に抱いて生きる為に! かつてこの領地がそうであったように!」


 ざわめきはいつの間にか静まり返っていた。今、この場を支配しているのはフィネッサの言葉だけだ。

 この子ならきっと、民の心を動かせる。私はそう信じた。だから彼女の言葉を遮るような事はしない。


「再びこの地に誇りと安寧を取り戻す為に! どうか皆様、私に力をお貸し下さい! 私達の声が、この地で生きる喜びに満ち溢れたものに変わる為に! ここは罪人の流刑地ではないと、再び白蛇の加護を賜り、一人一人が尊厳と共に生きていく為に!」


 震えた吐息を誤魔化すようにフィネッサが言葉を句切る。

 一瞬の沈黙の後――それから、歓声が爆発した。


「フィネッサ王女! どうか私達に再び白蛇様の加護をお与えください!」

「罪が許されるって言うなら、何をしたら良い!?」

「幸せに生きたい、生きても良いって言うなら、俺達は王女様に付いていくぞ!」

「フィネッサ王女! フィネッサ王女!」


 繰り返されるフィネッサの名を讃える唱和。誰もがその顔に祈りと願いを秘めていた。かつての生活に戻りたいという祈りと、罪を許されて普通に生きる権利を取り戻したいという願いと。

 その果てに待つ幸福な一生の為に。藁にも縋るような思いで彼等は熱狂してフィネッサを呼んでいた。狂喜する民達に私は思わずフィネッサの顔を覗き込む。


 ――フィネッサには揺らぎなんてなかった。吐息を震わせて、不安を誤魔化していた彼女はもういない。


 身に纏う静謐は、どんな言葉よりも雄弁に語るかのように。フィネッサは民が熱狂する様を見て落ち着き、その目に目標を見据えていた。それはここにいない誰かを見つめるかのようにどこまでも遠い。

 そんな彼女に寄りそうように頬を寄せると、フィネッサが表情を綻ばせて私の顔を両手で抱き締めるように寄せて口付けを落とした。

 そんな光景を見ていた民達の興奮は留まる事を知らない。最早、演説どころではなかった。私は喜びと興奮を露わにする彼等をフィネッサと見つめ続けていた。


「……ここからですね」

『えぇ。必ず成功させなきゃね』



 * * *



 ――そして、時は流れる。



 * * *



「――母上! これは一体どういう事なのですか!?」


 王都〝ミーティアン〟の王城にて。声を荒らげているのは王太子であるアルレオだった。アルレオの前にいるのは、椅子に座りゆったりとした姿勢で楽にしていた王妃フレイアだ。

 フレイアは視線を横流しにするように向けてから、ほぅ、と憂鬱そうな溜息を吐いた。あまりの艶めかしさに母親である事も一瞬忘れて、アルレオは見入ってしまう。


「アルレオ、これは仕方ない事なの。まさかと思って泳がせてみたら、案の定ね……私も胸を痛めております」

「では、本当なのですか? フィネッサが反乱を企てているというのは!?」


 アルレオにそんな耳を疑うような報せが入ったのは、王城の廊下で立ち話に興じていたメイド達の会話からだった。


『聞いた? あの話』

『フィネッサ王女が先王陛下の下に向かったって?』

『えぇ……何でも罪人の流刑地で私兵を募ったそうなの』

『私兵!?』

『えぇ、名目上は領地の治安維持と水害対策と言ってるのだけど……その後ろには先王陛下の影があるって……』

『それって……まさか反乱を企ててるんじゃ』

『しっ! 声が大きい!』


 そんな会話を耳にしたアルレオは居ても立っていられず、その場で立ち話に興じていたメイド達に詰め寄り、詳細を聞き出した。

 自ら治水に携わりたいと宣ったあの愚かな妹は、本当に王城を抜け出した挙げ句に接触を禁じられていた祖父の元へと向かい、その助力を受けながらピスキス伯爵領へと向かった。

 そこで治安維持や水害対策の人員として私兵を募ったという。その宣言には王家を非難する内容も含んでいて、誰もがフィネッサが反乱を企てていたのではないかと噂を立てていたのだ。


(何を考えているんだ、フィネッサの奴……!)


 アルレオは苛立っていた。母の温情も知らず、身勝手に振る舞っては国政に反するような事までし始めた。どこか聞き分けの悪い妹だとは思っていたがここまでとは思わなかった。

 しかし、所詮は子供の言い出した事。それなら母上や父上が諫めた事で全てが済むと思っていたアルレオの想像は裏切られる事となる。


「本当にフィネッサを反逆者として捕らえると、そう仰っているのですか!?」

「アルレオ」


 今しがた、母であるフレイアにフィネッサの事を尋ねて来たアルレオはそんな衝撃的な話を聞いてしまったのだ。

 フィネッサを反逆者として捕らえる、と。今、そのように話が進んでいるとフレイアが自ら語ってみせたのだ。その衝撃たるや、アルレオが呆然自失してしまう程だった。


「でも、そんな、フィネッサが反乱なんて企てる訳が……」

「えぇ。ですから〝捕らえる〟と言ったのです」

「え?」

「フィネッサの後ろにはお義父様……いえ、先王陛下がいらっしゃいます。あの方は私を迎えたレオニスタ様を快く思わず、水面下で国を崩さんと狙っていたようなのです」

「その話は本当なのですか!?」

「えぇ。当時は私が国を纏める為に奔走していた為、自らの発言が通らなくなった事に不満を抱いていたようなの。元々、望まぬ婚約をレオニスタ様に迫っていたのも先王陛下なのよ。だから貴方達とは距離を置かせたかったのだけど……」


 沈痛そうな面持ちで告げるフレイアに、アルレオはハッとした顔でおもてを上げてフレイアの顔を見つめた。


「まさか……フィネッサが妙に聞き分けが悪かったのは、お祖父様に騙されて!?」

「恐らく。私も城内にそのような輩がいるとは思えなかったの、信じたかったわ……」


 フレイアの瞳から一筋の涙が零れて落ちる。その涙を見たアルレオは苦しくなった胸を押さえるように、母の悲しみの涙を自分の指で拭って見せた。


「……だからフィネッサを捕らえるの。でも、その本当の意味は保護よ。フィネッサを籠絡しようとした先王陛下の魔の手から守る為にね。でも、既にあちらは武力を手にしてしまっている。最悪の場合は……」

「……フィネッサを、殺すと?」


 目を閉じて、悲痛な面持ちでフレイアは頷いた。それを見たアルレオの胸に満ちたのは圧倒的なまでの怒りだった。


「私がフィネッサを止めて見せます! 私とて王家の獅子の守護聖獣を授かった身です! 母上!」

「あぁ、アルレオ! 貴方まで何を言うの!? 兄妹で殺し合う事になるのかもしれないのですよ!?」


 今にも取り乱してしまいそうな表情でフレイアは、その涙に潤んだアルレオと同色の瞳で彼を見つめる。


「それでもです! ……母上の涙は見たくないのです!」

「……アルレオ」


 フレイアはそっと席を立ち、アルレオの体を抱き締めた。ふわりと香った母の香りにアルレオは咄嗟に母の背中に手を回して強く抱き締め返す。


「……では、お願いして良いかしら? アルレオ。どうかあの子をお願いね?」

「はい! お任せ下さい、母上!」

「まずは父上にお話しを通して来なさいな。王太子が正式に使者として向かえば、あちらも無碍には出来ないでしょう。もし、そこで先王陛下が何かを企てるなら……」

「わかっております。それも含めて、私に任せて下さい!」


 意気揚々と返事をして、アルレオはフレイアの体を離して父へと相談する為に部屋を後にしていった。

 アルレオが立ち去った後、閉じた扉をジッと見つめていたフレイアはそっと自らの指で唇をなぞった。指についた口紅を指を擦り合わせて、指を口紅の色に染め上げていく。



「――お願いね? 〝私の〟可愛いアルレオ」



 くすくす。くすくす。

 そう言って微笑むフレイアの顔は、確かに聖女のように無邪気に笑っているかのようだった。


 

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