第二次世界大戦15
第二次世界大戦15
日本軍南部方面前線司令部 マニラ 10月3日
マニラにら南部方面の南シナ海や、マラッカ海峡を含むインド洋方面とティモール方面の安全確保を担当していた。
既に開戦から3日が経過して日本軍南部方面軍はかなり劣勢だった。
クアラルンプールは都市の港湾側が攻撃されたがやはり南部の重要都市のためなんとか取り返したがプーケット近くの沿岸に上陸した敵軍はまだ駆逐できていないしタイに侵攻した敵軍はまだタイ国内にいるし、プーケットの南側に上陸した敵軍も日本陸軍が食い止めていた。
マレー半島は密林が生い茂っていて日本軍は街道を整備したら整備している街道にいくつもの対空陣地付きの要塞を配備していた。
また、すべての要塞は近代戦用に植民地になってから何回も改築されており今では屋根がコンクリート製になっており屋上には対空機銃がかなり配備されていた。
また、戦艦の砲を転用した陸上砲もあった。
これがイギリス軍とフランス軍の攻撃からまだ持っている由縁だった。
また、この要塞技術はタイにも輸出されていたしタイはバンコクに最大級の防衛線を敷きなんとかまだ耐えていた。
また、タイ市民に要請されたタイ政府が出した救国戦線の設立には多数の市民が参加し市民たちが英仏軍の占領下の街や、街道でゲリラ戦を実施して英仏軍を困らせていた。
イギリス極東艦隊はマラッカ海峡は一応イギリス空軍が制空権を持っているがそれでも時たま日本軍の戦闘機と空中戦になるので極東で虎の子のイギリス艦隊をそこを通らせるのはかなり危険だった。
しかし、本国から応援兵力を持ってくるにはさらに時間が必要で今、時間が少なく混乱している日本艦隊を攻撃するのはチャンスだった。
既に横須賀軍港をイギリスとソ連の空軍が攻撃して多くの被害を日本に与えたことは既に極東艦隊を知っていた。
ここでもう一個艦隊を殲滅したら日本海軍の戦争計画を大きく揺るがすと彼らは判断した。
そのため彼らはスンダ海峡を通ることにした。
スンダ海峡はスペイン領のジャワ島からの空軍機による制空権があり安全だった。
10月4日
日本海軍のブルネイ泊地の第六艦隊は艦載機をマレー半島やタイに派遣しながらも南シナ海からマラッカ海峡に留まっていた。
やっと日本本国では混乱が落ち着いてきて戦乱地のこの南シナ海にトラック泊地の第10艦隊と桃園の第22駆逐隊にダーウィンの第21巡洋艦隊が急行していたしさらにスペインのジャワ島とイギリスのスマトラ島とまぁポルトガル領のティモールの脅威を煽るためパースの第9艦隊も同海域に向かっていた。
しかし、正規空母部隊は数が少なかった。
ブルネイの第六艦隊には大型空母は居らず、中型空母の安芸と強襲揚陸艦型と言われる空母の翔鷹だった。
ちなみに鳳翔が本国の空母練習艦隊所属だったが(呉)これがちょうど練習航海でブルネイ近海にいたためこちらも戦力化された。
トラックの第10艦隊には新型の七つ星型軽空母がいて彼らは新型の零戦JWを持っていたため彼らが早く来てくれることを願っていたが、現実はそう甘くはなくスンダ海峡に敵艦隊ありという知らせがマッカサルの第二潜水艦隊所属の潜水艦から連絡があり彼らは戦闘に突入した。
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また、次は来週の木曜です。




