第二次世界大戦8
第二次世界大戦8
ドイツ ライン川
戦争開始から1週間。
ドイツ軍はライン川に空軍と陸軍を配備してここを徹底的に防衛していた。
フランスとイギリス、スペインの陸軍と空軍はここをなんとか食い破ろうと必死だったがドイツもここを破られるとルール工業地帯がやられてしまうため必死だったので大激戦となった。
ドイツ軍は日本や北アメリカからの支援で戦線を保っていた。
日本軍の中東派遣部隊は同盟国のドイツの危機に本土が混乱しているため指示が出せないため命令系統の超法規的権限を使ってイランとトルコ、オーストリア経由で武器や物資をドイツに送った。
ハンブルクの方から攻めようとした英仏蛮連合軍はオランダ軍と日本の義勇軍によってからくもオランダの湿地地帯で足止めされていた。反対側のポーランドとオーストリアは攻めてくるソ連にトルコの兵力とドイツ製武器を使ってなんとか押しとどめていた。
ドイツ軍ライン川防衛部隊は戦闘機のM110を使ったりスカンディナビア製のサーブ3Xという防空戦闘機を使って空から来る敵を押し止めた。
ドイツ空軍の方が圧倒的に戦闘機の数は少なかったがそれでも性能の差でなんとか保っていた。
連合軍はライン川の橋を渡ろうとしたが半分まで渡ったところでどの橋もドイツ軍によって崩落させられて被害が大きくなるので渡川するのは厄介だった。
もちろん泳いで渡ろうとしたならば機関銃の餌食となる。
彼らは永遠と制空権を確保するための戦闘を行うことになる。
イタリア軍は永世中立国のスイスに対して軍の通行を許可してほしいと連絡していた。
ドイツ軍はスイスに面している南部地方の警戒を少なくしていた。
正確にはそこの部隊がライン川とオランダの湿地帯に救援に行っていた。
ドイツは永世中立国のスイスに信頼を置いていたのだ。
そして、スイスはイタリアに回答を出した。
スイス政府首脳部は永世中立を保つために苦悩した。
スイスがイタリアの要請を拒否した場合イタリアがこちらに攻めてくることになる。
しかしそうなると必然的にイタリアに対してスイス一国で防衛するためきつくなる。
さらにフランスやスペインの軍まで攻めてきたらさすがに守りきれないかもしれない。
しかしだからといってイタリアと戦うためにドイツと同盟しても永世中立ではなくなる。
さらにはそこでイタリアの通行を許可した場合ドイツに対して不利益を与えることになり永世中立が揺らいでしまう。
スイス政府は一週間の回答期限いっぱいまで考え抜いた末彼らはある結論を出した。
スイスは永世中立を保つがイタリアや、フランスが我が国に宣戦布告し我が国の領土と国民と主権が外国勢力によって侵害されるとしたら我が国は必要な措置を取り、絶対に屈しない。そういう結論を出した。
当然、イタリアは激怒した。
南側からドイツを急襲すればドイツがやられるのは明白だった。
そして、イタリアはとちくるった結論を下した。
10月13日
イタリア軍はミラノ、トリノを出発。
ベルンを目指して進軍を開始した。
スイス政府はさすがに攻撃してくるとは想定はしていたが本当に攻めてくるとは思っていなかったので驚いた。
しかしスイスの行動は迅速だった。
スイスは昔からあらゆる脅威に備えていた。
なので訓練道理に部隊をスイスイタリア国境に兵を展開した。
さらに先に攻めてきたイタリア空軍の部隊とスイス空軍が激突した。
マッジョーレ湖の上空で激しく戦闘する両軍。
スイスが持っている合衆国製のP-40がイタリアのフォルゴーレを粉砕していく。
まだ初期型のフォルゴーレはP-40の敵ではなかった。
空戦は負けたが陸戦ではスイスは苦しい状況に追い込まれた。
国境沿いではなんとか地の利とゲリラでなんとか迎撃していたが、
フランスが参戦するとアルプス山脈の西側の警備も必要になり厳しくなった。
フランス空軍のダッソー2がジュネーブとベルンを空襲する。
スイス空軍は練度は高いがなにぶん数が足りなかった。
スイスは戦時調達をスカンディナビアのサーブに頼んだ。
サーブ機は多くがすぐに実戦に投入されイタリアとフランスの戦闘機を多数落としていくことになる。




