夜のひととき
リアムは夕食を下準備をしながらエマの帰宅を待っていた。
いつもならリアムが料理を作ろうとした瞬間、エマが「私がやる、むしろ私にやらせて」と言い出して聞かないので料理を作らしてもらえる方が珍しい。
下準備を帰ってくるまでに進めておけば料理をさせてもらえるかと思ったが甘かった。
何を作ろうとしているかを帰って数十秒で料理を正確に予想、エプロンを装備、料理役を強奪した。
流れるようになされたその行動はリアムが抵抗する方法を考えつくよりも早く、速かった為、彼になすすべはなかった。
結局、食事ができるまでの間、リアムはソファーに座ってキッチンカウンターの奥で鼻歌を歌いながら楽しそうに料理をするエマを見つめていた。
食事をしている間、エマは楽しそうにリアムが帰った後、生徒会であったことを話していた。
リアムにとってエマに新たな居場所ができるのは自分の手を離れていくようで不安でもあり嬉しくもあった。
と言ってもエマの髪飾りにはリアムの魔導具である虚なる器の約一割が組み込まれている。
エマにもしもの事があれば所有者もしくは虚なる器本体の制御が必要になるが簡易的な防御、攻撃が可能である。
最小限の監視とはいえ常にエマはリアムに守られている。
虚なる器は少々特殊な魔導具である。
この世界にはかつて魔法使いがいた。
現代の魔導師とは比べ物にならないほどの魔力を有し、魔導具や詠唱なしで魔法を行使できる人間。
あえて一言で片付けるなら“才能”を持つものが魔法使いということになる。
しかし、その“才能”を必要とする事が魔法使いの絶滅の原因となった。
魔法的な特性は遺伝の影響を受けやすいがそれでも魔法使いになれるための“才能”を有した存在はどんどん減り、やがて消えていった。
しかし、魔法使いとて、ただただ絶滅を指をくわえて待っていたわけではない。
才能に介入することはたとえ魔法使いの力を持ってしても不可能だった。
だから、彼ら彼女らは必要な“才能”のハードルを大幅に下げることで魔法の絶滅を避けることにした。
それで生まれたのが魔導具とそれを扱う魔導師である。
魔導具が何かを説明すると長くなってしまうのでここでは魔法の起動を補助するものとだけ記しておく。
その中でも群を抜いて優れた特別な魔導具が存在する。
それが虚なる器を含む栄位魔導具である。
それを作り出したのが“かつて世界を統べた魔法使い”と呼ばれる人間である。
あらゆる魔法に適性を持ち、異常なまでの才能を持った彼or彼女は通常の魔導具よりも何倍も何十倍も性能の高い魔導具すなわち栄位魔導具と呼ばれるものを作り出した。
その一つ、虚なる器の特徴は決まった形を持たないことだ。
それ故に一部をネックレスに一部を髪飾りにして護衛するなど特殊な扱いが可能なのである。
本体以外の分化した虚なる器は性能が大幅に下がり、ほとんどの操作に所有者又は本体の制御が必要になるなどかなり大きい制約がつくが監視という分にはそれで十分だった。
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夕食を終えて皿洗いをしようと思いキッチンに立つが、エマがその役割をもぎ取った。
皿洗いの間もエマは楽しそうに、嬉しそうにしていた。
どうしてかリアムには検討もつかないがエマは掃除、洗濯、炊事など家事全般をリアムから奪い取ってでもしようとする。
理由を聞いても
「いつも兄さんは頑張っているから」
とおそらく本心ではない答えが返ってくるだけだった。
リアムはただアーキタイトから与えられた仕事をこなしているだけで“頑張っている”に当たる気がしていなかった。
つまりは別の理由があると勘ぐっていた。
しかし、他の理由のカケラすら見つけることはできていない。
なぜなら、エマにとって先ほどの理由が全てでありそれ以上の理由が存在しないからだ。
リアムはいつも通り本を読んでいると
「はい、兄さん、コーヒーだよ」
とリアムの目の前にある木製の机に真っ白のコップが置かれる。
そこから視線をあげると部屋着の一つである白いのワンピースを身につけたエマ(天使)がトレイを両手で胸のあたりに抱き抱えながら立っていた。
コップから漏れる湯気がリアムの鼻にコーヒーのよい香りを運ぶ。
「ありがとう、エマ」
リアムは読書の手を止めてコーヒーに手を伸ばす。
コップを傾け、コーヒーを口に入れる。
熱くもなくぬるくもない適温のコーヒーが口に香りをめいいっぱい広げながら喉へと落ちる。
うまい、リアムに思いついた言葉はそれ一つだった。
エマはリアムが美味しそうにコーヒーを啜る様子を幸せそうに見つめている。
リアムがコーヒーを飲みきったのを確認したエマが口を開いた。
「兄さんは部活とか入らないの?」
リアムは予想もしない質問に一瞬言葉を詰まらせる。
エマはまっすぐリアムを見つめている。
「ないな、そもそもそんな時間はない」
リアムははっきりとそう返す。
「もし、兄さんが望むならお父様に私から言ってでも…」
エマは覚悟に満ちた表情でそう言う。
リアムは一瞬考えるような素振りをエマに向ける。
「いくらエマの頼みでもあの人が許すとは思えないけどな。それに俺がエマの護衛であることがアーキタイトであれる理由だ」
「でも、私が兄さんを縛り付けているから…」
エマの顔に影がさす。
「エマ、いいか、俺は今の仕事が生きがいだ。自分の手で妹を守れる、それ以上嬉しいことはない」
リアムがそう言い切るとエマは嬉しそうに顔を赤らめる。
「…ありがとう、兄さん」
そしてモジモジとしながらその言葉を小さく発した。
「さ、風呂に入ってこい」
リアムは両手の平を勢いよくたたき合わせパチンと鳴らしながらそう言った。
エマは頷きバスルームに向かって歩いて行った。