4.二日目
午前七時、起床。軽い問診。昨晩とはうってかわって調子がよい。いや、よいというほどではないが、いつもの自分に戻っている。初めての手術や麻酔、入院で、神経が高ぶっていたのだろう。
午前八時、朝食。今日はエッグベネディクト、サラダ、ヨーグルト、スムージーだ。相変わらず洒落ているが、量はつつましい。一日中寝たきりなのだから、当然なのかもしれないが。
午前九時、NSTで胎児心拍とお腹の張りを測定、記録する。それが終わると検温と血圧測定。特に異常は見られない。
午前十時、体を拭くタオルをもらえる。週に一度はシャワーが使用できる。私はまだ医師の許可を得られていないため、お預けだ。
午前十一時から正午までは自由時間だ。とはいっても、どこかで何かができる訳ではない。基本、ベッドに横たわっていなければならない。ベッドはリクライニング機能のあるものだが、上半身を起こしてはならないと注意された。立つ歩くはもちろん、座るのもなるべく避け、寝たきりでいろという。重力が恨めしい。
同室者のもとへ看護師が何度か出入りする。シーツ交換だったり、点滴の数値を変えたり、ナースコールに対応したり。私のもとへも一度訪れた。手には処方箋を持っていた。胎児の成長を促進する薬、鉄材、ビタミン剤、胃薬…。通常であれば妊娠中は薬の服用は避けるところではあるが、医師の判断のもとであればこんなにも大量の服薬を指示されるものなのか…。
今日も今日とて何もやることがない。睡眠不足のはずだが眠気も感じない。ただ横になり、時が過ぎるのを待っている。とりあえずは正午の昼食を目指す。
途中、相棒の点滴を連れトイレへ向かうと、新生児室のブラインドが下ろされていた。夜間と授乳中、オムツ変え時はそうなると貼り紙がされている。その隣には「ガラスを叩かないでください」のポスター。まるで動物園だ。ブラインドの隙間から、昨日見た透明なゆりかごがちらっと見える。
午後零時、昼食。野菜がたっぷり盛られた豚丼、高野豆腐、お吸い物、フルーツ。野菜がお肉の二倍、お米の三倍ある。栄養はありそうだ。なるべく全部食べる。たくさん食べれば胎児が早く大きくなるというものでもないと思うが、まあ気休めだ。
午後一時、医師の回診。一部屋一部屋回って見ているらしい。通常の妊婦検診で使用している機械と同じもので、エコーをとる。簡単な説明。私はいつ退院できるのか尋ねた。早産は自覚症状がない。陣痛を感じるころにはもう手遅れになってしまう。今産まれると普通の病院ではケアできない。高度な治療を受けられることになっても、普通に育てられる可能性は低い。とにかく今は一日でも長くお腹の中にいる必要がある。…つまり、退院など論外ということだろうか。私は足元が崩れていくような絶望を感じた。
午後二時から四時までは面会時間だ。部屋の内外がにわかに賑やかになる。親、友人、夫、さまざまな人がやってくる。子供の甲高い声も聞こえる。トイレへ向かい新生児室前を通りかかると老若男女がガラス窓を覗いていた。足早に進む。
午後四時、静けさを取り戻した病室に、またNSTによるギャロップ音がこだまする。簡単な問診。何も変わりはない。
午後六時、夕食。今日はホワイトソースのかかったハンバーグ、ミネストローネ、サラダ、フルーツ。何でできているのか、不思議なくらい肉感のないハンバーグだ。食後、部屋を出ると、すぐ近くに食事を運ぶ巨大なワゴンがとまっている。その奥に、ワゴンを乗降するエレベーター。その隣は職員用便所、続いて非常口となっている。倉庫の手前にラックがある。上段のピンク色のかごの中はシーツやタオル、中断は衛生用品、下段は白いかごに「胎盤はこちらに入れてください」というステッカーが貼られている。中は空だ。
午後六時から八時まで、また面会時間。夜間は昼間に比べると人が少ない。ある同室者が大きな声で電話をしている。相手は夫のようだ。息子と娘がおり、特に息子のことを非常に可愛がっているのがわかる。息子のことはちゃん付けで娘は呼び捨て。息子のことばかり話す。娘のことは相手から振られた時だけ。聞いていて気持ちのよいものではない。イヤホンをつけて耳栓がわりにする。甘ったるい媚びを売るような声が聞こえる。子供と話しているようだ。聞き苦しい。せめて小声で話してくれないものだろうか。
午後八時、NST。特に問題はない。ボトルの点滴がなくなる。変わりに今晩から抗生物質を飲むように言われる。パックの点滴も新しいものに変わった。右腕の、点滴の管が刺さった部分に触れてみる。ガーゼや包帯で保護されてはいるが、やはり違和感と痛みがある。
午後九時、消灯。今日はその前に歯磨きを済ませた。トイレにも行っておく。新生児室はまだ煌々と明かりが灯っている。帰り際、近寄って見てみると、昨日見た三つの透明なゆりかごのうち、一つは中身がぬいぐるみになっている。くたびれたうさぎのぬいぐるみが寝かされている。…どういうことだろうか。点滴を引きずって部屋に戻る。
カーテンの中の自室に戻る。服薬。電気が落とされる。途端に部屋は静まり返る。眠気は訪れてくれそうにない。テレビをつける。イヤホンは届かないので消音のまま画面だけを眺める。つまらない。テレビを消して横になる。眠れない。イヤなことばかり考えてしまう。この生活はいつまで続くのだろうか。先が見えない。終わりが見えない。自分ではどうすることもできない。
午後十時を少し過ぎたころ、部屋のドアが静かに開かれた。誰かが歩いてくる。カチャカチャ金属がぶつかる音がする。カーテンが静かに開かれる。閉じられる。足音。またカーテンの音。どうやら夜勤の看護師が巡回をしているらしい。最後に私のところのカーテンが開かれる。一瞬明かりがさす。すぐに閉じられる。鍵の束だろうか、カチャカチャ音を立てて、看護師は部屋を出て行った。




