1910年代から大戦へ5
1910年代から大戦へ5
1926年10月 アメリカ ニューヨーク
日本枢密院の島津謙信はここニューヨークに降り立った。
船と鉄道を使ってどのぐらいがたっただろうか。
船で日本領ハワイを経由してシアトルへ。
そこから鉄道で長らく揺られてきたのだ。
彼が来た理由は遂に外交官同士による話し合いに決着がつき日本がアメリカを支援する代わりに日本の味方をするという秘密協定が結ばれることになったので秘密裏に彼がアメリカ入りしたのだ。
そして、場所もバレないようにワシントンD.C.ではなくニューヨークのホテルの一室。
「Hello,Mr.Simazu.Nice to me too.」
「こちらこそはじめまして。日本国枢密院の島津と申します。」
両国の通訳が通訳する。
そして、最終会議が始まった。
首相官邸
「島津さんからです。「交渉成立。これより戻る。」らしいです。」
「わかった。」
その話を聞いて加藤高明首相はさらに書類を各省庁に送り始めた。
アメリカ発の世界恐慌は世界中に飛び火した。アメリカはもちろん、イギリス、フランス、日本、スペイン、北欧、オーストリアに前回の敗戦国のイタリア、ドイツにもお構いなしに襲った。中国や、各植民地にも。小国にも襲い、中東の小国や、ヨーロッパの小国は大きな被害を受けた。
アメリカはドルが暴落したために円を買って日本政府に助けを求めた感じになった。
スペインはペセタブロックを作った。南アメリカとアフリカ、スペインとジャワ、中米のスペイン植民地をまとめて経済圏を作りさらに、他国を排他的に扱った。
フランスとベルギー、イタリア、オーストリアはヨーロッパ連盟を作ってなんとか助け合おうとした。
北欧はこの世界恐慌でもなんとか食いつないでいる(技術を開発して日本やイギリス、スペインに売却。)ドイツと手を結んだ。
ソビエト連邦はそもそも共産主義なので被害はほぼなく。
イギリスはカナダ、エジプト、ミャンマー、スマトラ、南アフリカを加えてポンドブロックを形成。しかし、イギリスも誤算があった。まさか、この経済危機の時に独立宣言をしたのだ。
バカなんじゃないか?そうイギリス政府首脳部は思ったが植民地自治政府は違った。
南アフリカ政府などは特に独立の動きを見せ始める。
日本は日本経済圏を作って固まって一部は同じ量の同じ金額の貿易なら他国ともしますよ。という方針を打ち出した。日本本国や、オーストラリアでは大がかりな新幹線や高速道路、ダム等の大きなインフラ整備が行われた。台湾州や、朝鮮、ニュージーランドや、イエメンや、モロッコ、タイでも国の経済規模並の公共事業が行われた。ハワイではかなり大きな軍事工事が行われた。パールハーバーには監視塔や、機雷原、対艦砲が整備されたり地下飛行場や制圧されたときの対策で地下壕、シェルターも整備された。さらに、スペイン、イギリスに近いマレー半島とボルネオ島を中心に防衛システムの構築。さらに、モロッコにも防衛システムが導入された。ソコトラ島にも防衛システムが入れられた。シェルター、飛行場、対空機関銃、対空砲が導入された。
世界が戦争への用意を始めました。
第二次世界大戦は一次とは比べ物にならないぐらい長く世界中を巻き込んで戦争が起こります。日本が関与するところは主に長く。同盟国が戦争するところは一部を除き少々早く飛ばす予定です。
その点はご了承ください。
これからも日本連邦戦記をよろしくお願いします。
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