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クリミア戦争

クリミア戦争


ロシアが南下政策を始めた。これにはオスマントルコとイギリスが反応した。また、日本としても好ましいものではなかった。

1845年、遂にクリミア戦争が始まった。イギリスは生命線のインドとの交易が犯されるのはあり得ないとしてオスマン帝国とイタリア(サルディニア)を抱き込んでイギリス軍50000とオスマン10000、イタリア5000でロシアのセヴァストーポリ要塞を攻略するために出撃した。日本は戦争に参加はしなかったが後方輸送をかってでた。日本の商船が参戦国に割引で輸送を行うとしたのだ。また、イギリスと日本の企業が寄付で作った赤十字社。それに参加するために日本各地から医学生が戦場に向かった。日本や、イギリスで平和慣れした学生達にはその戦場病院はひどいものだった。彼らが派遣されたのはクリミア半島南部が既に制圧されて既成事実化されて安全が確保されていた開戦から4か月後だった。戦場病院は衛生も悪く日本から派遣された軍医が連合軍司令部に向けて病院の待遇改善を速やかに要請するという文書を送る程だった。現地の軍医は不足していたがイギリスの軍医達は赤十字社を嫌がった。しかし、赤十字社として現地に来ていたイギリス軍医療隊司令官が怒って彼らを本国に返したのだ。そして、戦場病院は赤十字社の管轄になりきれいになった。また、ここで使われる薬や治療によって医学会に大きな発展を及ぼした。その頃前線では最終決戦のセヴァストーポリ要塞を攻略していた。ここでは日本が開発した列車砲が使われた。セヴァストーポリ要塞に向かってどんどん砲弾を発射していく。これらの兵器は日本軍の工廠で作られてここに日本の技術者と日本軍の監察官から実験兵器として彼らに渡された。そして、その実験兵器は大成功。イギリスや、イタリアから多数の注文が入るほどだった。イギリス軍の突撃が繰り返された。敵の要塞はちょっとずつ破壊されていった。ロシア軍は夜戦をするようになったがロシア軍は補給線が途切れていて士気も低く投降する兵士も多かった。1847年11月ロシア軍セヴァストーポリ要塞が降伏。ロシアは形勢不利として降伏した。1848年ロンドン条約が締結した。ロシアは黒海の権利を失い今後一切のオスマンへの侵攻をしないことを約束した。バルカン半島に関してはロシア側の主権が及ぶのはウクライナまでとしオーストリア問題には関知しないことになった。ロシアはこれからアジア方面へ侵略してくることになる。

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