思い込み激しい蜜蜂姫、喜ぶ
張り切ってティアはタタラの踏みふいごを踏む。向こう側5人、こちら側も5人。交互に踏んで、鉄を溶かす風を送る。夜通し仕事なので、交代交代で行う。暑くて疲れる仕事なので、時間がある時にはなるべく来るようにしている。室内なので、日焼けで肌が酷くならない。疲れるし、一度始まったら1日中ずっと踏みふいごを動かさないといけないから、人手が必要。とっても役に立てる。あと、女達が沢山いて楽しい。煌国では女人禁制らしいが、岩窟龍国では人手不足なので女性もタタラ場で働く。他の仕事もそう。街のあちこちで女性が男性と肩を並べて、生き生きと働いている。
ニヤニヤ笑いが止まらない。頬を両手で包んだ大きな掌。働き者で毎朝鍛えているから、割と肉厚で固い逞しい手。大蛇の国属国王子たちや貴族にはあんな手をした者はいない。それに澄み切った瞳もそう。優しい目をした男性は大蛇の国にもいるけれど、ルタ皇子は特別。特別中の特別。偉大なシャルル王子だって、初対面の時にプチラを化物みたいに怯えた目で見た。でもルタ皇子は違った。
ティアは額にそっと触れた。朝から良い夢をみた。ルタ皇子に額にキスされるなんて夢みたい。みたい、ではなく夢だ。気持ちが悪い、悶え声が出そう。
「ティア様。手を離さない!」
勢い良く持ち上がりそうになった、足元のふいごに体が転がりそうになったのを、カールが助けてくれた。カールの小脇に抱えられる。
「ありがとうカール。つい、ボンヤリしてしまって……」
カールは天井から伸びる紐を片手で握り、余裕綽々な様子でふいごを踏む。
「アンリエッタから、様子が変だと聞きました。何があったのです?」
カールはティアを下ろさない。向かい側にいるアンリエッタと目が合う。今朝、情けなくも泣いたことをカールにバラしたらしい。ティアはアンリエッタを睨みそうになり、止めた。心配してくれているのに、怒るのは良くない。
「少し、流星国が恋しくなっただけです。キチンと働くので下ろして」
ジタバタ暴れて、カールに下ろしてもらった。両手で紐を握りしめる。ふいに、夢を思い出す。精悍な表情でティアの額にそっとキスしたルタ皇子の姿。
「えへへへへへ」
我慢していたのに、ついに気味の悪い声が漏れた。慌てて唇に力を入れる。
「何か良いことでもあったのですか?」
隣にいるテトに顔を覗き込まれる。
「ティア様! どうしてそんなにご機嫌なのですか?」
向かい側、アンリエッタの隣にいるマールが叫ぶ。次々と、興味津々な目線が集まった。
「そ、そ、そんな不埒な話は出来ません!」
思わず、大きな声が出た。
「不埒な話?」
カールとテトが左右からティアの顔を見つめてくる。言え、そう顔に描いてある。ティアはブンブンと首を振った。タタラ場でふいごを踏むのは熱いので、照れで赤いのと区別はつかないはず。
「あ、ルタ皇子様」
何だって⁈ こんな汗まみれの姿を見られたくない。ティアは出入り口の方向に若干背中を向けた。
「あははははは! ティア様真っ赤です」
「元が雪みたいに白いから隠せないですね!」
室内中に、ケラケラという笑い声が響き渡る。続いて、皆が歌い出す。
「恋してる」
テトが勢い良くふいごを踏んだ。
「わが名は早くも」
合唱し出したけれど、何の歌だ?
「立ちにけり」
全員、もれなくティアを見ている。
「人知れずこそ思いそめしか」
またケラケラ大笑い。
「密かになんて見えませんねー!」
「ティア様なら、忍ぶれどの方です!」
忍ぶれど? 何だろう?
「龍歌ですティア様! 短い言葉にアレコレ詰め込む華族の嗜み!」
「私達、華族ではないですけどね!」
「勉強しなさいって、主が煩いんですよ! ルタ様の政策らしいです!」
笑いながら、今度は「忍ぶれど」と歌が始まった。
「私ら、煌国の田舎で親に捨てられて売られかけた女ばかりなのに、変な方です!」
「そうそう! ご飯が毎日食べれて幸運なのに勉学もさせてもらえるって変な国!」
「女嫌いなのに女性に優しい政策をする妙な皇子様!」
「ルタ様は狐みたいな女ばかりに狙われていましたからね!」
あはははは、とまた笑い声が部屋中に広がる。狐みたいな女? 冷静沈着な、涼やかな目元の女性とか? タタラ場で働く娘達はいつも明るくて元気。狭い家で、雑魚寝という窮屈な暮らしらしいのに、ちっとも辛そうな顔をしない。親に捨てらるなんて、酷い話。生活が苦しいとそんな悲劇が生まれる。
「貴族から金を巻き上げてくれますしね! ボンクラ兄達も、どんどん求心力を集めるルタ皇子様に負けまいと最近良い男!」
また違う歌が始まった。舞踏会でエリニスが歌った曲。この国の創世記から生まれたという国歌。これは、覚えた。道行く者が良く口ずさんでいるし、雅楽で真っ先に教わったので全部歌える。
「岩を砕き、龍が現れ、ひらけた大地へ雨がそそがれ、命を育む!」
ティアも参加する。歌詞の順番が違うが気にしない。楽しい、というのが大切。
「龍が現れ、宝に満ちた穂を揺らし、命を繋ぐ!」
ユルルングル山脈には、岩窟龍というこの国の王であり神が住むらしい。
「自由を今こそ、この手に掴め!」
「一揆でも起こすのか?」
冷ややかな声に、全員ピタリと歌うのを止めた。足は動かす。声で直ぐに誰だか分かる。急過ぎて、隠れられなかった。出入り口にルタ皇子が、いつもの無表情で立っている。隣にはリシュリ。会いに来て欲しいのは、今じゃない。ルタ皇子が煌国から帰国した時。リシュリならちゃんと、事前にカールやアンリエッタを通して連絡してくれると思っていた。もう少しマシな格好で会いたいという、乙女心を分かってくれると思ったのに!
「真昼間からこんな熱いところで精を出しているな」
ルタ皇子が全員を見渡す。誰も、何も言わない。視線がティアに集まる。代表して話せ、という意味だろう。
「はい。全員、働き者です。一揆ではなく歴史の勉強です」
「そうか。不満があるなら目安箱に投書しなさい」
いつも通り、沈着な態度のルタ皇子。問いかけたティアではなく、他の者を順番に眺めている。目安箱? 何だろうという台詞があちこちから上がったからかもしれない。
「カール、アンリエッタ、氷を仕入れてきたので削り氷でもすると良い。人を呼んで交代しながら楽しみなさい。リシュリに聞けば分かる」
削り氷? 削り氷とは何だろう? 室内がどよめく。休んでいたカヤが「人を呼ぶ」と部屋から出ていった。物凄く嬉しそうだった。カヤ以外、テトにマール、他の皆もきゃあきゃあ言っている。削り氷は乙女心を掴む氷らしい。
ルタ皇子の隣に現れたリシュリが、コホンと咳払いをした。チラリ、とルタ皇子はリシュリを確認して顔の位置を戻した。カールを見ている。
「コホン。ゴホン。ゴ、ホ、ン!」
わざとらしい咳をするリシュリ。ふいに、ルタ皇子がティアを見た。瞬間、不機嫌そうな表情で顔を背けられる。何故、ここまで嫌がられたのか知りないけれど、怖くて聞けない。岩窟龍国に来たときは、嫌われているなんてちっとも想像していなかった。
「……ティア様。手を離せるか」
言われた通り、片手を離す。転びそうになり、カールが支えてくれた。
「片手ではまだ無理なようです」
「そうではなく……」
顔を上げたルタ皇子はしかめっ面だった。
「ティア様。話があるという意味でございます。ルタ様はティア様に話がございます。この顔は緊張ですので気にしないで下さい」
勢い良くリシュリに体を向けたルタ皇子。熱い部屋なので、日に焼けた肌が赤黒くなっている。緊張? そんなに大切な話があるのか。ティアはふいごから離れて、ルタ皇子の前まで移動した。休んでいたミーナがティアの代わりにふいごを踏み出す。ニコニコ笑顔で手を振ってくれた。
全員にティアの気持ちはバレている。恥ずかしい。さり気なく、汗を拭いて前髪をちょんちょんと整える。
「はい、ルタ様。なんでございましょう?」
「何も……」
ティアの目を見ないで、斜め右下に視線を送るルタ皇子。ティアはリシュリの様子を確認した。
「何にもありませんが会いに来ました。という意味です。しかし、本当は用事があります」
リシュリがそう告げた時、ルタ皇子が一歩前に進み出た。やはり、こちらを見てくれない。しかし、ティアの目線の先にルタ皇子の左手が差し出された。
「ルタ様?」
返事無し。ティアはリシュリに目で「これは何?」と訴えた。リシュリの掌が、ルタ皇子の手を示す。
「働き者の手でございますね」
ティアの発言のすぐ後に、バッと面を上げたルタ皇子。やはり、険しい表情。何をこんなに怒らせたのだろう?
「す、すまない」
はて、何の謝罪? 次の瞬間、ルタ皇子は差し出していた左手でティアの右手を握った。歩き出したルタ皇子に、手を引かれる。
「出発を遅くするので、しばらく帰ってこなくて良いですよ」
「喧しいリシュリ! すぐ戻る!」
背中にぶつかった愉快そうなリシュリの声に、前を見たまま怒鳴ったルタ皇子。
「ティア様! 朝まで帰ってこなくて良いですよ」
「朝まで帰ってこなくて良いですよ、ティア様」
アンリエッタとカールの声で、ティアは振り返った。リシュリ、アンリエッタ、カールがニコニコしながら手を振っている。朝まで帰るな? 寝相が悪いからか。たまにはゆっくり眠りたいのだろう。
「煩いカール、アンリエッタ! 君達、見抜いていたな!」
振り返らないでまた怒鳴ったルタ皇子。廊下を進み、タタラ場を出る。ずんずん、ずんずん歩いて行くのでティアは途方に暮れた。
何に怒っていて、どんな話なのだろう? 帰れ、と言われるのだろうか? そうかもしれない。ティアはルタ皇子の手を振り払った。
「か、か、帰りません! まだ1年経っていませんので帰りません!」
「帰らなくて結構です」
ルタ皇子に叫ばれて逃げようとして、ティアは足を止めた。ゆっくりと振り返る。逆光で表情が見えない。
「本日より、しばし煌国へ外交と法学学習。10日程で帰国予定でしたが、煌国の後に流星国へも行ってまいります。再度、フィズ国王へご挨拶をします」
ティアはルタ皇子と向かい合った。帰らなくてよいのに、父に挨拶をする?
「ティア様。今朝は先に手を出してしまって、すみませんでした。伝えるのが先だというのに。私の気持ちをその文に認めました。文なら形として残ります」
ルタ皇子が懐から何かを出した。紙、というか文のように見える。いや、今まさに文と言ったばかりなので当然文だ。流星国と違って、岩窟龍国の封筒は縦長。ルタ皇子が近くまで寄ってきたので、顔が見えた。肌を赤黒くさせて、険しい表情。しかし、顔を背けられはしなかった。ティアの大好きな瞳が、ティアの瞳を捉えている。滲んでいるのは怒りではない。他のどんな感情なのか読み解けないが、怒ってはいない。それだけは分かる。
「口下手で緊張しいで、すみません。1ヶ月で戻ります。必ずや貴女様に降りかかる火の粉は、この私が全て薙ぎ払います。財や豊かな暮らしは与えられませんが、真心を常に捧げます」
思わぬ台詞にティアは頬を抓った。痛い。また明晰夢。クスリ、と笑ったルタ皇子。あんまりにも優しい微笑みだったので、ティアは見惚れた。こんな風に、毎日ティアに向かって笑ってくれれば良いのに。街の子供達やリシュリ、親しそうな官吏へはよくこの表情をしている。
「夢ではありません。朝も、今も」
ティアの右手を取り、掌に文を乗せ、それから再度懐から何かを出したルタ皇子。鮮やかな深い青色の小さな花。ティアの髪に飾られる。夢ではない? 朝も⁈ 今も⁈
「やはり、よく似合う。この時期に花は少ない。方々探しました。残りは貴女様の部屋へと女官に頼んであります。では、なるべく早く帰国したいので失礼します」
ルタ皇子はサッとティアに背中を向けて、颯爽と歩き出した。威風堂々、凛々とした歩き姿。途中、ルタ皇子は走り出した。全速力という様子でみるみる遠ざかっていく。代わりに空から降ってきた、まだ黒い毛並みのフェンリスがティアに寄り添った。
ティアはそっと文を開いた。ティアには読み解けない龍歌。しかし、これはあれだ。龍歌というのは、男から女への場合、基本的に恋人に送るものと聞いている。恋人に送る! 恋人に! 恋に、積もるという字に、淵となると書いてあるから間違いなくラブレター! ルタ皇子からラブレター!
「き、き、き……」
何故だろう。右腕が痛い。力も入らない。いや、全身? ティアの右腕がダランと地面に向かって伸びた。落下したラブレターを慌てて、左手で拾い上げる。足の力も抜けた。ぺたり、と座り込んでしまった。立てない。
「きゃあああああ!」
あまりにも素敵過ぎて、嬌声が漏れた。みるみるうちに、人が集まってくる。アンリエッタ、カール、近くにいた市民、龍国兵。あとリシュリ。ティアは全員に何があったか話し、夢ではないかを尋ねた。全員に夢ではないと告げられた。ルタ皇子の発言に、カールとアンリエッタ、リシュリ以外は驚愕していた。
「私、急いで支度をしてルタ様に同伴します。だって、だって、だって……お妃様になれたんですもの」
座ったまま、左手で手紙を抱きしめ、ティアはニヤニヤ笑った。気持ちが悪い悶絶の声と、締まりのない笑顔、それに体がクネクネするので恥ずかしい。ベシリ、と黒いフェンリスに尻尾で頭を軽く叩かれた。カールとアンリエッタに「気が早い」と呆れられる。まだ、お妃様ではないらしい。カールとアンリエッタの言う通りだと、ティアの案はリシュリに却下された。リシュリは複雑そうな顔をしている。
「リシュリ?」
「ルタ様と共に煌国、フィズ国王の真意を確かめてきます。それから……いえ。ティア様、ルタ様が帰国された時にお迎えをお願いします」
リシュリもルタ皇子に似た精悍な表情。ティアに会釈して、堂々とした態度で去っていく。アンリエッタと口喧嘩をして勝ったカールが、ティアを抱き上げて後宮へと連れ帰ってくれた。
☆★
ついに、蜜蜂姫と龍の皇子様は互いに心を通わせました。この日、岩窟龍国には1ヶ月ぶりに雨が降りました。祝いのような恵の雨。更に奇妙なことに、大陸中央で海もないのに、岩窟龍国に海の魚や貝、海藻などまで降ってきました。余程、蜜蜂姫を祝いたい者がいたのでしょう。
恋物語に障害はつきものです。蜜蜂姫は3日3晩高熱を出して、奇妙な病に体を蝕まれます。龍の皇子様は、何やら不穏な気配の大蛇の国にて厄災に巻き込まれます。
しかし、大嵐の後には快晴というのが、世の常です。
吹っ切れたルタ皇子。
ジブリ好きで踏みタタラを出しました。
龍歌は和歌です。作れないので偉大なものを拝借しました。
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人しれずこそ思ひそめしか」
「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」
「筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」