第二次世界大戦終結へ2
第二次世界大戦終結へ2
スエズ運河を攻撃しなかった部隊が目指していたのはカイロにあるイギリス海軍の地中海方面を担当していた艦隊がいた海軍基地を目指していた。
アレクサンドリア軍港である。
およそ350機の空母から発艦した機体とアラビア半島から離陸した重爆撃機40機が合流していた。
重爆撃機の任務はカイロの敵軍事基地とアレクサンドリア軍港の破壊。
攻撃機と急降下爆撃機の任務は敵艦隊の撃滅だった。
アレクサンドリア軍港には多数の爆撃機が集中した。
軍港施設には爆弾が降り注いだ。
司令部やドック、オイルタンク等は重点的に破壊された。
さらに、カイロ市内の軍事基地は軒並み爆撃された。
街中から爆発音が聞こえて、さらに、激しい粉塵がカイロ市内を襲った。
そして、もっとも被害を受けたのは軍港を避けて沖合いに停泊していた艦隊だった。
攻撃は急降下爆撃から始まった。
駆逐艦が突然爆発したので攻撃を受けたことに気づいた英国地中海艦隊は速やかに軽空母から戦闘機を発艦させたが焼け石に水だった。
圧倒的に足りなかったからだ。
軽空母は真っ先に攻撃目標になったし、戦艦も激しい攻撃に見回れた。
空母や巡洋艦は次々と撃沈させられた。
そして、意外にも耐えたのは駆逐艦と戦艦だった。
戦艦は普通は空母の盾になるのだが今回は軽空母を見捨ててイタリアに避難したのだ。
戦艦にはなかなか航空攻撃とは言えども有効打を与えにくいが理由だった。
さらに、駆逐艦も沈み始めた軽空母を見て救助要請者の救助をしたらさっさと撤退した。
そのため日本海軍の第2派が来るときには艦艇はもういなかった。
こうして、アラビア半島はあっという間に日本に落ちた。
もちろん艦艇は一部逃がしたが、そうは言ってもなかなかの戦果だった。
そして、連合国内部ではヨーロッパにそろそろ上陸されるのではないかという恐怖が渦巻いていた。
特にアラビアが落ちたので日本がやってくるのではないかという論が語られていた。
また、アメリカに対してあんまりいい戦況は聞かなかった。
南米ではなんとかブラジルとコロンビアで押し止めているが既にギニアに上陸されていた。
さらに、英国では水面下で大きな問題が起こっていた。
チャーチルの肝いりで進められたこの戦争への参加はまさかのその国でこの戦争に対しての熱意が見られなくなっていた。
戦況の悪化と経済悪化によって国民の経済への影響を心配する声や戦争に負けるのではないかという声がイギリス中で広がっていた。
フランスやロシアは後一歩というところでドイツに反撃を受けて少し戦線を後退させていたし、東欧諸国も日本とアメリカのレンドリースによって戦線を押し返し始めてきた。
さらに、ドイツに頭を下げるのはめっぽうゴメンという人は多く、降伏するならすぐに日本かアメリカにすべきというこえが大方を占め始めていた。
チャーチルは英国の名誉にかけて最後まで戦うつもりであったが、国民はそんなのはごめんだった。
社会主義国家のソ連ならともかく選挙で決めるこのイギリスでは、国民の意見は絶対だった。
さらに、亡国の危機に対して立ち上がった人がいた。
「私は国民を守り、この国を守るために現政府に対して速やかな停戦を勧告する。」
そう発表したのはイギリス国王ジョージ六世だった。
彼の発表は既に停戦を求める動きが進んでいた市民の間で大きな追い風となった。
そもそも戦争発端国の二つの国のうちの一つのイギリスでこのような議論が起こることは彼らは棚に上げて、自分達が始めたのではなくソ連が始めたのだ。
ということになっていた。
もともとはイギリスがトップで次にソ連だったのが、
イギリスはソ連に巻き込まれた。
そういうことにしたのだ。
まぁそもそも国王も開戦時には何も言わなかったのだから同罪なのだが彼らは自らのために戦争を止めようとしたのだ。
そして、それはある作戦によって大きく動くことになる。
1942年4月。
同盟軍はアラブの支配と周辺地域を安定させていた。
さらに、3月にキプロス島とマルタ島の制圧作戦が行われた。
さらに、インド軍の戦車部隊によってイタリア領のトリポリ.キレナイカが制圧された。
アメリカ海軍も大西洋で六度目の海戦があってイギリス海軍と激しい戦いを繰り広げている隙間にモロッコとポルトガルへの強襲上陸を慣行していた。
こうした中で日本軍海兵隊とインド海兵隊とアメリカ海兵隊がシチリアへの強襲上陸作戦を実施した。
海軍航空隊は日本軍の空母10隻とアメリカの空母6隻が地中海周辺の空軍基地と海軍基地、ローマとシチリア島周辺の軍事基地を爆撃した。
結果として防衛手段を連合側は喪失してシチリア島守備隊は上陸2日で降伏した。