第8話
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その日の夜、ヴァージニアは医者に看取られながら静かに息を引き取った。
だがその時を迎えるまでずっとヴァージニアの表情は穏やかで、そしてひどく幸福そうだったことがとても印象的だった。
「…………」
レギは無言で自身の左手を見つめた。
夜闇に浮く白い手には、ヴァージニアの魂を<葬焉>した時の感覚がはっきりと残っていた。それは幾度となく行ってきたそれの、どれとも異なるような気がしていた。
やがてレギは不意に、見つめていた左手を返した。その中指には、瞳と同じ緋色の石を填め込んだ指環が光っている。
そして溜息と共に口を開いた。
「……またお前か」
背後のルフトに向かって、ひどく煩わしげに。
「先輩として様子を見に来てやったんだよ」
背中に投げられた台詞に呆れながらも緩慢な動作で振り返ると、口の端をにっと持ち上げて笑うルフトがロングコートの裾を翻しながら立っていた。
冷ややかに向けられたレギの視線を意に介さず、ルフトは足元に広がる町並みの、ひとつの家に視線を向けて言う。
「彼女、墓参りに行きたかったのか……『命日』とか言うやつだな」
その視線と話題に釣られるように、レギの視線も無意識に同じ場所に向く。
「そうらしい。当日が無理なら今のうちに、と思ったようだ」
「ふーん……」
自分から話を振った割には、明らかにつまらなさそうに返すルフト。だがレギがそれを気に留める様子もない。
「けどあんな行動に何の意味があるのかねぇ。あの下にあるのはただの――――」
「ルフト」
言葉の先を察したレギが、鋭い口調で遮った。
「人間を愚弄するような発言は慎め」
厳しい、と表現するよりは単に冷めた表情をルフトへと向ける。それは決してレギの感情が言わせた言葉ではないことを暗示していた。
それを知るルフトは軽く肩を竦めてみせる。
「はいはい……ホント従順な奴だな。そこまでいくと尊敬するぜ」
「…………」
明らかに言葉とは正反対のルフトの態度に、レギは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
この二人はいつもこうだ。決して不仲なわけではないのだが、根底にある<死神>としての在り方が大きく異なっているのだ。
「けどやっぱりオレ達の理解の範疇を超えた行動だよ、あれは」
「…………」
再び同じ建物を見ながら、ルフトは言う。しかし否定はできないのか、レギは何も言わない。
「同じ神に創られてても、所詮は別の生き物ってことかね」
「そうだな」
深い興味もなさそうなルフトの台詞に、レギは同意を示した。それはレギ自身も日頃から強く感じていることであり、恐らくは越えることのできない隔たりだと認識していることでもある。
だがそれは与えられた役目に影響を及ぼすようなものではないため、レギの中では特別重要な事実でないのも確かだった。
そうして町を見下ろしていたレギだったが、ふと隣から視線を感じて顔を上げた。すると嫌な好奇を覗かせたルフトと目が合った。
「……で、結局なんでだ? <死神>の鑑とも言われるお前が、珍しく一人の人間に肩入れしたのはさ?」
にやりと笑いながら訊ねるルフトに、レギの表情が不満を顕にする。
「肩入れ? 勘違いするなよ。俺は神に赦された範囲でのみ……」
「あー、分かった分かった。何度も聞いたよ、それ」
定型文で返すレギの台詞を、今度は早々にルフトが遮った。期待するような面白い返事が返ってくるとは、到底思っていなかっただろうが。
「そういうことだ」
ふん、と鼻を鳴らしてレギは外套を翻す。
今の言葉に嘘はない。
けれどレギがヴァージニアに対して、少なからずの好感を抱いていたことも確かだった。それは必然から目を背けない姿に対する、レギなりの敬意に近い。
ただそれをルフトに言いたくなどなかったので、これ以上の会話を打ち切って立ち去ることにした。レギの姿が夜空を透かす。
「あ……」
気付いたルフトが声を漏らした。
「そういや教えたのかよ、名前」
レギは思い切り深く嘆息した。
この男は、下らない上に答えなくないことに限って狙ったように訊いてくる。それがひどく面倒臭い。
そう思いながらレギは適当に言葉を返した。
「……別にどうだっていいだろう」
そしてルフトをその場に残して、次の現場へと向かう。
「…………」
一人残されたルフトは、虚空に向かって呆れたように肩を竦めて見せた。