第1話
不意な違和感に、ヴァージニアは足を止めた。
通い慣れた公園の帰り道。
いつも何の気なしに通り抜けている道だったが、この日は視界の端に普段とは異なる色を見た気がしたのだ。
それは今朝、数時間前にここを通った時は絶対になかったとヴァージニアには言い切れた。何故ならその違和感は、気付かずに通り抜けられるほど薄弱な気配ではなかったからだ。
その正体を確かめるべく、ほぼ無意識に右手方向を振り返る。背中の中ごろまで伸びたブロンドの髪が、高い位置で輝く太陽の光を受けてさらりと踊った。
春が過ぎて一段と緑色を濃くした公園を走る、やや荒い散歩道の脇。人工的に植えられた木々が作る小さな林の中に、それは居た。
フードつきの黒い外套で全身を覆った、文字通り真っ黒な人物。
一本の木に背を預けたまま深く俯いているその人物の装いは、今の季節が初夏だということを差し引いたとしても、強い不審感を抱かせるには十分すぎた。
見たことがないほど深い黒色の外套。じっと見つめていると意識を吸い込まれてしまいそうな色をしたフードの下から僅かに覗く横顔は、血が通っているとは思えないほどに白く、陶器製の人形のように作り物めいている。
きっと今が夜であれば完全に闇に紛れ、すぐ傍を通り抜けてもその存在に気付きはしないだろう。
それはこの人物の纏う外套のせいではなく、そこからじわじわと膨張して空間を支配する、重苦しい翳りを帯びた気配のせいだった。
黒い人物の周囲を満たすのは、陽光が急に遠ざかったような――――例えるなら何かの悪戯でそこにだけ深い闇が取り残されてしまったような、そんな異質さ。そしてそれが人の形に集まって、じっとりと暗く翳を落としている。
ヴァージニアはこの黒い人物とそこから空気に滲み出す重苦しく異様な気配に、言い知れぬ不安を強く強く煽られていた。それは見慣れた景色が夜色に染まっただけで独りでに湧き出してくる、本能的な不安と恐怖を強く刺激される感覚に非常によく似ていた。
やがて黒い人物がおもむろに木から背を離す。その動作に引き摺られるように、暗く落ちた濃密な翳りと気配が、ずずっ、と動く。
「――――!」
それだけの小さな動作に、ヴァージニアは心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。
じわ、と冷たい汗が滲む。
背筋を硬直させ息を呑むヴァージニアを余所に、黒い人物は夜の気配を引き摺りながら正面に向き直ると、フードで隠された顔を静かに持ち上げて見せた。
現れたのは、ヴァージニアよりも年下であろう青年の貌。
まるで世界を喰らう染みのように立つ青年に浮かぶのは、悲哀とも憂いともつかない、どこか虚無的な表情。黒い気配を具現化させたような青年のそれと目が合った途端、射竦められたかのようにヴァージニアの背筋が凍りついた。
息が詰まるほどの凄烈な翳りを纏う青年の、作り物めいた不気味な白さをした無機質な貌に光る、鮮血を彷彿とさせる緋色の瞳。
黒色と白色のみで構築された姿の中に、表情のない、まるで硝子玉を填め込んだような双眸だけが異様なほど緋く、煌々と輝いていた。
そしてヴァージニアはこの時ようやく気が付いた。
今まで青年の身体の向こうに隠れていた、もはやその用途さえ不明な、巨大な鎌の存在に。
木々の隙間を縫うように差し込む陽光を、黒く鈍い光へと変換しながら反射するそれを認識した途端、脳裏に甦ったのは流れるように消えた黒い翳。
以前見たものと、今正面に立つ黒い輪郭。それら二つの翳がぴったりと重なり、たちまち鮮明になってゆく思考。この時、全て納得できた気がした。
そして。
「……死、神?」
思わず口にしてしまった単語はあまりにも唐突で現実味がなく、しかしそれ故の強い確信を伴っていた。そうでもなければ、青年の纏う浮世離れした気配の説明がつかない気がしたからだ。
ヴァージニアの言葉を聞いた青年は表情ひとつ変えぬまま、フードの下の無機的に整った貌に取り付けられた真っすぐに引き結ばれていた唇を、僅かに開いた。
「やはり、俺が視えるのか」
「――――え?」
青年から放たれたのは、予想に全く反した言葉。ヴァージニアはその意味を咀嚼しきれずに、思わず訊き返していた。