あの二人は良い人だった
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「覇王丸さん、馬車を家の前に移動させました」
俺が老夫婦からいろいろ話を聞いていると、ライカが駆け寄ってきた。
相変わらず、片手で帽子を抑えたままだ。
「分かった。それじゃあ、井戸の水を貰っていくからな」
「いいよ。これも何個か持って行くかい?」
そう言って、爺さんが足下に転がっているジャガイモのような野菜を、俺に手渡してきた。
「貰ってもいいのか? それなら、お返しに畑仕事を手伝おうか? 俺、農作業は得意だぞ」
「そんな、気を遣わなくてもいいよ。それよりも、名前を教えてくれるかい?」
「ああ。俺は覇王丸で、こいつは……」
ライカを紹介しようとして、これまたちょうど良いタイミングだと言うことに気が付く。
「ライカ。帽子を取って、この二人にお礼を言え」
「え?」
「もう教えてある。大丈夫だから」
「は、はい……」
俺が頷いてみせると、ライカは緊張した様子で帽子を取り、老夫婦の前に獣の耳を曝け出した。
「あの、ライカと申します。この度は井戸の水を分けていただきまして、ありがとうございます」
いつも通りに礼儀正しく、けれど、いつもより少しだけ元気の無い声。
ライカなりに目に見えない恐怖――――獣人に対する偏見や差別に、精一杯、向き合おうと努力していることが窺い知れた
老夫婦も、俺と同じものを感じ取ったらしい。
ライカに向ける眼差しが、家族を見るような優しいものに変わった。
「ライカちゃんかい。良い名前だねぇ」
「ありがとうございます」
「もし、嫌じゃなかったら、その頭の耳に触ってもいいかい?」
「あ、はい。どうぞ」
婆さんの申し出を受け入れて、ライカは素直に頭を差し出す。
(俺が最初に耳を触った時は、触るなって怒ったのに……)
『あの時は、完全なセクハラでしたから』
心の汚れた会話をする俺たちを余所に、婆さんは自分の手が汚れていないかを確かめると、ライカを抱き寄せるようにハグをして、その頭をゆっくりと撫でた。
「私たちに孫娘がいたらこんな感じなのかもしれないねぇ」
「お婆さん……」
「今まで、辛いことや嫌なことが沢山あったかもしれないけれど、元気を出すんだよ? 皆がライカちゃんのことを嫌っているわけじゃないからね」
「え?」
婆さんは、ライカが虐められていたという嘘の設定を信じているので、何もおかしなことは言っていないのだが、ライカにとっては寝耳に水だろう。
「あの、私、別に嫌われたりとかは……」
「一人で抱え込んだり、無理をして強がったりする必要は無いからね」
「えーと……。その、はい……」
最初はあたふたしながら誤解を解こうとしていたライカだが、すぐに諦めて、されるがままになった。
「どうしても辛くなったら、覇王丸さんを頼るんだよ?」
「覇王丸さんですか?」
「この人はライカちゃんのことを、とても大切に思ってくれているからね」
「ふぁ!?」
「はぁ!?」
面白がって見ていたら、突然、俺にも飛び火した。
ライカは真っ赤な顔をして、本当ですか? と、視線で俺に問いかけてくる。
俺は無言で首を横に振って、誤解であることをアピールする。
「さっきも、ライカちゃんが王都で辛い目に遭わないか、とても心配していたんだよ」
(こ、このババア!)
飛び火どころか、今度は直接火を放ってきやがった。
「婆さん、もう、それくらいにしてくれ。よく考えたら、先を急いでいたんだ」
「そうかい?」
このまま放っておくと、どんどん被害が拡大しそうだったので、俺は大やけどをする前に、婆さんとライカを強引に引き離した。
「それじゃあ、俺たちはもう行くからな。井戸の水は勝手に汲んでいくぞ」
「ああ。帰りにも、近くを通るようなら、また声をかけておくれ」
「そうする」
名残惜しそうにするライカの手を引っ張りながら、俺は早足で馬車に戻った。
古くなった水を馬車馬のヤマダとハックに飲ませて、余った分は捨てる。
空になった木樽を井戸から汲んだ水で満タンにすると、俺たちは再び出発した。
*
「で、どうだったんだ?」
御者をライカに交代してもらったハウンドが、俺にだけ聞こえる声で尋ねてくる。
「獣人を見た時、一般的な人間がどんな反応をするのか、王都に着く前に知っておきたかったんだろ? 予行練習みたいな感じで」
「あの二人は良い人だった」
「当たりだったか。ハズレとどっちが良かったんだろうな?」
「さあ……」
ハズレなら、獣人に対する差別や偏見を、王都に着く前に身を持って知ることができる。
当たりなら、全部の人間が獣人に差別意識を持っているわけではないと知ることができる。
どちらでも、ライカにとっては良い体験になったと思うが――――
「まあ、今回は当たりでよかったんじゃないかな」
「過保護だねぇ」
ハウンドは喉の奥で笑いを噛み殺しながら、いつまでもニヤニヤとしていた。
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