香港戦争3
香港戦争3
「広州が日英連合軍によって制圧された。」
そのニュースが中国を駆け回った。北京は大騒ぎになった。
「すぐに講和した方がいい。既に広州が制圧された。聞く話によると寧波の方まで進軍してるらしい。」
「なに?清軍は何をしてるんだ!」
「連戦連敗らしい。」
「敵は海から来るらしい。北京も危ないぞ。」
「敵の大砲はすごく飛ぶらしい。」
「北京が焼けるんじゃないか?」
「逃げよう。」
このような感じで北京や、進軍上の各地で民衆の地方への避難が始まった。王宮でも、講和か徹底抗戦かで揉めていた。清の保守派は徹底抗戦。革新派は講和を訴えていた。当時の皇帝は臣下の意見を聞いた上で結論を出した。
1858年4月30日
南京で日英連合軍と清との間で講和会議が開かれた。日本政府からは枢密院の二条敏麿、立法議会外交委員会の伊藤博文。イギリスからはチャーチル.レングストン。清からは李忠張が来た。10日間に及ぶ協議の末、南京条約が締結された。内容とは、天津、青島、上海、杭州、寧波、温州、福州、厦門、広州の開港。香港をイギリスに、マカオを日本に割譲することになった。また、清軍と政府内の反乱分子と反日英主義者の追放と日本、イギリスを含む各国に認めた居留地の安全は清が保証すること。これらを清が飲む形で講和条約が発効した。
1859年1月6日
北京で北京事変が起こった。政府施設が軍によって制圧されたのだ。さらに北京の列強各国の大使館が集まる地区にも彼らは軍隊を差し向けた。
日本大使館
「またか?」
「はい。軍が反乱を起こしたようです。」
「まったく、懲りないな。」
「ええ。避難しますか?」
「いや、おそらく居留地には2500人の列強各国の合同部隊がいるから交戦するだろう。職員に呼集をかけて大使館から出ないように。」
「わかりました。」
立法議会及び内閣安全保障会議
「軍を派遣するのは当然として政府としてはどのようなものを中国から権益として奪いますか?」
保守党の党首松平容保が労働党の勝海舟首相に質問する。
「我々としては清はこれで二回目のため清の解体はともかく列強諸国と相談して領土分割を行う可能性が高いと考えております。」
次に質問したのは自由党党首の大久保利通。
「我々自由党では、中国での大規模な植民地は経済の負担になる可能性が高いと考えています。古くからの植民地は内地化が済んでいますが、これから得る植民地は中国が将来大きな国になった際に手放さざるえない状況に陥る可能性が高い。」
勝海舟は
「確かにそれはごもっともでありますが今回、列強諸国としては、どこの国も中国に植民地を持つことで既に合意しており変更は不可能であります。」
しかし、それではなんのための立法議会だ!!という野次が飛ぶ。しかし、立法議会はここで終了した。これらのすれ違いが新たな議会制度を産むことになるのだがそれは別の話。
北京 大使館地区
あちこちで戦闘が起こっていた。しかし、列強各国の守備隊はぶっちゃけ戦闘になることを予期して精鋭部隊に、守るのに適した兵器を配備していた。そのため建物を影にして防衛戦によって戦線を保っていた。
戦闘開始から1日。マカオ珠海海軍基地と香港海軍基地、ホーチミン海軍基地、ジャカルタ海軍基地、海南島海軍基地、ヤンゴン海軍基地、から日英仏蛮米独の艦隊が天津に上陸部隊25000を上陸させた。既に香港戦争で清海軍は壊滅していて迎撃などなく北京に連合軍は入った。大使館包囲中の清軍はあっさりと壊滅。軍事クーデター政府は倒れた。
北京条約が締結された。まず、遼東半島をアメリカ政府が割譲。山東半島はドイツ。上海地域、マカオが日本。広州、香港地域がイギリス。厦門がスペイン。台州がフランスとなった。北京は国際管理下に置かれ中国政府が存在するだけになった。また、北京周辺の安全管理は列強が行うことになり北京特別自治区という扱いになった。清は解体され中国人民政府が作られた。軍隊は国境警備に必要な38万人と治安維持要員17万人を残してすべてが解体された。他にも中国人民政府にはさらに上に連合軍司令部があり、そこに重要な情報は通さなければいけないということになった。マカオ、香港は南京条約で既に割譲されているので北京条約で再び割譲するのは矛盾している気がします。
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