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航空機の登場

 航空機の登場


1897年 7月 日本 オーストラリア アデレード州 永見飛行場

俺の名前は中島辰巳。25歳だ。シドニー工科大学を卒業してから俺は空を飛んでいる鳥を見て人間も鳥のようになれば鳥になれると思ったのだ。俺は就職しようとしていた三井鉄鋼を3年で辞めて鳥の研究とパラグライダーの開発を行った。そして、俺は遂にパラグライダーを元にした飛行機。これの開発に成功した。それには長い期間がかかった。そして、数々の困難を受けながらもそれを乗り越えて作ったのだ。

時は四年前まで遡る。その頃の彼には資金がなかった。彼が三年の間に貯めていたお金は底をつき銀行の融資も得られなくなるほど生活に困窮し開発スピードも低下していた。しかし、辛くもパラグライダーの開発に成功したのだ。しかし、実験は失敗。飛んでくれた人は足の骨を折る重症だった。しかし、それを見に来ていた海軍の技術士官がそれを見て支援すると言ってきたのだ。俺は飛び付いた。そもそも空を飛ぶ意義すら見いだせていない軍人や企業家や、政府や、友人や家族と違って自分の研究をはじめて見つめて認めてくれたのだ。こんなに嬉しいことはなかった。それから俺はどんどん開発スピードを上げていった。ちなみにこの人が後の国防長官となる東条英機だった。彼は将来航空機論の論者となり日本の命運を変える。まぁそれは置いといて、二年前にはパラグライダーの開発に成功した。実験にも成功した。彼はそれからパラグライダーではなくて飛行機という開発を始めた。それは人を乗せてさらに、中に人を入れて回りを何かの材料で囲って風を防ぐ。これを目指した。

そして、今年遂に飛行機が完成した。まぁまだまだ改良点は多く航続距離はだいたい10キロ。滞空時間は約10分。エンジンは国鉄の電車のエンジンの要らない部分を省いて作った。そしてその実験飛行は成功。それを見ていた東条英機は歓喜してこの航空機が将来の軍事プレゼンツを変えると考えていた。

ちなみにこれから3年後にはイギリス。そして、アメリカ、フランスと航空機は次々と各地で試作機ができて航空機の開発が国手動で始まっていく。


本日は二度更新します!

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