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第1話僕とヨルーとくそ爺

今回はラキムお坊っちゃま視点でお送りします。

さて、追い剥ぎ村・マラボをうまく通過出来るでしょうか。


 旅の話を聞いたとき、僕は内心とても興奮した。

 やっと一人前として認めてもらえた喜び!その上、御領主様の定例会でお披露目だなんて、最高の舞台だ。まさに、この僕に相応しい。しかも、幼なじみの下男・ヨルーも一緒だなんて、旅も楽しいものになりそうだ。

 しかし、そんな高揚感も同行人の名前を聞いた瞬時に消え失せた。

 ヨルーはいいとしても、…何故、アリューセン・デオ・トルラダなのか!納得出来ない。

 何度も父に交渉してみた。ヤツでなければ誰でも良い。執事のヤルクでも、神主のベオ様(86歳)でも、最後には女中頭のイーダでもいいとまで言ってみたが、「俺のメシと洗濯はどうなる!」と却下された。

 父さんもいい加減うんざりしたのだろう。最後にはベッドから起き上がって怒鳴った。

「あいつの同行はワシから頼んだ。お前が何と言おうと、同行させる!」

 熱と血圧とで、顔を真っ赤にして肩で息をしている。

「…何故、アリューなのです?理由を教えて下さい。」

「ヤツは定期的に都へ行ってる。道にもアスンにも詳しい。」

 そこで言葉を切った。そして僕を真っ直ぐに見つめて、

「…ワシは心配なんだ。旅は何が起こるかわからない。」

 父さんは真剣だ。でも、僕はもう子どもじゃない。不満が顔に出たのだろう、ため息混じりに付け加えた。

()()()()もある。ヨルーだけでは不安なんだ。」

 言わんとすることがわかって、思わず顔を(しか)めた。

 『あのこと』とは僕の唯一の弱点ともいうべき<病い>を指している。

 僕は雷が鳴ると動けなくなるのだ。

 幼い頃からそうだった。原因は不明。どんな医者に診てもらってもわからなかった。自分ではどうしようもない。雷鳴を聞いた途端、身体が震え出し息が苦しくなる。その内、頭の中が真っ白になって意識を失うのだ。気がつけば、ベッドに寝かされているか、亀のように(うずくま)った姿勢で毛布をかけられていた。

 父さんの心配はわかる。わかるけど…ヤツは子どもの頃からの因縁の相手なのだ。衝突するのは眼に見えている。

 悪戯仲間だったヨルーならわかってくれるかと思い、愚痴ってみたが一笑してこう言った。

「アリュー爺さんには、ただの一度も勝てませんでしたからね。」

 もちろん、そんなことは、無い。彼が覚えていないだけだ。ヨルーは忘れっぽいからな。

 ただ、僕が気に入らないのは、ジジイが当時から愛用ている、あの『杖』をいまだに持ち歩いていることなんだ。あの頃の力関係を主張し、僕を牽制しているつもりなのか。

 それについて、ヨルーは「考え過ぎでしょう」と、素っ気ない。

「あの頃はどうでも、今は杖を持っても可笑しくないお年ですよ。まあ、後ろを歩かれるといまだにお尻がヒヤッとしますがね。」

 気の毒なヤツだ。そんな痛みは全く、まったく!覚えていない。…ただ、暗澹たる気持ちになるだけだ。

 

 出発当日、アリューは驚くほどの軽装で現れた。…つまり、普段とまったく替わらない小汚い格好のまま!馬すら引いていない。何を考えているのだ、まったく。

 白髪混じりの長い金髪を三つ編みにして背に垂らし、皮のベストにボロマント。例の杖はしっかり持っている。少しは身綺麗にしたらどうだ。

「アリュー、二人を頼んだぞ。」

 病いを押して玄関まで見送りに出た父を一瞥し、

「へいへい。」

 などと適当な返事をする。そのくせヨルーの引くロバのデンを見て眼を丸くした。

「…これはまた、ご大層な荷物だな。デンが潰れないといいが。」

 そう言いながら手に持ったズダ袋をその背にポンと乗せた。そう思うんだったら乗せるな!

「じゃあ、行くとするか。」

 勝手にスタスタ歩き出す。おいおい、この旅の主人は僕だろう!?何故お前が仕切る!

 制止しようと口を開きかけたが、父の声に遮られた。

「ラキム!ぼさっとするな!置いてかれるぞ、早く行け!」

…父さん、それはないでしょう。せっかくの旅立ち気分が台無しだ。



<1日目>

 一事が万事気に入らないのだ。

 こんな気分で旅を続けるなんて、僕には耐えられない。どうにかしてヤツを出し抜いて、快適な旅にしなければ。

 先頭を歩くジジイの背中を見ながら、方法を考える。問題は、あの健脚だ。まったく年齢を感じさせない。馬で飛ばせば引き離せるだろうが、そうなるとヨルーを乗せるデンが持たない。ヨルーが歩きだと追いつかれそうだし…何とかジジイを足止めする策はないものか。

 そこで僕は閃いた。

 シンプルだが酒好きのジジイには効果的だ。僕は己の名案に成功を確信する。早速、初日の宿で罠を仕掛けることにした。

 『子鹿亭』は、一階が飲み屋で二階は寝室という典型的な宿屋だ。子鹿というよりは子豚を思わせる女将が出迎える。二階で荷物を下し、日が暮れてから食事の席に着いた。店はほどほどの客入りで、料理も量、質ともにほどほど。可もなく不可もなくほどほど。「ほどほど亭」と名を改めたほうがいいのではないか。などと考えながら食事をしていると、通路幅を押し広げるように厚化粧した女将が僕たちのテーブルにやってきた。

「若様、ビーク酒はいかがです?ウチのは自家製仕込みで、ここいらじゃ評判なんですよ。」

 営業スマイルで酒を薦める女将に、僕は愛想良く応じた。

「ほう、いいねぇ。では頼む。」

 ヨルーが気遣わし気に僕を見ている。それを無視して、3人で大カップをぶつけ合って乾杯した。初めて飲んだビーク酒は癖も無く案外飲みやすい。ジジイも美味そうに杯を重ねる。3杯目からはカップではなく酒壺ごと出して貰った。ジジイは順調に飲みまくっている。僕の倍以上は飲んでいるはずだ、しめしめ。5杯目でヨルーが僕の袖を引いてきた。

「坊っちゃま、そろそろ引き上げましょう。明日に響きますよ。」

「いいから、いいから。大丈夫だって。」ジジイの顔が赤くなっている。潰れるまで飲ませるのが目的なのだ。それまで付き合って見届けねば。そして、ヨルーと二人出発するのだ。

「女将、どんどん持ってきてくれ。」

「は〜い、ただいま。」

 知りませんからね!と捨て台詞を残して、ヨルーは二階へ上がって行った。



<2日目>

 どのくらい経っただろう。

 誰かが僕を揺すっている。途端に身体が悲鳴を上げた。特に頭が割れるようだ。止めてくれ!触らないでくれ!叫んだはずが、うめき声が漏れるだけだった。

「坊っちゃま!いい加減起きて下さいよ!」

 声さえも割れ鐘のように僕を苛み、起き上がるどころか眼さえ開けられない。どうしたのだ、僕は。

 だから言ったのに…とボヤくヨルーの声。耳元で水音がして額に冷たい感触。気持ちいい。

「ハハハー!ひでぇな、こりゃ。」

 不愉快な男の容赦のない大声を聞いて、僕は寝ているフリをした。

 どうやら計画は失敗したらしい。ジジイを見張っていたはずが、途中から記憶がない。どうやってベッドに辿り着いたのだろう。

 後で聞いた話だが、女将自慢のビーク酒は別名『泥棒酒』とも呼ばれ、口当たりの良さについつい飲み過ぎると酔って意識を失い、懐中物も失うという悪名高い酒であった。

「この様子じゃあ、今日は無理だな。」

「…そうですね。」

 僕を見下ろしている二人の視線が痛い。

 それにしても、ジジイが平気なのが解せない。僕より大分飲んだはずだ。酒場でのことを思い返そうしたが、それだけで胸がムカついて来た。ああもう、二度とビーク酒はご免だ!


 日が傾きかけた頃、やっと起き上がれるようになった。まだ頭の芯が重怠いが、僕の失態によって旅程を遅らせるわけにはいかない。馬に乗る自信はないがジジイ同様、僕も歩けばいいのだ。

 出立を告げるとヨルーは眼を丸くして天を仰いぎ、大きなため息をついた。一服付けていたアリューは面白そうに笑う。

「今からじゃ、野宿になるぞ。いいのか?」

「…何か問題でも?」

 内心の動揺を隠して、僕はクールに応じた。野宿が何だというのだ。季節は初夏、朝晩の冷え込みもそんなに酷くはない。焚き火をすれば、獣も寄っては来ないだろう。

 何より『あれ』がある。この旅のために作らせたのだ。早く試してみたい。

 宿を出て暫くは整備された街道を進む。デンの足取りも心なしか軽い。この分なら遅れを取戻せそうだ。しかし、林に入ったあたりから足元が悪くなってきた。勾配もキツく息も上がって来て、気持ちの悪い汗も出てくる。だが、日があるうちに少しでも先に進まなければ。ジジイの手前、これ以上無様な姿を晒したくない一心で、歯を食いしばって林を進む。ヨルーが気を利かせて水筒を持って来た。何か、香草が入っている。爽やかな風味に喉越しもいい。身体が少し軽くなったようだ。

「その香草、二日酔いに効くそうですよ」

 ジジイの入れ知恵は気に食わないが、背に腹は代えられない。今日の所は目をつぶり一息に飲み干す。すると、ヨルーが慌てて、

「あまり飲み過ぎるとお腹を下しますって…」

間の悪いひと言で、盛大に咽せてしまった。


「坊っちゃま、見て下さい。」

先頭を歩くヨルーの声に顔を上げると、林が途切れ視界が開けた場所に出ていた。林を抜けたのだ。ホッとして辺りを見渡すと、目の前に大きな岩山が立ちはだかっていた。気力がみるみる萎んで行く。

「お、<熊の背>か。今日はここまでだな。」

 ジジイの声に、これほど救われたことはない。アリューが野営地に良さそうな大木の根元に荷物を置いた。

 僕もそこに座ったまま、もう動けなった。二人は顔を見合わせただけで何も言わない。さっさと野営の準備に入る。ジジイは焚付けを拾いに行き、ヨルーは近くの沢に鍋と水筒を持って降りて行った。皆が働いている中、自分だけが休んでいるのは気が引けたが、気力ももう限界だった。

 まあ、僕がこの旅の主人ではあるので働く必要はないのだが、荷物番ぐらいはしてやろう。

 この旅に出て、ヨルーはジジイとよく話すようになった。おもに疑問に思った事をジジイに問う。ジジイは答える時もあれば、わざと教えないこともある。

 その内、ジジイの行動を見てヨルーが動くようになった。最近の二人は阿吽の呼吸で動く。ちょっと疎外感はあるが、将来僕の右腕となるには良いことだ。

 空はまだ明るかい。ただ、雲が仄かに赤味を帯びて、夕暮れが近いこと示していた。疲労が眠気を誘う。皆の手前、眠るわけにはいかないので落ちる瞼と戦う。

 そんなとき、出会ったのだ。夢とも(うつつ)ともつかない狭間で、


 魔物に。

 

 ふと、投げ出した足先で何かが動いた。黒マントの裾。顔を上げると、黒い影が立っていた。すっぽりと目深に冠ったフードで顔は見えない。辺りは薄墨を流したように白黒の世界に変わっていた。耳鳴りがする。

 黒い影が音も無く近づき、僕の顔を覗き込む。頭巾から長い黒髪がこぼれた。

「お〜や。綺麗な赤毛。」

男とも女ともつかない声が笑う。目元は見えない。手が僕の髪をなでて…頬に添えられる。

「お前に祝福を」

 冷たい唇が僕のそれと重なる。不思議と嫌ではなかった。間近に見えた紫の瞳が僕をじぃと覗き込み、すぐに離れた。

「お休み、坊や。」

 そう言って、魔物は僕の眼を手で覆い隠した。


「おい、しっかりしろ。」

 頬を叩かれて目が覚めた。僕の側に肩膝を付いたアリューが険しい顔をしている。いつの間に眠ってしまったのか。軽い頭痛と吐き気がする。

 辺りは先ほどより明るく、薬を煎じたような匂いが微かに漂っていた。

「どうだ?ヨルー」

「大丈夫です。何も取られてません。」

 しゃがみ込み荷物の点検をしていたヨルーがホッとしたように笑う。アリューは舌打ちして毒づいた。

「チクショー!俺の荷物だけ荒らしやがった。」

 状況がうまく飲み込めない僕に、ヨルーが説明してくれた。

 この街道には「カライ((まぼろし))の魔女」と呼ばれる呪術師が出没するらしい。幻覚作用のある煙を使って旅人を惑わせて、金品を盗むのだそうだ。

 僕はその魔女に遭遇したらしい。だが、荒らされたのはジジイの荷物だけだった。金とタバコの葉、寝酒用のビーク酒を取られたと悔しがる。金以外はどうでもいいものばかりだ。どう見ても金目の物が無さそうな頭陀袋を狙った理由はわからないが、まるでジジイをからかっているようで、小気味良い。

 ぼんやりしていると、ヨルーもジジイも幻覚の煙から覚めていないと思ったらしい。そのままそっとしておいてくれた。

 実は、魔女との出会いを反芻していた。紫の瞳。黒い髪。冷たい唇の感触。まるで夢のようだった。あの(ひと)が泥棒なんて信じられない。

 物思いに沈む僕の上に、時は夜の(とばり)を下ろして行った。


 さて、そろそろ寝ようとしたところで事件は起きた。

「ヨルー、()()を出してくれ。」

 返事がない。ヨルーを見ると気まずそうに僕を見ている。

「どうした、早く出してくれよ。」

 それでも動こうとしない。()()はデンの背に乗せていたはずだ。埒が明かないので、自分で取りに行こうとすると、ジジイの声が割って入った。

「ベッドは魔女に盗まれたらしいな。」

 僕は耳を疑った。

「魔女が?簡易ベッドを?」

「ああ、ついでに蚊帳(かや)もな。」

……信じられない。…信じられない!眠気が一遍に吹き飛んだ。

「じゃあ、僕は何で寝ればいいのだ!?」

 激昂する僕にジジイは呆れたように笑った。

「バカか。そのまま毛布に(くる)まって寝りゃあいいじゃねえか。」

 地面に直に寝るなんて信じられない。虫が這い上ってきたらどうするんだ!地団駄を踏む僕を鼻で笑い、ジジイはさっさと寝てしまった。ヨルーは僕が少しでも快適に眠れるように寝床を整えてくれたが、地面に寝ることには変わりはない。

 やがて、闇の中から獣の鳴き声が聞こえてきた。耳元では蚊の羽音がする。僕の神経は張りつめていくばかりだ。とてもじゃないが、眠れない。

 おまけにジジイのイビキのうるさいこと!無神経な奴らが妬ましい。

 その夜、僕はカライの魔女を恨みながら一睡も出来ずに夜を明かした。



<4日目>

 雨に洗われた緑が日射しに(きら)めいている。雲の切れ間から青空が広がり、小鳥達の(さえず)りが木々の梢を渡って行く。今日はいい天気になりそうだ。

 だが、この天気とは裏腹に地上を行く僕たちは難航していた。昨日の雨に足止めされて、今やっと岩山を越えてマラボ村を見下ろすところまで下りて来た。

 この寒村は『追い剥ぎ』を本業とする村だと言う。通常はぼったくるだけだが、状況が変われば追い剥ぎに早変わりするらしい。

 斥候に出たアリューの話し通り、村の数カ所で土砂が田畑や山際の小屋を押し潰しているのが見える。村の真ん中を流れる川は恐ろしいほどの濁流だ。人家は無事なようだが追い剥ぎ村とはいえ、被害に対しては同情を禁じ得ない。

 あの様子では今年の収穫は無しか少量に留まり、冬を越せないのは眼に見えている。何とか力になりたいとは思ったが、ジジイに止められた。それどころか、無事に通過出来るか危ういという。

 このような災害が起きた場合は、やはり『善意の寄付金』もろとも『身ぐるみ丸ごと募金』を強いられるというのだ。大事な役目がある以上、ここは何としても無事に通過しなければならない。

 そこで、アリューが一計を案じた。

 幸いなことに街道は被害を免れている。彼らの注意を逸らし、その隙に村を通過するというのだ。あまりにも簡素で、非常に疑わしい。一体何をするつもりなのか。作戦の全貌を聞いてみたが『満面の笑み』で、

「任せろ。」

 と、答えただけだった。僕とヨルーは一瞬息を飲み、それ以上は聞けなかった。

 何故って?

 子どもの頃、ジジイの『満面の笑み』は、僕らの敗北の象徴であり、培返しが始まる合図だったからだ。


「さて、いよいよだ。二人とも乗りな。」

 爺さんの言葉に緊張が走る。僕らは無言で従った。

「いいか。何を言われても無視して真っ直ぐ進め。急ぐなよ。」

 先頭のヨルーが不安そうに振り返る。頷いて出発を促した。

「ヨルー、そろそろ…あの〜<ナントカの娘>って歌、頼むぞ。」

 殿(しんがり)のアリューが陽気な声を出す。

「ナントカじゃない、<アマドの娘>だ。ジジイは忘れっぽくて困る。」

 皮肉を言うと、ジジイは澄まして答える。

「そうさな。それが、長生きの秘訣よ。じゃあ、頼むぜ<カマドの娘>。」

「ア・マ・ド の娘だ!」おまけにに覚えも悪い。

 ヨルーはちょっと吹いて緊張が解れたのか、前を向いて大きく息を吸い込んだ。


 澄んだ歌声が谷間に響き渡った。

 最初は大きな声ではなかったが、谷間の事もあり声が反響する。それで気を良くしたのだろう。ヨルーの歌声も伸びやかに大きくなっていった。不思議と川の轟音に消されることなく辺りに広がる。

 ゆっくりと山を下りながら村に入って行く。

 歌声が届いた家々から、物陰から、何事かと村人達が顔を出した。街道に人が集まり始める。…これでいいのか?予想が付かない。

 ヨルーの澄んだ歌声は真っ直ぐな矢のように人々の心を魅了する。老弱男女関係なく、皆惚けたように歌に聴き入っていた。

 彼が、こんな風に伸び伸びと歌うのを聞くのは、僕も久しぶりだ。本当に美しい。

 幼い頃はよく大きな声で歌うのを側で聞いていた。彼の声は小鳥のようで、いくら聞いていても飽きない。子ども心にも響く澄んだ歌声だった。

 ヨルーが歌わなくなったのは、流行病で両親が相次いで亡くなってからだ。暫くは気持ちが塞いで歌えなくなっていた。

 身寄りの無い彼が、ウチの下男として雇ってからは、父さんが歌うのを禁じてしまった。理由は『音痴だから』『仕事を真面目にしないから』『やかましいから』どれもまともな理由じゃない。

 ただ、それは決まって人がヨルーの歌声を褒めたときだった。まるで隠すように、怯えているようにすら思えたのは、気のせいだったのだろうか。

 僕はいつも思う。ヨルーの声は学んで作り上げたものではなく、天性のものだ。伸びやかで、空を舞う鳥のように軽やかに響く。これは、ヨルーが母親から受け継いだものだ。

 ヨルーの母親エマンは僕の乳母だった。彼女も普段はどんなにせがんでも歌ってはくれなかった。ただ雷が鳴った時だけ、僕を優しく守るように抱きしめながら耳元で子守唄を歌ってくれた。甘く優しく澄んだ歌声を聞いていると、不思議と身体の強ばりが緩んだ。

 母を知らない僕にとって、彼女が母のような存在だった。エマンが他界した後、雷用の子守唄はヨルーに引き継がれている。

 もう大人なんだから、子守唄だけでも恥ずかしいのに…抱きしめられるのはもっと恥ずかしい。

 やめるように言ったのだが、律義者の下男はいまだに条件反射のように続けている。


 ヨルーはデンの足を止めることなく進む。人垣が自然と左右に別れて行く。僕はその後ろに付いて、ゆっくりと馬を進めた。最初の衝撃から冷めた人々がコソコソと囁きかわす声が聞こえてくる。

「何てぇ声だ。良い声だなあ。」

「んだ。今まで聴いた中じゃ一番だ。」

「どこぞの貴族にでも売りつけたら、いくらになるべ。」

「後ろの赤毛、良い服来てるなあ。ブーツも上等だ。」

「それより馬だ。ありゃあ、良い銭になるぞ。」

 などと物騒な話しをしている。僕は聞こえぬフリをしていたが、いつ襲われるか気がきではない。手綱を強く握り、心臓が早鐘を打つ。ヨルーは歌うのに夢中らしく、ますます声を張って響かせた。

 そんな状況の中、前方に大男が腕組みをして立っているのが見えた。目つきは鋭く顔の下半分が強い黒ヒゲに覆われていて、見るからに悪人面だ。あれが(かしら)かもしれない。僕は密かに緊張する。

「よう、クイガン!」

 後ろから爺さんのえらく陽気な声が飛んだ。

「…アリューか。てめぇ、これは何のマネだ。」

 クイガンと呼ばれた男に向かってアリューが走って行く。頭一つでかい相手に対して、馴れ馴れしく声をかけた。

「ちょっとした余興さ。気に入ってくれたか?」

 話をする二人の横を僕らはゆっくりと通り過ぎる。クイガンは爺さんと話しながらも僕らから眼を離さない。嫌な目つきだ。ヨルーは<アマドの娘>から<美しき小鳥よ>に替え、歌い続けている。真っ直ぐ前だけを見て、谷間に響く声を楽しんでいるようだ。おかげでアリューとクイガンの話し声も聞こえない。

 そのとき僕は異変に気付いた。人垣が終らないのだ。小さな集落だし、もうマバラになっても良さそうなものなのに。そう、僕らと一緒に移動しているからだ。まずい、非常にまずい!そろそろ村外れに差し掛かるというのに。いつ襲われてもおかしくない。手綱を握る手に力が入る。


 突然、馬の嘶きが響き渡った。

 思わず後ろを振り返ると、宿場の裏手から栗毛の馬が飛び出してきた。猛然とこちらに向かって突進して来る。人々は悲鳴を上げて逃げ惑った。

 大混乱の中で、その馬に飛び乗ったヤツがいた。アリューだ。すごい!あの歳で!まるで軽業師だ。などと、感心している場合ではない。近づいて来る馬に見覚えがあった。

 ーあれは、爺さんのエロ馬ハラバラだ!何故ここに!?

「二人とも、走れ!」

 爺さんが叫ぶ。その遥か後ろに馬に乗ろうとする人々の姿。何か喚いている。僕もヨルーも慌てて馬とロバを走らせた。

「ハッハッハー!またな、クイガン!」

 アリューは上機嫌で馬を駆る。何が何だかわからないが、とにかく危険から遠ざかりたい一心で僕らは馬とロバを走らせた。



<6日目>

 都に近づくにつれ、街道は整備されて人通りも多くなって来た。

 マラボを通過して二日。クイガン達は追ってこなかった。少し気になるが、村があの状態なら追うどころではないだろう。

 アリューにハラバラの出現の経緯を聞いてみたが、涼しい顔で「クイガンに預けていた」という。にわかには信じがたい。大方、借金の形に取られていたのだろう。そこへ僕のラルーンが通りがかり、エロ馬は厩舎を脱走して突進して来たーそんなところか。作戦も何もあったもんじゃない。

 まあ、エロ馬も役に立ったわけだから、追求しないことにした。予想通りラルーンには手酷く振られて、側にも寄れないし、良いこと尽くめだ。

 おかげで旅は順調に進み、都アスンのすぐ近くまで辿り着いた。予定より時間は掛かったが、何とか無事にここまで来れたことにホッする。定例会にも十分間に合う。


 アスンの隣町クヤデに荷を降ろしたのは昼頃だった。

ここは都まで馬なら半日も掛からない。金の話しはしたくないが、アスンは都だけあって物価も宿泊代も高額だ。資金に余裕を持たせるために、定例会まではここを拠点に過ごすことになった。

 それでもクヤデは大きな町で都に近い分、店や宿屋も多く軒を連ねている。大きな本屋、道具屋、仕立て屋など、すぐにでも入りたい店ばかりだ。遠目に見た市場の賑わいも大したもので、ぼんやりしていると(はぐ)れてしまいそうだ。

 今日から世話になる宿は『猫の城亭』。ジジイの定宿というのが気に食わないが、予算の関係があるので仕方がない。その名の通り猫だらけの宿だ。まあ、ネズミはいない分清潔かもしれない。その代わり猫を踏まないようにするのが大変だ。

 僕とヨルーは荷物を降ろすのももどかしく、早速町に繰り出すことにした。

「坊っちゃま、お願いですから今日は本屋に寄らないで下さいね。」

 ヨルーが早速クギを刺す。さすがは従者、僕が本を読み始めると動かないことを知っているからだ。差し出がましいが今日の所は許してやろう。後でゆっくり行けば良い。

 何か用事があるとかでアリューとは別行動というのも嬉しい。お目付役がいない開放感!存分に楽しめそうだ。

「夕飯には戻って来いよ。それと、財布に気をつけるんだぞ」

 ジジイの子ども扱いな忠告も気にならない。

 見るものすべてが新鮮で珍しいものばかり。僕らはあちこちの店を覗いたり、屋台の揚げ菓子を買って食べたりして楽しんだ。

 ヨルーも楽器屋を見つけて大興奮。楽器好きな彼は、細工の綺麗なウード(弦楽器)や珍しいカヌーン(竪琴)に見とれたり、ダブ(タンバリンのようなもの)の修理の仕方を職人に聞いたりして、生き生きとしている。そして、焼き物で出来た緑色の小さなオカリナを買った。妹のオーナへの土産だろう。

 僕は僕で、仕立て屋を探して歩いた。御領主様に謁見するからには、やはり新しいチュニックを仕立てておかねばなるまい。数件の場所を確認して、明日改めて来る事にする。今の泥だらけのブーツじゃ、どこの店でも足元を見られかねない。

 こうして、僕らが歩き疲れた頃には、日も傾きかけていた。

 雑踏に疲れて、広場の石段で一休みしていた時だ。近くで騒ぎが起こった。見れば、二人組の男が少女の手首を掴んでいる。

「痛いったら!離して!」

「このアマ、手間取らせやがって!」

男が少女を平手で打った。

「!」

 女性に、しかも子どもに手を上げるなんて(むご)いことだ。人々は見物するだけで誰も止めようとはしない。彼らは大人しくなった少女を引き摺って歩き出そうとした。その瞬間、

「痛!いててて!」

 掴んだ手を噛まれて、男は思わず手を離した。怯んだもう一人の手も振りほどき、自由になった少女は走り出す。

が、運の悪いことに石段に躓いて僕らの目の前に倒れ込んでしまった。咄嗟に助け起こそうと手を伸ばしたが、振り払われた。

 顔を上げた少女と目が合う。紫の瞳。強い意志を秘めた宝石。それはほんの一瞬の出会いだった。

 突然、巻き毛の黒髪を鷲掴みにされて少女は悲鳴を上げた。後ろに引き摺り倒される。

「このヤロー!」

 追いついた男達は仰向けの彼女に制裁を加えようと足を上げた。

(蹴られる!)

 そう思った時には身体が勝手に動いていた。

 僕が彼女に覆い被さった直後、衝撃が背中を襲う。手加減なしの蹴り。

「ぼっちゃま!?」

 ヨルーの叫ぶ声。

 男達も蹴るのを止めた。

「何だ?てめぇは。」

 痛みに顔を顰めながら、ゆっくりと身体を起こすと少女のキョトンとした顔。黒い巻き毛の中で紫の瞳が煌めく。可愛い。僕は無理に笑いかける。そして、顔を上げて男達を見た。

「女性に乱暴するな。」

 聞いた途端、男達はゲラゲラとバカにしたように笑った。

「お優しいことだな、田舎の坊っちゃんよ〜。」

「だがな、こいつは俺の手を噛んだメスザルだ。まだ女じゃねえしな。」

 下品な笑いがまた沸き起こる。ムカつく奴らだ。突然、襟首を掴まれて凄まれた。

「こいつは俺たちのもンだ。おめぇには関係ねぇ。」

 そのまま足で蹴り飛ばされた。石段の角で背中を打ち、一瞬息が詰まる。ヨルーに助け起こされながら、それでも奴らを睨む。

 そんなことはわかっている。ただ、見ていられなかった。ジジイなら、また安っぽい同情しやがってと笑うだろう。どうすることも出来ない自分が悔しい。

 両脇からしっかり腕を掴まれた彼女は足をバタつかせて、まだ抵抗し続けていた。

「チキショー!何度だって逃げてやる!娼館なんてまっぴらだ!」

「こりねぇようだな!」

 怒った男がまた手を挙げた。ぶたれる!

 しかし、振り上げた手は降りてはこなかった。黒いマント姿の人物が男の手首を握っている。

『魔女!? 』一瞬ドキリとする。しかし、振り向いた顔は男だった。

「な、なんでぇ!てめぇは!」

「お前達こそ、どういうつまりだい!」

 ムチのような女の声が後ろから飛んで来た。振り返ると、そこには眼を吊り上げた中年女性が腰に手をあてて立っていた。

 彼女の登場でその場の空気が変わった。

 黒き宝石ーー

思わず、戦の女神・レキュアを思わせる気品と迫力。褐色の肌に紫の瞳。ひと目で黒曜人とわかる整った風貌は、若い頃は恐ろしいほどの美女だったに違いない。シックな装いながら上等なドレスの裾を揺らしながら、ゆっくりと男達に近づいて来る。声の主を認めた男達は、動揺を隠せない。

「その子はもうウチの子なんだ。手を挙げるてぇのはどういう了見だい。」

 オロオロと言い訳をする。

「いや〜、すいやせんマダム。こいつがいうことを聞かないもんで。」

 フンと鼻で笑う。そして、いやに優しい声で、

「お前達は商品の扱いを知らないようだね。」

「ウゲッ」「ゲホッ」

 黒マントのボディブローをまともに受けて男達はその場に踞った。

「今度こんな手荒なマネをしてごらん。商売出来ないようにしてやるから、覚えておきな!」

 男達は互いを支えにヨロヨロと去って行った。

 少女は黒マントに両肩に手を置かれたまま、マダムを睨みつけている。マダムは彼女に語りかけた。

「大丈夫かい。ひどく遣られたね。」

「娼婦になんかなるもんか!」

 怒るかと思えば、マダムは満足そうに笑った。

「そうかい。じゃあ、それ以外で借金を返す方法を一緒に考えようじゃないか。」

 意外だった。そんな方法があるのか。子どもが借金の形に娼館に売られる事は珍しいことではない。店の経営者がそんな提案をするなど聞いたことが無い。マダムの申し出が余程意外だったのだろう。少女も信じられない様子だ。

「ウチはね、そんじょそこらの娼館とは訳が違う高級娼館(デラ・クルディム)だ。お前ぐらい気が強いんなら、借金なんてどうとでもなるさ。」

 そう言って、手を差し伸べた。

「さ、どうする?私と来て借金を返すか。このまま逃げ続けて、乞食になるか。決めるのは、お前よ。」


 少女は黙考の末、その手を取った。マダムは満足そうに微笑んだ。


 不意にマダムがこちらを振り向く。一瞬硬直するほどの迫力。それが瞬時に香るような華やいだ笑みに変わる。

「うちの子を庇ってくれて、ありがとうございました。私は『百花の園(ファーナ・レマ)』のモイナ・ルルーシュ。ぜひ、遊びにいらしてくださいね。ささやかですがお礼をさせていただくわ。貴方のお名前は?」

「…ラキムです。ラキム・デル・グラート」

「では、ラキムさん。ごきげんよう。」

 優雅に裾を翻して去って行った。手を引かれた少女は去り際に一度振り向き、すぐまた前を向いて人波に紛れて行く。

「大丈夫ですか?」

 三人が去った後、周りの喧噪が戻ってきた。ヨルーの問いに曖昧な返事をしながら、服のホコリを払う。少女の幸運を願うしか、今のぼくに出来る事はない。

「何か、都会って感じですねぇ。…そろそろ宿に帰りましょう。」

 確かに、村じゃこんな騒動は起こらない。人々の関心の薄さも、こんなことが日常茶飯事だということだ。 …改めて、遠いところまで来たんだなと実感した。 

 さて、宿に戻ろうか。そう思った時、後ろから声がかかった。


「よう、坊主。探したぜ。」

 大男が、黒ひげの中から黄色い歯を剥き出して笑っていた。





 


 

 


 




















 


      






















 

悪役は結構しつこいですね。

さて、アリュー爺さんは助ける気はあるんでしょうか。

乞うご期待!

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