第1話 彼が死亡して異世界に召喚されるまでのこと
地の文があまり中立ではない感じがありますがまあ主人公が少し特殊なのでご容赦を……
「くっそー、遅刻だ遅刻! これもあのクソッタレな文芸部共のせいだ!」
爽やかな日差しが差す通学路に爽やかさとは無縁の呪詛の声を上げながらパンをくわえた拓巳が走っていた。
といってもそれは逆恨みではあるもののあながち八つ当たりというほどのものではなく、家に帰ってから瞳たちに実際は実行するほどの根性はない仕返しを延々妄想し、やがてそれに飽きたら新しい女性との運命の出会いに妄想がシフトして時間を潰した結果寝坊したのでわずかばかりはまあ関係があると言えなくもないかもしれない。
古典的漫画のようにパンをくわえているのも「転校生と曲がり角でぶつかり恋が芽生える」というシチュエーションが昨夜の妄想に含まれていたことと無縁ではなく、何事も形から入るかっこつけの気がある彼は遅刻の危機を前に焦りながらも脳内で瞬時に、スマートに転校生の美少女とぶつかる方法を計算し期待しながら家を飛び出したのだ。
拓巳はブ男と呼ぶほどではなくむしろ黙って何もしなければシュッとしたハンサムな顔立ちをしていてその事実は余計に彼のモテなさを救えないものにしているのだが、その整った口元をパンをくわえながら僅かに期待で歪める笑みについては率直に気持ち悪いと言わざるを得なかった。同時に散々自分を振った女子への恨み言も呟いているので不気味ですらある。
さて遅刻だ遅刻だと叫びながら姑息にも曲がり角の多い道ばかりを選びながら走りぬけ、もちろんそんな運命の出会いなど訪れるはずもなくそろそろテンションが下がりつつあったところに、彼の運命を変える声が届いた。
「うわー遅刻遅刻! あっ!?そこの人、どいてくださーい!!」
何っこれはまさか……少し高くよく通る可愛らしい声を聞いた瞬間その眼は期待に光り、声の方角へ反射的に身を飛び出させた。そして待ち望んだ衝撃で吹き飛びながら拓巳が見たものは、想像を遥かに上回る美少女であり、その無垢で宝石のような瞳、甘えた感じの残る形のいい唇に全体に蜜のような童顔の雰囲気を統一する鼻筋に確かに転校生であるとわかるピカピカの制服に包まれた顔立ちの割に意外と豊かな肢体、ハンドルを握る愛くるしい手元まで一瞬で脳に刻み込まれ、空中の拓巳は地面に激突するまでの刹那で完全に自分と彼女の教室での再会から交際、結婚、家庭を築くに至るまでを脳内シミュレートする。
(ってあれ、いくらなんでもボク勢いよく吹き飛びすぎじゃね?)
そもそも拓巳と彼女──正確に言えば彼女の運転する車と拓巳が激突したのは曲がり角などではなく、道路のど真ん中であり、その転校生はパンをくわえながら走っていたというよりパンをくわえながら車を走らせていたのだが、無論倒れた拓巳がそれに気づいた時にはすでに遅く、「な、なんでが車を…?」という当然の、しかし彼がその後永遠に知ることのかなわない疑問を口にし、死んだ。
---
「というように君は死んだわけだが」
「…………」
「申し遅れたが私は君のいた世界とは別世界の神だ。君の世界ではこのような状況を想定した小説がよく売れているようだから理解は出来るだろう」
「…………あ、はい、そういうの読んだことなら……」
「なら話が早い。想像できていることとは思うが、君はこれから私が担当していた異世界に転移して……」
「その前に一つ質問いいですか?」
「聞こう」
「あの……ボクをはねたあの子、なんで学生服着て車を」
「君がこれから赴く異世界についてだが」
「神様でもわからないことはわからないって素直に言うほうがカッコいいと思うなーボク」
「……君がこれから赴く異世界……そこに住む民はディナカンドと呼んでいる。これについてだが、まず、君の世界の基準でもとても美女が多い」
「えっなんすかそれマジですか本当ですか最高じゃないですかヤッタ―!!」
手抜きでバグを起こしたゲームのように真っ暗な空間で神を名乗る男に話しかけられ黙り込んでいた拓巳は美女が多いという情報を聞いた瞬間に自分が置かれている状況について当然抱くべき疑問を全て忘却し素直に喜んだ。神が話を続ける。
「ところが現在、この世界…その美女たちがとても危機的な状況に陥っているのだ」
美女、にアクセントを置いて関心をひいた神は自分が話している相手の心理と性格をよく知っていると見て間違いなかった。拓巳は聞き入っている。
「異次元より豊かな自然や大地、財宝…あと、美女、を狙い正体不明の軍勢が侵攻を仕掛け、我が世界は隷属状態におかれようとしている」
「美女が隷属……それはなんだか興奮、いえ、とても許せない話ですねはい、それで、このボク、いえ、わたくしは一体何をすれば……」
自分に得になりそうな話の気配を本能で嗅ぎ分けるとどこまでも腰が低くなるのが拓巳である。
「いい質問だ、ディナカンドのある国が、この困難に際して勇者召喚の儀を行った。その儀は成功し、神である私が直々に君を見込んで、勇者として戦える力を授け、この世界に送り届けようというのだ」
戦える力を授け、の部分を拓巳は聞き逃さなかった。
「戦える力…ですか?」
「そうだ。神である私を持っても只の人間に与えるには困難な、強力な力……それを君には授ける。もちろん、強い力だけで世界、あと、美女、は救えない。それを振るうにふさわしい気品、精神、勇気、正義感…それが君にあると私は判断したのだ! 君ほど勇者にふさわしい者はいないとこの神が保証しよう」
やはりだ、異世界転生はチート能力を貰えるのが相場だと決まっている。侵略者との戦争まっただ中と聞いて正直ちょっと不安にはなったが、それがあるなら自分でも戦える。しかも神と名乗る存在からのこのべた褒めは最近嫌なことが多くてややダウナー気味だった拓巳を内心舞い上がらせた。すっかりその気になった拓巳が荘厳な風に立ち上がる。
「お言葉ですが神よ! そのような大義、ボク、いやこの私に務まるものか否か、大変不安があります。ですが、私の助けを求める人々がそこにいるというのなら、私はそれを見捨てることなど出来ない…恐れはありますが、救世の悲願、この牧原拓巳が成し遂げるとお約束しましょう!」
正直拓巳は自分でも何言ってるかよくわからなかったがなんとなくそれっぽい言葉をポンポン繰り出すのはお手のものである。
「そうかやってくれるか、私もきっとそう言ってくれると思って君にしたんだ! ではこれより転送する、勇者タクミよ、君の健闘を祈るぞ!」
そう言っているうちに拓巳の身体は透け始めてきた。
「ご期待に応えましょう……あっ。ところで私に授けられる勇者の力とは一体どのような?」
そういえば肝心な能力の内容を聞いていなかったと思い出し尋ねた。神は頷き、説明を始める。
「なにせ君は元々異世界の人間だ。突然ディナカンドに飛ばされたら、普通に食事をするだけで細菌や疾病に侵されあっさり倒れてしまうかもしれない。そこで、君にはディナカンドのどんな細菌や毒にもかからず、何を食べても腹を壊したりはしない免疫を授けた」
「はい」
「…………まあ、それくらいかな…………」
「えっ」
半分くらい透けた拓巳が呆けたような表情になる。
「いやいやいやちょっと待って下さいよ! いや待って……おい待てよ!なんだよそれ!異世界のご飯を食べても腹を壊さないとか、普通の異世界転生者はデフォルト基準で身につけてるもんだろうが!」
「どんな細菌にもだよ? 凄くないこれ?」
「地味だよ!! もっと魔法使えるとか剣技に長けてるとか、そもそも死なないとかめちゃ便利な異能とかさ~~見栄えにも派手な力をくれよ! えってかこれで戦うの?明らかに戦闘とはなんの関係もないスキルなんですけどぉ!!」
「まあそっちは向こうでの自助努力で何とかするってことで……」
「努力したくないから異世界転生って話に乗っかったんだろうが! 何ちょっと健康に毛が生えた程度の能力でごまかそうとしてんの!? 神だろ!? お前が努力しろよ! お前の努力不足でボクめちゃピンチになりそうなんですけどぉ!」
拓巳、切れた。
「うるっせえなあ最近のガキはどいつもこいつも力よこせチートよこせだの結果ばかり! いい結果や力ってのはきちんと努力して得るもんに決まってんだろうが! 甘えたこと言ってんじゃねえよ!!」
神も切れた。
「なに不特定多数に喧嘩売りまくること言ってんだ! 何が気品だ、勇気だ、正義感だ、そんなもんで飯が食えて女にモテるんだッたらわざわざ異世界に行ったりしねえよ! 不慣れな異世界に行くってことは元の世界よりそれだけ不利なんだからちょっとくらい下駄履かせて夢見させても当然だろうがよ! だいたいお前ボクに頼む方の立場だろうが!」
「どうせてめえもともと元の世界でも慣れてるって言えるほどうまく生きてなかっただろうが!何といわれようがてめえもう転送始まったからな!今更ねーこの期に及んでねー、やめようたってそうは行かないんですー!」
「あんたそれでも神かよぉ!待て!せめて最後にこれだけは聞かせてくれ!」
「なんだ!」
「結局なんであの子学生服着て車運転して……」
そう言いかけたところで拓巳の姿は完全に消えた。
それが、ディナカンドでの拓巳の冒険が始まる合図なのであった。
「なぜ転校生が学生服着て車を運転しているのか」についてですが、彼女は何年も留年して免許が取れる歳になっているからです。果たして成人していても学生が自動車で通学など出来るのか、という点については全力で無視してください