第二話
「ぷっ、くく……。や、やっぱり、い、今、思い出しても笑えるよなぁ」
待ちに待った昼休み。教室で、いつものように一人コンビニパンを貪り食っていたところへ、モブ川の雑音が聞こえよがしに響いてきた。
やれやれ、始まったか……。いい加減、うんざりしてきたぜ。
「ああ、誰かさんはホント、勇気あるよなぁ。俺たちは話し掛けることだって恐れ多いってのに、ましてや、告るなんて……なぁ?」
「ああ、狂気の沙――おっと、いやいや、見上げたもんさ。オレは、ぶっちゃけ感動したね」
次いでモブ崎、モブ林が嬉々として話に乗っかってくる。
こいつらの口車にまんまと乗せられて大失態を演じたのが三日前。
あの日以降、お蔭さまで僕は動物園のパンダの気持ちが痛い程理解できるようになった。
奇異の目に晒されること早二日。何度観覧料を請求しようと思ったことか。
聡い読者諸君なら疾うにお気付きだろうが、結局のところ僕は「異世界」へと渡ることがきなかった。
何故だろう? 発動条件は満たしているつもりでいたのだが……。
やはりあれか、生き延びてしまったことが最大の要因だろうか?
そう、僕はあろうことか、あの状況下においてなんと無事生還を果たしてしまったのだ。
事故を目撃した人曰く、路上に直接叩きつけられることはなく、歩道の植え込みに突っ込んだのが幸いしたのではないかとのこと。
目が覚めた時には病院のベッドだった。
「……知らない天井だ」と、人生において一度は言ってみたい台詞を発する暇もなければ、意識が戻るやいなや、家族、学園関係者からのお小言に始まり、CTやら何やらと人生始まって以来のモテ期到来。
中でも、小学四年生になる実妹・絆の嘆きっぷりといったら……。
『……っ、ぐす、おにぃの……ばかぁ……。あ、あた、あたし……お、おにぃが死んじゃうかもって聞いて――ほ、保険金が入るかもと思って欲しい物、沢山、沢山注文しちゃったのにぃ、全部キャンセルしなくちゃならなくなったじゃない! どうしてくれんのよっ!』
お兄ちゃん、絆の将来が心配になってきたよ。
そんなこんなで、検査入院という名のもとに亜人も驚きの人体実験(?)を繰り返された結果、異常なし――とのお墨付きを頂き、名残惜しいが病院へ別れを告げたのが一昨日のこと。
以来、学園へと戻ってからというもの、モブ川率いるモブ連によるご丁寧な再現ドラマも相まって、今ではすっかり物笑いの種にされているというわけさ。
こうなると、異世界へ旅立てなかったことが心の底から悔やまれるところではあるが、行けなかったものは仕方がない。次回の抽選会に期待しよう。
あれだけ大騒ぎしておいた割には随分物分かりがいいじゃないかって?
ホント、自分でもそう思うよ。本来なら赤いタオルが似合うビンタ好きのおじさんよろしく「1・3・5→アオーン」と怒りに任せて暴走したいところだが、そんなことも言っていられない程に差し迫った問題が急浮上してきたため、泣く泣く諦めたというのが正直なところか。
というのも事故による後遺症か、はたまた女神の嫌がらせかは知らんが、とんでもない爆弾が投下されたことに端を発する。
僕――否、ここはあえて「俺」と言わせて貰おうか。そう、俺は思い出してしまったのだ。
あの狂気をはらんだ日々のことを。
あれは、俺がまだ……。
「お、おいっ! そろそろだぞ、か、カメラ! カメラの準備大丈夫か?」
……ったく、毎度のことながらこいつらときたら……。飯も食わずによくやるよな。
今しがたまで、さんざ俺のことを弄り倒していたモブ連のリーダー・モブ川号令の下、モブ連はもとより、俄に色めき立つ男子生徒たち。
スマホ、一眼レフ、中には業務用ビデオカメラを回し始めるやつまでも。
まるでこれから地下アイドルの撮影会でも始まるかのような雰囲気の中、俺もカメラが狙っている先――教室の最前列、窓際方向へと目をやると、
「ねね、東雲さん、今日はどんなお弁当作ってきたの?」
「今朝は少し立て込んでしまいまして……。余り手の込んだものは作れなかったんですよね」
「え~~、そんなことないよぉ。すっごく美味しそうじゃん! ね、コレ、一つ交換してもいい?」
黄色い楽し気な声と共に、ランチに、お喋りにと花を咲かせている華やかな女子グループの姿がそこにあった。
その様相は、さながら妖精たちが戯れる「ティル・ナ・ノーグ」といった風情。片や俺たちはというと、醜くも死肉を貪る餓鬼ども群がる「餓鬼界」といったところか。
う~む、同じ空間に身を置いているにも拘わらず、何故にこうも差が出るものかねぇ。
ともあれ、そんなティル・ナ・ノーグにおいて、一際眩い輝きを放ち、餓鬼どものレンズ越しの視線を一手に攫っている一人の女子生徒。
天使の輪が映える腰まで流れる漆黒の髪。新雪のように白くてなめらかな肌。吸い込まれそうな長い睫毛に縁どられたアーモンドアイ。
見慣れているはずの俺ですら、思わず息をのむほどの美少女の姿がそこにあった。
彼女の名は、東雲瑞希。
才色兼備は言わずもがな家柄ひとつとっても、日本有数の財閥、東雲家のご令嬢と絵に描いたような完璧超人である。
また、お嬢様によくありがちな高慢で鼻持ちならないといった性格からは掛け離れており、クラスメートはもとより延いては校内、教師に至るまでとその人気っぷりは枚挙に暇がない。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――を、地でいくような美少女だ。
そして三日前、無謀にも「僕」が告った女の子でもあり、「俺」が今もっとも危惧している爆弾にあたる少女の名でもある。
そんな俺の苦悩など知るべくもなく、東雲瑞希の一挙手一投足を見逃すまいとカメラを構える男子生徒たち。ほんと、能天気なてめぇらが羨ましいよ。
「ああ、東雲さん、今日も変わらずお綺麗だ。マジ、女神っす!」
「オ、オレ、し、東雲さんの、は、箸になりたいっ!」
「ふ、ふざけんなてめぇ、東雲さんの箸には、俺がなるんだ!」
ああ、五月蠅い五月蠅い。そんなに箸になりたいんなら、俺の箸にでもなりやがれ。最も、すぐに叩き割って焼却炉にでも投げ込んでやるがな。
ったく、どいつもこいつも駱駝のようにだらしなく鼻の下を伸ばしやがって。
どうやら俺は、知らない間にナイロビ砂漠へと迷い込んでしまっていたらしい。
気分はさながら駱駝の小隊を引き連れ、いつ終わるとも知れない「ラマダン」に備えてぽっくりぽっくり旅を続ける行商人といったところか。
そんな旅の最中、駱駝たちからどよめきが上がった。
「……ん……はむっ……んっ……んふっ……ん」
箸の先にちょこんとつままれたウインナーを、桜色に薄く濡れた、ぷっくり柔らかそうな小さな唇が受け入れていく。
耳にかかった髪をそっとかき上げる仕草。咀嚼する都度、微かに漏れてくるやや熱を帯びた息づかい。
「「「「「「「「ごくっ!」」」」」」」」
俺を除く、その場にいたクラスメイト全員が、瞬間、心、重ねていた傍ら、
ん? 気のせい……か? 一瞬、東雲が俺の事を見たような気がしたが……。ま、いっか。
ともあれ、予期せぬサプライズに狂喜乱舞、大歓声が沸き起こるかと思いきや、
「うっ、だ、ダメ……。お、俺、もう……!」
「あ、お、れも、くっ!」
「……み、右に、同じく……うぅ……」
砂漠の、灼熱の陽ざしにすっかり充てられてしまったようで、駱駝どもはどいつもこいつも呻き声を漏らし、熱病にでも浮かされたような火照った顔をしてやがる。
ハイハイ。それじゃあいつものように、シーシーしまちょうねぇ。
そんな俺の心の声が通じたのか、大切なカメラすらほっぽり出して、夢遊病者のように――何とも不格好な、前屈みの姿勢で一人、また一人と教室を後にしていく。
この調子なら便器が妊娠する日もそう遠くないだろう。
お前は行かなくて大丈夫なのかって?
おいおい、勘弁してくれよ。三日前までの「僕」ならいざ知らず、今の「俺」はそういった邪な目で彼女を見たりしてないぜ。
それこそあいつらが「ニーハオトイレ」なら、俺は「ブルー〇ット」を百個投げ込んだ水洗トイレのごとく清い心と慈愛に満ちた精神で彼女を見守っているつもりだ。
そんな駱駝どもを尻目に、奴らが残していったカメラ等を引っ手繰るや、鼻歌交じりに慣れた手つきで東雲瑞希関連の写真並びに映像を削除していく。
「よっしっ! こんなもんか」
一仕事終え胸がすくと共に、改めて東雲瑞希へと視線を移してみる。
見つめる先にはランチを済ませ、紅茶を嗜みながら友人たちとお喋りに興じる東雲瑞希の姿。
……雅だ。別段、何をしている訳でもないのだが、ただそこにいるだけで、周囲がパッと華やぐような……。う~む、ひょっとして、彼女は念能力者か何かなのではないだろうか?
モブ連の意見に賛同するようで正直、気分が悪いが……俺、よく告ったよなぁ?
いやいや、普通に考えて有り得ねえだろ。自覚しろよ、「僕」?
逆に、付き合えちゃったら、後から怖いおじさんでも出てきやしないかと勘ぐっちまうぞ。
……うぅ、な、何で俺、自分の事をこんなにディスってるんだろう?
ま、まあいいさ、何はともあれ東雲瑞希が振ってくれたお蔭で「俺」としては助かったわけだしな。
これが何かの間違いでOKでも貰って、付き合っていくうちに東雲の記憶が開かれでもしようものなら……ぶるるるるっ、そ、それこそ目も当てられない。
俺の学園生活、延いては私生活までもが阿鼻叫喚の地獄絵図と化すに違いない。
ってか、付き合うこと自体、そもそもNGなんだけどな。
何れにせよ、今後は極力、東雲瑞希とは「付かず離れて」の距離感を保っていくよう心がけないとな。
そう、何故なら俺は思い出してしまったのだから。
東雲瑞希が――俺の前世において「実の娘」だったということをな。