間話 私の姉上
姉上と出会ったのは、8歳くらいの頃だったでしょうか。
その日は従兄妹であり婚約者でもあるリーナと共に、お忍びで街へ出掛ける日でした。
私たちには身分上、当然護衛がいます。
当時、私にはそれが不満でした。
リーナと2人きりで遊びたい。そう思ったのです。
リーナにそう言うと彼女も頷いてくれました。
そして、賑わっていた店に入り、護衛を撒くことに成功しました。
悪戯が成功した楽しさとリーナと2人で遊べる嬉しさで喜びました。
しかし、お忍びとはいえ私たちの格好や言動は上流階級の者と誰にだって見抜かれるものでした。
「よう、坊ちゃんたち」
「ちょっと俺たちと楽しいトコ行かな〜い?」
「!?」
何だ?この者たちは…。
それまで城から出たこともない世間知らずな私でも、これだけ柄が悪く下品な言葉を聞けば、危険だと理解出来た。
「サイラス…」
「大丈夫」
怯えるリーナを背後に庇い、安心させる為に微笑んだ。
本当は私も怖かったけど。
たかが8歳の子供が、荒事に得意そうな大人の男に適うなど思っていなかったけど。
でも、リーナに格好悪いところを見せたくないというプライドが、私を奮い立たせた。
「怯えちゃてか〜わい〜」
「ぎゃははは!」
「ほら、こっちおいで〜」
1人の男がこちらに伸ばしてきた手を叩き落とし、睨みつけた。
「リーナに指一本でも触れたら、絶対に許しません」
「…ぷっ!ぎゃははは!」
「小さな騎士サマってかぁ!?」
「おいおい、カッコイーなぁ?」
「でも、何が出来んのかなぁ?小さな騎士サマは」
ガツッ、と鈍い音共に宙に放り出された感覚を受けた後、身体中に痛みが走った。
殴られたのだと少しして気付いた。
「いやぁ!サイラス!サイラスっ!」
リーナの悲鳴のような声。
私を案じる声。
赤に染まった視界を凝らせば、リーナが男に抱えられていた。
「リーナっ!!」
「大人しくしてろよ〜お嬢ちゃん」
「リーナを離せ!」
「サイラスっ!助けてぇ!」
「静かにしてろ」
「おい、口塞げ」
「リーナ!このっ、ぐぁ!」
腹を圧迫され、内からせり上がってくる物を呻きながらも抑える。
私の腹を踏みつけている男はニタリと私を見て嗤った。
「無力だなァ、小さな騎士サマ。お前が弱いから、オヒメサマは連れていかれちゃう〜ぎゃははは!」
無力。
私が2人きりになりたいと願ったばかりに。
私が弱いばかりに。
リーナが…っ!
「下種が」
突如、風が凪ぎ、青い炎がその場を囲った。
「な、何だ!?」
「炎!?魔法か!?」
「逃げ道が塞がれたぞ!」
カツ、カツ、カツ
男たちが騒ぐ中、何故だか2つの足音がよく響く。
「嫌だね〜、自分より弱いチビッコを甚振ることでしか自分を強くみせれない屑は」
「激しく同意」
子供特有の高い声が聞こえてくる。
「何だ?」
「ガキ?」
「何だぁテメラァ!!」
男たちが威嚇するも。
「うっせぇな」
「アンタたちみたいな屑が、カッコイイ小さな騎士サマを貶すなんて、許されると思ってんの?」
「有罪確定。死刑ものだぜ」
その声たちは全く意に返さない。
「さっさとオヒメサマを離せよ」
「じゃなきゃ…」
悠然とこちらへ歩いてくる2人組。
「地獄より怖い目にあうよ?」
「あうっつーか、キャリーがあわすんだけどな」
「ウェルもやるでしょ」
「当たり前」
私とリーナより2つか3つくらい年上の男の子と女の子だった。
2人は状況を理解出来ている様子なのに、焦った様子も脅えた様子も見えない。
ただ普通に、歩いている。
炎に囲まれた中心へ。
一方、私はよく状況を理解出来ていなかった。
だが、2人はこの国の民だと理解出来た。それを理解した瞬間には、口を開いていた。
「に、にげてっ!」
「にげてくださいましっ!」
私は王族、リーナは公爵家。
私たちは、民を守るべき存在。
どんな時であろうと、民を傷付けさせる訳にはいかない!
「……かぁーっこい〜」
「うん、益々殺意が湧いてきた」
「俺もだよ」
女の子は右手を掲げ、男の子は腰に差していた片刃の変わった剣を抜いた。
そして、ニッコリと笑った。
「大丈夫よ、少年少女」
「絶対正義じゃないけど」
「「子供を傷付ける奴は許さない」」
一瞬だった。
女の子が横に薙ぎ払った手から放たれた初級魔法の筈の【火球】が男たちを恐ろしい速さと火力で飲み込み、男の子がリーナを抱えていた男の足、腕、顔を順に斬りつけて倒した。
その拍子に宙に投げ出されたリーナはふわり、と何かに包まれるようにして何事もなく地面に降り立った。
「えぇ〜、ここは俺が格好良くオヒメサマを抱き留めるとこじゃね?」
「ウェルったら忘れたの?触ったら小さな騎士サマに怒られるんだよ〜」
「おっと、そうだった」
何が何だかわからない。
とにかく、男たちは倒されて、不思議な2人には怪我がなくて、リーナは無事だった。
「サイラス!」
「リーナ…」
無事だった?
外傷がないから無事?
違う。
怖い思いをさせてしまった。
「ごめん、リーナ」
「な、何を謝るのですか?わたくしこそ、サイラスが殴られてるのに何も出来なくて…サイラスが血を流して…サイラスが…死んじゃうかとっおもっ……う゛ぅぅ〜〜っ!」
ボロボロとの瞳から涙を流して、リーナは私に抱き付いてきた。
「リーナ…。心配かけてごめん。怖い思いさせてごめんね」
「あっ、謝らないでくださいまし!わたくしにも否があるのです!で、ですからっ、おあいこですわ!」
毅然と顔を上げて、そう言ってくれる彼女に堪らない程の愛おしさを抱き、強く抱き締めた。
「……ありがとう、リーナ。大好き」
「わっ、わたくしも、大好きですわ!」
涙で濡らした瞳で、リーナはとびっきり可愛い笑顔を見せてくれた。
「…か、カッワイイぃ〜」
「何でチビッコってこんな可愛いんだろうな」
「天使だよね」
「な。つか、キャリー、少年のケガいつ治したんだ?」
「少年を見つけた時。血の痕は消せないけど」
「速っ!流石だな〜」
「ところで、これどうする?」
「放置でいいだろ」
「そっか。まぁ、これじゃ報復なんて出来ないだろうしね」
「ご丁寧に全員の両手指や片足が炭になってるもんな。少年たちが目にしないように幻覚までかけて」
「うふっ」
「怖っ!」
「私たちは基本一緒にいるから襲われても大丈夫だし、少年は…陛下に似てるしね」
「あー、やっぱか。女の子は王妃様と髪色似てるしな」
「何でこんなところに居るのかな」
「さあ?お忍びじゃね?」
「護衛なしで?」
「逃げ出したんじゃね?」
「…やるな」
「な。この年で好きな子とデートだぜ?最近のチビッコはマセてる」
「確かに」
女の子と男の子が、まるで大人のような雰囲気とセリフで話していたことに、私たちが気付くことはなかった。
女の子はキャリーさん、男の子はウェルさんと名乗った。
恐らく愛称だろう。
「あの、助けてくれてありがとうございましたっ」
「ありがとうございました!」
ペコリ、と頭を下げると、頭に手を置かれてわしわしと撫でられた。
その無造作な仕草に、少し驚いた。
「んー、よしよし。カワイイなぁ」
「チビたちさぁ、あーいう状況の時は助けを求めなきゃダメだぜ?」
「そうそう。もっと自分を大切にしなさい」
「でも、私たちは…」
民のお陰で、私たちは生きていられる。
何不自由なく。
だから、私たちは民を守らなければいけないと教わった。
自分たちの責任で危険な目にあったのに、どうして民を巻き込められる?
「いいか?キミらはチビッコだ。何に対しても無力な時の方が多い。出来ないことの方が多い。実際、さっきはピンチだったろ」
「「……」」
反論の言葉なんてなかった。
「だから、出来るようになるまで、力をつけるまで、周りを頼りな。誰も怒んねぇからさ」
優しさを含んだ言葉の後に、今度はガシガシと乱暴に撫でられた。
リーナと共に、髪はボサボサだ。
「責任感があるのは良いことだけど、あり過ぎも困るってね〜」
「真面目も考え物ってやつ?」
「そうそう。息抜きも必要っていうやつ」
「難儀だな〜………そうだ。遊ぼうぜ!」
ウェルさんが脈絡なしにそんなことを言った。
「え?」
「それいいね!ウェル、ナイス!」
「よし、チビたちよ、街の穴場という穴場を紹介してやる!」
「え?え?」
「あの、でもわたくしたち…」
「私は街にいるであろう護衛さんたちに連絡しとくから、ウェルはどこ行くか考えといて」
「オッケー!どこがいいかなー。あ、あとメシ屋も…」
次々と予定が決まっていく様子を呆然と見ているしか出来なかった。
ふと、視線をキャリーさんにやると。
「じゃあお願いね、シルク」
何と精霊と会話していました。
「精霊!?わたくし、初めて見ましたわ!」
「私も…」
この年で精霊と契約をしているなんて…。
衝撃で忘れていたが、思えば男たちを倒した時の魔法。
初級魔法であの威力ということは、魔力の密度が濃いということであり、熟練度の高さを示している。
あれほどの威力、王宮魔法師の中でも上位の者でなければ行使できない。
ウェルさんだってそうだ。
リーナを避けて間違いなく確実に男を斬り倒したあの腕前。
騎士と比べても何ら遜色ない。
私たちと年はあまり離れていないであろうこの2人は、一体…?
「あの…」
「ん?」
「どうした?」
「お2人の、姓は?」
そう聞いた途端、2人はニヤリと心底楽しそうで人の悪そうな笑みを浮かべた。
「…へ〜ぇ?」
「庶民に姓がないのは、常識だよな〜」
2人の格好は確かに私たち王族や貴族が着るものとは、品質が違う。
だけど、恐らく2人は私が第2王子だと気付いている。
庶民なら裕福な家の子だなで済む。王族がこんなところに居るとは思わない。
「名乗っちゃったら、そういう風に態度変えないといけねぇじゃん?」
「今のところはただのキャリーとウェルで、ね?遊んだ後に送るついでに教えるから」
茶目っ気たっぷりに言われて、私は頷いた。
嘘ではないと思ったから。
「で、今から遊びに行くから、お姉ちゃんって呼んでね!」
「はい?」
お、お姉ちゃん?
「私、弟分はいるんだけど、姉呼びしてくれるような子はいなくてさー。姉呼び憧れるのに」
「俺は別に何て呼んでもいいぜー」
「…お、おねえさま?」
リーナがおどおどと躊躇いがちに、キャリーさんの顔を覗き込みながらそう呼んだ。
「!!…ヤッバイ、凄くカワイイ!」
「攻撃力高ぇ!」
……。
何か、ちょっと面白くありません。
「……ぉ、お、あ、姉上っ!」
「はい!っキャー!姉上だって姉上!カーワーイーイー!」
「良かったなー、キャリー」
「うん!」
「そんじゃ、遊ぶか!」
「っはい!」
「はいですわ!」
その後、私とリーナは初めて「遊び倒した」という言葉がピッタリなくらいにたくさん遊んだ。
同世代の子供たちとも走り回った。
初めての経験だった。
とても、楽しかった。
「じゃ、帰ろっか」
「いつもんとこでいいよな」
「うん。許可も取った」
2人の会話に首を傾げつつ、後を付いて行くと、まさかだった。
帰りは門から帰るのだとばかり思っていたから、町から隠し通路を通り人気のない城の廊下に出て驚いた。
何故王城の隠し通路を知っているんですか!?
え、男爵と子爵でしたよね!?
混乱している私とリーナを引き連れ、入った部屋には。
「お、キャロラインにウェルスー。うちのが悪かったなー」
父上。
国王陛下。
国の最高権力者。
「全然いいっすよー」
「私たちも楽しかったですし。2人に姉って呼んでもらいましたし〜」
「そーかそーか。あ、菓子あるぞ。食うか?」
「「いただきまーす!」」
………。
私がおかしいのだろうか。
リーナに至っては意識をどこかに飛ばしてしまっている。
「ティモール嬢、デュラン王子と添えば、本当の弟妹になれるぞ?」
「あははっ、冗談やめて下さいよー」
「宰相さん、冗談言えるんすね」
どうして冷徹宰相と名高い彼とも気安く話せているんですか。
訳がわからない。
「あ、姉上…?」
「ん?あ、サイラス殿下、もう姉呼びしちゃダメですよ」
「そうそう。もう城なんですから。家名も名乗っちゃったし」
「メルリーナ様もですよ?」
「俺らは底辺貴族、殿下は王族、メルリーナ嬢は公爵家。気安く話し掛けちゃダメっすよ」
先程までのように話してはいけないと言われて、ショックを受けた。
「な、何でですか!」
「な、何故ですか!」
思わず、そう叫んでいた。
リーナもだ。
「へ?」
「殿下?」
「ち、父上や宰相はっ、名前で呼んでるじゃないですか!仲良さそうに話してるじゃないですか!なのにっ、何で…!?」
「お、お姉様はっ、もう、わたくしたちのことが嫌いなんですの!?」
「えっ?いや、そんなまさか。こんなカワイイ子たちを嫌うなんてどこの屑…」
「なら何でお姉様って呼んじゃだめなんですかぁあああ!うわぁぁあんっ!!」
「リーナ、泣かない…で……ぅ、うぅ〜うぇぇえんっ」
「え、えぇ〜?その、2人とも泣かないで?あのね、この世界には身分というどーしようもない壁がね」
「うわぁぁあんっ」
「うぇぇぇえんっ」
「あう〜」
「随分、気に入られたなぁ」
「流石はティモール嬢ですね」
「キャリー、頑張れー」
「ウェルも慰めなさいよ!」
困らせているとわかってるのに、止めなきゃと思ってるのに、後から後から溢れ出てくる涙は止まらなかった。
「ぐずっ…ぐすっ…」
「うっ、うっ…」
「「ずびーっ!」」
リーナと揃って、鼻をかんだ。
すると、幾分か気分がマシになった。
「落ち着いた?」
「はい…」
「はいですわ…」
恥ずかしい。
大泣きしてしまった。
何だか今日は泣いてばかりだ。
「…おねぇさまぁ」
「うっ!」
リーナがじぃっと見つめて、懇願する。
「どうしても、だめですかぁ?」
「〜〜〜っ」
是が得られない。
悲しい、と思った。
嫌だ、と思った。
「あねうえぇ…」
「ぁ、う、うん!いいよ!むしろウェルカム!」
「「!」」
きっと、この時の私とリーナの顔は、喜色満面だったと思う。
「あ、負けた」
「負けたな」
「負けましたね」
「外野うるさい!」
「姉上っ!」
「お姉様っ!」
「〜〜かっわい!何この子たち!天使!?」
姉上は、笑顔で私たちを抱きしめてくれました。
それは、今でも。
「サイラス〜」
懐かしい思い出に浸っていると、リーナがこちらへ駆けてきた。
どこか得意気な顔で。
「リーナ?」
「ふふん。あのね、昨日わたくし、お姉様とルルージュ様とお茶したんですのよ」
「え!?ズルいよ、リーナ!何で私も呼んでくれてなかったの!?」
「女子会でしたのっ。サイラスは男の子だからダメなんですのよ。羨ましいでしょ〜!」
「む〜!ズルい!今日は私が誘いに行く!」
「それは勿論、わたくしも一緒ですわよね?」
「……当たり前でしょ」
愛しい婚約者と大好きな姉上と、午後はお茶にしましょうか。
…ウェルさんも誘おうかな?
姉上を語るにはまだ足りないけれど、今日のところはこれまで。
最後に。
私の姉上は、優しくて最強で、自慢の姉上です!
俺様は知らないのに第2王子は主人公を知っていた訳。
こんなことがなかったら、多分主人公は第2王子にもその婚約者にも関わらなかった。