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第二次世界大戦10

 第二次世界大戦10


結論スカンディナビア政府は同盟国側に立って参戦することになった。欧州戦線はかなり厳しくなると軍部を中心に激しい反発が起こったが第3代皇帝のカール・ナレーヌは軍部を説得した。

「共産主義にこの国がなることは認めません。あんな自由がない国にするなんて絶対に認めません。我々は勝ちます。そしてこの国を守り抜くのです。そして、それを実行するのが軍の仕事のはずです。」

いつもは立憲君主制といえども議会が政治のほぼすべてを実行するのだがこのときだけは大紛糾した議会の場で女王が国を憂いた発言をした。これだけでもこの帝国の針路は決まったようなものだった。

そして、開戦日と呼ばれる10月1日。

連合軍の一斉奇襲によって大戦は始まった。

幸い本土は攻撃を受けなかった。

スカンディナビア軍はオランダと救援要請を受けたスイスを中心に義兵団が活躍しさらにスカンディナビア最大の軍事企業サーブの戦闘機は度重なる空襲によって疲弊するドイツを尻目に多数の航空機をドイツ、オランダ、ポーランド、トルコ、オーストリアに販売することになる。


日本経済圏加盟国タイ

タイでは立憲王政が行われていた。

議会の権限は小さいものだったがそれでも年々少しずつ改善していた。

そして、そこに戦争の嵐が襲った。

タイはイギリス領スマトラの軍隊がマレー半島に上陸したと日本軍のマレー半島司令部から応援要請が出たので部隊を出した。

なにやら本土の国防司令部がその日は大きく混乱していて指示が来ないし敵の数があまりにも多かったのだ。

まだ日本軍は国家総力戦体制を整えていなかったし、国防軍情報部は開戦は最低でも半年は先という見通しをたてていた。

そのため部隊の数はマレー半島に8個師団。シンガポールに海兵隊一個師団だった。

まぁマレー半島は10年後にシンガポールを除いて独立するために州兵として訓練されている兵士がいた。

彼らを作戦に参加させてなんとか押さえていた。

そして、タイ軍は一個師団をプーケットに派遣した。

また、タイでも非常事態が起こった。

ミャンマーとインドから撤退してミャンマーにいたイギリス元インド軍8個師団がラオス、ミャンマー地域との国境からタイ国内に侵攻してきた。

これにはタイ政府はビックリしたが北部を一時的に放棄して南部に機甲部隊と飛行部隊をなんとか展開した。

そして、なんとか対抗した。


その他の日本領

日本領は各地で攻撃されていた。

幸い島嶼部とオーストラリア大陸、ニュージーランド、フィリピン、台湾や、一部を除いた本土にアラブ地方が安全だった。

しかし、ナミビア、アンゴラ、モロッコは連合軍から激しい攻撃にさらされた。

ナミビアとアンゴラは国が荒れるよりは日本が勝つと踏んで無条件降伏からの中立を宣言した。

これは日本外務省も了解した。

モロッコは頑強に抵抗した。

スペイン軍とイギリス軍を瀬戸際で防衛しながらサハラ砂漠側から攻めてくるフランス軍と南側から攻めてくるスペイン軍に対して四方向作戦を展開。

モロッコは少しの間粘りに粘り連合国軍のアフリカ軍を足止めすることになる。


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