第二次世界大戦終結へ1
第二次世界大戦終結へ1
1942年1月4日
アラビア戦線が一気に動いた。
日本海軍の第一作戦艦隊がアラビア半島から少し行った先にあるシナイ半島にいる英国軍本部とスエズ運河の敵艦隊を撃破するための大規模作戦に出たのだ。
通称AS作戦と呼ばれる作戦が開始されたのだ。
正月をしっかり休んだ将兵達士気は高いものだった。
日本軍は12月には作戦を実施するつもりだったが、
この作戦では陸上侵攻とキプロス島制圧とカイロ制圧を行うため死傷する将兵が多く出ることは予想されていた。
そして、日本政府首脳部はせめて年越しだけはさせてあげたいと作戦を少し延期していた。
そして、それを理解している前線の兵士たちは少しの休日を楽しみ、士気が上がった状態で一気に攻めかかったのだ。
最初に攻撃したのは紅海にいる艦隊だった。
空母 加賀 翔鶴 飛龍 蝦夷 赤城 大鳳 剣 越後 駿河
の9隻を導入した。
さらに、護衛に大和、武蔵、長門、金剛、榛名、日向、シドニー、
尾張、周防という多数の戦艦を護衛につけるという大盤振る舞いだった。
日本海軍首脳部は一気に地中海も制圧するつもりだったので損傷艦が出ることを考えたらある意味必要な数でもあるとも言えた。
イギリス軍情報部は攻撃は12月28日にあると踏んでいたのでその時にとんだ肩透かしをくらって警戒が緩んでいた。
イギリス軍情報部は次の攻撃は1月14日を想定していた。
そして、そのため休憩中の将兵も多かった。
ここ数日の間、まったく日本軍のアラブ方面軍が動かなかったのもまた、油断を誘った。
午前4時22分。
秘密暗号が作戦艦隊旗艦の大淀(情報旗艦)に届いた。
本国の横須賀から移転した呉の総合司令部からだった。
内容はもちろん、「作戦実行を許可する」 だった。
すぐに準備をしていた艦隊中の空母が艦隊防衛機を除いて多くの爆撃機と雷撃機、戦闘機が離陸をして行った。
その数は全機合わせて700機。
まぁ予備として他にも150機程度あるがそちらは本当の予備だった。
それがカイロとスエズ運河を攻撃する担当だった。
さらに、フランス領ジブチにはアラビア半島のアデン航空基地から100機程度が爆撃が向かった。
さらに、サウジアラビア領にある日本軍前線基地から多数の航空機が敵の陣地に向かって出発した。
アラビア半島の主な航空機は2式陸攻や、炎竜といった爆撃機とそれを護衛する疾風だった。
海軍航空隊の航空機は主に紫電改と、急降下爆撃機の彗星と雷撃機の天山に、一部が零戦でさらに、晴嵐や、試作品のジェット戦闘機の雷電も投入された。
英国側で真っ先に気づいたのはたまたま紅海北部を警戒していたイギリス海軍の防空駆逐艦だった。
この艦はスエズ運河の防衛担当で今日は海賊出現の報を受けて少し南下して警戒していた。
海賊はデマだったのだが(イギリス軍に対する諜報作戦)たまたま南から迫る大編隊をレーダーが捉えた。
駆逐艦は急いで運河に連絡した。
スエズ運河警備隊はもちろん警戒はしていたがそんな大規模な編隊ではないと思っていた。
しかし、40機程度の直衛機を上げて警戒していた。
日本海軍の航空隊を率いる作戦指揮機が日本にはあった。
航空用大型レーダーや司令部を守るための重武装を施した空飛ぶ要塞だった。
作戦本部はさっき海上に駆逐艦がいたことに気づいたがイギリス側が油断していて40機程度しか直衛機を出していないことに気づいた。
そして、すぐに突っ込ませた。
英国側の直衛機は700機程度の物量の波に対してあっという間に飲み込まれていく。
地上では警報が鳴り響いていて職員が右往左往している。
また、戦闘機がスエズ運河を制圧するために地上の対地設備を破壊しまくって、そこに輸送機から第1空挺師団が次々と飛び降りていく。
さらに、400機程度がカイロの方向に向かっていく。
地上のスエズ運河では空挺降下した空挺師団と地上警備の生き残りが戦っていた。
さらに、地上の部隊に対して機関銃が掃射される。
バタバタと倒れていくイギリス陸軍の脇をどんどん進軍していく日本軍。
イギリススエズ運河方面軍10万人は日本軍の多方面作戦によって挟み撃ちにあい、さらに、防衛線がしっかりと引かれていたところでも全面的な戦闘で戦死者が続出した。
さらに、方面司令官は戦争反対派だったし、若い将校もたくさんいたこの部隊を全滅させるわけにはいかないと降伏を決意した。
そして、スエズ運河警備担当とアラビア戦線総司令官は白旗を上げて降伏した。
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