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白い悪夢  作者: 患者211D
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1.はじまり

 それは、ある風の強い夜だった。


 夕食後、ソファに腰かけ、夫ととりとめのない話をしていた。ただ光と音を撒き散らすだけの薄型テレビを背景に、談笑していた。


 私はお腹の張りを感じていた。痛みもあった。どうも具合が良くないようだ。


 私は妊娠七ヶ月であった。いわゆる安定期に入ったところで、最後の旅行を計画していたところであった。


 じっと座っているのもままならないくらいの鈍痛を下腹部に感じる。会話の内容も頭に入らない。夫に断って、先に休ませてもらうことにした。


 立ち上がり、数歩進むと、下半身がバラバラになってしまいそうな感じがした。歩き方がぎこちない。夫から大丈夫かと声がかかる。生返事をして寝室へ向かった。


 常夜灯をつけベッドにもぐる。布団が冷たい。お腹はまだ張ったままだ。仰向けになったり横向きになったりする。どの姿勢でも楽にならない。夫が湯たんぽを持ってやってきた。腰とお腹を温める。普段なら心地よいのだが、今はあまり効果がない。でもやらないよりはマシだろう。しばらくそうしていた。


 どのくらい時間が経っただろうか。夫がベッドに入ってきた。私がまだ起きていることに気付くとおやすみ、と小声で囁き数分後には寝息を立て始めた。私の目は冴えていた。


 痛みを伴うお腹の張りは、不規則に、だが確実に、繰り返し起きた。じわじわイヤな痛みが始まったと思うと、やがて強くなり、そのうちこれまで感じたことのないような痛みへと変わる。下腹部は岩のように硬くなる。その状態が数分続き、やがてゆるやかにおさまっていく。終わったかと束の間安堵するも、数分後にはまた同じ波がやってくる。


 私は困惑していた。これまでもお腹の張りや痛みを感じることはあった。しかし、横になってしばらくしてもよくならない、こんな尋常ではないレベルのものは初めてだ。


 …もしかして、陣痛なのではないか。いや、こんな時期に陣痛がくるはずがない。でも、ただの腹痛ではない。私は確信していた。


 夫を起こさないように静かにベッドから抜け出る。暗いリビングへ向かう。一月の寒い夜だったが、不思議と寒さは感じなかった。


 どこからか工事現場の音が聞こえる。私はスマートフォンでお腹の張りについて検索した。受診の目安は痛みや出血を伴うこと、規則的に繰り返し起こること、胎動がなくなること、等々…。出血はない、胎動はある。破水しているかは…わからない。


 時刻は午前一時になろうとしている。私は迷った。明日の朝一番で受診すればいいだろうか。それとも今緊急外来に電話して、その判断を仰ぐべきだろうか。道路工事の騒音が一層大きくなる。


 …やはり明日にしよう、とスマートフォンをテーブルに置きかけた瞬間、今日一番の痛みに襲われた。体を支えていられない。床に手をつき背中を丸める。その場にうずくまる。痛みで頭が真っ白になる。うめき声を自然と口から漏れる。息ができない。呼吸をするたびに私の体が私の体でなくなっていく。私は救急車を呼ぶことに決めた。


 痛みの波が少し引いたころ、外が騒がしいことに気付いた。人の声が聞こえ、道路工事の音が次第に近付いてくる。カーテンを開けると、マンションの前を走る大きな幹線道路がライトアップされている。向かって右側から、轟音とともに何かがやってくる。


 私は痛みも忘れ窓の前に立ち尽くした。それは戦車だった。電柱と同じくらいの高さの戦車が、キャタピラの音を激しく立て、ゆっくりと進んでいる。このあたりに自衛隊の基地はないはずだ。あの戦車はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。呆然としていると、やがてキャタピラの音の隙間に聞き慣れたサイレンが響いてきた。


 夫を起こす余裕はなかった。財布とスマートフォンだけをポケットに詰め込む。歩いて下まで降りるつもりだったが、問答無用で搬出用毛布にくるまれ二人がかりで運ばれた。救急車の中でいくつか質問を受ける。意識が朦朧としてくる。かかりつけ医を告げたところで目を開けていられなくなった。


 照明が明るすぎるため、目を閉じると視界が真っ白になる。誰かの話し声が聞こえる。救急車は動き出したようだった。ストレッチャーに固定されているせいか、揺れはあまり感じない。無線の無機質な声が聞こえる。私の意識はほの明るい白い闇の中へと溶けていった。

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