第12話:一息吐こうと思ったんですけど!?
陛下が猛然と手紙を書いて、それを各地のかつての臣下達に送る。その間、私達はする事もないので宛がわれた私室で旅の疲れを癒していた。
(……なんだか凄い事になってきたわねぇ)
動き出す理由があったにせよ、実際に動き出してしまうと驚嘆してしまう。これからレオニスタとフレイアの治政に真っ向からフィネッサは反抗していくのだろう。
それがあの二人にどんな判断をさせる事になるのか、正直わからない。レオニスタはともかくフレイアが不気味だ。一見、純情で可憐に振る舞うあの女が何を考えているのかいまいち私にはわからない。
(人ならぬ身になった私に出来る事は少ないのだけどね……)
そもそも、まずフィネッサ以外に言葉が通じない。フィネッサにアドバイスこそ出来るだろうけど、実際に実行したり事を為すのはフィネッサの役割となる。
それはフィネッサにとって大きな負担になるのだろうけど、そこはもう彼女が背負うと決めた事だ。私から改めて何か言うような事でもない。
「……ラーナリアス様?」
ぼんやりとしているとフィネッサから声をかけられた。彼女は今はゆったりとしたワンピースに身を包んでいる。
どこか素朴ながら高貴さを損なわない彼女は、かつて婚約者だった彼とあの忌まわしくも認めざるを得ない女の美貌を併せ持っているのだと思い知らされる。
『イードゥラよ。あと様付けもしなくて良いから。もう、なんで様付けするの?』
「すいません。どうしても目上の人のように感じてしまって……」
『今の私は守護聖獣、本来の立場であっても貴方の方が身分が上なんだから』
尊敬して貰えるのは悪い気はしないけれど、どうにも私の方が落ち着かないのよね。
「……実は、私は以前からラーナリアス様の事を尊敬してたんですよ」
『は? どうしてよ』
「……私、実はちゃんとまともな教育受けさせて貰えてなかったんです。母の都合が良いように誘導しようとした教育こそ受けてましたが、ほとんど自分の考え方とかは独学で身につけたものです」
思考の誘導、か。本当にあの女、やる事が姑息というか、汚いというか……。
「だからよく図書室に篭もってたんです。そこにラーナリアス様の論文などもあったんですよ」
『私の論文?』
「えぇ。公にはラーナリアス様は魔女として蔑まれていましたから、多くの関連したものは焼き払われてしまいました。でも、学生の頃の論文などは幾つか図書室の奧に秘蔵されてたままだったんですよ。私は偶然、それを見つけたんです」
クスクスと笑って、フィネッサは宝物を見せびらかす子供のような表情を浮かべて私に話してくれた。
「論文一つでも、その人の考え方というものは伝わってきます。民とどう接して行くのか、領地の問題に対して取り組む姿勢はどうあるべきなのか。ラーナリアス様の思考を読み解くように論文を読みふけるのが私にとって何よりの糧だったんです」
『……そ、そうなの』
「誰かに見つかっては焼かれてしまうと思って、今でも宝箱に入れてあるんですけどね。もしかしたらもう処分されてるかもしれませんが……」
『……大袈裟ねぇ』
私の書いた論文、それをこんなにも評価されてしまうとどうにも恥ずかしい。私にとっては最近の事だけれど、フィネッサからするともう何年も前の話の筈だ。
それでも残されたものがフィネッサを教え、導き、救っていた。その事実を知れた事は私にとっても救いのように思えた。
「……私、凄く大きな失敗を、取り返しの付かない事をしてしまったんです」
『フィネッサ?』
「それから自分が怖くなったんです。私は……確かにお母様の娘です。私には、あの人の血が流れている。いつ、あの人のようになってもおかしくない一面がある。昔の私は自分でも本当に同じ人間なのか信じられないぐらい酷い子供だったんです」
視線を遠くに見つめながら、フィネッサは小さく呟くように零した。その表情がゾッとするような程に儚くて、今にも溶けて消えてしまいそうだった。
そんな表情をするような痛みを彼女は抱えていたのかと思えば、胸が苦しんだ。彼女の覚悟が固まるのが早いと思ってたけど、それは過去の経験から来るものなのかもしれないと私はここでようやく気付いた。
「変わりたくて、必死に道を探して、ようやく見つけた道標だったんです。そんな道標が私の傍にいてくれるなんて……夢でも見ているみたいです」
『……そんな大層なものじゃないって』
「貴方がそう思うなら、貴方の中ではそうなのでしょう。でも、私の中では今でも貴方はかけがえのない先生です」
私が否定しても、楽しそうにフィネッサはそう返すだけだ。その頃には消えてしまいそうな儚さは消え去っていった。
「……同じ王女として生まれるなら、貴方の娘として生まれたかったかもしれません」
願うような、祈るような。そんな切実な思いを込めた呟きが私の心を震わせた。
『……私の娘だったら、多分貴方のように大人しい子じゃなかったでしょうね。多分、とても手を焼いたわ。だからそんな可能性はないわよ』
「ラーナリアス様……」
『イードゥラだって。私は貴方の母でも、先生でもないの。貴方の守護聖獣よ。貴方がすべき事は胸を張って自分の道を進む事。その為に学んで、必死になって考えて、自分の最善を信じて進みなさい。……その背中は私が見守っててあげる』
フィネッサの視線が私へと向けられる。私は思わず、ふいっと視線を逸らしてしまった。
『貴方が間違うなら背中を叩いてでも止めてあげる。貴方が歩む道を悩むなら背中を押してあげる。貴方がどうしても辛いなら慰めてあげる。……貴方がどうしようもなく過った道に進むなら、私が殺してでも止めてあげる。その時は一人じゃないわ、私も一緒に死んであげる。それなら寂しくないでしょ?』
ふん、と鼻を鳴らすように言ってやるとフィネッサの手が私に伸びてきた。彼女の手が私を胸元に抱き寄せるように包み込む。
フィネッサは何かを堪えるように俯きながら、僅かに身を震わせていた。私はフィネッサの表情を見ないように、彼女の胸に顔を預けた。
「……ありがとう、イードゥラ」
『……えぇ』
「私、間違えませんから。死なせなんてしませんから」
『そうして頂戴』
「……誰にも看取られずに死ぬなんて……寂しいですよね……!」
ぽたりと、私の体に雫が落ちてきた。それが何なのかを私は確かめない。ただ震える体で必死に私を抱き締めているフィネッサに身を預ける。
一人じゃなかったわ、私。イードゥラがいてくれたし、今もこうして生を続けている。だからフィネッサの言葉はお門違いというものだ。
……だから泣く必要なんてないのに、本当に馬鹿な子ね。私もそんなつもりで言った訳じゃないのに。あぁ、本当。
人を慰めるなんて、柄にもない事をするんじゃなかったわ。
* * *
フィネッサが落ち着いた頃には夕食の時間になっていた。メイドがフィネッサを呼びに来て、陛下との食事の席が設けられていた。
先に待っていた陛下と、そこに付き従うイグル。そしてフィネッサの分の食事と、もう一人分の食事が用意されていた。しかし、そこに席はない。
「よく来た、フィネッサ。それからラーナよ、お前の分の食事も用意させて貰った」
『……え?』
「何も守護聖獣になったからといって食事を食べられぬ訳ではあるまい。言葉は通じぬがお前を持て成したいという気持ちだ、良ければ食べてくれ」
陛下は穏やかな顔で私にそう言ってくれた。良く見れば用意された食事は生前、私が特に好んだものばかりだった。ヒドゥルス領がまだ観光地だった頃、この地での目玉とも言える料理は私の舌に合うものだった。
それを覚えていてくれたのか。こうして陛下が心尽くしをしてくれたのだから、受けとらないというのも失礼というものだ。
『ありがとうございます。フィネッサ、陛下に感謝しておりますとお伝えして』
「はい。イードゥラも喜んでおります、お祖父様」
「……あぁ、ついラーナと呼んでしまうが、今はイードゥラだったな。周囲を混乱させる訳にもいかん。気をつけなければ」
苦笑を浮かべて陛下はそう言葉を零す。確かにラーナリアスと呼ばれるのはちょっと困る。人としての私は既に死んでいるのだから。
そして食事が始まったんだけれども、……ちょっと困ったわ。今の私は蛇なんだから仕方ないんだけど、皿に直接口を伸ばして食べるしかない。
でも陛下の御前でそのように食べるというのもなんだか恥ずかしい。どうしたものかと悩んでいると、見かねた陛下が声をかけてくれた。
「作法など気にせずに食べてくれ、そのような姿で細かい事を気にする方が無粋というものだろう」
そうまで言ってくれたのなら、遠慮し続けるのも逆に失礼だ。私は意を決して食べ物を口に運んだ。
このヒドゥルス領は観光名所であると同時に畜産が盛んだった。特に牛が美味しかったのだ。そして丹念に育てられた牛の肉や乳、そして野菜などをじっくり煮込んだシチューは私の好物だった。
それが今、目の前にある。気が逸らない訳がない。舌を伸ばして、ちろりとシチューを舐め取る。
(…………あぁ! 美味しい!)
守護聖獣になって味覚が変わってたり、味が感じられなかったりしたらどうしようと。そんな懸念が一気に吹き飛んだ。
美味しい、生前とまったく変わらない味が舌に染み渡っていく。思わず目を細めてしまいそうになる。
肉の甘み、野菜の甘み、乳の味が全てを優しく包み込んで纏めてくれる。柔らかな舌触りが一気に心を穏やかにさせてくれる。
そのまま無心でシチューを舌で掬い上げていたけれども、はたと気付く。具材も是非食べたいんだけれども、かぶりつくしかない。
仕方ないとは割り切って食べてはみたものの、やっぱり大口を開けてかぶりつくのは恥ずかしい。蛇としては当然なのかもしれないけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい!
(……ッ……せめて、手、手があれば……!)
手があればスプーンで持ち上げて、それを囓るという事が出来るのに。あぁ、どうして私の体には手がないの!
(手……手……手が……欲しい……!!)
思わずプルプルと震えながらシチューの皿を睨んでしまう。目の前に好物があるというのに、羞恥心を捨てなければこの味わいを堪能出来ないというの……!?
(手が、あれば――ッ!!)
食への欲求、今まで培ってきた作法故の羞恥心、その葛藤が最大になった時、不意に私の体に奇妙な感覚が起きた。
ずるり、と何かが這い出るような感触だった。ん? とそんな奇妙な感覚に首を傾げて体に視線を落としてみると――手があった。
(……は?)
手が、ある。
人間の手とは異なる、五本指の鋭利な爪を持つ手だ。まるでトカゲみたいな手だな、と他人事ながら思ってしまう。
その手はどうやら、私の意志に応じてぴくぴくと反応するらしい。人の手に比べればちょこんとした手なので、どこか愛嬌がある。
『はぁああああッ!?』
なんで!? 手が!? 生えてるの!? 私が強く願ったから!? 生えるものなの、手って!?
私の驚きの声でフィネッサも気付いたのか、何事かという視線を私に向けてくる。
「イードゥラに手が……?」
『えっ、やっぱりこれ手よね!?』
「え、えぇ……」
にぎにぎと開いたり閉じたりしながら感覚を確かめていると、フィネッサも呆然とした様子で私を見ている。
「……白蛇って手が生えるものなんですか?」
「……そのような話は聞いた事がないが」
フィネッサから話題を振られて、陛下も困惑したような表情で私を見ている。私だって白蛇に手が生えるなんて聞いた事がないわよ!?
「……今更疑問なのですが、ラーナリアス様、いえ、イードゥラ様は本当に普通の白蛇なのですか……?」
ぽつりとイグルが呟いた言葉に、しん、と場が静まり返ってしまった。
「……イードゥラ、もっと大きな姿になると角が生えるんですけど、白蛇に角ってありましたか?」
「……いや、巨大な姿になる事が出来るのは知っているが、角が生えている白蛇など聞いた事がない」
「……じゃあ、イードゥラは白蛇ではない……?」
……えっ、私、もしかして、やっぱり白蛇じゃないの!?
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