4:氷竜王と呼ばれる存在、イリスの過去
異変は、徐々にだが確実に起きていた。
まず、それまでは定期的に出没していた魔物が、村の近くに一切出なくなったことだ。これ自体はたまにあるらしく、みんなそこまで気にはしていなかった。
そして次に起きたのが・・・急激な気温の低下だった。
この世界の季節の移り変わりに疎い俺は、もう秋が来たのかなどとのんきに考えていたのだが、どうやらそういう訳でもないらしい。イリス曰く、このままだと菜園の収穫量が減って大変だとか。
ならどうするのかと聞くと、山に狩りに入って、獲物を狩ってそれを収入にするつもりらしい。中々逞しい発想だ・・・
そんな簡単にいくのかと思ったが、なんでも狼人族というのは本来は狩猟で生計を立てる種族らしく、イリスも狩猟自体は得意らしい。菜園で生計を立てていたのは、もともと趣味の側面もあるのだとか。
ならばまぁ大丈夫なのだろうか。機会があれば俺も狩りを教えてもらえれば役に立つかもしれないなどと考えていた。それこそ、わざわざ傭兵になどならなくても仕事に出来るかもしれない。
この時まではまだそんなのんきな気持ちでいられたのだ。そう、次の異変が起こるまでは――
最後に起きた異変は、夜中に聞こえてくるようになった、おぞましい咆哮だった。
村の北側、恐らくは山の上から、毎晩何かの動物の咆哮が聞こえてくるようになったのだ。
低く、獰猛さを感じさせ、根源的な恐怖を呼び起こさせる咆哮。小さな子供など、この咆哮が聞こえてくるたびに泣き出して大変らしい。
俺自身、この咆哮が聞こえてくるだけで背筋が凍るような思いをする。聞いたことの無いはずの咆哮なのに、どこかで聞いたような・・・忘れかけていた、あの恐怖を呼び起こさせるような響き・・・
そうだ、この咆哮は、アイツと・・・あの黒龍と同じ様な存在があげているのだ。
知らないはずなのに、なぜか本能で理解できた。この咆哮の主は、アレと同じ存在なのだと。
俺だけでなく、普段冷静なイリスですら咆哮が聞こえてくるようになってから様子がおかしい。普段から少し怯えたような態度だし、時折何か考え込むような仕草も見せるようになった。人よりも強いと言ってもやはり女の子なのだ、こういうときこそ俺がしっかりしないといけないのだろう。
咆哮が聞こえてくるようになってから数日後、とうとう村で会議が行われることになった。やはり、村の見解でもアレは相当に危険な存在らしい。
会議の日は、ついに朝から雪がちらつくほどまで冷え込んでいた。
俺もイリスと一緒に会議に参加することになったのだが、今日はなぜかイリスの姿が見当たらない。しばらく探していると、玄関に書置きがあるのが見つかった。
『食料が減ってきたので、南の森に狩りに行ってきます。申し訳ありませんが、会議の方は私の代わりにお願いします』
そういえば確かにそろそろ残りの食料も心もとなくなっていた。獲物が冬眠に入る前に狩ってしまおうという事なのだろう。何も今日でなくともと思うが、とうとう雪もちらつきはじめたし、あまりのんびりもしていられないということだろうか。
狩りならば出来れば一緒に行きたかったが、それはまたの機会にとなりそうだ。冬でも獲物が全くいないということは無いのだろうし。
書置きの傍には、なぜかペンダントが置いてあった。そういえば、イリスがいつも身につけていた物の気がする。装飾品の類はあまりつけないイリスが普段からから身につけていたので、何か大事なものなのかと思っていたのだが・・・
(いや、大事なものだから置いていったのか)
きっと動き回る狩りの途中で無くさない様に、ということだろう。恐らく俺に預かっていて欲しいという事だろうか。
どうやら自分の大事なものを預けてくれる程度には俺のことを信頼してくれているようだ。そう考えると少し嬉しいかもしれない。
まぁとりあえずは会議に向かおう。具体的に何が決まるかはわからないが、イリスには帰って気から報告すれば大丈夫だろう。
・・・このときの俺はも知らなかった。だからイリスの書置きにも、なぜ今居なくなったのかも、ペンダントを置いていった理由も、何も疑問に思いはしなかったのだ。
会議は重苦しい空気の中行われていた。揃って暗い表情で、どうやら皆、薄々あの咆哮の正体について気がついているらしい。
会議が始まってから、しばらくは皆無言だったが、とうとう村長が口火を切り、話し始める。
「薄々気がついているようじゃが・・・あの咆哮、間違いなく氷竜王のものじゃろう・・・」
皆その言葉の前に、やっぱりかとため息をついたり、目を伏せたりしている。氷竜王というのがどういう存在なのかわからないが、どうやら他の皆は全員その存在を知っているらしい。
「なぁ村長、なら俺たちはどうするんだ?このままだと・・・」
門番のディドがそうたずねる。今は魔物も出ないためか、彼もこの会議に参加しているようだ。
「うむ、放っておけば十中八九、奴はこの村を襲うじゃろう・・・悔しいが、村を捨ててどこかに移住するしかないじゃろう・・・」
「そんな、何か方法は無いのかよ!?」
「そうよ!何も村を捨てるなんて!」
「無理じゃよ、相手は竜王じゃぞ?ただの竜でさえ騎士団一個小隊が集まってようやく戦いになるかどうかの大物じゃ。ましてや竜王なんぞ、天災以外の何者でもないわい」
どうやらあの咆哮の正体はとんでもない大物らしい。そして竜という単語・・・やはりアイツと同じような存在で間違いないのだろう。
「戦って勝てないとなれば、あとはあの方法しか無いが、おぬしらはそれを容認するのか?」
「それは・・・」
「さすがに・・・なぁ・・・」
村長の話しぶりだと、戦う以外にこの危機を回避する方法は一応あるようだ。ただ、反応を見る限り皆その方法は取りたくないように感じる。
「ならばもう逃げるしか無かろうて。命を優先するなら、もはやそれしかあるまい・・・」
そう苦い表情で村長が告げる。村長自身、やはり悔しいのだろう。
「それじゃあ早速準備しないとな・・・とりあえずは隣の街までか・・・出来れば明日までにみんな荷物をまとめて・・・って、ヤト、そういえばイリスはどうしたんだ?」
そう言ってディドが話しかけてくる。どうやら俺が一人で参加していることにようやく気がついたようだ。
「ああ、イリスなら南の森に狩りに出かけてくるって。そろそろ食料も無くなって来てたし・・・」
しかしこの感じだと、せっかく獲物をとってきてくれても全部を持ち出すのは厳しいかもしれないな。恐らくゆっくり荷物を纏めてる時間も無いだろうし・・・
「はぁ、南の森だぁ?あそこには狩りの獲物に出来るような動物なんて今は居ないぞ?」
そんなことを考えていると、予想外の答えが返ってきた。獲物が居ないとはどういうことだろうか?
「知らなかったのか?あの森はずいぶん前に魔物に荒らされてから、野生動物がほとんど居なくなっちまったんだよ。今はもう魔物は居ないとはいえ、木材が必要な時位しか立ち入る奴は居ないぜ?」
それが本当だとすると、イリスは何故そんな所に向かったのだろうか・・・
「何じゃ、どうかしたのか?」
俺たちの会話を聞いて村長が話しに入ってくる。
「それがよ、イリスの奴が南の森に向かったってヤトがさ・・・」
「何、南の森じゃと・・・?何でそんな場所に・・・」
少し考え込むような仕草を見せた後、何かに気づいたのか、村長が勢いよく顔を上げる。
「いかん!ヤトよ、それはいつの話じゃ!?」
「えっと、朝の時点で居なかったから多分明け方くらいだとは思うけど・・・」
「なんと・・・ならばもう間に合わないかもしれん・・・・!」
そう言って悔しそうな表情で手を握り締めている。一体どういうことだろうか。
「なぁ村長、一体どういう・・・」
「な、まさかアイツ!?」
俺が聞こうとすると、どうやらディドも何か気がついたらしい。
「うむ、恐らくな・・・」
「良いかよく聞け、ヤト、イリスが向かったのは南の森じゃない・・・北の山だ!」
「は?北の山って言ったら、例の竜王が居るって場所じゃないか、何だってそんな場所に!?」
しかも南の森に行くと嘘までついて、どういうつもりなのだろうか。
「そうか、ヤトは知らないんじゃったな・・・あの子の事は・・・」
「まぁ、イリスが話すとも思えないしなぁ・・・」
「・・・どういう事なんだ?」
何か二人とも納得しているらしいが、俺には話がさっぱり見えてこない。
「うむ、それにはまずあの子がこの村で暮らすようになった経緯からなんじゃが・・・」
そう言って村長は話し始める。村のみんなも、それを懐かしいような、悲しいような表情で聞いていた。
イリスとその両親がこの村に来たのは、今からちょうど10年ほど前になるらしい。どうやら何かから逃げて北の方からやってきたという話だったが、この村自体元々は流民達が集まって出来た村らしく、出自について気にする人間は居なかったそうだ。狼人族ということで珍しさはあったようだが、イリスの両親は二人共よく働いたし、すぐに村に馴染んだらしい。けれどある日、その事件は起こった――
「あの時も、ちょうど今と同じような状況になっての・・・村の外から魔物が消え、気温が急に下がり、夜中に咆哮が聞こえるようになっての・・・」
これは何かおかしいとなった時、イリスの両親は出自を明かしたらしい。自分たちは北の狼人族の国の王族に連なる者で、あの咆哮の正体は氷竜王「ニコラエヴナ」だと。そして氷竜王は定期的に生贄を求め、その役は代々王族の娘が選ばれるのだと。イリスはその役目だったが、自分たちはそれを嫌がり、逃げてきたのだ・・・と。
何でもそれははるか昔、氷竜王に狼人族達が獲物として狙われていた時、狼人族の王家と氷竜王が交わした契約らしい。王家の人間は氷竜王の所有物となる代わりに、国の民には手を出さない、そういう約束をしたそうだ。そしてそのためには定期的に王家の娘を生贄に差し出せと、そうすればしばらく氷竜王は眠りにつくと、そういう事のようだった。
王位を奪えば今度はその家が生贄を差し出さなければいけなくなるため、王家は代々その権威を簒奪されること無く繁栄してきたらしい。しかし、当代の王家では、娘はイリス一人しか生まれなかった。
当然当代の王はイリスを生贄として差し出すよう要求したが、イリスの両親はそれを拒否。そのタイミングで、氷竜王との契約に対して否定的だった第一王子が反乱を起こし、国は内乱状態に。その隙にこうやって落ち延びてきたのだという。
イリスの両親と第一王子は裏で通じていたらしく、内乱の後王家は滅び、国は解体され狼人族は各地に散り散りになったという。国が存在しなければ氷竜王との約束を守る必要は無いと、そういう計画だったそうだ。
これで万事解決とそう思っていたらしいが、なんと氷竜王はイリスたちを追ってきたようだった。どうやら生贄を諦めてはくれなかったらしい。
村人たちの中には、やはりイリスの両親を責めるものも居たらしい。けれどそもそも村人たちの出自自体定かではない者が多かったからか、あまり激しく攻め立てるものは居なかったそうだ。
その時も、結局村を捨てて逃げるという話になったらしいが、その後イリスを残して両親は失踪、それと同時に異変も収まったらしい。
「二人が居なくなった後、書置きが見つかってな・・・今回のことは我々の責任だからなんとかしてくると・・・そして勝手を承知で、イリスを頼む・・・とな・・・」
それを見つけた村長たちは何人かで調査隊を組み、北の山に向かったらしい。そして、そこで見つけたのは・・・一面雪に覆われた山頂と、雪で消えかかっているが、明らかに至死量と思われるおびただしい血の跡と、地面に突き刺さったイリスの父の愛剣と、そして木の枝に引っかかっていた、イリスの母のものと思われるペンダントだった。
「恐らくじゃが、二人は氷竜王に戦いを挑んだのじゃろうな・・・そしてやはり返り討ちに遭い・・・喰われてしまったのじゃろう・・・」
そう言って村長は悲しそうに目を伏せる。恐らく当時の光景を思い返しているのだろう。
「二人を喰らって満足したのか、氷竜王は眠りについてくれたようなんじゃが・・・当然イリスはずいぶん塞ぎこんでしまってのぅ・・・わしらも何も出来なかった自分たちが悔しくて・・・ずいぶん長い間、村の空気は重いままじゃったのぅ・・・」
育った国には戻れず、今度は両親を失い、当時のイリスの失意はどれほどの物だろうか・・・俺には、それがよくわかる。
――俺も、ついこの前同じ経験をしたばかりなのだから。
(そうか・・・イリスも、俺と同じなのか・・・)
そう、俺も竜に両親を喰われたのだ。それがどれだけの衝撃で、悲しみで、絶望か。異世界に飛ばされた、なんて非常事態じゃなければ、恐らくまだ立ち直れて居ないだろう。
(いや、立ち直れては居ないんだろうな・・・)
今はこの世界で生きることに精一杯で、あの時のことを思い返す機会が少ないだけだ。本当の意味で立ち直ることなんて、出来るのだろうか・・・。
両親が居なくなってからしばらくして、イリスは菜園を作り始めたらしい。大人たちが手伝うと言っても聞かず、まるで何かを忘れようとしているかのようにがむしゃらに働いていたという。
魔物退治に志願するようになったのもこの頃からだと言う。子供にそんなことはさせられないと大人達は反対したそうだが、ある日怪我をしながらも勝手に魔物を討伐してきてしまったという。イリスはいつの間にか覚えていたらしい治癒魔法で、自分の怪我を治しながら、その時ようやく笑ったそうだ。
『私にも、出来ることがちゃんとありました』・・と。
恐らく当時のイリスも今の俺と同じだったのではないだろうか。働いている間は悲しいことも忘れていられるし、守ってくれる人が居ないのなら、今度は自分の居場所は自分で作らないといけない。だからとにかく人の役に立ち、自分を認めて欲しいと、そう考えるのだ。
「一歩引いた態度とはいえ、最近ようやくあの子も自然に笑顔を見せてくれるようになったというのにのぅ・・・何故今度はあの子が・・・!」
そこで話がようやく見えてきた。イリスは、恐らく今度こそ自分が生贄になるつもりなのだろう。自分が喰われれば、村に危害が及ぶことは無いと・・・
(くっ!俺は馬鹿か!?嘘の手紙は邪魔されないように時間稼ぎで・・・ペンダントはつまり形見分けって事じゃないか!)
思えば今までおかしい態度はあったのだ。どうして俺はそのことに対して疑問に思わなかったのか。この世界に来たばかりで余裕が無かったとか、そんなことは言い訳にはならない。結局のところ、俺は彼女のことを良く見ていなかったのだ。彼女について何も知らなかったし、知ろうともしていなかった。
(何が彼女を裏切らないだ・・・そもそも何も知ろうとしてなかったんじゃないか・・・)
けど今は彼女のことを少しは知っている。ならばまだ挽回することは出来るだろうか。
「村長・・・北の山まで、どの位の距離があるんだ・・・?」
「そうじゃのぅ、歩いて丸一日という所じゃが・・・まさかお主行くつもりか!?イリスが出発したのが明け方というなら、馬車を使ったとしてももう間に合わん距離じゃぞ・・・?」
つまり、馬車よりも早ければぎりぎり間に合うかもしれないという事か。
彼女は俺にとって命の恩人だ。その恩に報いることが出来るのは、やはりその命がかかっている今しかないだろう。
「ふむ・・・言っても無駄なようじゃのぅ・・・ならせめて、これを渡しておこう」
俺の表情を見て覚悟を読み取ったのか、村長が俺にひとつの鍵を渡してくれる。
「裏の蔵の鍵じゃ、その中には、イリスの父が使っていた剣が仕舞われておる。この村の中では一番の名剣じゃ、恐らく役には立つじゃろう」
なんでも、形見とはいえ、両親を失ったばかりのイリスに剣を渡すというのは、もしかしたら後を追うのではないかと不安だったらしい。確かにそういう不安定な状態の人間に刃物を渡すというのは不味いだろう。
イリス自身、魔物退治などで剣を使うという事が無かったため、そのままずっと蔵に死蔵されていたそうだ。ただ手入れだけは定期的にしていたそうなので、十分使えそうだという。
「ありがとうございます・・・・それじゃあ、行ってきます」
「うむ・・・無理だけはするでないぞ・・・お主とて、もうこの村の一員なんじゃからの・・・」
そう言って悲しそうに目を伏せる。一応武器は渡してくれたが、やはりイリスの事は半ば諦めているのだろう。
けれど俺はまだ諦めては居ない。必ず、二人でここに戻ってくるつもりだ。
鍵を受け取ると、俺はすぐに蔵に向けて駆け出して行った――