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第一次世界大戦の終結へ1

 第一次世界大戦の終結へ1


1885年3月15日

北フランス戦線では二週間の間、フランス、イギリス連合軍とドイツ軍の激しい戦闘が行われていた。ドイツ軍の戦車攻撃はフランスが塹壕を各地に作りまた、迎撃型の戦車を作って対抗したため膠着していた。また、ドイツ軍は海から上陸しようと試みたがイギリス海軍によって輸送船もろとも艦隊を沈められて壊滅していた。


3月17日

戦局が動いた。イギリス軍のアフリカ、カナダ、インドの各地から来た部隊がイギリス本土で再編されて15万人がイギリス海軍が制海権を持った状態でロッテルダムとアムステルダムに上陸作戦を実施した。また、フランス軍も開戦からなるべく温存していた南部方面軍も中央作戦軍を一気にドイツ国境を突破して逆侵攻した。北フランスのイギリス軍、フランス連合軍もドイツ領へ侵攻した。ブリュッセルは混乱するドイツ軍の隙をついてベルギー解放戦線という旧ベルギー軍精鋭部隊と諜報部隊、市民の合同部隊が奪還。アムステルダムとロッテルダムもあっという間に奪還された。


3月21日

スペインが同盟側に宣戦布告してスペイン海兵隊がイタリア領コルス島とサルディーニャ島に上陸。現地部隊と激しい戦闘を繰り広げ3日で二島を制圧した。また、日本海兵隊もシチリア島に上陸。上陸した第11海兵師団15000は海軍の支援を受けながらシチリア島沿岸に拠点を作り制圧を開始した。また、アメリカ政府がドイツ政府に宣戦布告。アメリカ陸軍がドイツ戦線に介入した。


3月24日

ロシアが日本と講和条約を締結したことが世界中に公表された。ロシア政府が同盟から抜けて自由協商グループに入ったのだ。さらにドイツにとって悪夢が続く。オーストリア政府が連合が求めていたギリシャを返還すると声明を出した。当時自由協商グループ内ではオーストリアに今回得た領土のすべてを返還させるべきという意見が多かったがそもそもセルビアは併合されても文句は言えないと列強は考えていたし別にオーストリアが大きくてもたいした脅威でもなんでもないのだ。海軍をあんまりもたせないようにすればいい。これがイギリスと日本の意見だった。タイや、日本アフリカ植民地連合政府もそれに賛同していた。アメリカは少し粘ったがそもそもアメリカは後から参戦してきた国だったので大きな権力がなかったため引き下がった。フランスは早く戦時体制を解除して経済サイクルを回さないと国が破綻する寸前だったし逆侵攻によってそこそこ死者も増えていた。フランスにオーストリアに構っている余裕など無かったのだ。


その頃、ある国では..

「くそ、せっかくうまくいくと思ったのに、ドイツもイタリアもロシアも頼りにならない!!自由協商グループに宣戦布告しようと思ったがこのままだと敗戦するだろう側に立って戦うなんてバカらしい!我が夢は子孫に残して仕方ないから今はとれるところからとっていこう。いまいましい日本とイギリスめ!」





ちなみに、あの国ってどこだと思います?

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