フランス革命1
フランス革命1
フランスで革命が起こった。
これは日本にとっては驚きだった。
まさか絶対王政フランスで革命など起こるわけないと思っていたからだ。
確かに国防情報局からフランス国内で政治状態が不安定だという報告は受けていた。
しかし、まさか王政が消えるとは思ってもいなかった。
この事の詳細は絶対に外部に漏らさないことということが立法議会で決まった。
こんなことが日本で起こったら国内大混乱である。
政府はフランスで国民議会ができたことを発表した。
それから政府はフランスに情報局員を増派して情報確保に力を入れた。
そんななか遂に政府の憂慮すべき事態が起こった。
日本国内の革命主義者が秋田で秋田県庁を襲撃したのだ。
犯行グループは警察省の公安局からAランク指定されていた日本革命党という極左グループだった。
犯人は3人。
1791年7月8日の昼間の14時だった。
彼らは火縄銃を持って庁内に入ってきた。
どこで訓練したのか分からないが何かを叫びながら銃を的確に人に向けて発砲した。
たまたま居合わせた民間人7人と職員4人、警備の秋田県警所属の警察官2名が殺された。
また、運良く逃げ出せた人からの通報で駆けつけた警察官に対しても発砲。
当時の警察官は刀しか持っていなかったのだ。
もちろん、火縄銃に刀で勝てるわけでもない。
しかし、秋田県警もフリントロック式銃を持っていた。しかし、そんな部隊はこんな田舎にたくさんいない。
新首都東京や、大阪、洛中京都、広島、博多等には多いがこんな田舎にはほとんどいなかった。
先に到着した普通の警官12人はなんとか接近しようとしたが銃弾を受けて2人の警官が倒れて不用意に手が出せなくなった。
そもそもこれまで刀で制圧できるぐらいの犯罪しか起こっていなかったのに突然そんなことが起こっても対応しきれるわけない。
その後秋田県警狙撃隊が到着したが彼らも練度が高いわけでないうえ、そもそも突入訓練なんてしたことはない。
彼らの目的は道端で刃物を持った人を狙撃することなのだ。
突入訓練なんてノウハウがなかった。
一応しようとした。しかし、隊員3人が撃たれた。
彼らは取り敢えず安全ゾーンまで下がった。
秋田県知事は警察が全く便りにならないことに気づき軍に対して要請をした。
早馬が基地に向かって走った。各地の駐屯軍の任務には確かに凶悪犯罪者の確保の任務があった。
しかし、そんなものほとんど警察で足りるのだ。
軍の任務は領域警備と秋田なので山岳救助なのだ。
しかし、秋田駐屯地司令永田千鶴大佐は隊に出動を命じた。
今回の事案が警察で対応できる訳がないと思っていたのだ。
彼女は大学で国防学と同時に警察学を学んでいた。
その中で彼女は警察の戦力不足に気づいていたのだ。
ちなみにそれに関する論文も書いたが時代的に大きな事件もなくスルーされていた。
彼女は秋田駐屯地に所属する東北方面第15連隊1000名の内600名に出動を命じた。
緊急派遣部隊600名は秋田県庁に当日20時頃に到着した。
県庁の三階建て東棟に犯人が立て籠っていたので東棟はきれいに包囲された。
夜通し説得が試まれたが説得には応じなかった。
犯人はいつ軍が制圧してきそうか分からないので眠れなかった。
それでも犯人が眠くなってきたとき明け方の5:28に軍の精鋭突入部隊がホール地下入り口から秘密裏に中に入った。
また、別動隊がホール正面に待機した。5:38に遂に突入した。
犯人は二方向から攻撃にたじろいだ。
その隙に精鋭部隊は犯人を確保した。