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夕暮ればかりではなく

作者: 北極星


 巡ってきた季節の風情を味わうことが出来るのは四季があり、かつ、平和な日本だからだろう。風情を引き立て、象徴するものとして最も顕著なのはやはり植物だろう。春の梅や桜。夏の紫陽花や朝顔。秋のススキや紅葉。冬の牡丹にシクラメン。

 これらが人に魅入られるのは象徴的に感じる色や雰囲気を醸し出しているからに他ならない。そう思いながら西園寺長吉は訪れた庭園を気ままに歩いていた。秋の少し肌寒い風が顔を撫でていく。暖かくして来て正解だったと思いながら周囲を見て回る。

「見事なものだ……」

 今年、五十になった西園寺は和服といい整えられた顎髭といい、如何にも成功者であることを周囲に見せつけている。しかし、晴れていても、庭園には誰もいない。いきなり寒くなった外が嫌になったのか、はたまたせっかくの休日をもっとはしゃげる所で過ごそうとしているのか。

西園寺はそんなけたたましい場所や都会を離れ、少し郊外にある静かな庭園に満足していた。都会はやれ東京オリンピック開催間近だ、新幹線開通間近だと騒がしい。国外でもベトナム戦争がどうだとアメリカが世界を騒がしている。

「また、いらしてたのですか?」

 突然、背後から声をかけられたが、西園寺は落ち着いて、ゆったりと振り返る。戦中派というのが幸いした結果だろう。相手は西園寺よりも明らかに年下の白いワンピースを着た女性だ。おそらくは二十代に行っているかどうかと言ったところだろう。見た目は活発そうだが、このような所に来るのは門違いと思わせないような凛とした佇まいをしている。

「また、とは?」

「昨年もこの時期にいらしていたのを何となく記憶しておりました」

「ほぅ……」

 確かに去年もこの地を訪れている。東京にある自動車会社の重役を務めている西園寺が同期の重役仲間に勧められてここを訪れたのは一昨年のこと。以来、この庭園の見事な風景に魅せられ、季節ごとに大きな休みが出来ると必ず訪れている。

「この近くにお住まいで?」

 去年の記憶を辿っても目の前にいる女性の姿はないし、どう見ても庭園で働いている服装ではない。女性は微笑むと小さく頷き「ええ」と答える。

「ですが、今日は服を選ぶのに失敗しました」

 昨日まで残っていた残暑が嘘のように肌寒い。女性はわざとらしく身震いすると西園寺の隣に立つ。出世街道に乗り、偉くなってから隣に並ぶのは同年代ぐらいの知人や同期ぐらいで、これほど若い人、しかも女性に並ばれるのは久々だ。女性に対する権利や社会的地位が騒がれているとはいえ、なかなか進んで自分の隣に立つような者などいない。

 もっとも、西園寺は男女同権には賛成で、戦前の男尊女卑には疑問を抱いていた為、このように隣に若い人がいて、悪い気はしない。普段なら立場を弁えろとうるさく、媚びてくる部下もいないのでなおのことだ。

「しかし、君は不思議だね」

「はい?」

「このような所に来て楽しそうにしている」

言わんとすることを悟ったのか、小首を曲げていた女性が吹き出した。笑わせるつもりなど毛頭なかったのだが、向こうからすればこちらの発言の方がおかしかったのだろう。しかし、どう考えてもおかしい。

「君のような若い人が嬉々として彼岸花を見に来るとはね」

 紅葉を恋人と共に見に行くのならまだ分かる。しかし、紅葉以上に不気味なほど赤く、さして有名ではない彼岸花を見るとは、ずいぶんと数奇なところがある。今の発言は失言だったようで、女性の方は頬を膨らませている。詫びを入れると西園寺は彼岸花の方に目を向ける。

 正直言うと西園寺は未だに彼岸花の持つ赤色を未だに悪寒を覚えるぐらい不気味に感じていた。光の当たる場所は鮮やかに、暗い所は赤黒い、かつて日常のように見ていたそれを思い出させた。それでも、彼岸花に惹かれていくのはおそらく名前のせいだろう。

 彼岸花は湿地だけでなく、墓場近くにもよく咲く。そのせいもあってか脳裏に最愛の人が蘇り、思わず胸を押さえたくなる衝動に駆られる。

「奥さんはいらっしゃらないのですか?」

 この子には人の心を読む力でもあるのだろうか。目を見開き、女性の方を向く。おそらくこれほどまでに驚かれると思っていなかったのだろう。女性の方も驚いたと体を少し仰け反らせる。

「どうしてそう思うのかな?」

「普通なら、奥さんも連れて来るものでしょう」

 西園寺の格好はどう見ても観光の為だ。かなりしっかりした所でオーダーメイドしてもらったお気に入りで、近所を散歩する平服と見間違えるような代物ではない。少し怯んだものの、女性は西園寺の目をしっかり見て、答える。西園寺は一瞬、我を忘れそうになったが、毅然とした目が逆に落ち着きを取り戻させた。

 長い息を吐き、女性から視線を逸らす。見渡す限りの彼岸花しか西園寺の視界に入るものがないが、相手の真っ直ぐな目を見ながら答えることは出来ない。思えばこんな目を向けられるのは何年ぶりだろう。向けられていたことがあったのかもしれないが、色々なことに必死で、外では気付かなかったのだろう。

「広島で……爆弾が落ちたと聞いて、様子を見に行った時にね。実家があったから」

 全てを言わなくても分かってくれただろう。西園寺の妻は全壊した実家と運命を共にした両親達の亡骸さえも分からず、失意の内に帰ってきた。あの時の表情を西園寺は忘れることが出来ない。夫として彼女を必死に慰め、励まさなければ自殺していたかもしれない。

(東京に戻ってきた時点でそれはなかっただろう……)

 心中で否定してみせるが、東京に戻ってきた妻はどこか影をさすようになってしまった。はたして、あの時に自分が元気付けていれば良かったのだろうか。否、最終的に放射能を浴びた妻に助かる術はなかったのだから無駄なこと。

「すみません。少し無遠慮過ぎました」

「いや、気にすることはない。しかし……君はなかなか鋭いね」

「よく言われます」

「将来が楽しみだよ」

「私のような女性にそんな機会などきませんよ」

 女性は首を振って否定する。議員など、社会的に活躍する女性が増えてきた、まだまだ確固たる地位は築かれていない。いずれ男女の格差が無くなり、平等に仕事を与えられるだろうと西園寺は思っている。下手をすれば優秀な人材は無能な男性よりも遥かに稼ぐようになる。保守的な知り合いからは馬鹿馬鹿しいと失笑されるが、間違いないだろう。何故なら、西園寺の妻がそうであったのだから。

「……さて、もういいかな」

「あ、お帰りになるのですか?」

 どうにか作った笑顔で西園寺は答える。持っていた懐中時計を見ると、そろそろ予定していた列車の出発時間だ。女性にまだ帰らないのかと尋ねると一度空を見上げ、再びこちらを向いてくる。

「夕方の彼岸花もなかなか風情がありますよ」

「ほう。知らなかった」

「是非、如何です?」

 西園寺は軽く目を瞑ると頷いた。今まで彼岸花を見るだけで満足していたが、明日も休みを取ろうと思えば取れる立場にある。後で連絡を入れれば問題ないだろう。部下に負担をかけるのも申し訳ないが、たまに我が儘を許して欲しいと心で詫びる。 

 承諾の返答がよほど嬉しかったのか、女性は満面の笑みになる。自分にも娘がいればこんな笑みを向けてくれたのだろうかと思わずにはいられない。妻との間には子供を一人ももうけることは出来なかったし、養子をもらう気にもなれなかった西園寺にとって年頃の女性の笑みは新鮮だった。

「まだ時間があるので、折角なら私が知っている美味しいお店を案内しますよ?」

 確かに小腹も空く時間だ。お願いすると女性は庭園を出て、数分した所にあった和モダンな小さな店へと案内してくれた。女性は店へと入らず、家に戻って着替えてくると言って街角へと消えていった。

 抹茶とお菓子のセットを堪能した西園寺は彼岸花だけでなく、夕陽とのコントラストを楽しもうとする女性にいたく感銘している自分に気付いた。太陽の下、一面に鮮血のような赤さを誇らしげに見せつける彼岸花とどう違うのだろう。内心、落ち着かないまま西園寺は夕暮れを待つ。

それと共に妻のことも思い出していた。もし、妻が生きていればここに一緒に来て、彼岸花を楽しんでいただろうか。それとも、皆と同様に紅葉に目を向けていただろうか。妻亡き今、それは永遠の謎だが、勧められたものが彼岸花ならば結局変わらなかったかもしれない。今思えば、本当に変わったものを勧められた。鼻で笑うと西園寺はマスターに電話を借りると言って、ダイアルを回した。

 社長から長い愚痴を聞かされた後、どうにか承諾してもらった。先程までとはまた違う憂鬱になりながらも、西園寺は代金を払って外に出る。窓から見えていたが、空が徐々に赤くなっていた。

 路地から通る冷たい風に少し身を縮こまりながらも庭園の入口へと向かうと女性は既に立っていた。その姿に西園寺は少し目を見開いた。先程の元気な若者という印象を与えていた格好とは打って変わり、淡い水色の着物をまとい、おろしていた髪も丁寧に結っている。

「驚きました?」

 子供が悪戯に成功した時のような笑みで、西園寺を迎える。素直に頷くと女性はにぃっと歯を見せる。格好だけかと西園寺は苦笑いを浮かべながらも女性の後ろに続く。思えば、これまで妻以外に女性が前に立つことはなかった。

 楽しそうにしている女性と共に夕暮れの彼岸花を見る。色が夕陽の茜色によってこれでもかと強調していた赤色が落ち着き、侘びを感じさせる。なるほど、これは素晴らしい。

一方、夕暮れも彼岸花も悲しさを募らせる。素晴らしいと思う西園寺の心には同時に虚しさも生まれてきた。脳裏に蘇る妻は西園寺の手を引き、誰もいない夕暮れの街路を歩いている。

 かつては大っぴらに交際しているのは不良と見なされていた為、それぐらいが精一杯の楽しみだった。それが西園寺にとって至高のものだった。しかし、世の中には幸と不幸がある。もしかすると報いなのかもしれない。到底受け入れられるものではないが。

「あの……」

「ん……? あ、申し訳ない」

 女性は数メートル先まで行っていたのを見て、初めて自分が立ち尽くしていたことに気付いた。慌てて歩を進め、女性に近付く。頭を垂れ、詫びを入れると奥に進もうと女性を促す。だが、今度は女性の方が足を止めた。

「どうかしたのかね?」

「いえ……あ、少し座りませんか?」

 たそがれていた西園寺と違い、しっかりと答えているところを見ると、呆然としていたのではなく、何か思うことがあったのだろう。

「そうだね。そうしよう」

 確かに疲れているかもしれない。昼間から歩きっぱなしで、店にいた時はずっと妻と女性のことを考えていて、あまり休んでいるような気になれなかった。実感は無いが、おそらく体はそう言っているのかもしれない。

「既にお店の方で飲まれたかもしれませんが……」

 西園寺を待って女性は座ると持っていた袋から魔法瓶を取り出し、飲み物を注ぐ。受け取るとカップから手に、湯気から顔に温もりが伝わり、心に落ち着きが生まれる。漂う湯気と共に嫌なことも消えていきそうだ。

「普通のお茶です。寒いですし、熱くしておきました」

 礼を言うと西園寺は口をつける。確かに熱いが、飲めないほどではない。一気に飲み干すともう一度ありがとうと言ってカップを返す。すかさずもう一杯注いで差し出す女性に君はいいのかと尋ねると笑顔で、断られた。差し出されたものにはっきりといらないと言えない為、西園寺は茶を飲み干す。味は家庭で出されるそれと全く変わらない。家政婦の出すものよりも少し味が濃いぐらいだ。

「ありがとう。温まったよ」

「ありがとうございます」

 嬉しそうに言われると西園寺も悪い気はしない。家庭の温もりが心身も落ち着かせ、何だか口が軽くなってしまいそうだ。相手は今日知り合ったというのに、西園寺は話したくなった。その衝動が理性を上回り、勝手に口を動かしてしまった。

「私が妻と結婚したのは終戦の三年前の秋だった」

「ほう……」

 てっきり驚いた返事が返ってくると思ったが、まるで待っていたかのようにちゃんとした相槌を売ってくれた。調子が合いそうだと西園寺の口はさらに動く。

「あの頃はなかなか若い人は出世なんか出来なかった。特に民間人はね。私も行ったけど、幸い行ったのが中国だったから無事に戻ってこれた」

 当時、中国の戦線は停滞していた為、西園寺が配属された部隊はさほど前線に向かうことがなかった。もし、東南アジアだったらどうなっていただろう。今でも想像するだけで悪寒がする。

「だから戦争が終わって帰ってきてからとにかく必死だった。食べ物を売ったり、今なら一銭の価値もないガラクタを売っていたよ。たまたま、学生時代の悪友の親父がアメリカ軍からの車の発注で大成功したから頼み込んで入れてもらったんだ。昔から友達は多かったからね」

「運が良かったんですね」

「そうだね」

女性の人柄も良さそうだという付け足しには頭を振って否定する。今思えば、これだけ恵まれたのは日の本広しと言えど、自分と指の数ぐらいの人なのかもしれない。しかし、自分一人でここまで立派になれたかと聞かれれば間違いなく違うと答える。

「でも、妻もよくやってくれたよ。あれから少し元気がなくなったとはいえ、外でそんな素振りは見せないで、健気に振る舞っていた。家でもそうだったよ。私の前では決して悲しそうな顔は見せなかった」

 どちらかと言えば、西園寺がたまたま陰から見てしまったというのがほとんどだった。申し訳ないと思いながらも西園寺自身、何をしてやればいいのか分からなかった。あの時はとにかく生きる為、必死に駆けずり回っていた。そして、きっかけを掴み、どうにか暮らしていけそうになった矢先に妻は逝った。これから幸せになろうと言いたかったのに言えるような状況ではなくなってしまった。妻とは隔離され、死を知った時、遺体とは会うことさえできなかった。原爆という突然の暗闇が西園寺の世界を灰色に染め上げた瞬間だった。

「お好きだったんですね」

「まぁね」

 地元の仲とはいえ、絵にかいたような鴛鴦夫婦になるとは思わなかった。仲を知っていたのは誰もいなかった為、面と向かって言われたことはあまりなかった。改めて女性に言われると恥ずかしくて顔が暑くなる。

 扇子があれば良かったと思いながら、首筋をかく。何だか息苦しくもなってきた。そこまで妻のことについて触れるのが恥じらうことなのかと思ったが、単純に自分が積極的に家庭のことを外で話すことがなかった為、慣れてないだけだろう。

「ふぅ……」

 疲れたと息を吐くと女性を一瞥する。もし、妻と子供を授かっていたならばこれぐらいの年齢だろう。そう思うとこの女性が幸せに暮らせているのかと勝手な親心が芽生える。先程着ていたワンピースは流行りに乗っていたし、今着ている冬用の着物も縫い目がしっかりしていた。おそらく幸せに違いない。無論、金だけでどうか否かと判断することは出来ないが、自然に笑みをこぼしたり、楽しみを心底味わっているところを見ると女性は女性なりに人生を謳歌している。

「ん……?」

 そこまで考えていて、西園寺の頭の回転が急に止まった。靄がかかったように脳内の記憶が見えにくくなってきている。

おかしいと思った瞬間だった。急に激しい腹痛が襲い、一気に体温が落ちて行くのを感じた。

「大丈夫ですか!?」

 女性の声に頷きたかったが、その余裕もない。呼吸も苦しくなってきていて、地獄の苦しみもかくやといった状況で、のたうち回りたくなるが、それを上回る痛みが許してくれない。

「これを! 効くか分かりませんが!」

 差し出した粉薬を西園寺に飲ませると女性は助けを呼んでくると駆け出して行った。和服でよくあれだけ走れると思う余裕もない。ベンチに横になると襲っていた腹痛は比較的楽になった気がしたが、代わりに眠くなってきた。

日頃の激務の疲れだろうか。それにしてもよくここまで成り上がったものだと薄れゆく意識の中で西園寺は自分を賞賛する。さて、これからどうするべきか。やはりもう働くことは辞めて妻の下に向かうべきだろうか。

(馬鹿馬鹿しい……)

 妻は既に死んでいるというのに、何という妄想だ。否、自分の方から会いに行けば良いだけのことだ。願っていたことは夢幻のように消えたが、今なら叶えられるかもしれない。時代は移ったが、取り戻す機会が出来たことに喜ぼう。そして、今度こそ人生を妻と共に謳歌したい。西園寺の目の前に一輪の彼岸花を持った妻が現れた。


「生と死は巡り回るもの」

 女性は西園寺の頭を膝に乗せ、空を見上げる。秋の夕暮れがあっという間に夜になろうとしている。夜になれば彼岸花を見ることは難しい。しかし、それで良いのだ。あるがままに存在しているものはあるがままに楽しむべき。彼岸花を照らす満月と満天の星空もまた然り。

「あなたもあなたなりの人生を楽しんでいたようですが、やはり孤独で生きるのは難しい。子供の時から友人が多ければなおのこと」

 西園寺の頬を撫でるとまだ温かい体が少し前まで生きていたことを教えてくれる。一つ息を吐くと女性は西園寺の体を簡単に抱き上げた。辺りを見回したが、暗くなった庭園には誰もいない。庭園の最も奥へと向かうと女性は西園寺の体を彼岸花の中へそっと置いた。

「彼岸花の毒は、やはり気の毒でしたかね……ま、分かっていたことですが」

 彼岸花の毒は体が出来ていない子供には劇毒だが、大人にはあまり利かない。だから女性は西園寺を公園から遠ざけた後、去年から大量の彼岸花を用意した。

「虚の幸せ程、この世で見苦しいものはありません。本当に……」

 女性は彼岸花を一本抜き取って月へと掲げる。暗闇を照らす満月とその光を浴びて紅蓮の炎を思い起こさせる色と形をした彼岸花はなんと素晴らしい相性だろう。女性は実に楽しいと微笑みながら彼岸花を空へと掲げ、その場で体を一周させる。再び月に標準を合わせて彼岸花を向けた時だった。

「あ、流れ星が落ちていく……」

 西園寺を見ると無表情な死に顔はまるで化粧をしたように白い。夜だからそう見えるだけだと分かっていても、女性は何度も満足げに頷く。あるべき所に向かった人の姿、求めていた桃源郷の中で送っているであろう暮らしを思えばこれほどまでに甘美なものなどない。

「死人花にはやはり月……この世を追いかけても駄目なら、身を引けば良いこと」

 悲しみの果てに逝った人の星もあるだろう。むしろ、その方が多いはず。ならば陰りのない幸せを抱かせ、次の世に移ろえば良い。

「現世でこれだけの花に囲まれて逝くのですから、せめてもの手向け。彼岸花と満月は素晴らしいでしょう?」

 女性は西園寺の胸の辺りに持っていた彼岸花を置く。これで紛れもなく、死体だと人は気付く。殺人だと気付く。しかし、女性に慌てる様子はない。むしろ西園寺を見て、恍惚感溢れる笑みを浮かべて鑑賞している。

「貴方の来世はどうなるのでしょうね。全ては神の気紛れ……期待する人は滑稽……」

 そう言いながら女性は水筒の中身を彼岸花たちへと撒き散らした。

「再会は死を望む人には似つかわしくない。誰が彼岸花にこのような言葉を含めたのでしょうか」 

「ねぇ?」と女性は西園寺に微笑むと庭園を後にした。

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