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女嫌い皇子ではなく、空回り皇子

 行水で汗を流す。というより、殆ど濡れた布で拭いているという方が正しい。この1ヶ月、雨が降らないという異常事態。こんなこと、ルタが産まれて20年で初。


「ふああ、ルタ様。今日も早いですね。今日こそ御一緒に鍛錬をと思ったのに……」


 主に向かって欠伸に、毎朝同じ台詞。ルタがため息を吐く前に、黒狼フェンリスがリシュリに飛びかかった。廊下に倒されたリシュリは、遅れて悲鳴を上げた。


「ひいいいいいい! 何で俺ばっかり食おうとする! いや、今日も食わないのか。何なんだお前は。あの蜜蜂もどき同様に草を食べるのか? お前はこの国の奴には手を出さない。それくらいは分かっているぞ」


 冷ややかな瞳でリシュリを見下ろす黒狼フェンリス。真っ青ながら、何だかんだ度胸があるリシュリ。毎度毎度、珍妙なやり取り。


「大狼は肉食だリシュリ。この間、牛の腹を喰い千切っていた。それから黒狼フェンリスを小馬鹿にした男の足が無くなった。尻尾でユルルングル山脈の方へ投げ飛ばして、汚物を見るような視線。怪我をしたのは東からの行商だ。これだけ誇り高そうな獣を侮辱だけはするなよ。龍国兵や民にもよくよく伝えろ」


 くるりと体の向きを変えて、ベシリ、とリシュリの顔に尾を振り下ろすと黒狼フェンリスは去っていった。猛々しい跳躍力で、一足飛びに屋敷を囲う砦屋根を飛び越える。気まぐれに現れる黒狼フェンリス。今のところ、岩窟龍国の人間を害していない。何か理由があってこの国を見張っているのかもしれない。ルタの脳裏にエリニス王子の顔が過った。


「まさか……な。リシュリ、煌国へ発つのは昼頃になりそうか?」


 手を差し出しても、放心していてルタの腕を掴まないリシュリ。ルタはリシュリの腕を掴んで立たせた。


「ルタ様はこう、なんていうか、若い娘以外には良い男ですね。今の凛々しさなんて惚れ惚れする」


 何が言いたいのか分かって、ルタはリシュリから顔を背けた。


「煩い。黙れ。別に俺はティアを気に入ってなんていない。煌国の本音を探ろうとなんて思っていない」


 何か言いたげなリシュリを無視して、歩き出す。口が滑った。リシュリが駆け寄ってきて、肘でルタを小突く。その後、リシュリに胸ぐら掴まれた。突然過ぎて逃げられなかった。あと動転。手汗が凄い。


「はああああ? ()()()⁈ 毒蛇女や蜜蜂姫って呼んでいたのに! おまけに何の脈略もなくティア様のことを話題に出して! ティア様がこの国にきて少ししてからルタ様の態度が何か変だ変だと思っていたら、そうですか。そうですか。それで煌国に。法学勉強ではなく。ほうほう、そうですか」


 指摘されて、ルタの全身がカァッと熱くなった。確かに、今ルタはティアと口にした。おまけに煌国へ行く本来の目的も口にした。バレた。ついにリシュリにバレた。1番最初に見抜くのはリシュリだと思っていた。見抜かれるか、うっかり口が滑るか。後者だった。


 これまで、この3ヶ月、恥ずかしいのと情けなくて誰にも言えなかった。煌国に探りを入れつつ、ティアには堂々と求愛しようと思って行動していた。煌国がティアをどの程度本気で妃として迎えたいのか、未だ腹は見えない。ティアへの接触もことごとく失敗。


 会いに行っては顔を見れず、話そうとしては言葉に詰まり、挙げ句の果てに影からコソコソ眺めている。あと、ティアが鼻歌混じりで野菜を育てている畑の雑草取りをしている。伸びてきて成長してきた葉にくっつく、害虫も畑の外へ捨てている。ついでに悪い虫っぽい不埒な表情の龍国兵もどやしている。ブツブツとプチラに相談していたが、勿論何の返答もない。


 勇気を出そうとすると蘇る。


——田舎の貧乏皇子に誰が嫁ぐか


 先方から縁組を頼まれたのに、掌を返した皇国華族の娘。同じ台詞をティアに吐かれたら死にたい。ティアならそんなこと言わないだろうと、もう良く良く人となりを知っているのに怯えてしまう。


「へ、変? 何も変わっていない。父上や国の為にティア……み、蜜蜂姫に取り入ろうとしている。む、む、向こうはその気だから簡単だ」


 バシリ、とリシュリに頭を叩かれた。いつもなら避けられるのに、動揺していて避けられなかった。


「何度も、何度も、何度も! 皇帝陛下に、テュール様に、俺もそうしろって言っているのに嫌だ嫌だとゴネていたのはどの口だ! いつからだ! 最初からか! 口説き下手の朴念仁! この3ヶ月何をしていた⁈ ティア様を避けているし、会えば仏頂面。てっきり心底嫌いなのだと諦めていたのに!」


 追撃からも逃げられない。リシュリにポコポコ殴られる。


「や、やめ、止めろリシュリ! そ、そもそもこんな貧乏小国で暮らさせて良い娘ではない。可哀想に、日焼けで赤らんで痛そうな肌。白魚のような手にはマメ。ふわふわしていた髪は少しくすんで見えるし、元々細いのにたった3ヶ月でもっと痩せた」


 リシュリがピタリと手を止めた。


「そうですかルタ様。確かにこの国やルタ様には勿体ない方です。で、血まみれ王子の妃にしたいんです? 今、大蛇の国がどういう情勢か知っていますよね?」


 そんなの却下だ却下。ルタはブンブンと首を横に振った。残虐非道なジョン王太子のせいで大蛇の国に、革命が起こるかもしれないという噂は仕入れている。何でも大蛇の国を統べるドメキア王が流行病で死にかけ。現行、政権を握るジョン王太子は各国や市民から最悪の評判だとか。多分、ティアが岩窟龍国へ送られたのはこの為だ。煌国でも良かったのだろう。


 ジョンの側妃になり革命が起これば、流星国共々ティアは散る。恐らく、絞首台で斬首刑だろう。ジョンがどうなるのか知らないが、絶対に今の不安定な大蛇の国へティアを帰してはならない。


「では、煌国の魔窟である後宮入りさせてイビられて欲しいんです? 女慣れしていて、食ったらポイする皇子らしいですよ。姉であるソアレ様から聞いていますよね?」


 こっちも却下。却下だ却下。ルタは再度首を横に振った。煌国の後宮の恐ろしさは、嫁いだ姉から少し聞いている。ルタの女嫌いや女に対する偏見。その原因の1つ。次期皇帝候補のソールは後宮内の女官を喰い散らかしているらしい。フィズ国王がそれを知らない筈が無い。だからジョン王太子からのティアの避難先に、煌国ではなく岩窟龍国が選ばれた。どう采配したのかは謎だが、ティアは先代皇帝の孫。で、フィズ国王は息子。それも愛息子らしい。未だ権力が強いという御隠居に頼み込んだのだろう。


「思い返してみれば、この台詞」


 そう言って、いきなり大きく息を吸ったリシュリ。何だ?


「俺を惑わして国から何もかもを搾取するつもりか蜜蜂姫! おい、離れろ! 我が国は貧乏小国! 何も無い! 大国の御曹司とか金持ちを狙え!」


 叫んだリシュリに、そして叫ばれた言葉にルタは唖然とした。さり気なくリシュリは記憶力が良い。リシュリが何を言いたいのか分かった。


「最初から惑わされてるんじゃないですか! そもそも人を見る目があるルタ様が、ティア様をここまで毛嫌いするなんておかしいと思っていたんです。この臆病者! 極悪非道! ティア様に謝れ! 泣いて……全然泣いてないな。むしろティア様もルタ様を避けている……? ような……ルタ様。今すぐ行きますよ!」


 人差し指を胸に突きつけてきたリシュリ。目が据わっている。ルタは首を横に振った。一歩、一歩と後退る。もう手遅れで、避けられているなら会いになんて行けない。いや、会いたいので行きたい。顔を見たい。最低でも1日1回は見たい。


「き、奇遇なことに今日はタタラ場の視察をする予定で……殺風景なタタラ場に花なんぞを……」


 早朝鍛錬の前に、北部の森へ行き冬にも咲く花を探し出してきた。他にも渡したいものがある。母がいつか妃になる娘にと、以前仕立ててくれた打掛。何度も渡そうとして、渡せていない。公務の隙間時間に狩りに行き、鹿の角と交換した小さな首飾りも箪笥の肥やし。


 粗品だ、しみったれていると、嫌そうな顔をされたら死にたい。そんな娘では無いと、それはもうこの3ヶ月見てきたのに足が自然と後ろに下がる。


「先月、少々屋敷を花で飾り付けていたのはティア様に渡せなかったものですね? 花の名前も知らない男が、何の花か説明まで出来るから妙だと思ったんです! あの屋敷に飾ってある打掛も渡せてない贈与物ですね⁈」


 やはり、リシュリは鋭い。益々、情けない気分になってきた。


「行、き、ま、す、よ! 今日の午前中の会議は全部無し! 最重要案件です!」


 リシュリは怖くないが、ティアがもしかしたらルタを待っているかもしれないと思い至り、よし、と足を踏ん張る。会いに行って、折角目の前に立っても顔を直視出来ないので、いつもティアがどんな表情なのか分からない。舞踏会ではニコニコ笑っていた。この国に来た初日もニコニコしていた。ルタに向かって、愛くるしい親しみの込もった笑顔。


 思い出したり、会いに行って顔を見た瞬間を想像したら、ルタの体は固まった。目が合って、あの笑顔を向けられたら何て言えば良い? 朝だから、おはようだ。まずは挨拶。そうだ、それすら出来ていない。


——おはようティア


 これは馴れ馴れし過ぎる。嫌われる。却下。


——おはようございますティア様


 よしよし。これなら大丈夫だ。次は何だ? 褒めるだ。兄上は妃達に対してそうしている。


——ティア様、今日も素敵な髪です


 いや、目か? 肌か? いや、ティアの良さは見た目ではない。むしろ極悪非道な女になりそうな極上の美少女なのによくもまああんなに素敵な内面を有している。つまり、あれだ。褒めるならその中身だ。


——ティア様は今日も働き者です


——何で私が手をマメだらけにして働かないとならない訳? この貧乏甲斐性無し皇子。大嫌い


 ……死にたい。そんなこと言われたら死にたい。満面の笑みだったらどうしよう。いいや、あり得ない。ティアはそんな娘とは正反対。


「……様? ルタ様? ルタ様?」


 一瞬、我を忘れていたらしい。リシュリがルタの頬をペチペチと叩いている。


「へ?」


「このポンコツ皇子! 何を想像したらそんなに真っ青な顔になるんですか⁈」


 ルタはティアの事を脳内から追い出した。まずは立派な男になる事が先決。こんな情けない男であっては、妃など養えないし、ましてや幸福に出来ない。


「昨夜の強風で東部地区に災害が無かったか確認に行ってくる。会議には戻るリシュリ」


 凛とした声が出てホッとした。瞬間、リシュリに突き飛ばされた。咄嗟だが、リシュリ如きに畳に転がされたりしない。よろめいて数歩下がっただけ。しかし、普通ならキチンと避けられるので動揺激しいらしい。心臓もバクバク煩い。ルタの目の前の障子が勢いよく閉められた。


「おはようございますティア様。皇居にお1人でとは感心致しません。その辺りはまだ教わっておりませんか?」


 テ、ティア⁈ ルタは障子を開けようとして止めた。すぐにバレる。盗み見に盗み聞きがバレるなんて滑稽過ぎる。去ろうと思ったが、体は硬直してしまっている。仕方ないので耳を傾けた。


「おはようリシュリ。知っています。あのですね、こっそりとお願い事をしにきました。なので、堂々とではなくプチラと侵入したのです。秘密ですよ」


 相変わらず、耳当たりの良い声。この声色と機嫌が良さそうな鼻歌を耳にするたびに和む。ティアからリシュリへのお願いは「煌国でモチ米と饅頭を買ってきて欲しい」だった。自分用ではないらしい。餅つきなんて近年行えていない風習、どこで知ったのだろう? おまけに、頼んだ饅頭の数にティアの分が入っていない。


「ティア様。きっとこの首飾りを売った資金は余ります。何か欲しいものはあります?」


「まあ、そうなの? それなら買えるだけの炭が良いでしょう。流星国よりは暖かいですけど冷えますもの。お妃様方へ譲って、我慢している女官達や官吏達に差し上げるべきです。文字を書くのに手が震えては良い仕事は出来ません」


 しばし、無言。


「リシュリ?」


「ティア様。星姫は星の王子に何を貰ったら喜んだんでしたっけ?」


 星姫に星の王子? 突然どうした? 以前、ティアはルタを運命の星の王子だと言ってくれていたと記憶している。つまり、ティアはルタに何を貰ったら欲しいか聞いてくれているのか?


「なあに? 突然。リシュリはいつも変ね。ルタ様を見習ってキリリッてしたら格好良いわよ。アンリエッタに聞いたの? 醜い姫と流れ星の話、カールは全然が興味無いんだもの。働き者だと褒めてくれて、星の王子様はいつも隣で笑っていてくれるのよ。何も貰わなくても幸せ。だって、喉から手が出る程欲しくても、お金では買えないもの。真心ってそういうものよ」


「そうですか。では、ティア様もやはりその真心が欲しいですか?」


 また少し沈黙。


「うんと沢山貰っているから、欲張りなのだけど……欲しいわ。あのね、リシュリ……煌国から帰ってきたら会いに来てくれる? そのルタ様も……」


「勿論ですティア様。それはもう楽しみにして待っていて下さい。今日、この後どちらへ? また畑です?」


「ええ。その後、遠出をして川を見に行きます。最近のルタ様、やつれたようですのでお魚を探してみます」


 バンッ!


 障子が勢い良く開かれた。丸くて大きな目を、更に丸めたティア。そのティアが、リシュリにポイッと投げられた。


 ルタに向かって。

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