第14話:貴方は私の宝花
ピスキス伯爵との挨拶もそこそこに早速私達はピスキス伯爵に頼んで領地の資料を揃えて貰った。ここ近年の水害の規模、領地の内情、治水事業の成果など。
助言を頂きたい時には自分達から向かう事を告げて、さっそく私も手が生えたのを良い事に書類を読みあさる。だけど、予想していたことだけれども私とフィネッサの顔色は悪くなっていく。
『芳しくないわね』
「わかっていましたが……イードゥラは一番の問題は何だと思いますか?』
『ピスキス伯爵になくて、ヒュードラ公爵家にはあったもの。まずは守護聖獣の白蛇の有無が大きいのだけど……そも、なぜヒュードラ公爵家は白蛇の力を用いて治水を成功させられたのか? その理由は未来予測の精度が高かったからよ』
「未来予測ですか?」
『白蛇はね、水の気配に敏感なの。何故水に住まう水棲系の守護聖獣ではなく白蛇にその力があったのかは定かではないけれど、白蛇は水辺、陸と水の境に住まう者だからこそ敏感なのかもしれないわ』
白蛇が治水に対して最も貢献していたのは水属性の守護聖獣だからという訳ではない。白蛇は水の気配に敏感であり、それはつまり水害の予兆を感じ取れる力に優れていたという事に他ならない。
だから他の守護聖獣持ちではなかなか代役が出来ない。それ故にヒュードラ公爵家は治水という大きな成果を国にもたらす事となり、王家の姫を降嫁して貰うなどして王家の親戚という地位を得る事が叶った。
『水害の予測を立てられないから効果的な水害対策が出来ない。堤防だって確かに作る事が出来れば、それはまったくの無駄という訳ではないわ。いつか来るかもしれない、という事に備えるという意味ではピスキス伯爵は間違ってない』
「でも、ヒュードラ公爵家の治水とはそもそも内容が違うという事ですね」
『他の土地だったら上手く行ってたかもしれないけれど、このヒュードラ領……じゃなかった、ピスキス伯爵領は水害が特に多い。それは山と川が入り組んでいるからよ。そして同時に地下に流れる水源も多い。昔は水の関所もヒュードラ公爵家が主導で作っていたのだけど……』
「あぁ、それはこちらの資料です。……国の歴史を遡っても稀に見る大水害の際に崩壊。未だ修復の目処が立っていないという状態のようですね」
『水関所の完成はお父様の悲願だったのだけれどね……水関所がダメとなるとヒュードラ公爵家の従来の対症療法になるわ。つまり水害の回避の為の一時的な疎開なのだけど……』
「それも白蛇の予知がなければどこに避難すれば良いのか、或いはいつ戻れば良いのか明確な保証がない、ですか」
ピスキス伯爵の仕事は決して無駄という訳ではない。むしろヒュードラ公爵家が持つアドバンテージが大きすぎるだけの話だった。
領地で食料を賄う畑にしても、ヒュードラ公爵家では各地で水害の予兆がある為、予兆があった土地は年間で調査・確認を取って水害に強い作物や、或いは収穫が早くに出来るものを中心に切り替えたり、領主から内職の案内をしていた。
水害こそ多かったものの、逆を言えば水害によって命を落とす事がなければ仕事が無くなる事はない。家は建てても場合によっては放棄をする前提だったから領民が全員弁えていて素直に従ってくれたし。
今となっては罪人の流刑地になってしまっているけれど、昔のヒュードラ公爵家の領民も決して皆が裕福という訳ではなかった。ただ仕事は無限にあり、領主自ら領民の衣食住の支援に乗り出していた為、活力ある人生を送っていた。
チャンスを掴んだものは領地を出てもご縁があったからと各地の特産品を献上してくれたりと、ここは貧しき者の受け入れ場所であり、そしてそんな彼等が明日に人生を繋ぐ為に働ける領地だった。
(だから罪人の流刑地になってしまうのは、ある意味では間違ってはいないのよね。そうなってしまう下地はあったんだから……)
罪人達も言ってしまえば貧しき者達だ。彼等がかつてのヒュードラ領の領民達と違うのは庇護してくれる領主がいないのと、そして逃げる先はこの領地以外にないのだという事だ。
残酷。そんな言葉が脳裏に浮かんで歯を鳴らしてしまった。何も考えずにやった事なのか、それともわかった上でやった事なのかは知らないけれど。フレイア、あんたのその聖女の名が泣いているわよ。
「……どうすれば良いのでしょうか」
途方にくれたようにフィネッサが呟く。彼女が思ってたよりも現実は重く、苦しいものだったに違いない。
罪人達はこの他の場所に行く事は出来ず、この地で生きていくしかない。かつては他領と縁を結んだ事で斡旋先を用意する事が出来たけど、それはお父様あっての人員の流入の仕組みだ。
残念だけどピスキス伯爵はその点では確かな成果を挙げられている訳ではない。むしろ彼の仕事ぶりをこうして確認した所、一つの領地の中で完結させる流れを生むのに向いているという評価になる。
堤防作りを指導する事が出来たのだってピスキス伯爵の力によるものだ。それは決して無駄でも無能な仕事でもない。かつてのヒュードラ公爵家とはまた違った形でこの領地と領民を守ろうとしていた。その努力に私は報いたいと思う。
『方法はあるわ』
「あるんですか!? ……流石ですね、イードゥラ」
『ただリスクが高いというか……陛下もわかってて送り出したんじゃないでしょうね? いえ、フィネッサは覚悟の上でしょうし……』
「? あの、イードゥラ?」
『方法は簡単よ。だけど、明らかに真っ向から王家に反旗を翻したと見られそうなのよね。でも、一番効果的な方法はこれなのよね……嫌になるわ』
「……その方法とは?」
ごくりと喉を鳴らしながらフィネッサが問いかけてくる。その視線に私は真っ向から視線を返して己の考えを告げた。
『フィネッサ。貴方が旗頭となって領民を〝徴兵〟する事よ』
「……な……!? ち、徴兵!?」
『何も戦争をする為じゃないわよ。今、この地の領民は罪人が多い。罪人である彼等に職を選択するという事は出来ない。あと、こっちもどう扱えば良いのかと言われるとこれもまた難しい。だから徴兵という手段を取るの。統率した集団として領民の意志を統一する。今、この地には領主に対する信頼が足りない。ピスキス伯爵には悪いけれどね』
「……軍を作るんですか?」
『そう。軍を作り、領主の指示に従って疎開から食料の配給などの仕事に従事してもらう。これなら生活を安定させる大義名分も立つし、意思統一を図れる。罪人から兵士に取り立てる事で、身分からの解放にもなる。規則でガチガチで縛られちゃう事になっちゃうけど、努力次第ではまた自由にもなれるわ』
「……つまり、領民を私の私兵として取り立てるって事ですよね?」
『そうね。……どんなに個人の雇用だとしても、意思統一して一つの集団として纏まって動く集団を持つ。それは私兵の軍だと言われれば否定出来るかどうかは半々どころか、現王家なら間違いなく〝黒〟だと認定するでしょうね。――クーデターを企てている、とね』
だから私は敢えて雇うのではなく徴兵という言葉を選んだ。この方法がこの領地の民を救う方法だと私は思っている。今すぐ事を動かそうと思っても、領民から失った信頼を取り戻すのは難しい。皆に心から信じて貰うには時間が圧倒的に足りない。
だから利用するのは現王家への不満と、圧倒的なカリスマで旗頭になれる存在だ。その象徴にフィネッサはなり得る。フィネッサが先頭に立つ事で領民達を導き、治水という結果を先に持ってきてから信頼を得る。
でも、それはフィネッサも言う通り私兵を持つという事に代わりはない。どんなにそれが戦の為でないと言い張ろうと、現王家はフィネッサが武力にもなり得る力を持つ事を決して許さないだろうと思う。
『正直、どんなに正攻法でやってもフィネッサが主導している限り、どこかで難癖をつけられて水の泡になるのは目に見えてわかってたわ。貴方には悪いけれど、フレイアという女は恐らくそういう女よ。目的の為には手段を選ばない、暗躍もすれば良心が痛むような事すら平気で実行するでしょうね』
「…………」
『だから貴方自身が力を持つの。……陛下もそのつもりなのでしょう。真っ向から戦争をするつもりよ。但し、実際に武力としてぶつかる訳じゃない。つまる所、政治闘争よ』
私はそこで言葉を一度区切って、フィネッサから視線を逸らす。
『……ただ、この構想には貴方の覚悟が一番重要になってくる。選んだらもう引き返せないし、その手は少なからず血に塗れる。全ての人を守る事なんて出来ない。本当に武力による戦争になってしまったら命で冷たい数式を描き出さなければならない』
一息を吐く。私は一度目を閉じてから再度、フィネッサへと視線を向けた。
『多分、これが最後の退き際よ。――いいのね?』
「――はい」
私の問いかけにフィネッサは迷い無く、視線を真っ直ぐ私に向けて頷いた。
「私は今まで王族とは何なのか考えてきました。母の言う事は違うと思うし、父のようになりたい訳でもありませんでした。何かが足りてない、何かが嵌まらないと。その答えはここに出来ました」
フィネッサはそう言って、自分の心臓の上に手を置くように添える。
「それが私の王族として為さなければならない事なら、イードゥラ。――いいえ、敢えてこう呼ぶ事をお許しください。ラーナリアス様。先代国王に望まれていた、誉れ高き王家の華になり得た気高き人。貴方が王を支える妃として学んだ全てを私に捧げてください。私は女の身であれど、王族として、果たされぬ〝王〟の責務を果たすものになりたいのです」
その顔には誰の面影も重なる事はなかった。フレイアとよく似た顔立ちでありながら、彼女とも違う。王族として振る舞おうとしていた姿には父親であるレオニスタの名残がどこかに見えていた。
けれど、どうだ。今ここで私に視線を注ぐ彼女は、最早誰の似姿でもない。フィネッサ・アルマーティア。アルマーティア王族の尊き血を引く気高き華。その名は私にではなく、彼女にこそ相応しい。
『――お心のままに。我が〝宝花〟よ』
自然と私は頭を下げた。最後まで仕えよう、この子を導き、育てて。今まさに花開こうとしている王家の宝花を守り抜こう。
アルマーティア王家が契約する守護聖獣の多くは獅子だ。その獅子のたてがみが花のようにも見える事から、王家の姫は宝物のような花として〝宝花〟と称される。
私は宝花になる事は叶わなかった。どんなに愛されようとも、散ってしまえば花はそれまで。けれど、私という花が残した種が咲き誇らせたのがフィネッサだと言うなら、私は国を守る者として身命を賭して彼女を守らなければならない。
『今一度、このイードゥラの名に誓いを。我が主、フィネッサ・アルマーティアに永遠の忠誠と友愛を。貴方の道を塞ぐものあれば悉くを退けて見せましょう』
「……はい。ありがとう、イードゥラ。でも、態度は今まで通りでね?」
『……じゃあ、けじめって事で』
互いに顔を見合わせて、クスクスと笑い合った。奇妙な関係の私達だけど、この絆だけは今は何よりも尊いものだと信じられる。
……あぁ、そうだ。私はきっと、誰よりも信じて欲しかったんだ。私が相応しいと、隣にいて欲しいと。その為に私は辛い事も呑み込んで耐えてきた。耐えてきたからこそ裏切られて辛かった。
その果てに大事なものはほとんど失ったけれど、それでもまだ残されたものがある。私がすべき事は、それを精一杯心の底から守り抜く事。
(――ありがとう、フィネッサ。私を〝生かして〟くれて)
これから先の人生が、誰とも言葉を交わせぬ人ならぬ人生でも構わない。
私はようやく、私が積み重ねてきた努力を捧げられる人に出会う事が出来たのだから。




