第2話俺とラキムとヨルーの花園
さてさて語り手はラキム坊っちゃまからアリュー爺さんへ
捕まったらしい二人を爺さんは助け出せるのか。
暁の空が朝焼けに染まリ始める頃、起き出した町が朝の仕事に取りかかる。
店の前を掃除する音。顔見知りに朝の挨拶をする声。焼きたてのパム|(小麦の練り物)の香ばしい香りが、開け放たれた窓から流れ込んで来る。快晴。どこの町にもある、朝のさわやかな風景だ。
あくびとともに大きく伸びをして、首を回すとバキバキと鳴った。ああ〜あ、さすがにこの年で徹夜はキツイ。身体に怠さが残る。俺と一緒にベッドで寝ていた三毛猫も起き出してきて伸びをする。のろのろとタバコ入れを出して一服。…とうとう帰ぇって来なったな、坊主達。やれやれ…
夕べ、用事を済ませて宿に戻ると坊主達がいねぇ。宿の主人・トクサに聞くと、出たきり一度も帰ってねぇっていうじゃねぇか。荷物に手を付けた様子もねぇ。まあ、はしゃぎ過ぎて時を忘れるってぇのは、若けぇ時分には有りがちだわな。
最初はそんな風に思って、のんびり構えていたが朝になっても帰って来ないってなぁ…どっかに引っかかっちまったか…?
まあ、町育ちの奴らなら心配なぞしやしねぇが、日が暮れれば真っ暗になる田舎の世間知らずな坊主達だからな。二人だけで盛り場へ繰り出すとは考えられん。ラキムは酒に懲りてるしな。ヨルーは主人の手前、自分だけじゃ飲まねぇ。ましてや女を買う度胸はもちろん、金もねぇはずだが…。
まあ、みるからに田舎のボンボン然としてっから、騙されて引きずり込まれた挙句、ぼったくられて帰れねぇことは…あるか。それなら、俺に使いを寄越こして泣きつくはずだ。
目立つ赤毛だから裏通りを当れば、誰か見たヤツはいるだろう。
やっと町について、今日は休んでぐうたらしようと思ってたのによ〜。仕事増やしやがって、まったく。老体にムチ打って探さなきゃならねぇとは…。ま、バルデから頼まれてるし、今後のこともあるからな…。
すり寄る猫を撫でながら、ついぼやきが出ちまう。
「しょうがねぇなぁ。」
ま、その前にメシでも喰うか。腹が減っては何とやら、探すのはそれからだ。
「健康的だね、爺さん。」
聞き覚えのある声に振り向くと、黒い影が立っていた。いつもの癖で、裏口に近い奥の席でメシを食っていたが、目の前に来るまでまったく気づかなかった。相変わらず不気味なヤツだ。爽やかな朝の食堂に不似合いなそいつは俺の豆スープを見て笑いやがった。フン、と鼻を鳴らす。大きなお世話だ。
呪術師トゥトゥイー。この街道を根城にする<何でも屋>だ。またの名を<カライの魔女>。いつ見ても、男か女かわからねえ形をしてやがる。
「てめぇ…。俺の金だけ盗るってなぁどういう了見だ?」
ボンボンの方が金持ちじゃねぃか。黒マントを翻し、向いの席に着くと、トクサにビーク酒を頼んだ。テーブルの下にいた黒猫が迷惑そうに鳴く。
「あれは、手数料。クイガンの足止め料さ。」
涼しい顔で笑う。相変わらず、抜け目のねぇ野郎だ。まあ、助かったがよ。
「俺達をずっと付けてただろ。バルデに頼まれたかのか?」
ニタリと笑って、運ばれて来たビーク酒を飲む。バルデは俺の補佐にこいつを雇ったらしい。ーだからか。さすがに雇い主の息子から盗ったのがバレたら信用問題だわなぁ。
「じゃあ、坊主達の居場所もわかってるな。何があった。」
「クイガンに捕まってるよ。」
…そうか、そう来たか。やけに諦めがいいと思ったら、ここで網を張ってたわけか。思わずため息が出た。
「仕事熱心なことだな。」
「まあ、村があんな状態だから、稼がなくちゃね。」
クイガンの村マラボは、先日の大雨で被害を受けた。田畑が土砂に埋まり、今年の作付けは難しいだろう。もともと追い剥ぎとどっちが本業かわからねぇ奴らだったが、今年は本腰を入れて追い剥ぎに精を出すことにしたらしい。
「で?場所は?」
トゥトゥイーはビーク酒を一気に飲み干した。さっと立ち上がると、
「もうすぐ来るよ。」
と、言いうが早いか裏口へ走る。
声を掛ける暇もなく呆気にとられていると、正面のドアが乱暴に開いた。入口を塞ぐように大男が立っている。数匹の猫が驚いて逃げ出し、三毛猫が威嚇の声を上げた。
「見つけたぜ、アリュー。」
3人の手下を連れてゾロゾロこっちへ向かって来る。トクサが迷惑そうに俺を見た。俺も困惑顔を作ってお手上げポーズをするしかねぇ。俺の周りの客も早々に席を立つ。猫もいなくなった。さすが、揉め事慣れしてるってわけだ。
どいつもこいつも忙しいったらありゃしねぇ。メシぐらいゆっくり食べさせろよ。
「よう、クイガン。朝飯一緒にどうだ?」
青筋をたてた手下が、俺の襟首を掴もうと手を伸ばしてきた。そいつの顔にスープを匙ごと投げつけ、怯んだ隙に杖の先で胸を突く。たまらず後ろへ倒れ込み、仲間が慌てて支えた。今度は後ろから来たヤツにスープの入ったままの木皿を投げつけ撃退する。立ち上がって、杖を一振したところでクイガンにガッシリと掴まれた。ビクともしねぇ。一瞬、互いに睨み合う。ここまでだな。
「ここじゃあ、他の客に迷惑だ。外に出ようや。」
俺は杖を引き、そのままドアに向かった。紙に何やら書き付けているトクサに気付かれる前に外へ出ねぇとな。
「ちょーっと待った!」
出る寸前に声が掛かった。しゃかしゃかと俺に駆け寄り、
「一泊代と朝食代、それとさっきの酒代、30バル!今、払ってくれよ。」
と、手を突き出してきやがる。
「ったく薄情なヤツだなぁ。長年の付き合いなのによ〜。年寄りは労るもんだぜ。心配したってバチは当たらねぇだろ。」
「長年の付き合いだから踏み倒されねぇようにしねぇとな!」
チッ!バレちゃしょうがねぇ。ヤツは乱闘になった場合、椅子やテーブル、食器、酒壺に至るまでの損害をきっちり請求してくる抜け目のない野郎だ。嫌になるほど商魂逞しいヤツだが、その代わり坊主達の荷物と馬達は誰にも渡さずしっかり預かってくれるだろう。俺たちが帰らなかった場合の大事な担保だからな。
「爺さんよう、借金返してもらおうか。」
裏路地の袋小路に連れて行かれ、開口一番がこれだ。ため息が出る。やっぱりなぁ。
俺はこいつらの賭場で不覚をとっちまった。まあ、作っちまったもんは仕様がねえ。バルデの仕事は決まってたし、前金で半金貰って返すはずだったんだがなぁ。バルデときたら…
「だめだ。あんたは金遣いが荒過ぎる。前金は3分の1だ。」ほーんと、ケチなやろぅだぜ。
その小金もトゥトゥイーに盗られ、さっきの宿代を払ってー文無しってわけだ。これで盗られるモンはねぇ、ない袖は振れねぇってな。
「ああ、いいよ。その前に坊主達を返してくれたらな。」
「何言いやがる。金を持ってくるのが先だろうが!舐めてんのか!」
「いやいや、金を持って来ても坊主達を返すとは限らねぇだろう?なんせ、タスコー村のグラート家の坊っちゃまだ。俺から搾り取った後は、グラート家を揺するのに使いたいよなぁ。」
案の定、男達の薄ら笑いが広がる。まあ、考えそうなことだ。そのとき、チリンと鈴がなった。…壁の向こうか。トゥトゥイーの『手数料』はまだ有効らしい。
「だがな、お前さん達。知ってんのかい?俺達がなんでアスンに行くか。」
「…どういう意味だ。」
「御領主様の定例会へ行くのさ。」
「それがどうした。」
「定例会はな、ただの宴会じゃねぇんだ。地方豪族が恭順を示し、御領主様がそれに答えて報奨を与えるってものさ。」
奴らの顔つきが変わった。効果抜群だぜ。
「どうせ帰りにマラボを通るんだ。そのとき、その『報奨』も一緒にいただいた方がいいんじゃねいか?」
『報奨』がどんなものか、よくわからねぇ物をチラつかせる。いい感じだ。が、
「良い情報だ。だがな、その前にお前の借金を返せ。」
さすがクイガン。手下達とは違い、ごまかされねぇ。つまらんヤツだ。今度はチリンチリンと2度頭の上で鳴った。ー上から来るか。
「…そうさな。俺も払いてぇのはやまやまだが…」
俺は土下座した。地面に額を付けながら叫ぶ。
「すまねぇ!もう少し待ってくれ!」
頭上の奴からの怒気を帯びた沈黙…。ガシッと頭を足で踏みつけやがった。いてぇな、チクショー!年寄りを労れ!
その時、頭上でバフッという音とともに何かが飛散した。白い粉だ。
「な、何だ、これは!」ゲホゲホと盛大に咳き込む。何かわからねぇが目に浸みる。
俺の頭を踏見つけたている足の軸足に杖を見舞う。ヨロけた弾みで足が外れた。俺は体勢を低くしたまま、奴らのスネを杖で払いながら脱出する。
路地の入口まで来て振り返ると、粉塗れで真っ白になったクイガンと手下共が咳き込み、涙と鼻水を流していた。うわぁ〜、汚ねぇ。クイガンは何とか眼を開けようとするが、擦れば逆に浸みるのがわかってねぇ。バカだね〜。ま、今のうちにズラかるに限るぜ。
クヤデは俺の庭みてぇなもンだ。
店の場所や裏通り、行き止まりの路地に至まで知り尽くしている。彼奴らをまくのなんざ、屁でもねぇ。そのはずなんだが…やれやれ、徹夜明けで朝から走り回るってのも、堪える年になったぜ。息が上がって仕様がねぇ。焦る上半身に足が追いつかねぇ、縺れそうになる。ついには、店と店の細い隙き間にしゃがみ込んでちょいと一休み。
「よう、アリュー。朝からどうしたい?」
ゼーゼーいいながら息を整えていると、顔馴染みの店主が顔を覗かせた。
「…よう、ラス。」
店主は徐ら俺を背に隠すように前に立った。
その直後、複数の足音が前の通りを駆け抜けて行く。足音が遠ざかったのを確かめて、ラスが振り向いて笑った。
「相変われずだねぇ。」
呆れたように、それでいて嬉しそうに笑って、手を引いて立たせてくれた。よっこらせと掛け声を出さねぇと立ち上がれねぇ。
「助かった。恩にきるぜ。」
まだ息が上がっている俺に、店の奥から水を一杯持って来てくれた。
「あんたは、昔からよく追っかけられてたなぁ。今でもそうだとは思わなかったよ。」
俺は苦笑するしかねぇ。自分でも老後はもっと退屈なジジイ生活が待っていると思ったんだがな。
「上がって、茶でも飲んで行くかい?」
「そうしたいところだが…ちょいと急ぎでな。」
そんな話しをしていると、側にまた黒マントが立った。ラスがギョッとしたようにトゥトゥイーを見る。
「爺さん、行くぜ。」
「おう。ラス、今度一杯奢るからよ、飲みに行こうぜ。」
「当てにしないで待ってるよ。」
トゥトゥイーと連れ立って歩き始めると、後ろから声が追って来た。
「あんたもいい年なんだから、無理しないこった。」
「ちげぇねぇ…ありがとよ。」
「あの建物の角部屋さ。」
トゥトゥイーが指差した廃墟のような建物は、汚物の臭いと腐臭の立ちこめる盛り場の裏手にあった。
いかにもアジトって感じだ。話しでは、中は二部屋。別々の部屋にいるらしい。見張りは3人。て、ことはクイガン達は総勢7人か。まあ、追手とすりゃあギリギリの数だな。
入り口に一人見張りらしいのがいるにはいるが、…いるだけで役立たずな野郎だな。
ドアに耳を当てて、ニヤニヤしてやがる。どうやら、中の様子が気になってしょうがねぇって感じだ。俺も気になるが、その前に手っ取り早くそいつを杖で昏倒させる。
さてさて、慎重にドアを開けて侵入と…ハッハー!こりゃあ、またお楽しみ|の真っ最中じゃねぇか!
今まさにズボンを剥かれ、半ケツ状態で男に襲われているのが…ラキムときた!
猿ぐつわを噛まされ、手は後ろ手に、足首も縛られた状態で、それでも必死に抵抗してやがる。そりゃあ、カマ掘られるか否かの瀬戸際だしな。のしかかってる男は襲うのに夢中で全然俺らに気づかねぇ。
ーでも、笑える。こりゃあ、喜劇だ。
うつ伏せに背中を押さえつけられ、あわや処女喪失寸前!ってぇところまで見て、男を殴り倒した。
男から開放されたラキムは荒い息をしたまま、まだ固まっている。
「災難だったなあ。」
首をねじ曲げて、俺を見たラキムは涙眼!いや〜、笑った。上機嫌でヤツの猿ぐつわを取ってやると、
「遅ぇよ!クソ爺!」
ヘイヘイ、すまねぇこって。女みてぇに泣きながら身繕いをする。こんなののどこがいいのか、人の趣味ってのはわからねぇもんだ。
だが、いるんだよな。妙にそっち趣味の男にモテる奴が。ノンケの俺にはわからねぇフェロモンが出てるのかねぇ。連隊にも居たな。奴は美丈夫だったから襲われることは無かったが、夜這いを掛けられたりして閉口してたな。
確かに夕日色の赤毛は綺麗だし、緑の眼もいい。だが美男でもねぇし、手足と首のひょろ長いだけで、そそる要素がわからねぇ。ヨルーの方が愛嬌のあるハの字眉の美男だ。サラサラの黒髪。よっぽど襲われそうなもンだが…はて?
「おい、ヨルーはどうした?」
「全然大丈夫。無事だよ。…ある意味。」
ある意味…?隣りの部屋から顔を赤らめた半裸のヨルーがトゥトゥイーに伴われて出て来た。何か様子がおかしい…このバツの悪そうな顔は…。
「ちょっと!ヨルーをどうしようってのさ!」
威勢良く戸口から啖呵を切ったのは女だ。これが3人目の見張り?しかも、顔を真っ赤にして結い上げたブルネットの髪は乱れ、ブラウスの胸ははだけて…て、おい。
「…ラシュア。」
あ〜あ〜、何やってんだよ、ヨルー!お前、捕まってる間に、何ヨロシク遣ってんだ?半ば呆れて、ちょっと見直す。意外や意外、こいつ遊んでるかも。
バルデに内々に頼まれた件ー坊主達の『筆下ろし』は、ヨルーには必要ねぇかもしれねぇな。
だが、その娘が問題だった。見覚えがある。誰だっけ?
思い出して、…俺は思わず額に手を当て空を見上げた。まずい、非常にまずいぜ。そいつのオヤジは!
…はぁ〜これだから若けぇモンは…。
「…あれ?貴方は昨日の…」
トゥトゥイーを見て首をひねるラキム。昨日?何かやりやがったのか?
ヤツは意味深に笑うだけで答えない。
頭抱えててもしょうがねぇ。クイガン達が戻る前にここを離れるのが先決だ。二人の尻を叩いて外へ出た。 逃走する俺達に、何故かラシュアも一緒に付いて来やがる!
「お前、何付いて来てんだよ、帰れ!」
「いいじゃないさ!あたしはヨルーから離れないよ!」
ヨルーの腕にしっかとしがみつき、俺を睨みやがる。冗談じゃねぇ。
「いいだろう?アリュー。悪い娘じゃないよ。」
肩を抱き合って見つめ合う二人をみて、目眩がしてきた。
ーああ、また面倒な事になりやがった…俺は知れねぇぞ!
「アリュー、どこへ行くんだ?宿はそっちじゃないぞ。」
「バカか、お前!とっくに宿はバレてんだ!」
どこまでもトボケた坊っちゃまと絶賛熱愛中のヨルーとラシュアを連れて、俺はヨロヨロと走った。トゥトゥイーの野郎は声を立てずに笑ってやがる。
それでなくても今から行く「隠れ家」は、敷居が高いってに…!
ー…まだ怒ってるか?
顔を思い浮かべて…ため息しか出ねぇよ。あいつ…怒ると滅法美貌が際立つんだよな。思い出しただけで、今から怖気が走るぜ。
なんせ10年ぶりだぜ?…会いたいような、会いたくないような…
今の老いぼれた俺を見ても怒ってくれるかねぇ…
途中でトゥトゥイーはどこかに消えちまい、ちょっとの間、身を隠す場所を探し歩いた。しかし俺は文無し。坊主どももラシュアもご同様。あの『隠れ家』は夜にならねぇと潜入は難しいときた。俺も限界が来ていて頭がうまく働かねぇ。結局、またラスに頼み込んで日暮れまで店の二階で匿まってもらった。ヤツは昔から気の良いヤツだ。食事と茶を差し入れてくれた。本当に頭が下がる。
巡礼者のフード付きマントまで調達してもらい、俺らは夜陰に紛れて街に出た。この街道は巡礼の道でもあるからな、この格好の方が馴染みやすい。坊主の赤毛も隠せる。それでも人通りの少ない道を選んで目的の建物を目指した。あそこに着きさえすれば、鉄壁なガードがあるから安心だ。
この街には年に何度か来ているが、あの周辺だけは避け続けてきた。それがどうだ。わざわざ訪ねようとするなんて、人生どう転がるかわかりゃしねぇ。
ーま、俺だけ閉め出されるてぇこともあるかもしれねぇがな…そん時はそん時だ。
今までの街並と違う道に出る。クヤデで一番の目抜き通りだ。一軒一軒の店の間口も大きく、豪華な作りの店が多い。坊主どもはおのぼりさんよろしく、キョロキョロし通しだ。高級店が軒を連ねている中で、ひと際広大な敷地に立つ建物が見えて来た。ー目的地到着だ。
一見、豪商の屋敷に見えるが、よく見りゃ作りが異様だ。三方は高い漆喰の白塀に囲まれ、外からは大屋根と木々の頭が見えるだけ。表通りに面した塀だけがやや低いが、他の塀と同じ高さの鉄柵がある。そこから伺い知れる中の様子は広い前庭、馬車寄せがあり、建物の入口は庭木に遮られてよく見えねぇような作りだ。鉄柵と同じく鉄製の凝った門の内側には門番兼警護の屯所まである。
まあ、坊主達はここが何か全然気付いてねぇみたいだが…まあ、いいか。教えなくても、その内わかるだろう。バルデの依頼:『筆下ろし』の舞台だし…。
門の前に立ってしみじみと思う。
ー変わってねぇなぁ。
ひとり感慨に耽っていると、後ろから袖を引かれた。
「おい、爺さん!こんなとこで立ち止まるなよ。」
「しっかし、立派なお屋敷ですね。教会みたいだ。」
俺は思わず吹き出した。立派な建物=『教会』と来たか。どっちかってぇと寺に睨まれる方なんだがな。
その時、ゲートが開き、一台の馬車が出て来た。高そうな馬が高そうな馬車を引いて行く。中には偉そうなヤツが乗ってるにちげぇねぇ。ー裸になれば、ただの男よ。紅い唇で嘯く、あいつを思い出した…
坊主達はぽかんと大口を開けてみている。あまりの高級感に度肝を抜かれたみてぇだな。
ビビりまくる坊主達をみて、ちょいと気持ちが落ち着いた。年甲斐も無く緊張していたらしい。俺とした事が様はねぇな。顔を両手で叩いて気合いを入れる。屋敷の前を通り越し、長い塀に沿って回り込む。 表通りよりは狭いが、馬車が通れる広さの裏道に出た。うん、確か柳の木のあたりに通用口があったはずだ。
思った通り目立たないように庭木で隠した通用口があった。御丁寧にそこにも警護の屯所があるのは、要人の<お忍び用の入口>だからだ。
そのまま入って行こうとして、またまた坊主達に止められる。
「おい!まさか、ここに入るのか?伝手はあるんだろうな。」
「な〜に、大丈夫だって。だから裏口から入るんだろうが。ま、俺に任せろ。」
「シッ!静かに!誰か見てますって!」
「誰だ!そこで何をしている!」
坊主達は気を付けの姿勢で固まる。声の主が近づいて来た。警護担当の制服を着ている。う〜ん、知らねぇヤツだ、残念。
「巡礼者か。何のようだ。」
俺はちょいと上品な好々爺ぶって答えた。
「すまぬが、警護のクートフ殿は居られるかな。」
「…そのような者はおらぬ。」
ありゃぁ?アテが外れたぜ、死んじまったか?当てが外れたぜ。
「なれば、執事のジョルディ殿も、もう居られぬか?」
男の顔つきが警戒する色に変わった。古参の執事を知っている俺を、只物じゃねぇと判断したらしい。だが、まだ決めかねてる感じだな。さて、もう一押し。う〜ん、言いたくなかったが…しょうがねぇ。
「<エルダー将軍はご在宅かな?>」
これは要人用の合い言葉だ。変わってなくて助かったぜ。警護員はサッと居住まいを正し、敬礼をする。おお、効果覿面、開け胡麻だ!
「失礼致しました。お名を…伺ってもよろしいでしょうか。」
「バルデ・デオ・グラートと申す。」
男の後ろにいた伝令が即座に館へ走る。うまくいったぜ。
そのとき、
「おい、何、親父の名前を騙ってるんだよ。」
あ、バカ。
途端に警護の顔が厳しくなった。
「どういうことだ。お前はグラートではないのか?」
腰の剣に手をかける。ああ〜、何てこった。殺気だつ相手に、俺は咄嗟に杖を剣の鍔に当てた。これでは抜けまい。
「まあ、慌てなさんな。今日はその『ご子息』をお連れしたってわけさ。」
そこへやっと、懐かしい顔が走って来た。
「隊長!隊長じゃないですか!」
「よう、クートフ。くたばったかと思ったぜ。」
昔より大分寂しくなった頭と丸くなった意外はほぼ変わらないクートフが、バンバンと俺を叩て大はしゃぎだ。さきの警護員も、坊主達も目を白黒させている。
「バルデが来たって言うんで、飛んで来たんですよ!ヤツは一緒じゃないんですか?」
「ああ、今回はな。そのかわり、今日は息子のラキムを連れて来た。」
隣りにぼーっと立ってる坊主の頭巾を取る。オヤジとそっくりな赤毛を見て、クートフは懐かしそうに目を細め、にっこり笑った。
「よく来たな。俺はクートフ。バルデとは同期なんだ。よろしくな。」
「あ、えっとラキムです。初めまして。こちらこそ、よろしくお願いします。」
二人は固く握手を躱す。実に心温まる光景だが…さて、そろそろ本題に入らないとな。
「…ところで、ジョルディは元気か?」
「はい、相変わらずですよ。」
そこでクートフは察したようで、ジョルディを呼びに行かせ、ここで話すのも何ですからと門内の屯所へ招じ入れてくれた。
程なく、使いが戻って来て俺だけが呼ばれた。伴われて使用人用の裏口から入り、厨房を抜ける。この経路から行くと、ジョルディの私室へ向かっているらしい。て、ことは今あいつが店に居るってことだ。ま、開店時間だしな。書斎だと鉢合せしかねねぇからな、用心深い彼らしい。狭い階段を登り、質素なドアが並ぶ一角で足を止める。
ノックをするとすぐドアが開いた。待ってたんだろう、厳しい顔をしたジョルディが立っていた。相変わらず痩せぎすでちょっと老けた彼は、口を開く前に俺を部屋の中へ引き入れ、外を伺ってからドアを閉める。椅子を薦められ、俺が座った後に腰を下ろした。
「寿命が縮みましたよ、旦那様。」
「びっくりさせて悪かったな。」
几帳面なジョルディらしい整えられた部屋で、苦く笑う。
「いえ、思ったよりお早いご到着だったので、準備が整いませんで…面目次第もございません。」
昨日の内にジョルディへ手紙を届けてもらっていた。だたし2,3日先に訪問する予定と書いたもんで、泡食ったわけだ。
「すまねぇ。俺も、もう少し先のつもりだったんだが、状況が変わっちまって往生したもんでな。」
「左様でしたか。…御連れ様がいらっしゃるようですね。」
「そう、その事で折り入って、お前さんに頼みてぇことが二つあるんだが、いいか?」
「はい、出来うる限りのことでしたら。」
「一つは、俺の連れ3人を暫く匿まって欲しい。訳ありの娘と、バルデの息子と…マラエとペレンの息子だ。」
その名を聞いてさすがのジョルディも絶句する。次の言葉がなかなか出ない。
「…マラエ様、いえ、エマン様と…ペレンの…息子…。」
「ああ、そうだ。お前さんの孫だよ。」
シワ深い目から涙が溢れた。いつもは完璧に感情を押さえているジョルディも堪えきれなかったようだ。
「…ヨルー。…神よ、感謝します。」
あの時から一度も会えずに逝っちまった息子夫婦。残された孫達にさえ、会いたくても会えなかった彼には万感の想いがあったんだろう。ジョルディだけじゃねぇ。あの件に関しては、いろんなヤツが少なからず傷つき、生活が変わるほどの影響を受けた。それを思うと、今でも腹が立つ。だが、あれから十分に時は満ちた。俺が老いぼれるほどに…今を置いて機会はねぇ。
ジョルディが落ち着くのを待って、俺は本題に入った。
「もう一つは、俺にはちょいと厄介だ。お前さん達の力がいる。」
と、前置きしてから話しを始める。最初は黙って聞いていたが、終る頃にはジョルディの目に強い意志の光が宿っていた。俺は話しの最後をこう締めくくった。
「俺達が過去の住人になったことを、あいつにも教えやりてぇのさ。未来は坊主どもが担いでくんだ。過去で縛って良いことなんざねぇ。」
暫く黙考した後、
「わかりました。御膳立ては御任せ下さい。何とかやってみます。」
「頼むぜ。」
そして、少し言い淀んでから、
「ただ、私が動くにしてもマダムにご了解いただかなければなりません。さすれば、もっと事は簡単に進むと思われます。」
と、俺を真っ直ぐ見る。目で訴えて来るなよ〜。思わず舌打ちする。
「…やっぱりな。じゃあ、そいつも御膳立てしてくれ。」
「よろしいので?」
「聞くなよ。…俺だってブルってんだ。」
あいつは恐い。…だが、会いたくない訳じゃねぇ。
「では、そのように。」
すぐに行動を起こそうと立ち上がるのを、思わず引き止めちまった。
「なあ、……まだ怒ってるか?」
ジョルディは何とも言えない微笑を作って、
「はい。旦那様のお話をされるときは、大変にお美しいです。」
…何か、何か胃が痛くなってきやがったぜ。
ジョルディがどう話したものか、ほどなく彼に伴われてあいつの書斎へ向かった。
ドアの前で坊主達と落ち合う。なるほど。こいつらも一緒なら心強い。坊主達もここの主に会うと言われたらしく緊張していて動きがぎこちない。ジョルディがノックするのを止めたい衝動に駆られながら見守った。
「マダム、お連れしました。」
応答の声がありドアが開かれた。ジョルディが中へ招じ入れる。
対面の瞬間。部屋は懐かしい彼女の香りに満ちていた。
<つづく>
爺さんが怖がる館の主とは!爺さんとの関係は?乞うご期待!