思い込みが激しい蜜蜂姫、病でも惚気る
【岩窟龍国】
お粥。美味しい。ティアはアンリエッタにお粥を口に運んで貰いながら、ぼんやりと右腕を眺めた。肌に薄い灰色の点々。手首から下なんて全部灰色で、少しボコボコ。それに右腕の内側、特に指らへんがビリビリと痛い。幸いなのは少し痛いだけな事と、きちんと動く事。
自分で食べられると言ったが、アンリエッタは甲斐甲斐しくお粥を食べさせてくれる。子供の頃、母にこうして看病されたのも嬉しかった。なので、アンリエッタが具合を悪くしたらお返しをしようと思って甘えている。
アンリエッタやカールによると、3日も高熱で寝込んでいたらしい。右腕は原因不明だが、熱は風邪だという。喉の痛みに、頭痛、それに鼻水。確かに、これは風邪だろう。最近、流行っている風邪と症状が同じとはお医者様談。熱が下がって2日。もうかなり具合が良い。アンリエッタの優しさや、膝の上に乗るプチラの体温で身も心も温まる。
右腕から、今度はまだ見慣れない部屋に視線を移す。ルタ皇子の屋敷。窓から差し込む夕焼けで染まる橙色の部屋。熱が下がった後にこの屋敷へ移ってきた。ティアが嫌でなければ、とルタ皇子から皇帝宰相テュールへの言付け。そりゃあ、もちろん2つ返事で了承した。
官吏達が後宮から皇居のこのお屋敷に、お気に入りの御帳台や箪笥など、全部運んでくれた。皇居内の皇族の屋敷で暮らせる女性は正妃とその従者のみ。正妃とその従者である女性だけが皇居と後宮の両方に住むことが出来る。そういう文化らしい。なので、つまり、そういうこと。岩窟龍国にて、ティアはルタ皇子の正妃扱いだということ。
「その腕、昨日この国を発ったカールが煌国のお医者様を連れてきてくれて、きっと良くなります」
「ありがとうアンリエッタ。死なない病だと良いのだけど。だって、ルタ様のお妃様になれたんですもの」
もし全身病でも、ルタ皇子なら全部丸ごと受け入れてくれる自信がある。どこから湧いてくるのか分からないが、絶対にそうだ。星の皇子様はそういうもの。今の右腕の感じだと、少々痛くて見た目が悪くなるだけ。そう信じたい。長生きして、ルタ皇子と寄り添いたいから死ぬのは困る。
ルタ皇子の事を考えていたら、貰ったラブレターを思い出した。ティアは両手で顔を隠した。だらしのない表情だろうから、恥ずかしい。
「恋心がつのりにつのって淵のように深くなっています。ですって」
えへへへへ、と気持ち悪い声が漏れるが止められない。煌国と流星国へ行ったルタ皇子に渡されたラブレターは、それはもう感激もの。龍歌なので、渡されたその場できちんと読み解けなかったのが悔やまれる。理解していたら、あの場でルタ皇子に飛びついていた。いや、読み解けなくて良かった。はしたない姿を晒してしまうところだった。ルタ皇子にも呆れられてしまっただろう。
「またその話? 言いふらすと可哀想だと思いますから、ご自分の胸に大切にしまっておいて下さい。何せ、ティア様と上手く話せず、影からコソコソ眺めていたくらい初心な方みたいですから」
またその話、はアンリエッタの方だ。嫌われていると思ったら、真逆だったらしい。ティアは努力の甲斐あって、以前からルタ皇子の心を見事に掴んでいたらしい。何せ、つもりにつもった恋心だ。なんて素敵な言葉。でも全く、気がつかなかった。理由も思い至らない。アンリエッタも気がついたのはつい最近だという。
「いいえ、アンリエッタ。以前に皇妃様から素晴らしい龍歌は自慢するもの、と教わりました。皇帝陛下からの龍歌を教えてもらった事があります。女官も旦那様や恋人の龍歌を広めています」
プチラがブーンと膝の上から飛び立ち、机から箱を持ってきてくれた。
「そうですね。なら教えて下さい。あの涼しい顔の裏側に中々激しい恋心があったというのは愉快です。他の文も情熱的なんです?」
とても興味津々そうなアンリエッタ。アンリエッタはカールと違って恋の話が好きだ。なので、ティアはカールには文の内容については話していない。思いが通じた事は伝えた。良かったと言ってくれたが、詳しく聞くのは拒否。そういう雰囲気だった。
「2通目はこうです。人に隠して忍んでいたのに、想いは溢れてこぼれ落ちました。多分、そういう意味です。龍歌が得意な女官のラファエに教えて貰いました」
隠したり、忍んだりしなくても良かったのに。そう言ったら、女官ラファエから「ティア様は煌国の妃がねですよね?」と指摘された。岩窟龍国とルタ皇子の両方から妃に望んで貰えれば、全力で支援すると父に言って貰っている。それをルタ皇子は知らないからか。伝えないとならない。いや、ルタ皇子は父に会いに行ってくれたので大丈夫。
煌国の妃がねとして、大陸中央の文化を岩窟龍国で学ぶ。そういう、矛盾と不自然さのある理由と父の権力を振りかざして乗り込んできた。1年の期限付きの我儘。その分一生懸命働き、勉学にも勤しんだが、それがルタ皇子に伝わって良かった。問題は、ルタ皇子はティアへの気持ちを抑えるのが、苦しかったということ。なんて最低最悪の仕打ちをしていたのだろう。
「その顔、何を考えているか分かりますよ。隠さなくても良かったのに。でも、自分のせいか。酷い事をしていた。そんなところです? ルタ皇子がティア様に振り向いたら、善処する。私とカールもフィズ国王様にそう言われています。きちんとルタ様とリシュリにも伝えました。父から皇帝陛下や宰相の方々にもです。忍んで隠していたのは、照れとか緊張みたいですよ。ティア様に長々と酷い仕打ちを、とリシュリがボヤいていました」
「まあ、リシュリは前からルタ様のお気持ちを知っていたの?」
「いいえ。リシュリはティア様と同じ日ですよ。出国前に少しを話しまして。私とカールの方が先に気がついたようです。私は先週、ティア様の手入れしている畑で草むしりと虫を取り除くルタ皇子を見かけまして。ブツブツ言っていました。カールはそれより前みたいです。口を割りませんけど」
その話、是非聞きたい。ティアは少し前のめりでアンリエッタの顔を覗き込んだ。カールには聞いても無駄。カールは恋愛話に参加してくれない。
「文だ、文を認めよう。それなら緊張で喋れなくても問題ない。遠くて聞き取り難かったですけどそんな事を……ルタ様のお気持ちは、私に聞くより手元の文で感じて下さい」
ワクワクしたような顔のアンリエッタ。ティアは次の文を手に取った。この封筒には何と、花が描かれた紙も入っている。墨で描かれた絵。ルタ皇子が素敵な絵まで描けるとは知らなかった。おまけに文からも良い香りがする。皇帝陛下と皇妃様が好む、白木蓮の匂い。ティアはアンリエッタに絵を見せた。
「ルタ様、絵も描けるようなの。この文は龍歌ではありませんでした。絵と、この花は君ですと。白木蓮の花言葉はとても良い意味です。お父様がお母様に贈る花と同じで嬉しいです」
「人は見た目では判断できませんね。無骨な方かと思っていたのに、繊細な絵です。字もそうです。それに、香りまでとは雅。花言葉は高潔や自然愛でしたっけ?」
「はい。もう一度調べ直しましたけどそうでした」
「そもそも、離れてしまう間、侘しくなる夕刻に文を届けるという心遣いが羨ましい限りです。元々は渡せずに積もっていた文らしいですけどね」
ルタ皇子は、自分が不在中にティアが少しでも寂しくないようにと1日1通の文を用意してくれた、らしい。皇帝宰相テュールが女官経由で届けてくれる。5つ溜まった。全部で30通もあるらしい。ティアに渡そうと書いては照れと緊張で渡せなかったという文達。幸せ過ぎる。幸せを形に出来て配れるなら、配って回りたい。
しかし、30通とは1ヶ月も帰ってこないのか。寂しい。寂し過ぎる。でも、ティアにはその間、毎日ルタ皇子の真心込もった文が届く。
「えへへへへへへ」
「またその笑い方。品が無いですよ。しかし、元気になって良かったです」
「ええ、元気一杯よ。ルタ様のお妃様で皆にも良くしてもらって、世界中で1番幸せなのはティア。よって明日から張り切って働きます」
自然と鼻歌が漏れる。ティアの隣でプチラが楽しそうに体を左右に揺らす。
「来週からにして下さい。まだ鼻声ですし、喉も腫れています。で、他にはなんて?」
ティアは別の文を手元の箱から取り出した。これは龍歌しか書いてない。発音も読むのも難しい。ティアは文をアンリエッタに見せた。
「かくと? えはや? 最後の文は分かりますね。燃えるような想い」
「全然読み解けないからラファエに訳して貰いました。簡単に言うと……えへへへへ」
「笑ってないで教えてくださいティア様」
アンリエッタに袖を掴まれ、体を揺すられる。
「こんなに、恋い慕っていることさえ言えないのに……恋い慕っているですって。えへへへへ。それ以上に、こんなに激しく燃えるような想いだとは貴女は知らないでしょう。そういう意味だそうです」
素敵だ、素敵すぎる。両想いとは素晴らしい。
「まあ、あのルタ様がそんな……」
耐えきれなくなって、ティアは文を箱にしまい、プチラの前に置いた。両手で顔を覆う。熱い。熱すぎる。ニヤニヤ笑いが止まらない。
それから、ふと思い出す。
——夢ではありません。朝も、今も
ルタ皇子はティアにそう告げた。つまり、どういうこと? 朝も? 朝も?
「いやあああああ! アンリエッタ! アンリエッタ! 不埒でふしだらで破廉恥なのを知られてしまっているわ!」
ティアはアンリエッタに泣きついた。夢だと思い込んで、ルタ皇子にベタベタした事を話す。死活問題なのに、アンリエッタは始終楽しそうにニタニタしていた。
☆★
蜜蜂姫は毎日ルタ皇子からの文を貰いました。風邪が治り、今まで通りに働いたり、勉学や教養習得に勤しみます。
そのうち、ルタ皇子の文が届くのとほぼ同時に蜜蜂姫の元へ別の贈り物も届くようになりました。
蜜蜂姫の寝室へ、白い金平糖のようなものが投げ入れられるようになったのです。美味しそうなので食べようとした蜜蜂姫。得体の知れないものを食べるなと、アンリエッタやカールに叱られます。蜜蜂姫は謎の金平糖もどきを机の上に積み上げて飾ることにしました。
三角錐など数によってあれこれと積み上げて、折り紙の花を添えて毎日眺めます。10個目の時に、あんまりにも甘くて美味しそうに見えたので、アンリエッタやカールに隠れて、こっそり食べてしまいました。しかし、とても苦かったので、大後悔です。蜜蜂姫は謎の金平糖もどきを飾るだけにすることにしました。
今回も偉大な和歌を拝借しました
「浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき」
「かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」




