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その日も空には青々とした世界が広がっている。
白い雲が西から東へとゆっくりと流れていく。
誰もが昨日と同じように、今日が続いていくと思っている。
ふと、流れている雲の一つが、突如としてかき乱され、霧散した。
誰かが目に止めていれば、思わず何が起こったのかと、自分の目を疑ったことだろう。
京哉が、空に向けて風の魔法を放っていた。
今日で一週間になる。
魔力は充分に回復していた。
京哉がこうして魔法を使う目的の一つは、魔力を感知できる人間を見つけることだ。
そして、もう一つは自分も魔法の技術を少しでも高める目的があった。
もし今すぐに異世界グランダニアに行けたとして、自分の実力で何が出来るというのだろうか。
時間が奇妙なねじれ方をしているから、どのタイミングで異世界にたどり着くかは分からない。
時を遡るのか、それとも元の時間軸に戻るのか。
しかし、どちらにせよ、力がなければ何も成せないのだ。
もう二度と、失うような悲しい思いはしたくない。
京哉は練り上げている魔法の精度を、愚直なまでに集中して、操作していた。
京哉がそうして、真剣に魔法の鍛錬に力を注いでいた時、不意に人の気配を感じた。
元々人の寄り付かない神社の裏手にある森の中だ。
京哉に目的があるとしか思えない。
程なくして、がさり、と降り積もった落ち葉を踏みしめる足音を立てながら、一人の少女が姿を表した。
ずいぶんと若いのが来たな、というのが京哉の感想だ。
もっと年嵩のいった大人が引っかかると予想していたのだが、見たところ京哉と同い年ぐらいだろうか。
黒髪に整った顔立ちで、化粧はごくごく控えめ。
目付きが鋭く、可愛らしさよりも美人といった相貌だ。
体つきは手足が長く、スタイルは良い。
肉付きはあまりよくなく、グラビアアイドルというよりも、モデル体型といったところか。
服装はパンツにジャケット。
戦闘を前提に考えられているのか、ピッチリとしたストレッチ素材で、体のラインがよく分かる。
腰元にはベルトで何かが提げられていて、それが魔術媒体だろうと伺えた。
少女は鋭い声色で、エイジを誰何した。
「あなた、こんな所で大規模な魔術を連発して、どういうつもり?」
「あなたみたいな魔術が分かる人を探してましてね。こうして使っていれば、誰かしら気づくだろうと思ってましたよ。思っていたよりも時間がかかりましたが……いやあ、本当に良かった。日本ではもしかしたら魔法や魔術を使える人間は一人もいないんじゃないかと、心配していたところだったんだ」
京哉は笑みを浮かべて歓迎の意を示した所、女が仰天したように目を見開いた。
ビクリと体を震わせると、腰を落として瞬時に戦闘形態に移行する。
少女の手が腰元へと伸び、一瞬にして一触即発の事態へと移行したのが分かった。
驚いているのは京哉も同じだ。
まさかここまで劇的な反応を示されるとは思っていなかった。
「……なんですって? それはまさか、私がおびき出されたってことっ!」
「え、いや。違わないけど違います――」
「見たところとんでもない実力。逃げるのは不可能そうね……こうなっては仕方がないわ」
「ちょっと、話を聞いて?」
「この身を引き換えにしても、あなたを倒してみせる!」
「ちょっと、ダメだこの人、人の話を一切聞かないタイプだ!」
少女の周りに目視できるほどの魔力が立ち上がった。
外見から伺える年齢を考慮にすると、なかなかの使い手らしい。
グランダニアでも同年齢と比較すれば、上位に食い込むだろう。
少女の魔力が全身に纏わりつき、収束していく。
中空に突如として水球が生成され、唸りを上げて迫ってきた。
無詠唱の水弾があられとなって降り注ぐ。
途中の障害物を撃ち抜いて、速度を落とすことなく迫ってくる。
かなりの威力だ。
だは、京哉の移動を考えた撃ち方ではない。
京哉は初動の時点で動き出し、余裕をもって回避した。
「うそっ! あれを躱した?」
「そりゃまともに受けたら大怪我しそうな一撃だしね。っていうか、容赦ないですね。本当に話を聞いてもらえません?」
「ううっ、動きが速い!」
京哉にとっては、回避しやすい一撃だった。
おそらく、この少女は才能はあり、訓練も真面目に積んでいるだろう。
しかし、圧倒的に実践は少ないように思えた。
理論や鍛錬よりも、実践に次ぐ実践で鍛えられた京哉にとっては、甘さが目立つ。
京哉は身体強化の魔術を使い、少女との距離を詰める。
これから友好的に接したい相手を無力化しなければならない、という状況は、実際に遭遇してみるとかなり難しい。
超至近距離では魔法戦は自分にも被害が出るため、めったに使われない。
そして、低威力の魔法では京哉は欠片ほども傷つかない。
安心して接近することが出来た。
「舐めるな……! 格闘戦だって出来るんだからっ」
「そうだね。良い一撃だと思う」
不用意に接近してくる京哉に、少女は激高した。
元々鋭い目つきに、眉を吊り上げると、とても迫力のある表情になる。
腰の回転から放たれるキレよく突き出された拳を払い受け、手首をつかむと同時に素早く足を払う。
少女の体は横に回転し、優しく地面に倒れ伏した。
数多の魔族、訓練相手になった異世界での剣聖の厳しい接近戦に比べてしまうのは、少女に酷というものだろう。
投げ飛ばした下は分厚い落ち葉の絨毯になっているため、ほとんどの衝撃は吸収してくれている。
安心して投げることが出来た。
「うう……。まさかあそこから投げられるなんて」
「受け身はちゃんと取れたみたいだね」
「……完敗よ。好きにしなさい。ああ、どんな酷い目に遭うのかしら。きっとレイプされるんだわ」
「しねーよ! なんで犯罪者扱いされてるんだ! アンタの頭の中はどうなってるんだ!」
被害妄想が過ぎるというものだ。
少々思い込みが激しい人物だ。
京哉は引き寄せる相手を間違えたかと、少し後悔した。
とはいえ、せっかくの手がかりだ。
このまま逃してしまうのは、あまりにも惜しい。
京哉はどうしても、もう一度異世界に渡りたかった。
そのためならば、どんな苦労だって厭わないと決めたのだ。
「それじゃあ、あらためて自己紹介と行こうか。俺の名前は天宮京哉。故あって、君のような魔術に詳しい人間を探していた。君の名は?」
「……本当に危害を加える気はないのね?」
「疑り深い性格だな。その気があったならもっと手荒な真似をしているさ」
「慎重なのよ。……私は倉本綾子。日本魔術結社のものよ」
日本魔術結社。
どうやら幸先が良さそうだ。
にっこりと笑みを浮かべた京哉は、手を差し出す。
どこかまだ疑いを捨てていない目つきをしながら、綾子は京哉の手を取った。
異世界グランダニアへの帰還への、第一歩を踏み出した京哉。
はたして、倉本はその鍵を握っているのだろうか。