第13話:里帰りなんですけど
「うーむ……確かに角があるの」
「えぇ……パッと見て白蛇ですが、細部が異なりますね」
私に手が生える事件があってからすぐ、陛下とイグルが大きくなった私の体をジロジロと見て、記憶にある白蛇との差異を調べている。
フィネッサは白蛇の実物を見たことがなかったから半信半疑だったけれども、実際の白蛇を見た事があるだろう二人が言うのなら私はやっぱり白蛇ではないのかもしれない。
「最小の大きさですと気にならないのですが、こうして巨体となるとはっきりと違いがわかりますね」
「やはり、ではイードゥラはただの白蛇ではないのですか?」
「そういう事になるが……イグルよ、お前は何か知らないか?」
陛下が確認するようにイグルへと問いかける。そういえば、イグルは陛下にお仕えする従者であると同時に雑学の知識でも多彩だったわね。
「そうですね……確証がある話ではありませんが、一つだけ心当たりがあります」
「心当たりですか?」
「はい。その存在は鳳凰と同じほどに珍しく、半ば御伽話のように思われていた存在となります」
「ふむ……。して、その存在とは?」
「イードゥラ様もお聞きした事はございませんか? 〝黄龍〟という名を」
私を真っ直ぐに見て問いかけて来るイグルに、私は記憶の底にあった知識が浮かんでくる。
『黄龍……白蛇の祖や、王とされている伝説の守護聖獣よ』
「黄龍、ですか?」
「はい。白蛇はそもそも、その黄龍の眷属であるとされる伝説があるのです。しかし、あくまで伝説で語られている事であり、黄龍を守護聖獣とした者は近年まで確認する事が出来ていません」
「黄龍とはどのような守護聖獣なのですか?」
フィネッサも黄龍については知らなかったようで、首を傾げている。そういえばヒュードラ家でも半信半疑だったから、あくまでそういう伝説があるという程度の認識だった。
代々、ヒュードラ家が契約してきた守護聖獣の多くは白蛇だったから、恐らく誇張した作り話だと私も思っていたんだけど……。
「黄龍とは蛇によく似た体を持ち、優美なる角を持つ天を舞う偉大なるものとされています。翼で空を舞い、守護聖獣達が本来住まう世界から人々を見守っているとされる吉兆の象徴ですね。ですが、それは実際の存在が確認されていた鳳凰にその象徴が置き換わっていったという歴史があります」
「つまり……鳳凰より以前の吉兆の使者であったのがその黄龍なのですか?」
「はい。黄龍とは白蛇達の祖であり、束ねる王であると。水だけでなく天気、正確には雨雲をも操り、人々に恵みの雨を届けたのだとか。そういう逸話から白蛇たちの祖であり、王という認識が広まったようですね」
そういう意味では鳳凰と同じぐらい珍しく、力を持つ守護聖獣とされている存在でもある。それが黄龍という守護聖獣。
『でも、私は黄龍じゃないと思うわよ?』
「イードゥラ?」
『黄龍は金色の体を持つとされているわ。私はその点、白蛇と変わらないもの』
「イードゥラ様はなんと?」
「黄龍の体は金色とされているので、自分は黄龍ではないのではいかと……そう言っております」
「それは確かにそうですね……ですが、白蛇とも言いがたい。間を取って〝龍〟と呼ぶべきなのかもしれませんね」
『……龍』
白蛇ではなく、龍。鳳凰と並ぶ吉兆の使者とされた黄龍に近づくもの。そうだと言われれば確かに腑に落ちた。
でも、どうして自分が龍になったのか。そもそも私が守護聖獣になった理由すらもわからないのに謎ばかりが増えていく。
私はてっきりイードゥラと同化したとか、憑依したとか考えていたから自分が白蛇だと思っていたけれど、実際には白蛇ではなく龍になっていたという訳だ。
じゃあイードゥラはどこに行ってしまったのか? やっぱり私と同化してしまった為に龍になっただけで、この体はイードゥラのものなのか。それすらもわからない。
「過去の文献を紐解けばイードゥラ様の身に起きた事も調べられるかもしれませんが……そういった資料は王城ですね」
「王城の資料は現王家が手を入れていますから、もしかしたら失伝してしまっているかもしれませんね……」
「ふむ……」
フィネッサが現王家の文献の扱いをぽつりと呟くと、陛下もイグルも難しそうに眉を寄せた。現王家は私に関連した資料を焼いていたという前例があるから、自分達にとって都合の悪い資料は同じように焼いてしまっているかもしれない。
そうでもしなければ求心力を維持出来なかったのかもしれないけれど、そもそもそういう事になった事そのものがやるせない。
『私の事を調べるのは後回しにしましょう』
「イードゥラ?」
『大事なのは私がヒュードラ公爵家の知識を活かせる状態にあるかどうかよ。白蛇だろうと龍だろうと、大事なのはそこ』
「……そうですね。私が白蛇を求めたのは治水が第一ですから。治水が行えるのであれば白蛇でも龍でも構いません。ですが……」
どこか不安そうにフィネッサは表情を曇らせる。そして、少しだけ躊躇った後に口を開く。
「……何故そうなったのかわからないのは怖いです」
『……それはそうですけど』
「貴方の身に何が起きてるのか、私はそれを知りたいのです。私が貴方にしてあげられる事は、そんな事しかないですから」
『……馬鹿ね。こうして力になれる事も私にとって幸福な事なのだから、自分だけで背負い込み過ぎないの』
フィネッサの顔に自分の顔を寄せるようにして押し付ける。変な事で悩むんだから、この子は。律儀すぎるわ。
それがフレイアの反面教師の結果なのかもしれないというのは皮肉なものだけど。あの女に律儀なんて一面があったかしら? いいえ、私が知る限りはないわね。
「フィネッサ王女、私の方でも可能な限り、龍について調べたいと思います」
「イグル、どうかお願いします。私にも何か出来る事があればお手伝いさせてください」
「フィネッサよ、お前にはこれから大きな仕事があるのだから無理はするのではないぞ? 各地に送った手紙の返信が届き次第、お前には視察に向かって貰うつもりだ」
「視察……ですか?」
フィネッサが確認するように陛下に視線を向ける。陛下は厳かに頷いてから、静かに告げた。
「かつてヒュードラ領と呼ばれ、今は罪人の流刑地となっている……今は治水の〝実験場〟となっている地だ。王都で過ごしてきたお前には想像も出来ないだろう事が待ち受けているだろうからな」
私がフィネッサと共にかつてヒュードラ領と呼ばれた故郷へと向かったのは、この数日後の事だった。
* * *
『……酷いわね』
ぽつりと呟いた私の言葉にフィネッサが静かに頷きを返す。陛下が護衛でつけてくれた御者が運転する馬車に乗りながら、私は故郷の今の姿を見つめていた。
かつて私の故郷は活気に満ち溢れていた。どれだけヒュードラ公爵家が治水に優れているといっても水の脅威は恐ろしいものだ。時には住居を捨てる事もあった。
だけど、そうなっても皆逞しく助け合い、支え合い、復興の為に力を尽くしていた。そんな光景を父上と視察で見た時、これが私の誇るべき領民達の姿なのだと感動した。
――今は、そんな面影すらも見る事は出来ない。
水害にあったと思われる建物は補修もされないまま、そのまま朽ちて廃墟になっている。人がいなくなった無人の家屋もあれば、身なりを整えられていない人達が無気力な表情で生活をしている姿が見える。
かつては水を逃がしたり、水害の後も立て直しが容易になるように考えられた田畑は見る影もなく荒れ果て、水害の爪痕を色濃く残している。治水が上手く行ってない以上、補修をしても間に合わないと放置されたのが見て取れる。
そして、何より目についたのが堤防だ。水を堰き止める為の堤防を積み上げる為に人々が忙しなく働いている。しかし、そこに活気はない。中には罪人と思わしき手枷をつけられた者もいる。
これが、今の私の故郷の姿。
「……イードゥラ」
『大丈夫よ。……貴方がそんな顔をする必要はないわ』
罪悪感で表情を歪ませているフィネッサを慰めるように声をかけながら、私は故郷の姿を目に焼き付けた。
これも私が死んでしまった為に招いた光景だ。これはフィネッサが気に病む光景じゃない。むしろ私が責任を負うべきだ。フレイア達の治政を許してしまった、我が身の不徳を。
「フィネッサ王女、つきました」
「ありがとう」
御者が馬車を止め、フィネッサをエスコートして馬車から降ろしてくれる。
かつて私達が住んでいたヒュードラ公爵家邸。今はヒュードラ公爵家に代わって領地を預かっている伯爵が住んでいると陛下から聞いている。
かつての屋敷の入り口では、その伯爵がフィネッサの到着を待ち受けていた。そして、フィネッサに対して深々と臣下の礼を取る。
やつれた痩せ気味の男だ。疲労の色が隠しきれず、健康状態も良く無さそうだ。かつて市場で並んだ魚を目にした事があるけれど、あんな魚のように死んだ目をしている。
薄い色合いの茶髪はすっかり草臥れており、目さえ死んでいなければ愛嬌がある空色の瞳は疲労に淀んでいる。それでも背筋を伸ばそうとぴんと張ろうとしている。
「お初にお目にかかります。私はサモン・ピスキス伯爵、フィネッサ王女にはここまで足を運んでいただき、真に感謝に堪えません」
「フィネッサ・アルマーティアです。お祖父様から既にお話は聞いているかと思いますが……」
「詳しい話は中で致しましょう。……あぁ、その前に先に貴方様の守護聖獣をお見せいただく事は叶いますでしょうか」
ピスキス伯爵の死んだ目が少し活力を取り戻し、フィネッサへと熱い視線を注いでいる。私はフィネッサの返答を待つ前にその身を実体化させた。
最小のサイズであれば白蛇とそう変わらない私だ。ピスキス伯爵はひと目見て私の事が白蛇だとわかったのだろう。その目を大きく見開き、そして滂沱のように涙を零し始めた。
「お、おぉ……! 紛う事無き白蛇でございます……! この地に再び白蛇が参られるとは……!」
「……父や母に代わり、この地を預かってくれていた事を改めて感謝致します。ピスキス伯爵」
「いえ、私ではとんだ力不足でした。私がこの領地の領主に選ばれた理由というのも、私の守護聖獣は魚でございましてな」
そう言うと、ピスキス伯爵の顔の横に小さな魚が実体化して、ふわふわと浮かんでいる。ピスキス伯爵の顔に少し似ているので、並ぶとなんとも愛嬌を感じてしまう。
「私は水の魔法には長けてはいますが、治水などとは縁遠いものでした。……かつてのヒュードラ公爵にも世話になった事がある身、なんとか出来ぬかと身を粉にしてきましたが、全てを押し流す濁流に溺れてしまうばかりでした」
「ヒュードラ公爵と面識が?」
「学院での先輩でしてね。私はどうにも疲労が顔に出やすいので、周囲からみっともないと笑われていたのですよ。内向的になっていた私に声をかけてくれたのがヒュードラ公爵だったのです。……ラーナリアス様の事は、本当に私も胸を痛めていました。ラーナリアス様とは子も年が離れていましたし、本人とは交流はなかったのですが」
ピスキス……そういえば、名前を聞いた事がある。本来の領地は海側の領地で、海に流れ込む川と海からの水産資源が豊富な領地だった筈だ。
それにピスキスという家名の家は元々〝侯爵家〟だった筈だ。それが何故、伯爵に位が下げられているのか。
元々、お父様と交流があったという事から王都や権力から遠ざけられたというのは想像に難くない。本当にろくな事をしないわね、現王家は……。
「再び白蛇のご加護が賜れるとなれば、この老骨に鞭を打たなければなりませんな。……おっと、立ち話が長引いてしまいましたな。改めてようこそ、フィネッサ王女。大したお持て成しは出来ませんが、私共は心より王女とその守護聖獣の来訪を歓迎致します」




