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たろ君の秘密  作者: SHINOBI‐Z
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名前のない男1

僕の名前はない。

いや、戸籍がまだあった頃はそれらしいのはあった。あったが、さほど名前を呼ばれた事も当時はなかったと思う。だからあまり名前というものに、自分の識別記号に執着はなかった。









僕は幼い頃から、気味の悪い子供だった。

おばけの声が聞こえる、と言っては母親を泣かせた。誰にも聞こえない人と会話したり、誰も知らない事を勝手に話す変な子供だった。


毎日のように病院に連れて行かれた。だが検査の結果、障害や病気の判定はされなかった。


周りに溶け込めない異質な子供を、両親は最初は心配し、次に叱咤し、最後には絶望した。そして弟が生まれると、僕は両親には見えない子供になった。最初からそんな子供はいなかった、と意地悪とか憎悪ではなく本当にそう認識していたのが自分でも分かっていた。だから特段文句はなかった。何か困った事もない。生きる為に必要な大抵の知識は何となく既に分かっていた。

そのうち学校の先生や同級生も、僕が分からなくなっていった。出席を取るときも自分だけ名前が飛ばされたり、配布物がなかったりするのが何度か続いた後は完全に僕は存在しない生徒になっていた。一応、教科書だけ全て読んでから学校は行かなくなった。


(そういうことか…)


ある程度、歳を取るとやっと自分が異物である事が分かった。身長が伸びて声が低くなる度に、騒めき程度に聞こえていた耳鳴りが段々はっきりしていき、やがてそれが他人の思考する音だと分かった。


人の考えている事が手に取るように分かったし、多少それを操る事が出来た。特に大きな驚きはなかった。ずっと正体の分からなかった不可解さがやっと取れたといった感覚だった。とはいえ、その力を思うままにコントロールするのは数年要した。


今なら分かるが、無意識下で誰にも自分の事を認知しないように操っていたのだと思う。だから、自分の存在が誰にも分からなくなってしまったのだろう。大抵の異能者は、身体的に成熟するか精神的ダメージがトリガーになって能力がはっきりと発現していくらしいが、自分の場合は幼い頃に両親に責め立てられた事による自己防衛機能が働いたのだろう。異常ではない、と他人に思われたくなかった結果誰にも存在を分からなくしてしまった。しかし、その能力のお陰で『組織』から目を付けられるのは、平均よりもずっと遅くて済んだ。


しばらくは日雇いの仕事を続けながら、国内をあちこち転々としていた。

能力を駆使すれば大抵の事は卒なくこなせた。その頃は、自分の力を使うのにさほど罪悪感はなかった。歩くとか手を使うとかと、同じような感覚だった。


ただ、人と会話するのには抵抗があった。無視され無いものとしての扱いにあまりに慣れすぎた。それに言葉を交わさずとも他人の意思は汲み取れたし、それに合わせるだけなのに今更自分の意思表示をしても意味もないように思えた。自分の声も好きじゃなかった。頭の中で混じるどんな思念より、自分の声は濁っているような気がして気持ち悪かった。


『どうしてそういう事を言うの』


母親の嗚咽混じりの怒声が耳の中に蘇る。

自分の口にする言葉の全てが、他人を悲しませるのは十分理解している。相手の思念が読み取れてしまう自分の発言ひとつで状況が一変してしまう事もあるだろう。

言葉によるコミュニケーションは悉く避けた。


当然、そんな僕には親しい人と呼べるような人間はいなかった。自分で他人に認知されないよう仕向けていたので、その事については何ら不満も寂しさも感じない。


はずだった。一生。








「あ、来た!待った?」


昼間、所用で街中を歩いているとたまたま大学生くらいの女性に腕を掴まれた。

驚いた。彼女とは全くの他人で面識もないし、そもそも僕の存在を認知できる人間は多くはいない。


不思議に思いながら僕はその女性の思考を辿った。彼女、遠藤一果は追い詰められていた。

大学の同じゼミの元恋人の浮気の仕返しに知り合いに情報を横流しして、相当恨まれていた。元恋人は彼女に対して嫌がらせを繰り返すようになり、果てはネットで知り合った何人かの男達の手で彼女に乱暴をした後はその証拠をバラ撒こうとしていた。

幸いな事に彼女は何事かをされる前に必死に逃げて、僕の腕を掴んだのである。

彼女はきっと運がいい。

もしこれが何の能力のない普通の人間ならば、逃げ切れないどころか一緒に巻き込まれるだけだったろう。


「あぁ?一果、誰だよその男」


「あ、あああ新しいカレシだよ!たろ君!たろ君、っていうんだから!」


…たろくんって誰だ。もしかして僕の事だろうか?なぜ彼女の記憶を辿ると遠藤家の飼い犬タロウが思い浮かぶのか甚だ謎だが。


「もうあんたの事なんかどーでもいいんだから!ナナちゃんだかアキちゃんとよろしくやればいいじゃない、一果なんかに構わないでよ」


彼女は威勢よく啖呵をきったが、それは多分逆効果だ。相手の怒りが大いに煽られたのが分かる。


「だからお前のせいで逃げられたんじゃねーか!!殺すぞ!」


と、彼女の腕を掴んで無理矢理引っ張りあげようとした時にその前に立ち、彼の目を見た。


「な、なんだよ…お前は」


気まぐれだった。ただ誰かに頼られたのが嬉しかっただけかもしれない。例え見ず知らずの人間でも。

人前で能力を使ってみせるのは初めてだった。誰かの為に行使するのも。

ちょっとしたヒーロー気取りだった。


「…………」


「な、なによ。どうしたのよ、急に黙って」


男の様子を怪しんで、彼女が僕の後ろで声をあげる。勿論、彼女もちゃんと操って自分の事を忘れさせるつもりだ。


「…げろ…」


失敗した。思考を弄っているうちに目を回して男が崩れ落ちた。…多分、命と精神にも別状はないと思う。慣れない事をするから緊張して上手く力を制御出来なかった。


「すっごーい!コイツ柔道の有段持ちなんだよ!?それをのしちゃうなんて、お兄さんすごいんだね」


違う。指一本触れていない事は彼女も見ているはずだ。しかも穏便に諦めさせるつもりが失敗して気絶させてしまった。


「ねぇ、今時間あるならご飯でもどうですか?お礼に奢りますよ!」


一般人に深入りするのはあまり良くないと何となく知っていた。僕は違うのだから。


「近くにすごーく美味しいタイ料理のお店があって…トムヤンクンとか絶品なんですけど」


しかし、この力が不安定な状態でまた催眠なんか使ったらどうなる。もしかしたら目を回すだけじゃ済まないかもしれない。


「あ、私、××大三年の遠藤一果っていいます〜。なんかごめんなさい、いきなり巻き込んじゃって」


それにこの男がまた目を覚ましたら、また同じ事をするかもしれない。その脅威がなくなるまでは近くで見守る必要があるのではないだろうか。


「お兄さんって、この辺の人なんですか?年も近そうですよね?大学生?」


誰かと一緒に食事を摂るのは随分久しぶりだった。いや、外食すら随分前にしたきりだ。金銭が苦しいというよりも、食事を楽しみたいという欲求が無かった。


「あ、お酒頼んでもいいですか?すいませーん、サンソム2つ!え、お兄さんも飲むでしょ?もしかして、飲めない?仕方ないなぁ、じゃあ一果が飲むかぁ。でへへ〜」


それにしても、彼女はなんと警戒心のない人間なんだろうか。返事もしない不気味な男となぜ楽しそうに酒を飲んでいるのか。


「くっそーあのゲス男めぇえ〜〜思い出したら腹立ってきた…。元はと言えばてめーが浮気したのが悪いんだろうが。それを逆恨みしやがって…」


心を読むまでもない。彼女は思った事をすぐ口に出してしまう性質の人間でそれは酔うと尚更顕著になるらしかった。

急に怒り出したり、笑ったりする彼女の顔を見ていたらもう閉店間際だった。


「よし、お兄さん、もう一軒行きましょ!」


僕は平気だが彼女はあまり大丈夫ではなさそうだったので、家に帰らせようとした。


「やーだーーー!帰りたくなーーいーー」


「……」


どうしたものか。彼女も意識が安定しなくて記憶が辿れず自宅への道も分からない。

外よりかはマシだろう、と自分が借りているアパートの一室で彼女を寝かせた。今思うと年頃のお嬢さんになんてことを、とは思うくらい非常識な真似だった。

とはいえ、その夜は何も無かった。酔いが回った彼女を介抱した以外は指一本触れていない。邪な感情も覚えたりしていない。


でも、それから彼女は僕の部屋を覚えてしまい大学から帰る途中には寄り付くようになってしまった。

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