第二次世界大戦11
更新が遅れました。
日本本土での戦いに入っていきます。
第二次世界大戦11
10月1日15時 大阪 政府大阪支部 難波
「いつになったら連絡がとれるんた!」
「東京の国防総省、首相官邸、皇居ともに通信途絶したままです。」
このとき東京の各省庁や、軍司令部は首都攻撃に対する対応に集中していてその他の無線はほぼ無視されていた。
また、多くの電信線が切れていて(特に軍事基地の近く)連絡が取りにくい状況だった。
さらに、彼らが電話を掛けていた皇居防衛司令部や、首相官邸は攻撃を受けて半壊していたし多くの政府職員は防空壕に籠っていた。
上空には英ソ連合軍の戦闘爆撃隊と百里と横須賀、厚木、調布等の戦闘機がドンパチやっていた。
一応、大阪も救援に行っている松島や浜松の部隊から連絡は受けていたがあまり詳しくは知っていなかった。
大阪の臨時政府本部には長山峯太郎財務大臣がいた。
日本連邦政府の臨時首相権限は首相、副首相、国防長官、首席補佐官、外務大臣、財務大臣の順だが首相は国会の地下シェルターにいるらしいが錯乱状態らしく副首相はマレー半島に出張中でそちらで英軍の攻撃があったらしく避難していて安定していなくて国防長官は立川の国防総省にいるのだろうがまったくの音信不通でわからず首席補佐官は首相官邸に最後までいたらしく行方不明。
なにやら首相官邸の地下シェルターは構造的問題で弱いらしく死亡した可能性が高い。
外務大臣は北米に出張中でニューヨークから急いでこっちに向かってるらしいが本土のこの状況でアメリカにいる人より本土にいる人が指示を出すべきだという枢密院の判断で彼が臨時首相になった。
また、東京にいた名誉宰相が急いで大阪に車で向かってるらしい。
彼らは名誉宰相到着時に備えて準備を急いだ。
19時
第17代名誉宰相の松風楓が到着した。
「名誉宰相閣下に敬礼!」
ここに集まっている日本本土防衛司令部司令官やたまたま大阪にいた法務副長官が敬礼する。
そして、ついてきた国防軍参謀司令副長官が連絡する。
「国防軍は最高国防司令部を危険な東京から大阪に移転。その後時期を見てシドニーに移転します。」
「ご苦労。」
「東京の首相達は生存確認が出来次第横須賀から大阪に向かってもらいます。」
「臨時首相はどうすればよろしいですか?」
長峰さんが発言する。
「現首相は使えないため最高裁判所と私の権限をもって罷免。首相は長峰さんに一任。また、憲法3条に基づき戦時緊急会議を召集し私を議長とした内閣を作ります。」
「了解しました!」
しかし重要閣僚がなんとか東京から大阪に到着するのは1日程度さらにかかり日本の対応は少し遅れることになる。
新潟 越後湯沢駐屯第51山岳レンジャー
「聞いたか、新潟が英国、ソ連の連合軍によって攻撃され占領された。我々越後湯沢駐屯の第51山岳レンジャーは英ソ軍の東京侵攻を阻止せよと命令を受けた。」
「なんですって!?我々はたったの1500人。敵は10000人。
無理です!」
副隊長の芳村中佐が大反対する。
「ゲリラ戦術を駆使して中央政府が回復するまでなんとか新潟、群馬県境で押し止める。それが我々の任務だ。すでに長野の第80連隊4000もこっちに救援に来ている。」
「わかりました。」
こうして第二次世界大戦で日本の命運を左右したと呼ばれる沼田北部攻防戦は幕を開けた。




