植民地主義の陰りと日本連邦発足1
植民地主義の陰りと日本連邦発足1
1907年 3月8日 日本 モロッコ海外州 カブランサカ
モロッコは日本の領土だったがこの中では比較的植民地感が強いところだった。そもそも政府の方針で企業は主にアジアの植民地というか内地の開発を行っていた。(既にこの頃には日本本土のことは内内地と呼ばれていた。)そして、ここで世界史の転換点となる宣言が発表される。カブランサカ宣言である。モロッコ人のモロッコ自治政府の首相が出したこの宣言は後の世界を大きく変えた。
11時 モロッコ カブランサカ モロッコ自治政府首相官邸
「ようこそ。お集まりいただきました。記者の皆様。これよりモロッコ自治政府首相のアチェフ・テンバレンより重大な発表がございます。」
そう彼の会見は始まった。今、日本本土やその周辺と各海外州の富裕層を中心にテレビジョンが人気でさらに、日本国民のもっとも大きい情報収集ツールである新聞社も多く詰めかけていた。
「私は日本領モロッコ自治政府首相のアチェフ・テンバレンです。私から重大発表をさせていただきます。我々モロッコ自治政府は日本からの独立を宣言します!!!」
その瞬間に空気が凍りついた。記者も警備担当の警察官も後ろに構えていた本国から派遣されている人間も。平然としていたのはモロッコ自治政府の中のモロッコ人だけだった。
そして、氷が溶けた瞬間、一斉にフラッシュがたかれてカメラのシャッター音が会見室に響き渡る。また、後ろから数人の本国政府からの派遣官が急いで会見場を飛び出していく。
そして、会見は続く。
「モロッコが日本の植民地にされてから95年。我々はモロッコ人であるという自覚を今!持つべきなのです。すぐにとは言いません。我々は粘り強く本国政府と交渉していきます。自国が独立できるように。我々は列強による植民地支配は速やかに終わらせるようにするべきだと考えています。モロッコに住むモロッコ人の皆さん、我々だけの政府を作りましょう!また、モロッコに住む日本人の皆さん。我々は別に虐げられていたわけではありませんし日本人に対して反旗を翻したわけではありません。ただ、我々は自分達の代表による政府がほしいのです。我々は日本国の『一部』ではなく、日本国と対等に話し合える国にしたいのです。以上で演説を終わります。ご清聴ありがとうございました。」
会見を終えたアチェフ首相は会見場を出て首相公邸に向かった。
この日は歴史が動いた日だった。
これから佳境です。果たして日本の決断は!?




