第3話
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「……はぁ」
テーブルの上に開かれた小さな薬包紙をぼんやりと見つめながら、ヴァージニアは溜息をついた。
くっきりと折り目のついた薄い紙の中身は、今はもう空になっている。その舌に残る独特の苦味を持て余し、まだグラスの三分の一ほど入っていた、すでにぬるくなった水を一気に飲み干した。
慣れと言うよりは飽きてしまった、希釈された薬の味が口腔を満たして胃へと流れ込む。
その間もずっと思考の端にちらついているのは、大鎌を携えたあの青年の姿。濃密な翳を纏った黒い輪郭が、今もまだ鮮明に目蓋に浮かび上がっていた。
「俺が視えるのか」
問われた直後、ヴァージニアは返答に詰まった。青年に投げられた言葉を、そのままの意味で解釈することが躊躇われたからだ。
実際にこうして言葉をも交わしているのだから、見えるも見えないもないだろう。素直にそう思ったのだ。
「どういう意味……?」
少しの沈黙の後、訝しげに訊き返したヴァージニアに対して青年はもう何も言わず、緋く透き通った硝子玉のような目を僅かに細めて見せただけだった。
そしてヴァージニアの見ている前で、纏った濃密な翳りを薄めながらその姿が背景を透かし始める。
「!?」
突然訪れた非現実的な光景に、ヴァージニアは驚き目を見開いた。
その間にも青年は、光に散り散りにされる闇のように急速に濃度を下げてゆく。
「待って! あなたは一体……」
ヴァージニアは動揺と狼狽を滲ませつつも青年を呼び止めた。だがそれは極めて反射的な行動で、自分でも何故そうしたのか、理由など説明できなかった。
そして背景をほぼ完全に透かした青年が、もはや輪郭さえも曖昧な姿で口を開く。
「……<死神>だと。お前が今そう言ったのだろう?」
短く言い残した青年は、すでに溶けるようにして消滅していた。
同時に、たった今まで一帯を支配していた翳りも残らず消え失せ、思い出したように初夏の朗らかな日差しが戻っている。
「…………」
何の変哲もない、公園の林が広がるだけとなった空間を前に、ヴァージニアは不意に伸ばしかけていた手に居心地の悪さを感じて、誤魔化すようにして肩に掛けた鞄の持ち手に両手を添えた。
そして平静を取り繕うと、振り返りもせず足早に公園を後にした。
……………………
まるで白昼夢でも見せられたようだと、ヴァージニアは感じていた。
しかし青年の纏った翳のような気配とそれによって変質した空気。綺麗な硝子玉のような、それでいて諸刃の剣のような危うさを孕んだ緋い瞳。
それらは極めて鮮明にヴァージニアの記憶に張り付いていた。
「……結局、何だったんだろう」
両手で包んだ空のグラスを覗きながら、気持ちを紛らわせるようにぽつりと呟く。自分の声が、今は妙に耳に残った。
ヴァージニアがほとんど直感的に青年を死神だと思ったのには理由があった。
もちろん青年の姿形が、イメージとして持っていた死神のそれの多くと一致していたこともある。だが、一番の理由は別にあった。
過去に、実際に死神を目撃したという話を聞かされたことがあったのだ。
それは単純な噂話の類ではなく、よく見知った知人の話だった。もちろん知人だからといって完全に鵜呑みにしていたわけではないが、その時に聞かされた死神の人物像と、先ほどの青年の姿が重なって見えたのだ。
知人は死神を見たという日から、僅か三日後に他界した。
その死が死神――――と知人が言っていた人物――――によってもたらされたものなのかは確認のしようがないが、それでも今のヴァージニアには全くの無関係だとは思えなくなっていた。
仮に本当にあの青年が死神だとして、やがて自分の命を絶ちに現れるというのだろうか。そうなるとすれば、それはいつだろうか。
「…………」
グラスの底を見つめながら、恐怖というよりは純粋な疑問が絶えず湧き上がっていた。