植民地主義の陰りと日本連邦発足6
植民地主義の陰りと日本連邦発足6
1907年 3月18日 東京 皇居
ここでメインセレモニーが行われていた。モロッコ、ナミビア、アンゴラの旧日本植民地国と友好国のタイで構成される日本経済圏同盟が作られた。日本国に対して一部優遇の代わりに日本の通貨である円が使える。(タイはタイ円)また、日本との安全保障条約や航路の安全確保等が盛り込まれた。また、日本国も日本連邦と名前を変えた。日本本土の北海州(北海道と東北)、関東州(関東全域と山梨)、東海州(静岡、愛知、岐阜と新潟と北陸三県と長野)、近畿州(近畿全体)、中四国州(中国地方、四国地方)、九州(九州七県と沖縄)、台北州、高雄州、北フィリピン州、南フィリピン州、北南海州(マリアナ諸島、トラック諸島、近辺)、西南海州(スラウェシ諸島、パラオ諸島、近辺)、ハワイ州、東南海州(パプアニューギニアより東の島々)、パプアニューギニア州、ニュージーランド州、北オーストリア州、ニューサウストーキョー州、クイーンズランド州、南オーストラリア州、ビクトリア州、西オーストラリア州、ノーザンテリトリー州、ブルネイ州、中カリマンタン州、南カリマンタン州、シンガポール州、ペナン州、東マレー州、西マレー州からなる連邦国家になった。また、アラブ地域でも独立のための準備が始まっていた。
1907年 3月20日 アラブ州 マスカット
ここでアラブ地域の独立地域の決定が行われた。まずイエメンが独立した。首都はサナア。そして、オマーン。首都はここマスカット、カタール。首都はドーハ。そして、アラブ州ではなくて特別行政区としてドバイ、アブダビ、アデンの三都市が日本国に残ることになった。
また、アデンとアブダビには一個旅団が、ドバイには一個師団が警備として駐屯し、さらに一個師団規模の中東有事対策部隊が駐屯していた。
1907年 3月24日 タンザニア ダルエスサラーム
ここは日本領タンザニア。なぜ旧日本領諸国が独立して日本経済圏に入っているなかここが独立していないかというとここ、タンザニアはすごく今政情が不安定なのだ。なぜなら日本経済圏加盟派の現タンザニア自治政府と日本経済圏加盟反対の旧王公諸侯連合が対立しているのだ。また、旧王公諸侯連合はどこからか援助を受けているようでなかなか現地警察も取り締まれていないのだ。そして、日本政府の方針として日本経済圏に入らずに独立することは認めないし王政復古の大号令など許さないのだ。民主主義の国家になることが必要な独立条件だった。
旧城 キラサラリー
「首尾はどうだ?」
「大丈夫です。いつでも実施できます。日本本土とダルエスサラームにいる同士にも連絡していつでも実施できます。また、協力者も成功を祈ると。」
「遂に来たなこの日が。」
そして、夜が明けようとしていた。様々な思惑が交錯するなかタンザニアの夜が明ける。
予約投稿ではなくそのまま前日に投稿してしまったため29日の投稿はありません




