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空回り皇子ではなく、龍の皇子

前話の別視点と少し先のお話です。

 熱い。熱すぎる。それに煩い。バクバク、ドキドキ、バクバク、ドキドキ。心臓が破裂するんじゃないか? それに柔らかい。小さくて、すっぽりと腕の中におさまっている。


 夢か?


 ルタは思わず頬を抓ろうとした。しかし、このまま腕を離したくないので止める。ティアは身動き1つしない。突然、リシュリがティアを投げてきたので思わず抱き止めていた。怪我でもしたらどうする。顔に擦り傷でもついたら困る。女性の顔は尊い。殺したい程大嫌いな女だとしても、顔だけは殴ったり斬りつけたりしてはならない。それなのに、よりにもよってティアを投げるとはどういうことだ! リシュリめ、後で説教をしてやる。


 離れ難いのだが、これ以上は「身を挺して庇った」では無くなる。そもそも、盗み聞きしていた情けないところを目撃された。何か、何か言わないとならない。


「ティア……」


——怪我はないか?


 これだ、これでいこう。思わず呼び捨てにしたのは有耶無耶にする。そのくらい、気にしないでくれる。そういう女性だ。


 口を開こうとしたら、ティアが動いた。突き飛ばされるのか、と慄いたら違った。少し身を寄せられただけ。


「ルタ様……。ティアの髪は中々触り心地が良いと思います」


 ん? 何だって? 今、なんて言った? 髪の触り心地が良い? それはいつも思っている。最近、少し色彩が悪くなっていて心配でならないが艶々としているしフワフワ。歩くたびに、キラキラ輝きを放って、風に揺れる黄金稲穂色の髪。アンリエッタの赤っぽい金とも、カールの青っぽい金とも違う蜂蜜色。


——艶やかで素敵な髪だ。触っても良いか?


 よし、これでいこう。是非、触ってみたい。指通りが良さそうに見える。気持ち良さそう。いっそ、ぐしゃぐしゃに撫で回してみたい。拗ねた顔は見た事が無い。面白いだろう。いつもいつも緊張して笑えないが、愛くるしい拗ね顔を見たら自然に笑える自信がある。


「ティア……」


 ルタはティアの名を呼んでから気がついた。自慢の髪をぐしゃぐしゃになどしたら、何て男だと嫌われる。それに、拗ねただけで済んだとしてその表情に耐えられるか? 上目遣いで、少し唇を突き出していて……。そんなの、思わずキスしてしまうかもしれない。昼間っから何たる破廉恥男。それも婚姻した相手でもないの、こんな妄想。不埒な腕を今すぐ離さないとならない。


 しかしティアは誘うように甘ったるい匂いがする。離れ難い。何の匂いだろうか? 後宮に溢れる鼻を刺激する香料とは違う。白木蓮(マグノリア)が1番近い。父や母の好む香りなので、幼少より身近な匂い。服に香を焚いてあるのか? それにしては髪から香ってきている気がする。


——艶やかで素敵な髪だ。それに良い香りもする


 唇を開く前に、キツく結び直した。これでは変態ではないか。


「は、離れ、離れて下さいませ……」


 苦しそうな声がしたので、ルタは慌てて腕の力を緩めた。無意識に力を入れていたらしい。名残惜しいが離れるしかない。ほら見ろ。嫌がられた。次は罵倒か? 平手打ちを食らうかもしれない。昔、兄が何でか知らないが側妃に頬が腫れるほどの平手打ちを食らっていた。いつも優しい、美しい兄嫁の鬼のような形相が怖くて仕方なかった。佳人の豹変は衝撃的。


 想像してみたが、ルタの脳内のティアはニコニコと笑っている。3つ子なので顔立ちが似ているエリニス王子の、凶暴な睨みを重ねてみる。しかし、重ならない。ティアはどんな顔で怒るんだ? そもそも優しげで穏やかな瞳をしているのに、それが鋭く変化するというのが想像し難い。


 あれこれ考えているのは、完全に離れるのが名残惜しいからだ。考えるなら言い訳を考えよう。「考え事をしていて、直ぐに離れずにすみません」と「突然だったので驚いてしまって……すみません」の2択か?


 悩んでいたら、ティアに抱きつかれた。背中の服を掴まれる。


「や、やはり……このままでお願い致します……」

 

 あまりにも切なそうな声だったので、思わず抱き締め返していた。据え膳か? これこそ据え膳なのか? 流星国にてエリニス王子にティアの寝室に寝かされていた事を思い出す。あの時、まだ全然ティアの事を気に留めていなかった。むしろ嫌悪感を抱いていた。今思うと勿体無い。


——んー、全く匂いがしないから据え膳食ってねえのか


——まあ、別の方法で囲ってやる


 というか、何ていう滅茶苦茶な兄だあの男は。妹をその日会った男に襲わせようとは、どういう思考回路をしているんだ? 別の方法で囲う? あの後、特に何もされていない。エリニス王子の、それこそ蛇のような眼光が蘇り、ルタは冷静になった。


 その時、ティアの腕から力が抜けて、ルタからも離れた。


「はあ……夢の中の自分の幻想にドキドキしてティアは大馬鹿ね。こんなエリニスもどき、ルタ様と違うのに」


「夢? エリニスもどき?」


 ルタの問いかけに、ティアは顔を上げた。憂を帯びた、少し大人っぽい表情に、途端に心臓が鳴り響く。こんなに煩いと聞こえてしまう。止まれ! と命令しても当然のように動悸は止まらない。ティアが不思議そうに顔を傾けた。


「あら、でもルタ様そっくり。流石、毎日見ているだけあるわ。ティアの記憶力は良いもの。黒子の位置まで同じ」


 ティアのスラリとした手が伸びてきた。ルタの左頬に触れて、直ぐに引っ込む。毎日見ている? 毎日見ているのはルタだ。ティアと顔を合わせられることは少ない。眺めて、何て声を掛けるか悩んでいるうちに、隙間時間が終わってしまう。やるべき事が多いので、そりゃあもう必死に終わらせている。でないと1日1回、ティアを見れない。


「宝石みたいに綺麗な瞳。優しさを閉じ込めたみたい……。これもティアの記憶力がズバ抜けているからね。明晰夢って素晴らしいわ。こんなに近くでルタ様を見れるだなんて……」


 いきなり褒められてルタは硬直した。先程から、多分自惚れではなく「慕っています」というような意味の台詞を告げられている。気がする。ティアの気持ちは方々から聞いている。しかし、また勘違いか? 思い上がって、振られたのはもう3年前か? 貧乏皇子。罵倒が蘇る。見てくれに騙された自分も見る目無しだった。そもそも、あの娘に惹かれていたのは、今のティアへの気持ちとは雲泥の差。華族の娘へは嫌な雰囲気を感じていた。しかし、美人で目を奪われてのぼせた。


 今なら分かる。過去の自分は見る目無しの阿呆だった。その後、何もしてないのにポイ捨てされ、美人や権力者の娘はという風に偏見を抱いたのも情けなさ過ぎる。美人の見た目につられたのも、そのあと美人はと偏見抱いたのも結局本質は同じ。見てくれだけで判断する大馬鹿野郎だった。本人の人となりを良く見ずに、見た目で判断するなど、心が腐っていた。


 未熟者な上に、自分は貧乏皇子。全くティアを幸せにしてやれる未来が描けない。彼女は流星国に帰るべきだ。いや、今の流星国は不安定。却下。金持ちなら煌国か? 女官にまで手を付ける男の妃? 却下。そんな男に触れさせたくない。


 南の国だ。千年続く大陸王者たる大国。聖人一族というのが居るらしい。男はいるのだろうか? 縁が無さ過ぎてサッパリ分からない。しかし、聖人一族に男性がいればさぞ素晴らしい人だろう。年頃だと良い。子々孫々栄えるだろう。


「ティアの夢なら笑ってくださる?」


 笑え? 笑う何て無理。ティアが他の男と子々孫々栄えるというのに笑えるか。つまり、何をしやがる南の国の聖人男。ほんの少し想像しただけで吐きそう。しかし、笑ってくださる? 頼まれたから笑いたい。笑えって何で? 頬の筋肉が痙攣しそう。


「もうっ! 夢ならティアの幻想なのに、笑ってくれるくらい良いじゃない。髪くらい撫でてくれても……」


 夢? 幻想?


 先程からティアはちょこちょこおかしい。今の状況を夢だと思い込んでいるのか? そんな事あるか? こんなに現実感のある夢などない。ん? 今の台詞こそ幻想じゃないか? ルタに笑いかけられたい、髪を撫でて欲しいという意味の台詞。ルタは唖然とした。願望で幻聴が生まれたのか?


 ティアが立ち上がった。しかめっ面で、眉尻を下げ、唇はとんがっている。見たいと思った拗ね顔。可愛いには可愛いが、気分は良くない。泣きそうなせいだ。大きな目に、目一杯涙を溜めて微かに震えている。


 ポタ、ポタ、と涙が畳へ吸い込まれていった。


「自分の夢に八つ当たりしても仕方ないわ。それに、夢ではしゃいでいる場合じゃない。現実で励まないとならないわ。夢から覚めるには……寝れば良いのかしら? きっとそうね」


 そう言い残すと、ティアはそそくさと歩き出した。慌てて立ち上がり、追いかけて手を伸ばす。


「寝て、起きないとならないわ。頭を撫でて欲しいとか、頬にキスして欲しいとか、ふしだらで不埒なのを直さないと。淑女でないと益々嫌われるもの」


 何だって⁈


 ルタは伸ばした手を宙に彷徨わせた。背中側にいるので、表情は見えない。しかし、声が涙声。


 頭を撫でて欲しかった?


 頬にキスして欲しかった?


 今さっきのことか? 何だ、手を出して良かったのか。いや、今ティアはふしだらで不埒と言った。危ない、危なかった。でも、泣いている。何をどうするのが正解だ?


 益々嫌われる? 日に日に恋い慕っているの間違いだ。積もり積もって淵のように深くなっている。しかし、伝えていない。そうだ、伝えないとならない。


「手を繋いで散歩も、お花を髪に飾ってもらいたいも欲張り。ティアは全くもって星姫になれてないわ」


 手汗が酷い。マメだらけで固くなっている。こんな手と手を繋ぎたいのか? しかし、今確かにそう言った。恥ずかしいと撤退して屋敷を花で飾り付けないで、無言で良いからティアへ差し出せば良かった。買い与えたばかりなのに宝飾が欲しい、遠い異国の煌国の菓子を食べないと死ぬ、一度使っただけで次の香料が欲しい、そういうことを欲張りと言う。兄嫁め、ティアの爪の垢を飲ましてやりたい。財政難の原因の1つは兄嫁達のせいだ。


 ルタはティアを後ろから抱き締めるか、手を引いてこちらを向かせて抱き締めるか悩んだ。どっちが嬉しいんだ?


 ティアが腕を持ち上げた。袖で涙を拭ったような動作。ティアはいきなり拳を握って天井へと突き上げた。手首をそっと掴んで、こちらを向かせる筈が、空を切ったルタの右手。


 1回上を向いたのに、直ぐに俯いたティア。彼女はさっと歩き出した。


「エリニスやレクスは元気かしら? お父様やお母様にも会いたいわ……。でもルタ様の顔が見れない……。帰ろうかしら……ルタ様のお妃様になれないとあのジョン王太子のお嫁さん? 血の匂いがするから嫌……。なら煌国なのね……。あの国、お妃様だらけ……」


 あまりにも悲しそうな声に、息が止まるかと思った。


「家臣になれば良いのだわ。それで、ルタ様のお妃様を探すのよ。星姫を見つけないと。ティアは南の国へ交渉に行くべきね。それで、ルタ様は幸せになれるわ。ティアも幸せ。お妃様が見つかるまで、この国に居座れるもの。我儘で自分勝手でもいいわ。血の匂いもその他大勢も嫌。絶対嫌。お父様やお母様が打ち首になったら困るからそんなの無理ね……」


 家臣になれば良い⁈ お妃を探す? なんでそんな発想に至るんだ?


 それにしても、血の匂いがするとはジョン王太子とはどれだけ酷い男なんだ。その他大勢も嫌。絶対に嫌なのに、それでも政治的駆け引きの必要があれば煌国の皇子に身を捧げる。ティアはその覚悟を持っている。


 何だか腹が立った。彼女は好きで姫に産まれた訳ではない。類稀な美貌もそう。地位や器量がティアの人生を狂わせようとしている。どうしてこう、世の中は理不尽なのか? 貧しいのも、醜く産まれるのも、金持ちも、美人も、それぞれ何かしら抱えている。その中で必死に足掻いている。ジョン王太子とかいう、搾取する側にだけはならない。むしろ、どうにか搾取される者の盾になりたい。貧乏でも、小国でも、皇子は皇子。


 ルタはティアの手首を掴んだ。予想外に細くて、慌てて力を緩める。ティアが振り返った。


「そうよね、理不尽よね? ティアが怒っているから幻想も怒るのね。こんなルタ様、見たくないから早く寝ないと。行きましょうルタ皇子の幻。添い寝だなんて破廉恥極まりないけど、夢でくらい許されるわよね。黙っていれば誰にも知られないわ」


 ルタはティアをそっと引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。


 何が真実で、嘘なのか分からない他国との政治関係。ジョン王太子の手が伸びてくるなら、あのエリニス王子と結託してジョン王太子を引きずり下ろす。煌国の怒りを買うなら、先代皇帝ご隠居に泣きつく。思いつくことは何でもする。


 吹けば消し飛ぶ国なので、ティアを泣く泣く手離さないとならないかもしれない。というより、岩窟龍国やルタに災いが降りそうなら、ティアは身を引くだろう。


 紅葉草子に出てくる男女のように、悲恋を嘆き入水するか? 来世でこそ結ばれようと誓い合い、何もかもを捨てる。却下。断固拒否。口八丁、あらゆる手段を使って暴れ回ってでも、降りかかる火の粉を振り払う。それこそ、龍神に岩窟を与えられし王の血を引く皇子。岩窟龍国の皇子は、龍の皇子。


 これは誓い。絶対に守り通してみせる。


 為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。


 それぞ、不毛の大地を切り開いた龍の民。


 ルタはそっとティアの額に唇を寄せた。


 


 

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