後編
『ごめん、別れよう。さよなら』
たったこれだけの言葉を文章で伝えるだけで、簡単に一果とたろ君の5年間はなかった事になるのか。
そうは思わない。たろ君が超能力者だったり、良く分からないけど誰かに狙われてたり、変な大男が来て組織だの護衛だの言って何故かたろ君が連れてかれてこんな訳の分からない状況で、一方的に別れようと言われたって納得できるはずがない。せめて説明くらいしてほしい。私は超能力者じゃないんだから、何も言ってくれなきゃ分からない。こんなのってない。
「だから言ったでしょ。あんた騙されてたのよ」
素子が頬杖を付きながら言った。現在進行形であらゆる穴から汁を垂れながしている一果に箱ティッシュを寄越す。鼻セレブな所に素子の優しさを感じる。
あれからすぐマンションの火は消えたのだが、一果とたろ君の部屋はほぼ全焼状態。
帰る家もなし、どこかに移動する足も無し、という事で素子の家に転がり込んだのである。
素子は家が燃えたと聞いてそりゃもうものすごい勢いで驚かれたし事情を聞いたが、それ以上に一果がふがいない様子だったせいか段々落ち着きを取り戻し、部屋に快く入れてくれた。本当、素子いいやつだ。
「騙されてなんか、ないもん」
「どこがよ。いきなりばっくれて、家が火事で音信不通。もしかしてその彼氏が家に火でもかけたんじゃないの、証拠隠滅のために」
「たろ君はそんな人じゃない」
「そんなの分かんないじゃない。あんた彼氏の事なんて全然知らないじゃん」
それは、と反論しようとしてその先が続かないのが悔しい。
たろ君の情報は電話番号とかメールアドレスとかの変更可能なものしか知らない。実家や職場はどこで、友達や家族がどんな人なのかも分からない。かろうじて同じ職場の人らしき人物には会ったが、その人と接触はもう二度とできそうにない。
一果が自分から聞かなかったから言わなかっただろうか。それともたろ君は一果になんて自分の事を話したくなかったのだろうか。
「うぇえ、たろ君に会いたいよ…」
「辛いだろうけど認めなさい。奴はもうあんたとは関わり合いのない人間なの。どんなに言ったってもう何も出来ないし終わった事なのよ」
テーブルに伏せったまま動かない一果に痺れを切らしたのか、素子は鼻セレブを束で掴み「きったないわねー」と言いながらゴシゴシと一果の顔を拭きだした。いや、素子。そんな事されても一果の鼻水やら涙やらが顔というパレットの中でぐっちゃぐちゃにミックスされているだけだからね。
「諦めたらそこで試合終了なんだよ…」
「だからもうとっくに試合終了してるんだって。別れようって言われたんでしょ。ということ向こうにもう一果には特別な感情はないってことだよね。そんな状態の相手にもう何を言った所で無駄だよ。気持ちは戻らない、悪化するだけだよ。だからもうすっぱり忘れちまいな、そんな男の事。結局惜しかったのは無駄にした時間でしょ」
「無駄じゃないもん…たろ君と一緒にいた時間はすごく幸せだったもん」
じわ、とまた目の奥が熱くなる。視界が潤む、霞む。鼻水が出る。啜るとツンと痛い。
好きなのに。こんなにたろ君の事が好きなのに。
たろ君の正体が何だって愛せる自信がある。たろ君のためならなんだってできる。
最悪騙されてたって良かった。それでも私の傍にいてくれるなら、その理由に何か邪なものがあったって構わなかった。
「わかった、わかったって」
嗚咽と吃逆のループが止まらなくなり再びスーパー泣きべそモードに突入しようとした時に、素子が立ち上がった気配がした。そして間もなくしてまた席に戻った。なんだろうと思って顔を上げると、テーブルの上にはお酒の入ったボトルとコップが二つ置いてあった。しかもウォッカ。
「飲みな。今日はこれ飲んでさっさと寝な。明日は仕事でしょ?男にふられたくらいでくよくよして会社休むような弱っちい女じゃないでしょ、一果は」
「か弱い女だもぉん…たろ君がいないとなんにもできないしぃ……」
「なにがか弱いよ。誰よりもど図太い神経してるくせに」
乙女に向かってその評価は心外だ。
だけど、素子が湿っぽくならないように話し相手になってくれているのが分かっていたから、もう半ばやけくそにグラス並々にウォッカを注ぎ喉に一気に流し込んだ。喉を過ぎたアルコールの熱さに咽せた、そして良く分からない内に意識が遠ざかっていった。素子が何か言っていたのが聞こえたが、そのまま視界はブラックアウト。
そうしてその一日は終わった。
◆
「遠藤さん、どうかした?」
翌日、職場にてパソコンに向かって作業をしているとOL仲間である同僚に話しかけられた。
「え?どうもしてないですけど」
答えると、いやいやいや!と両手をぶんぶんと振ってまで思いっきり否定された。何故…。
「あの遠藤さんがシュークリームに反応しないなんてっ!なんか身体の調子悪いんですか!まさか今流行りのテング熱!?」
そういえば彼女が手に持っているのはケーキ用の白い箱だ。
差し入れとして持ってきてくれたのだろう。
「別に至って健康体よ。シュークリームありがとうね」
「ぶ、部長~!やっぱり遠藤さんが大変ですう!あの、遠藤さんがシュークリームの残機を計算しないなんてっ!買ってきたケーキ屋さんの名前すらチェックしないなんてっ」
どんだけ食い意地張ったキャラだと思われてるんだろう、一果は。
本気で焦った心配そうにされると逆に申し訳なくなってくる。
「ていうか遠藤さん、目もなんか腫れぼったいし全体的に生気の無い顔してません?ほんと何かありました?」
「どうしたどうした、木村君。遠藤君がどうかしたのかね」
あ、部長。本当に来ちゃった。
頭を掻きつつ、話があまり大きくならないように考える。
「いやー、えっと、本当私事なんですけど…」
「うん。なんでもいいから言ってみなさい、部下の心配事を取り除くのも仕事だからね。ほら、僕のシュークリーム食べていいから」
「あ、さっき木村さんから貰ったので結構です。そんなに食欲なくて…」
気持ちだけ頂きます、と答えるとどことなくくまモンに似ている部長は両手で口を覆っていかにも「信じられない…」という顔をしていた。ちょっとその驚き方に女子力を感じる。
「ききき木村くんんん!」
「ぶぶぶ部長おおおお!」
そして木村さんと部長がお互い顔を合わせてはわわわわと狼狽している。なんか良く分からないけど、あんたらやたら無駄に仲良いな!
「あの遠藤君が食欲が無いなんて!あの遠藤君が!分かった、今すぐ病院に行きなさい!急いだ方がいい」
「部長、救急車呼びます?」
「や、大丈夫ですって!そんなに心配しなくたって大した事ないですよ。ていうか失礼ですよ、私だってたまには元気や食欲が無い事だってあるんですよ」
嘘だぁ、とまるきり信じられないという顔をする上司と同僚になんとか納得してもらおうと「実は…」と言葉を続ける。
「長年連れ添った彼氏に逃げられまして…」
「えっ、遠藤さんのくせに彼氏いたの。」
木村さん、ぼそっと失礼な事を言うんじゃない。
「あと、ついでにマンションが燃えました…。で、昨日は友達の家に泊まって、このスーツも借り物です」
「えっ…」
それから先は怒涛の展開だった。
根掘り葉掘り、事情を聞かれ、まだほとんどこれからどうするか決めてない事がバレ、保険とかの手続き云々の話をされたがまったくもって頭に入っていかず、取り敢えず両親には連絡を取れと言われ、今日はもう帰っていいからこれからの準備をしろと半ば追い出されるように退社した。
そして途方に暮れ、会社を出てすぐの公園のベンチなう。
現在ワイハ旅行中の両親に、こんな話を聞かせるのはなんだか申し訳なくて連絡を取るのを躊躇してしまう。明日には多分帰るからその時に一報入れよう。うん、そうしよう。
今はとりあえずこの状況で自分ができる事をしよう。
「さすがに呑気すぎるかなぁ…」
あんなに心配してくれた素子や会社の皆には言えなかったが、なぜか不思議と全く危機感や焦りがない。
ていうか虚無。たぶんこういう状態を虚無っていうんだろう。意味は詳しくは知らないけど。
何をすればいいのか、これからどうすればいいのか全然分からない。想像できない。
何もしたくない。今、一番したい事は布団の中で寝たいというほどの無気力っぷり。昨日はなんだかんだで6時間くらいは寝ていたはずなのに。
大丈夫か、これでいいのか27歳。もうしっかり熟れ熟れなのは肉体だけで、中身が全く伴ってないんだなぁと無性に情けなく泣きたくなる。
こんなんだからたろ君に捨てられたんだろうか。もしかしてもうずっと前から愛想尽かされていたのかもしれない。
感情の波がぶり返す。ああ、情緒不安定。
メールなんかじゃなくて、たろ君の気持ちをちゃんと言ってほしかった。
嫌な事があるなら本格的にだめになってしまう前に教えて欲しかった。
分からないよ、私は超能力者じゃないから。
教えてくれるまで待つなんてするんじゃなかった。もっと素直に情報を手に入れるべきだった。
はぁ、とため息を吐いたその時だった。
ドゴォオオオオとすごい衝撃、私ごとベンチがひっくり返った。
「ヨォ。無事で何よりだったな、アンタ」
親方!空から大男が!
いや、真面目な話人が空から降ってきた。そして目の前に着地し、ものすごい土煙とか出てるなか、全然それが異常だとはまるきり分かってないようにひょっこり出現し、ひっくり返っている一果を抱き起こした。
「え…あれ」
一体何者なんだ。この人。いや、ホントに人間なのか?
「お?もう忘れたか?ヒトの脳味噌はヤワだからな。俺はキャシー、あんたの彼氏と同じ組織の者だ」
「いや、覚えてますよ…」
ゆうに2メートルは超えているだろう身長に、太い首と盛り上がった肩、ゴーグルのような形状のサングラスらしきものをかけたがちがちに髪を固めたオールバックみたいなインパクトが具現化したような人を忘れるわけがない。しかも会ったのは昨日だ。そんな人間を忘れたというのなら、もう脳の病気としか言い様がない。
自分の足で地面に立ち、掴まれていた腕を逃がさないように掴み返す。
「たろ君はどこですか」
どうして彼がどうやってこの場に来たのか、空から落ちてきたように見えたのだが一体何が起きたのか、昨日一体何がどうなっていたのか、組織とは一体なんなのか聞くべき事はたくさんある。
だけど、この人は唯一たろ君に繋がる存在だ。
「それは言えない、そういう規定だからな」
だが大男はあっさり質問を拒否した。
「なにそれ。どういうこと」
「それより、預かってるものがあるぜ」
チャリと軽い金属音を立ててなにかを投げられた。とっさにキャッチしてみたらそれは鍵だった。
「あんたの大事なもんはそこに保管してる。望むなら此方で部屋やホテルを手配してもいい。奴から頼まれてるからな」
分からない。意味が分からない。
行ってみたらそこは貸倉庫だった。もらった鍵はそこのもので開けてみると確かに荷物が入っていた。
それは全て私のものだった。
「どういう事ですか、なんで燃えたはずのものがここにあるんですか」
ありえない。
部屋はほぼ全焼だった。家主の一果さえ入れない状態だったのだ。
こんなふうにまるきり無傷で家電や洋服、一果が大事にしていたものが全部がここにある訳がない。
「そりゃあ、あんたたちが仲良くデートしている間に俺らが運んだからだ」
「えぇ?何のために」
「火事になるからだ」
一果がばかだからなのだろうか。全然目の前の男が言っていることが理解できない。
火事になる?まるで分かっていたようにいうではないか。
「聞いてないか?あいつの能力の一つだ。未来予知、っていっても本人の意思で対象や使用タイミングを指定できないんだからかなり不安定な能力だが、その反面かなり精度の高い未来を予測できる。まぁ今回の火事の原因は分からなかったようだけど」
聞いてない、と一果は声も出せずに頭を横に振るしかできなかった。
「予知したのは三日前だ。それから翌日に俺に正式に指令が出た、あいつが上層部にどんな交渉をしたかしらない。俺もぺケが完全に組織の中に入ったのを知ったのはついさっきなんだ」
三日前というと私に超能力者だとカミングアウトする前の日じゃないか。じゃあ、なんでその時に一緒に火事になることを教えてくれなかったのだろうか。組織の中に入るって、何。たろ君はどこに行ってしまったのか。
「全然、分からないです」
一果はエスパーじゃない。
だから、なにもたろ君のことを知らないし何を考えているのかも分からない。
一緒にいてもなんにも情報はない。こんなに長い時間一緒にいたのに彼が理解できない。
そして積み重ねた時間がこんなにも脆く崩れ去っていく。
「当然だ。あんたは一般人だ、奴とは違う。もうあんたのもとには戻れないし、一緒に生活もできない。全部忘れて自分の人生を歩んでほしいと言っていた」
残された荷物は一果のものだけだ。そこに彼の私物はない。それだけでもう一果の所に帰ってくるつもりはないのだと気付いてしまった。
「ほ、他には…たろ君は私に他になにか言ってませんでしたか」
「悪いな、聞いたのはそれだけだ」
泣いてもどうにもならないと分かっているのにまた目頭が熱くなる。手のひらで目を抑える。じわじわと熱い水分が漏れ出す。嗚咽は咬み殺す、その代わり身体が震える。惨めだと思うのに抑え難い衝動に呑まれる。
「…ずるいよ、たろ君」
一方的にもほどがある。やっと気付いた時にはもう全部手回し済みで、その上まったくの他人に説明される。一果の気持ちも全く無視し、たろ君の望み通りに未来が書き換えられる。
理由もなんにも教えないで消えていくなんて、それって一番残酷なんじゃないの。
その後、キャシーさんに色々聞いたが彼の回答の多くは一果の理解が及ばないような内容で、詳しく聞き返しても「それ以上は言えない」と拒否された。
少ない情報でかろうじて分かったことは、たろ君もキャシーさんも一般人とは隔てられたある組織?に所属していてそこで能力に見合った仕事(任務?)をしているらしい。海外出張が多かったのもそのためらしい。今たろ君の超能力は本物だったし、もしかして本当にそういう能力者を収容している組織のようなものがあるのかもしれない。27年間生きていてそんな話聞いたこともないけど、今の一果にはそれをまるごと信じるしかない。
部屋は取り敢えず一果が自分で探す事にした。たった昨日一瞬会っただけの見ず知らずの人にそこまで世話になる気も起きなかったからだ。火災保険も降りるので金銭面では大丈夫だと思われる。それまで素子の部屋にもう少し泊めてもらおう。
ふと、自分が公園のベンチで背中を丸めて縮こまって座っているのに気付いた。
喝を入れるために、思いっきり両手で自分の頬を引っ叩いた。うん…一果ってばいい張り手してる。さすが学生時代に女相撲にスカウトされた腕前だ。
「忘れろなんて無理だし」
立ち上がって、背中を伸ばして、少し爪先立ちになる。臍の下に力をこめて、大きく深呼吸した。
ネガティブな感情を全部吐き出して新鮮な空気を体内に取り込んだ。
正直納得できない。一果の了承なんて要らないんだろうけど、諦めがつかない。
なんとしてもたろ君にもう一度会わなければ気が済まない。
取り敢えず今必要な荷物だけキャリーバックに詰め込んで、これからの事を考える。
うん、何も思いつかないな!でも、一果は転んだらただでは起きない女だ。
前略 愛しのたろ君へ。
そちらはどうでしょうか、元気にやっていますか。たろ君はしょっちゅう貧血を起こしていたり座っていても立ちくらみを起こしていたので、一果はとても心配しています。
あと、一果は必ず貴方の事を見つけ出すので首を洗って待っていて下さい。
◆
当然ながら、成人男性が恋人の前から姿を消したくらいでは警察に捜査を依頼する事もできないし、たろ君自身の個人情報データも殆どないため興信所に探してもらう事もできない。
そのため、地道だけど道端でたろ君の顔写真片手に手当り次第に街頭調査する事にした。
「一果さぁ、もっと良い写真なかったの?なにこれ、プリクラじゃん。全然顔違うじゃん。こんな目でかくなかったでしょ、もっと特徴の無い顔だったよね。なんかこうもっとのっぺりとした…ぬりかべみたいな奴だったような」
ありがたいことに仕事が半休だった素子も手伝うよと言ってくれた。でも、人の彼氏をぬりかべ呼ばわりするのはあんまりだと思う。
「だって、たろ君って写真撮られるの嫌いでなかなか撮らせてくれなかったもん。ばっちり顔が写ってるのはこの写メくらいだよ」
私は手元のA4用紙に印刷された画像を見る。確かに素子の言うとおり、たろ君が別人と化していた。ていうか今気づいたけど、画像の中にいる私が持っている雑誌の表紙を飾っている梅原タケトまで顔認識されて見事に盛られて目力がもの凄い事になっている。
「ま、あんたがこれで吹っ切れるっていうならいくらでも付き合うけどね」
「うん。ありがとう素子」
姉御肌で口が悪いのはたまにキズだが、素子は友達思いの物凄くいい奴なのだ。
彼女には本当いつも助けられてばかりで、頭が下がる。あんまりにも世話になっているので、遠距離恋愛中の彼氏との温泉旅行をプレゼントしてあげようと実は計画しているが本人にはまだ内緒だ。
素子と二人がかりで、道行く人にたろ君の事を聞いてみるが結果は芳しくない。
そりゃあそうだ。たろ君は半引きこもりのような人で、必要以上に外出したがらない。それに自分から声を発して喋るという事をしないので、見ていたとしても印象に残っているかどうか。かなり不安要素が多い。
でも、それでもたろ君を探さなければ。今はこれくらいしか動けないけど、やるしかないのだ。
「なにこれー、タケト!?ウケるんだけど」
「目がヤバいんですけど!目ェ!タケトが超盛れてんですけど、ワロス」
二人組の制服を着た女子高生らしき女の子達が、写真を見て立ち止まった(手を叩きながら大笑いしている)。
「なに、おねーさん。ここで何やってんの。こんなおもしろ画像持って歩いて、新手の逆ナン?」
「違うよ!あのね、実はこの画像の男の人探してて…」
「えー、知らない。あんた見たことある?」
「ないない。それよりおねーさん、この写メの画像くれない?あとTwitterに上げて良い?顔は隠すからさぁ。ウチこのプリ画なんか超好きなんだけど」
女子高生のうち、一人がそんな事を提案した。
まぁ画像データくらいいくらでもあげていいが。…待てよ、良い事思いついた。
「いいけど、その代わりちょっとお願いあるんだよね。顔隠さなくていいから、この画像拡散リツイートして欲しいんだよね。それで、この男の人見つけたら連絡くれるようお願いしたいんだよね。こっちのフリメを連絡先に使っていいからさ」
私の頼みに、女子高生は目をぱちくりぱちくりすること数秒、無言でお互いの顔見合わせ口を開いた。
「オッケー」
か、かるぅうういいっ…!
◆
そうして全国中に、たろ君の顔が知れ渡ってしまったのだが罪悪感まるで無し!
だって、何の話し合いも無く一果を捨てたたろ君が一番悪い。一果のやらかした事で、たろ君が被害を被ったというなら直接会いに来て罪を償わせろってゆーもんだ、バーロー。
と、粋がってはみるけど。
「…でも、現実はそんなにうまくいくもんじゃないよね」
あれから一か月経った。
が、まだ収穫ゼロ。たまにフリメにメールが来るが、下らない冷やかしばかりだった。そりゃそうだ。
会社の休みや退社した後に街頭で聞きこみは続けているが、全然うまく行かない。力みすぎて何かの宗教勧誘かと思われて逃げられる事も珍しくないし。
もうとっくの昔に、どこか遠くに行ってしまったのかもしれない。
一果の考えている事も分からない程、遠くの場所に。
たろ君はこの状況の中、平然と日常を過ごしているのだろうか。少しも一果に会いたいとは思わないのか。
諦めたくないけど、こうもずっと手がかり無しだと途方にくれてしまう。
「もー、めげそうなんですけど。…あれ?」
ふいにクリックしたメール。件名も本文もない。
送り間違え?と思って添付ファイルをクリックした。
息を呑んだ。
「こ、これ…」
それは画像だった。
明らかに隠し取りしたようなアングルで、そこに細身の男の人ととてつもなく大柄な男の人が写っていた。
細身の人はスーツを着て、バッテンマークがついた大きなガーゼマスクとマフィア帽子を深く被って顔が見えない。大柄な方は、ものすごく見覚えがあった。一度見たら忘れられない容姿。
キャシーさん。そして、細い方は間違いなく、たろ君。
顔を隠しても分かる。これは絶対彼だ。私の直感がそう告げている。
やっとだ。やっとやっとやっと…。
「見つけた、よぉ…」
泣けた。なぜか、どうしようもなく泣けてしまった。
壊れる。パソコンが。ぼたぼたと涙がキーボードに落ちていく。
鼻汁まで垂れ流し。乙女としてこれはやばい。
たろ君、待ってて。
一果がいまいくから。
こんなことしてる暇はない、と袖でごしごしと顔を拭ってキーボードを叩いた。
一果は蜘蛛の糸のように頼りない情報に縋った。
メールの送り主から、返事がすぐ来た。
そして、たろ君の情報を共有してくれた。とても信じがたい内容を。
×(エックス)と、彼は界隈で呼ばれている。
どの界隈かは、ごくごく狭い、としか返答が返ってこなかった。
真実を見抜く男として、犯罪捜査や政治工作の発露、またその逆の事に協力している。
彼の前では虚偽は無意味。7、8年前から突如、姿を現して世界情勢を引っ掻き回した恐るべき存在。
ある組織に所属していて、どんなに買収しようとしても彼を引き抜く事は不可。
そして素性も不明。どんな手を尽くしても、彼に関する情報がつかめない。
それが、たろ君。
一果の前についこの間までいた、彼氏。
「だれ、この人…」
一果の知っているたろ君とは別人のようだった。
事務員っていってたのに、そんなやばい仕事をしていたなんて聞いていない。
嘘つき。嘘つき。嘘つきたろ君。
「……ばかじゃないの…」
何のためにそんなことやってるの。
お金のため?―――じゃあ、一果がたろ君を養うから!
居場所が欲しかった?―――じゃあ、一果がたろ君の場所なんか確保するから!
能力を活かしたかった?―――じゃあ、一果と一緒にサーカスで働こう!
相応しくない。そんな、暗い世界にいるべき人間じゃない。
たろ君。
優しいたろ君が、そんな事になってるなんて、絶対になにか事情があるに違いない。
助けるから、必ず。
両手を固く握り締めた。
「×に業務を依頼したから、来てみないか」というメールがきたのはそれから2日後だった。
行きます!!と、私は即答した。
それしかなかった。その情報しか、頼る術がなかった。
怪しくない?と素子がこの場にいたなら止めたかもしれない。
でも、それしかないんだ。もう、これを逃したら二度とたろ君に会えないかもしれないんだ。
自分の身の安全なんてどうでもいい。もっといえば、たろ君以外どうでもいい。
だから、断るなんて選択肢は無かった。
待ち合わせ場所に指定されたのは、ハイソなホテルだった。
名前だけは知っている。けど、ゲロ高い宿泊料なのは知ってたから利用した事はなかったけど。
「遠藤、一果さんですね?」
品の良さげなオーラの綺麗なおねえさんがロビー内のカフェで待っていた。
「私は▲社の御堂と申します」
と、席に着くなり名刺を渡される。やばい、完全オフで気にもしてなかったよ!と焦る。
当然、名刺は会社用バックの中で今は持ってない。
しかも▲社って…。超有名企業じゃん…。うちみたいな弱小社なんて、名前出すだけでも恥ずかしい。
「聞けば、遠藤さんはXとお付き合いなされてたとか。そして、Xが突然失踪した事で彼の身を案じ、行方を探していると伺っております。失礼ですが、それは事実でしょうか」
「…は、はい」
オーダーしたオレンジティーが来るなり、御堂さんがそう切り出した。
「すみません。我々としても、信じがたいのです。あの謎に包まれたXと長期的に接触していた人物がいたなんて」
「で、ですよねー」
「しかし、貴女の証言や写真には整合性があります。とても、興味深いですがXは一般人として生活していたようですね。」
「きっと一果さんのような素敵な女性がいた為に、こんなにも素性を隠していたのかもしれませんね」
「そ、そうでしょうか」
「そうですとも。そうでなければもっと大規模に活動していた筈。あれほどの才能があれば、どんな富も名誉も手に入れられたでしょうに…」
「そうでしょうか…」
「私自身もとても同情しています。あんな組織に飼い殺しにされて、恋人とも引き離されてXの心中は深く傷ついていらっしゃるでしょう」
「…」
本当にたろ君の能力を認識している彼女は、たろ君がいかに素晴らしい人材か力説したが、なぜだか
X、の名前を聞くたび胸がえぐれそうな感じがする。
一果の知ってるたろ君とはまるでかけ離れた存在のようで。
キャシーさんが答えてくれなかった組織の話を彼女は知っていた。
公にならないよう普通の人たちには知られていないが、異能者は数万人に一人存在しているらしい。
彼らを確保し、従属させているのが『組織』。
異能者を使役し、世界の財産を独占する巨大な存在。
それが、たろ君のいるところ。きっと彼が能力カミングアウトしてくれなかったら一生信じられなかっただろう。
こちらの顔色が強ばるばっかりだっただろうか。
「単刀直入に申し上げます」
それまで適度に雑談をして和やかなムード作りに徹していたおねえさんが、急に硬い表情でそう言った。
「×を、我社に引き入れるのに協力させて頂けませんか」
「……」
そういうことだったのか、と妙に納得する。
それはそうだ。ただ慈善活動で一果をたろ君に会わせてくれるわけがない。
「分かりました。私に何が出来るかは分からないですが」
たろ君に会えるのならそれでもいい。
彼に危害が及ぶ事はないだろう。だって心が読めるんだし。自分の危機くらい回避するのは簡単なはずだ。
毒を食らわば皿まで。
あんた時々、たろ坊より漢よね。と、昔素子に評された事を思い出した。
たろ君が来るのは、翌日。場所はこのホテル。
一果はそれまでここに宿泊していいと言われた。しかもタダ。
しかも、部屋はスイート。
いやっほう~!!思わず特大ベッドに飛び込んだ現金な己。
どうしよう、今この瞬間がたろ君の耳に届いていたら。確実に愛想つかされる。
いやいや、これで愛想つかされてたらもうとっくの昔にされてた筈!
あるがままの一果をたろ君は慈しんでくれた。と、信じたい。
「信じてるぞ~!一果はたろ君のことしんじてるもんね~!」
叫んでも一人。
会ったら、もう絶対離さない。のこのこ一果の前に現れたたろ君が悪い。
別れるなんて断固拒否じゃ!
なーんて。
◆
夢を見た。
七輪でサンマを焼く夢。
早く食べたいのに、なかなか焼けない。
おかしいなぁ、と私は一生懸命団扇で火を煽る。結構火力強いはずなのになぁ。
なんでだろ。ていうか…
「焦げ臭っ…」
は、と目を覚ましたらものすごい匂いにびっくりした。
ほんとに焦げ臭い!電気を付けようとしてもつかない。慌てて部屋を出たら、合点がいった。
電気も付かず、嫌なにおいがした。そして全て理解した。
火事だ。
しかも、火の手がもうすぐそこまできている。
なぜ気付かなかった自分!
サイレンの音が聞こえるという事は救助は来ているのか。
でもなんで警報とか鳴らないわけ?なんでここ高級ホテルなんじゃないの?なんで消火もせずに、客の避難も誘導しないの?
そんな事を考えて見ても差し迫っているこの危機を回避するしかない。
咄嗟に自分の部屋に戻って助けを呼ぼうとして、待てよ?と冷静になる。
こういう時って逆に開けちゃだめなんだっけ?もう分かんない。パニックになっているのが自覚出来る。
「と、とにかく脱出しなきゃ」
自分の口鼻に手を当てて、姿勢を低くして、非常口を目指す。
が、火の手がその前に立ちふさがっていて行けない。さすがの私も火だるまになっては生きておれまい。
仕方ないから逆側の階段で下の階を目指す。が、すぐに後悔する。
もっと地獄絵図になっていた。
こういう所ってもっと燃えにくいような素材使ってるんじゃないの!?なんでこうなるわけ…。
「…けて、助けて下さい…」
蚊の泣くような悲鳴が聞こえて辺りを見回していると女の人が倒れていた。
慌てて駆け寄ったが、もう意識が朦朧として動けないようだった。
彼女を背負って、私はさらに下の階を目指す。
やばい。やばい。まじやばい。
ついてないどころじゃない。人生で最大のピンチだ。ていうか無事助かる気がしない。
指先の力が抜けて女の人がずり落ちそうになる。この人だって背負ったはいいけど、助けてあげられる自信なんて全くない。
こんな所で死にたくない。もう一回たろ君に会って例え復縁は無理でも、文句のひとつやふたつ言わなきゃ死んでも死にきれない。
泣きたくなんて無いのに泣けてくる。煙でだろう。色んなものが垂れ流しになっているが、そんなのに気にする余裕など無かった。
助けて、と叫んで誰かに届くとは考えにくかった。
背負った人の命が尽きかけているのが分かるのにそれをどうにも出来ないのが嫌だった。あがけるだけはあがきたかった。
「……っ」
非常口の階段を火のない所へと闇雲にはい上がっていく。物凄い遅さで。
女の人の身体がどんどん重くなっていく。私の力も比例して抜けていく。頭の中がぼおっとする。
だめだ。諦めちゃ。
分かっているのだ。だけど体に力が入らない。
「たろくん」
首にまわった腕が重力で後ろに下がり、一瞬意識が落ちた。
やってしまった、死んだ。
まるで映画のアクションみたいにゆっくりゆっくりと地面から体が落ちていく。火の中に落ていく。
(私って、こういう運命だったのか)
そして理解したのだ。私がここで死ぬことは予定調和だ。せめてこの人だけは助けてあげたかったけれど。
「いっちゃん!!」
聞き覚えのないようなあるような声が聞こえた気がした。そこから先は、意識が切れている。
◇
目を覚ましたのは暗い牢獄のような場所だった。床も壁もコンクリで冷たい。かろうじて心もとない電灯はついている。窓もない。密閉された空間だった。
「おお、目が覚めたか」
天使というにはあまりに厳つい大男がいた。…キャシーさんだ。
「あれ、なんで?!てか、あの人は?」
「…うん?お前が背負ってたやつか?あれなら病院に運ばれたぞ。その先どうなったのかはしらん」
けろっと何でもないように言う。ていうかここはどこだ。見たところ何か室内なようだけど、全く身に覚えがない。
キャシーさんの隣には事務服姿の気の弱そうな若い女性がいた。おどおどとキャシーさんのスーツの裾を掴んでいる。
「やっぱりまずいですよ…一般人をラボに入れるなんて」
「まずいも何もテレポーテーションで運んだのは、お前だろうに」
「あ、あれは!ペケさんの命令だったし!肝心のペケさんもあんな事になっちゃうし…」
二人が何を喋っているのか分からない。ペケさんって誰だ。…聞き覚えがあるような。あ、そうだ。たろ君が確かそう呼ばれていたのだ。
「そうだっ、たろ君は!?今どこにいるんですかっ」
ここにキャシーさんがいるのなら、彼の居場所を知っているのかもしれない。
飛びつくようにすがりつくと、キャシーさんはサングラスをかけたままな「うーん…」と唸った。
「大丈夫は大丈夫なんだけどよ、まだお前さんは見ないほうがいいと思うぜ」
「え?」
あの時、意識が途切れる瞬間誰かの影が見えたような気がしたのだ。
それがたろ君のように見えた。…そして、それは本当にたろ君だったらしい。たろ君は私を受け止めてそのまま自分は衝撃で倒れて火傷を負ったらしい。どうやってあそこまで来れたのか私には分からないし、もうそんなのをいちいち気にしても仕方がない。
案内された小部屋にはベットが備え付けられていて、そこにたろ君が横たわっていた。
思った以上に重症そうだ。皮膚が赤黒く焼きただれていて真っ黒に焦げている部分もある。ピクリとも動かないので、生きているのかすら分からない。
「病院は!?こんな所で横になってても助からないよ!何やってんの!!」
たろ君の姿をみて、半狂乱になって叫んだ。キャシーさんを揺さぶった。
「病院じゃ助からねーよ。大体、こいつのような半端じゃない異能者を一般人の医者に見させられるかよ。どんな悪用をされるか分かったもんじゃない。そんなら連れ帰って処分したほうがまだいい」
「しょ、処分って…」
「しねーよ、まだ。少なくとも今はまだ生きてる。こいつにはまだやってもらわなきゃいけない仕事が山積みだ」
意味が分からない。でも、しかし今は、たろ君が助かるのかどうなのかそちらの方が気がかりだ。
「大丈夫だ。あいつももうそろそろ起きるだろ」
その言葉を合図にしたように、また人が部屋の中に入ってきた。腰まである長いふわふわの髪の毛の、まだあどけない少女に見える。眠そうな垂れ目をしていて、口は大きい。
「モモ」
呼ばれたその子は少し一果の方を見て、何も言わないままベッド脇に腰掛けた。
「ペケ。なにやってんの、あんた。そんなにこの子を助けたかったの」
話なんていいから。早くたろ君を助けてあげて。
そう思うのに、キャシーさんは子供をあやすように私の肩を叩いた。
「残念ながら、あんたの思惑は何一つはずれだから。そこの彼女ももうこの世界に踏み入れてしまったし、きっと死ぬまであんたを追いかけ続ける。そしてそうじゃなきゃ焼け死んでしまう。そういう運命なんだけら」
その手が、たろ君の体に触れると不思議な事にみるみる肌が修復していった。苦しそうな息遣いがだんだん落ち着いていく。
「すごい…!」
戻っていく。そういう感覚に見える。まるで元通りのたろ君の体に戻っていくような。
「な、大丈夫だっただろ。ここにいる『組織』の人間は皆異能者なんだ。普通の人間にはない特殊能力がある。ペケは知ってると思うけどテレパシー能力でさっきのキョドってんのはテレポーテーション…物や人を空間をショートカットして運べる。俺は人造人間だし、このモモは物質に流れる時間を可変できる。そういった奴らがいる場所」
「ちょっとわけ分かんないんですけど…」
「じきに慣れる。そうでなきゃ少々面倒な事になる。お前はあの時、死ぬかこっち側に行くしか選択肢がなくて、ペケに選ばされた。だからもう二度とあっち側には戻れない。例え死んでも骨の一欠片すら家族のもとには戻せない」
「…あっち側?」
キャシーさんの説明する事のどれもが、私の中で腑に落ちない。そのまま右から左に通り抜けてしまう。
「遠藤一果の家族にも友人にも職場の人間にももう接触出来ない。何故ならおまえはもう俺たちを、この組織の存在を知ってしまったからだ」
「…!?」
急にそんな事を言われても。
もう何年も戻ってない実家に「家が焼けた」という留守電をいれただけだし、素子にも様々なものを借りパクしている。三千円借りたまま返済もしていない。
「せ、せめてお別れ…とか」
「無理だ。完全にもうお前は表社会とは遮断されている。会社も退職した事になっているし、お前の痕跡も今頃全て消されてる」
「そんな…」
一果がこれまで積み上げたもの、大切にしてきたものが一気に崩れ去ったようで私は顔を両手で覆った。
(いや、まだたろ君がいる…)
ぺちぺちと自分の両頬を叩くと、眠ったままの彼の顔を見遣る。
どうせあの時、死んだであろう命をたろ君に救われたのだ。なら、もう彼の為に生きようと思った。今までは知らなかった彼の側で、彼の全てを、秘密を暴いて受け止めようと思った。
もう逃がさないから。物言わぬたろ君に向かって呼びかけ続けた。
一果の人生はすっかり何もかもふりだしに戻った。しかも最愛の人と一緒にいれる。そう思うと、いくらか気持ちが軽くなった。