第4話
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高い位置から、レギは町を瞰下していた。
宙に浮くその姿は青空を穿つ黒点そのもの。そこに裾の長い外套の輪郭に添えられた、刃先を下に向けた大鎌が言い知れぬ不吉さを醸している。
黒いフードの下の貌に光る、感情を投影しない目。それが見下ろす先には、小さな町を縫うように敷かれた石畳を自宅へと向かうヴァージニアの姿があった。
だがその後ろ姿を目で追っていたのはほんの数秒で、すぐに興味を失ったように顔を上げた。そこにはフードの落とす影によって、くっきりとした明暗が作られている。
「…………」
レギは無言のまま、視線だけを自身の後方へと動かす。もちろんそれでは背後に立つ気配の正体は確認できはしないが、最初からその必要はなかった。
「よっ」
背中に声をかけられ、レギは身体ごと振り返った。気配の正体が軽く右手を挙げて挨拶をしてみせる。
そこに立つのはレギと同じ、黒い男。
男はレギのような外套は羽織っておらず、襟を立てたロングコートと、あちこちに散りばめたシルバーアクセサリが目を引く格好をしている。だが肩にもたせかけている大鎌の存在が、男が何者であるかを静かに物語っていた。
「……ルフトか。何か用か」
予想通りの人物の登場に、レギは素っ気なく返す。
「用か、って、別に用はないけどさ」
用事がなければ話しかけることすら許されないのかと、ルフトと呼ばれた男は唇を尖らせた。
しかし当のレギはそれを気に留めていないのか、それとも気付いていないだけなのか、呆れたような表情を浮かべる。
「なら、さっさと仕事に戻れ。お前にはすぐに次の<葬焉>があったはずだが?」
レギの言葉に、まさか自分の予定までしっかり把握されているとは思っていなかったのだろう、ルフトは小さく呻った。
「はぁ……お前は仕事以外で言うことはないのかねぇ」
「重要な役目だろう」
溜息と共に吐き出された苦言を、レギはにべもなく一蹴する。
「そうだけどさぁ。いつもそれじゃあ堅苦しすぎだろ?」
渋々同意を示しつつ、ルフトは大仰に二度目の溜息を吐いた。
「お前は好きにやりすぎなんだ」
完全に呆れた様子のレギは、斜に構えて鼻を鳴らす。これではどちらが先覚なのか分かったものではない。
直後、反論でもしようとしたのかルフトがすいと顔を上げる。だがその動作は途中で打ち切られ、ルフトの視線がある一点で止まったことにレギは鋭く気付いた。
思わず舌打ちしたい気持ちになったが、レギが言葉を見つけるより先にルフトが口を開いていた。
「そういやお前、人間相手に何話してたんだ?」
これもまた大方予想通りの台詞に、今度はレギが嘆息した。
「……話した、というほどじゃない」
煩わしさを覗かせながら、ルフトの視線の先を流し目で見やる。
そこには建物の角を曲がろうとするヴァージニアの姿。面倒な場面を目撃されていたことに、今更ながら後悔の念が湧く。
ルフトをはじめ、多くの<死神>は人間と関ることを良く思っていない。それには不文律のようなものが存在するわけでもなく、単純に慣習と個人の経験によるものだとレギも理解している。
そしてその理由についても同意できる部分は多いが、正直なところレギはどちらでも構わないと考えていた。
それは決して人間への好意や同情から来るものではなく、そうして意識すること自体がもっとも無益であると考えているからだった。
「けど、彼女あれだろ? 確かあの時の――――」
「関係ないな」
ルフトの言わんとすることを敏感に察したレギは向けられた台詞を遮り、会話を先回りする。
「偶然彼女には俺が視えて、話しかけてきた。それだけだ」
面倒な追及から逃れるためレギは仕方なく、簡潔に説明した。一方のルフトは、退屈そうに言い切るレギの様子を見て、うっすらと不満を含んでいた口の端を緩めた。
「……だよな。お前に限ってそんなはずないよな」
何を一人で納得したのかうんうんと頷くルフトを、レギは冷ややかに見返す。しかしルフトはその視線を意に介さず、悪戯っぽく笑ってみせた。
ルフトのこういう部分が、レギは苦手だ。
「過去に何人も潰れた連中を見てきたから、つい。……ま、お前にゃ余計な心配だったな」
レギは面白くなさそうに鼻を鳴らして外方を向いた。ルフトの言うように、その心配が現実になることなど絶対にないという自信があった。
「んじゃ、オレはそろそろ戻るかね。あんまり油売ってると<死神>の鑑の誰かさんに怒られちまう」
「…………」
ルフトの言葉に、レギはあからさまな不快感を示して眉を寄せた。ひとつくらい小言を言ってやろうかと思ったが、すでにルフトの姿はない。
本当にいつも勝手な奴だと思いながらも、小さくわだかまる不安をこの時のレギは確かに感じていた。
そして、
「……自分の心配をしていろ」
誰もいなくなった空間に向けて、呟いた。