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閑話 ウォルトディズニー

 閑話 ウォルトディズニー


私はディズニー伯爵だ。イギリス系日本人でこの国の枢密院のメンバーなのだが私の家はサービス産業を行っている。リゾート経営や、ホテル、ゴルフ、サッカー場、銀行、映画会社、アニメ製作会社を経営しているのだが新しいことをしようと思う。そう。今は娯楽がない!!!これはつまらない。それで遊園地を作ろうと思う。それも小さいやつではなく、子供から老人まで、誰でも楽しめて今までにないものを作りたい。


1880年枢密院で建設許可が降りた。これが枢密院から降りた理由は株式会社ディズニーリゾートが国から2000億円の融資を受けたのだ。これには、国のメリットも多かった。それは、ディズニー株式会社の株の40%を得ていてまた、毎年ディズニー株式会社が国に利子つきで建設一時金2000億円を返すことと、娯楽施設の建設。京葉本線の収益増加。観光客の誘致等である。逆にディズニー株式会社側はまず2000億円の建設費を得られる。さらに、鉄道によって観光客を国が運んでくれる。さらに、舞浜に国が大規模な土地をくれる。警察が警備を担当してくれる等である。どちらもWinwinの関係である。


1881年着工された。建設費3500億円の大プロジェクトであった。


1886年遂に完成した。結局総工費4000億円かかって作られた。敷地は立川基地と同じぐらい。(当時の立川基地の大きさは東京ドーム38個分)中にはいくつかのエリアに別れており彼の会社が作ったディズニー映画、アニメから作られたエリア、ファンタジーランド。未来を予測するというコンセプトの元で作られたトゥモローランド、世界中どこの料理も食べることができるワールドバザール。アメリカの西部開拓時代の趣を醸すウエスタンランド。日本古来からの武家屋敷が並ぶ伊賀村エリアだ。入場券は当時の娯楽としてはかなり高い12000円だった。


1891年5年間で来場者数5000万人を越えた。これにより、ディズニー株式会社は海のテーマパーク、東京ディズニーシーの建設命令を下した。次はすべてディズニー銀行から融資された。3400億円で作られることになった。


1895年東京ディズニーシーがオープンした。こちらはヴェネチアをモチーフにしたエリア、日本神話をイメージした大和エリア、アーサー王伝説をイメージしたユナイテッドキングダムエリア。彼が作ったアラジンの世界をモチーフにしたアラビアンコースト。火山からなるミステリアスアイランド。中世アラブをモチーフにしたエリアだ。


現在、ディズニーは子供たちの夢を作る大きな観光施設になった。



次から遂に第一次世界大戦へ突入!!

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