1910年代から大戦へ7
1910年代から大戦へ7
徐州を攻撃した北京軍。
攻撃したはいいものの中国連邦軍の第八警備師団第七連隊という徐州警備担当の部隊に防衛されていた。
彼らはゲリラ戦術を使用。
山を通ってきている北京軍の後方支援部隊を攻撃。
さらに市内には銃を持って隠れている兵士が散発的に敵を遊撃していた。
北京軍は食料もあんまりないし兵器もぼろかすだった。
北京政府は勘違いしていたが中国連邦政府は確かに旧中国軍のおんぼろ兵器を持っていたが敵地に近い精鋭部隊には日本製や、合衆国製の先進的な兵器が貸与されていた。
中国連邦軍は南京や上海、杭州からのべ五個師団60000人の派遣を決定。
北京軍は35000の兵士を動員。徐州付近で睨み合った。
徐州市内には防衛線が敷かれたし街から出たところには塹壕が掘られた。
最初に攻撃を仕掛けたのは北京軍だった。右翼と左翼には鉄砲騎馬隊がいた。実はまだ北京軍には騎馬隊がいたのだ。いつの時代だよ!と突っ込みたくなる状態だがそれでもばか正直に持っていた。
騎馬隊は中国連邦軍の塹壕に雪崩れ込もうとしたけど気づいた連邦軍の右翼と左翼側の機関銃がクリーンヒット。馬を撃たれ、人も撃たれ、血が飛び散る凄惨な状態になった。
さらに陸軍の爆撃機が敵塹壕を爆撃。
まぁ塹壕線は空からの攻撃には弱かった。
さらに、連邦軍はそもそも先進国の中で十番手ぐらいの軍隊だった。
そのため先進的な戦い方を行った。(上海の部隊がガチ勢。)
機械化部隊である中国連邦陸軍第一師団特別機甲師団が突撃する。
敵塹壕から激しい銃撃に会うが戦車の装甲はいとも容易く跳ね返し塹壕線を突破する。
敵の北京軍塹壕は戦車部隊によって蹂躙された。
中央の敵軍は壊滅的損失を出して逃亡を始めた。
その状態を見た右翼と左翼の敵塹壕部隊もどんどん撤退を始める。
連邦軍全軍は追撃を始める。
彼らは徐州北の山まで北京軍を追ったがそこで進軍が止まった。
なぜならソ連軍がそこまで出てきていた。
激しい砲撃を受けた機甲師団は進軍を止めて野戦陣地を構築した。
そこで激しい砲撃戦になる。
どちらも少なくない被害が出たがソビエト政府と中国連邦の間で停戦条約が結ばれた。
そのため一時的に停戦しソ連軍と中国連邦軍が停戦ラインで睨み会う結果となる。
1937年 インド ムンバイ
「ラシーブレインさん、お久しぶりです。」
「Iか。」
「いつもどうりのやつですか?」
「ああ。だがそろそろ情勢がきな臭くなってきた。アメリカで南北戦争が始まりそうだ。これはアメリカのとある筋の話だが北の合衆国が南に攻める派の大統領に代わったらしい。」
「では、その時に独立宣言を。」
「次は武力を使って堂々とやるんですね?」
「ええ、イギリスは南アメリカ連合を支持していますから。」
「まぁインドにも部隊を向けてくるでしょうけど。」
「まぁそれは仕方ないことですので。」
「では、また始まったら。」
「ええ。」
そういってIは姿を消した。
火種は遂に爆発の時を迎えようとしていた。




