植民地主義の陰りと日本連邦発足5
植民地主義の陰りと日本連邦発足5
1907年 3月12日 東京 立法議会 緊急集会
ここ、立法議会では名誉宰相による緊急政策立案により緊急集会が開かれていた。地元に戻っていてなかなか戻ってこれない議員を除き778人が参加した。
「我々、日本経済友好会は名誉宰相案に断固反対します!」
野党のひとつがすぐに反対を掲げた。
「日本国内の企業が多大な被害を受ける形の政策は経済友好会として絶対に認められません。」
そう言いきった。
「しかし総合的な日本の国益を考えた際にここで植民地と泥沼の独立対抗戦争をするのはお金の無駄です。既にイギリス政府はインドの独立阻止に10兆円をつぎ込んでいます。そんな金をこんなところに使うぐらいだったら民需の国内インフラに回した方がよっぽど良い。」
与党よりの野党の日本改革党が発言した。日本改革党は最近日本国内で人気が出てきた党で中川信三元陸軍情報局局長が率いていた党だった。最近、国防に無知な政治家、党が多い中で現実的な国防政策を掲げた。また、経済では国内インフラの充実と計画都市システムの構築。また、第一次産業の維持を掲げて前回の選挙で30議席を獲得した政党だった。
「しかし、列強各国との結び付きも重要だと思うのですが。特に同盟国のイギリスからしたらはた迷惑な行為となりますぞ。その上、列強初の植民地からの要請で独立を許可したなどと言われたら日本国の威信ががた落ちですぞ。」
そう言ったのは与党を構成する公明創価党が懸念を述べる。
与党第一党の自由民主党は賛成だつた。
「日本国の威信は新たな秩序と日本を中心とする経済圏の構築によって維持されます。また、欧州への航路はその経済圏加盟国で保護しようと思います。」
「確かにそれが堅実で日本の膨らんだ財政を一回しっかりと直す良い機会になりますな。」
野党第一党の立憲国民党も賛成する。他には社会民主党は反対。大正維新の会は賛成。未来の党は反対だった。
しかし、議席で見ると圧倒的に賛成が多かった。与党の公明創価党が反対したのは自由民主党にとって想定内だったためあっという間に採決に移った。しかし、議席の数から見ると圧倒的に賛成派が大部分を占めていて名誉宰相の案が採用された。
1907年 3月14日 アラブ州 ドバイ県 ドバイ国際展示場
モロッコ自治制府の代表団と日本本国政府の公式使節団がここで会議を開始した。既に日本本国の議会で圧倒的賛成でモロッコの独立が許可されたことをモロッコ自治政府代表団は知っていた。しかし、それが無条件で認められるものでもないことも知っていた。
「...が日本政府が今後発足するモロッコ政府に求めることであります。とりあえず、民主主義による議会政治とこの後日本本国政府主導で行う経済圏構想への参加と現在進出している日本企業の安全の確保が成されれば日本政府は独立を認めます。」
「わかりました。モロッコ自治政府としては独立しても日本政府との友好は保っていきたいと思っていますのでそれらの条件を飲むことはぜんぜん問題ありません。また、今モロッコに展開している28000人の軍人はどうされますか?」
「欧州派遣軍を残して入れ換えを行う予定です。19000人の部隊が展開する予定です。一応新しい部隊は海兵隊の予定でモロッコの安全保障も守る予定です。一応、新しい経済圏構想では日本軍が来るまで列強各国の軍にも耐えれるぐらいの部隊が加盟国にほしいところです。」
「わかりました。モロッコ自治政府はそれらの案件を飲みますのでこれからもよろしくお願いします。」
こうして、モロッコから端を発した事態は終息したように見えた。




