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一体何をされた?
逆さになった状態で、京哉は冷静に状況を把握していた。
何かをされたのは間違いない。
だが、明確な外力が加わった気配はなかった。
気がつけば天地が逆転していたのだ。
ここまでの思考は素早かった。
ゼロコンマ三秒にも満たない。
須臾の間に、京哉は次の行動を開始していた。
両手を頭上に伸ばし、床に手を着くとそのままぎゅるりと独楽のように回転する。
橘まで至近距離に迫っていたのだ。
体勢こそ崩れているが、だからこそ相手が油断している可能性があった。
回転蹴りの要領で踵を橘の顔面へ叩き込もうとしたが、その遥か手前で硬質な感触にぶち当たってしまった。
ガギィ、と金属がへしゃげるような鈍い音がして、京哉の踵に硬質な衝撃が反射した。
橘がわずかに驚愕した表情を浮かべて、逆立ちする京哉を見下ろしていた。
「……結界か」
「ご名答。しかしおっそろしい力よのぉ。妾の結界が軋みをあげておるわぇ」
「まだまだこれからさ!」
京哉は逆立ちから身を折り曲げて着地すると、そのまま橘に迫った。
橘は手を前に突き出して、京哉を拒絶するような構えを見せていた。
しかし結界持ちは厄介だ。
それも橘はかなり防御に自信を持っているようだった。
完全防御タイプか、あるいはカウンタータイプ。
こういった相手はまず近づくだけで一苦労だ。
しかも今の一撃で結界が破れなかった。
今後は強度を上げてくることが予想できるし、ますます一撃を与えるのが難しくなる。
その上、最初の天地が逆転した理由もまだ判明していない。
攻撃の手を休めずに、手の内を明かしていかなければならないだろう。
「さあ、見せておくれ?」
「応とも! 結界が破られたからって、自信失わないようにね!」
「ふふふ、言いよるね。若いってのは自信に溢れててよろしい」
ぎらりと橘の目が光った。
京哉は言葉の応酬と同時に、結界に向けて水の魔術をぶち当てることにした。
「水よ、汝はあまねく恵みを与えるもの、汝は高きより低きに流れるもの。天より流れ、地から還り、鋭く敵に当たり貫け!」
「ふふん。まだまだ魔術の構成は粗い」
「……そんなことは分かってる、さ!」
あくまでも結界の性質を確かめるための小手調べだったが、憎たらしいほどに頑強だ。
有り余る魔力をもとに、構成の雑さを思わせない圧倒的勢いを持って、水弾が迫った。
だというのに、結界を前に見事に弾かれた。
物理的な干渉よりも魔術的な干渉には、より強いようだ。
とはいえ、京哉もこれぐらいの結果は予測済みだ。
放った水の魔術に合わせて身体を強化し、結界を全力で殴りつける。
右左のフック。
腰を切り返し、もういちど右のストレート。
ギシリギシリと結界は軋みこそするが、壊れるには届かない。
そして前方へと進む力をすべて拳に乗せた高速の三連撃は、全て手応えが異なった。
「吸収、反射、逸らし……? これは多重結界か!」
「ご名答。よう分かったねえ。で、次はどうしてくれるん?」
「小手調べの攻撃じゃあ破れそうもないなあ」
反射結界によって、己の力のほとんどの返ったために、京哉の手首はじんじんと痛みを訴えていた。
回復魔術はあまり得意ではない。
だが、このままでは次の一手に備えることも出来ないため、弱音を吐いていられない。
無詠唱にて行使。
そのまま一旦引き下がって、回復を待った。
橘はそんな京哉の内心をお見通しなのか、余裕の態度を崩さない。
首を傾げ、細めた目から京哉の動きを窺っていた。
「妾の結界が完成してから一撃を与えられるような人間は、日ノ本広しと言えども三本の指に収まるよ。お兄ちゃんはどうやろな?」
「そりゃあ結構なことだ。だけど守ってるだけじゃあ、相手は倒せないぜ?」
指をくいっくいっ、と曲げて、かかってこいとジェスチャーを送る。
相手を誘導するための簡単な挑発。
しかし、相手は自分の戦い方に自信を持っている。
こういう相手は、生半可な挑発では自分のスタイルを崩さないだろう。
分かってはいたが、それでも試さない理由にはならない。
「もう結界を突破するのは諦めたん?」
「いや、その気になればできるよ。あなたみたいな結界持ちとの経験もあるからね」
「へえ、それは詳しく聞いてみたいわ。誰やろね? 妾はこれでも、そんな実力者やったら絶対に知っとると思うんやけど」
「断言しても良いけど、知らないやつだよ」
知るわけがない。
京哉の考えている相手は、同じ地球上にいる者どころか、人間ですらなかった。
異世界グランダニアの魔将の一人だった。
とはいえ、あの時は京哉一人で戦ったわけではなく、仲間がいた。
今は一人だ。
となると、少しだけ厄介かもしれない。
「しかし、えらい自信やから、ちょっと本気で壊せるか試してみはる?」
「ああ。やってみようか」
「そりゃ結果がたのしみや。それと、結界いうんは、守ることだけが能とちゃいますで?」
「なんだって……?」
小さく、ささやき声で橘が二小節ほど唱えた。
音とともに、京哉の周りに結界が張られる。
京哉の周囲に張り巡らされた三メートル四方ほどの結界は、これまでの防御用を転用したものか、かなりの強度があるようだ。
簡単に壊せるようなものではない。
「盟主……! まさか!」
「綾子……?」
これまで二人の戦いを静観していた綾子が、何かに気付いたように、慌てて京哉へと駆け寄る。
一体何をそんなに慌てているのか。
綾子は近寄ろうとしたが、結界の透明な壁に遮られて、京哉に近寄ることは出来ない。
ガラスに張り付いた手のように、綾子の手のひらが透明な結界にピタリと密着しているのが分かった。
綾子の表情は張り詰めているように見えた。
京哉は見た。
結界の内部に、揺らぐようにして立ち上る魔力の塊。
それは、急速にその密度を増し、熱膨張を開始している。
爆発系の魔術だ。
気付いてヒヤリと背筋が寒くなった。
このような結界で密閉された狭い空間で、爆発系魔術が行使されれば、どのような結果になるだろうか。
衝撃は逃げ場を失い、熱は体を焼くだろう。
冷ややかな橘の目。
唇は薄く笑みをかたどっていた。
ーーまさか本気で殺す気か!?
京哉は己の勘違いを悟った。
京哉にとって、この戦いは己の実力を示す場だった。
そして、日本魔術結社にとっても、自分のメンツさえ保てれば協力してもらえる。
そのように京哉は考えていた。
同じ日本人同士である。
殺し合いを続けてきたエイジとしても、平和な日本で本気の殺し合いなどするまい、という思い込みがあった。
だが、違ったのだ。
京哉には後ろ盾がない。
突如面会を申し込み、協力を要請する京哉の存在は邪魔でしかなく、しかも排除してもあとはどうとでも対処できる存在だと映ったのだ。
……甘かった。
もっと慎重に、賢く立ち回るべきだったのだ。
失敗した、失敗した、失敗した……!
逃げ場はない。
結界を瞬時に砕くほどの猶予もない。
魔術はこの一瞬にも膨張し、いまにも爆発しそうだ。
すでに焼くような熱気が肌にチリチリと刺激を与えていた。
どうすればいい。
まともに直撃を受ければーー死ぬ。
「くそっ……!」
「京哉ぁああーーー!」
凄まじい爆発。衝撃。
結界内の空間を、白熱した光が満たした。
綾子の悲鳴だけが爆音を斬り裂いて、道場に響き渡った。
原稿の息抜きに。
後日修正するかもです。
最近ブクマと評価入れてくれている方のお陰で、1600ptを超えてきました。
ありがとうございます。