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緋の狂詩曲 -Scarlet Rhapsody-  作者: 氷蒼シキ
幽冥の使者
5/8

第5話

                  ◆


 ぼんやりと、天井を見つめていた。

 高熱に浮かされた時のように現実を淡く遠くに感じながら、ヴァージニアは自室の寝台に仰向けに横になっていた。

 おぼろげな知覚と、身体の芯が定まらない独特の浮遊感。前触れもなく急変した病状に、あっという間に行動の自由は利かなくなっていた。

 体力は根こそぎ奪われ、身体の末端を動かすことさえ億劫だった。そして生命をじわじわと蝕むように広がる鈍痛。その痛みは絶え間なく痛覚を刺激してはいるが、薬の副作用による意識の混濁も始まり、それが全身なのか局所なのかの判断すらつかない。

 朦朧とするこの意識を手放してしまえば、少なくともその間は楽になるのだろう。けれど、そうすると二度と目覚められない気がして恐ろしい。

 午前の回診に来た医者は、先ほど帰ったばかりだった。夕方にもう一度来ることになってはいるが、その時まで一人で眠らずに持ちこたえられるとは到底思えない。

 だが、知らぬ間に暗転してしまいそうな意識に少しの不安と恐怖を抱きながらも、まだ自分にそのような感覚が残っていたことに酷く驚愕しているのも事実だ。

「…………」

 何とか意識を手放すまいと、ヴァージニアは首を動かす。たったそれだけの動作でも、体力を極限まで追い詰められた身体は悲鳴を上げそうに軋んだ。

 力ない視線が捉えたのは、テーブルの上の卓上カレンダー。よく見るとその中のひとつの日付には、小さく印が書き込まれている。もちろんヴァージニアが付けたものだ。

 その印を確認するなり、ぼんやりと鈍く霞んでいた思考が微かに現実に触れた。諦観に近かった感情がすっと身を潜め、代わりに顕れたのはもう一度会いに行かなければという強い使命感。

 しかし、数日後に迫ったその日を無事に迎えられる自信はとうに失くしてしまっていた。考えていたよりも悪化が急だったのだ。こうなる可能性は常に付き纏っていたというのに。

 せめてもう少し早く会いに行っていれば、こんな後悔を持って逝かずに済んだのかもしれない。そう思うと惨めで歯痒くて、力の入らない手で精一杯シーツを握った。

「……ごめんね」

 ほとんど吐息に近い声で口走った謝罪。

 浮かんだ涙を怺えるように、強く目蓋を閉じた。暗転した視界に妙な安堵を憶えてしまうのは、何故だろうか。

 溢れる感情に蓋をするようにしばらくそうしていたが、本当に意識を持って行かれそうで、重たい目蓋を再び持ち上げた。

 高い位置へ昇ってゆく途中の太陽の光が、薄いカーテンを透かしながら夏の匂いを連れて室内に差し込んでいる。

 その光景はヴァージニアの置かれている状況とは正反対のように思えて、極端に強い日差しでもないのに目の奥が痛くなるような眩しさを感じた。

 眩しさから逃れるように視線を室内に戻すと、その明るさに混じって視界の端が不自然な翳を捉えていた。

「……来るんじゃないかって、思ってたわ」

 ヴァージニアは今にも消え入りそうな声で言うと、翳に向かって力なく笑ってみせた。いや、そうしたつもりで実際は笑えてなどいないのかもしれない。

「そうか」

 翳は返す。

 そこにはいつかの黒い青年が、濃密な翳りを従えて佇んでいた。

 ヴァージニアは青年の言葉に悲愴や哀憐といったものは存在していないことに敏感に気が付いた。けれどそのことが悲しいだとか腹立たしいとは感じず、純粋な事実として受け止めていた。

 意外なほどに冷静なのは、恐らく自分に迫っている時間を意識し始めたのが、決して最近ではなかったからだろう。ただ、実際に直面してみると心残りや未練も少なからずあって、そんな自分がおかしくて嘲ってしまいたくなる。

 ヴァージニアは残された体力で少しだけ頭を起こして、足元に立つ青年を見上げた。青年は黒いフード付きの外套を羽織った、公園で逢った時そのままの格好をしている。

 しかしあの時と確実に異なるのは、青年の纏ったその“匂い”。以前より二人の間の距離が近いせいなのだろうか、皮膚にじっとりと張り付くような死の匂いが際限なく青年から溢れては瞬く間に室内を満たしていた。

 自分を見下ろす黒いフードの下に覗く陶器製の人形のような、ぬっ、とした白い貌と、そこに填め込まれた緋色の硝子玉。それらがこの青年を人ならざるものだと暗示しているというのに、不覚にもその輝きを美しく感じてしまう自分は特異だろうか。

 青年はじっと自分を見据えるヴァージニアに何を思ったのか、引き結んでいた表情を僅かに怪訝そうなものに変えた。本当にごく僅かな変化だったが、彼等も人と同じような反応をするらしいことにヴァージニアは少しだけ嬉しくなった。

 そして気付けば、不意に思い出したように訊ねていた。

「ねぇ……あなたって死神なんでしょ? “何か”できたりするの……?」

 ヴァージニアが発した唐突な問いに、青年の眉間の皺が深まる。だがすぐに言わんとすることを察したらしく、見下ろすようにして顎を持ち上げた。

「……例えば?」

 この短い言葉に答えを確信したヴァージニアは、少しだけ口の端を持ち上げて微笑んだ。

「そうね……ひとつ、お願いがあるの――――」


 ……………………






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