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第八話「始まりも唐突に」

 あれから十日あまりが経った。八月も中旬にさしかかるといった辺り。


 清水さんは過去をふっきったというわけではない。さすがに一朝一夕では不可能だろう。

 それでも、彼女は前向きに受け止めようと思っているそうだ。……まだ時間はかかるかもしれない。だけど、きっと彼女なら正しい答えを見つけられるだろう。


 そんな彼女は現在里帰り中で、両親に元気な顔を見せてくると言って旅立っていった。


 駅で見送る際に三人で注意深く観察してみたが、彼女から今まで感じられていた(かげ)りや拒絶はなりを潜めていた。

 その代わり彼女の眼差しには、どこか力強さが感じられるようになっていた。


 ……それに加えやたら熱い視線を感じた気がするが、今は気のせいということにしておく。

 


「ふふ、モテモテね。真司くん」


「いやいや、いきなり何言ってるんですか……」


 俺は現在、来栖宅で愛美さんと優雅にティータイムを過ごしている。……別に愛美さんから、「近いうちに来るって言ったのに……」とか電話がかかってきたから、慌てて押しかけたわけではない。……断じて違う。


 さっきまで悠一と遥もいたのだが、悠一が愛美さんに耳打ちされた途端、遥を引っ張って出かけてしまった。あれはいったいなんだったのだろうか。


「だって、女の子のピンチを救ったんでしょう? これは、もう――――そういうことになるんじゃないかしら?」


 うふふ、と笑いながら愛美さんはそう言ってくる。


「ありえないですって。俺みたいなやばいやつはモテませんよ」


 それを聞いた愛美さんは「そうかしら?」と小首を傾げる。……その仕草、可愛いから勘弁してください。


「あなたのどこが『やばいやつ』なのかしら。私には普通の……少し頼りになる男の子に見えるわよ? ……素直じゃないところが玉にキズだけど」


 愛美さんはニコニコしながらそう言った。


 ……正確には、『やばいやつだった』なのだが。


 それは若気の至りでもあったのだが、一時期俺は周囲を拒絶していた。近づいてくる奴には冷たく接した。いろいろと俺は限界だったのだ。

 だがそれを、悠一と遥のせいで続けられなくなった、それだけのこと。


 それに、もし清水さんが話をしてくれなかったら、引っ叩いてでも立ち上がらせようと思っていたのだ。へこんでいる女の子相手にこんな過激な方法を考え付く時点で、十分やばいような気がする。


「……それにしても、ちゃんと私のお願いをきいてくれたのね、偉い偉い」


「はっはっは、あたりまえですよ。遊びの約束を忘れるわけないじゃないですか」


 映画館に行く約束は忘れてたけどね、とは思うが口には出さない。

 しかし、どうやら愛美さんの言っていた内容とは違ったようだ。


「あら? 私が言っているのは『友達でいてあげてね』と言ったことなのだけれど」


「へ?」


 雲行きが怪しい。


「……もしかして、真司くん。わかってなかったのかしら?」


 愛美さんから、ものすんごく怖いオーラが出ている。


「えー、あ、いや、そのー、なんといいますか…………結果オーライ?」


 冷や汗ダラダラで俺はビシッと親指を立ててそう言った。

 愛美さんが溜息をつく。


「……またそうやって誤魔化して……。追い詰められたらふざけて逃げる癖が治れば良い子なのだけれど……」


(……愛美さんの憂い顔とかレアだなー。なんかちょっとスッキリ)


 そこで、「あっ」と思い当たる。


「もしかして、俺が階段のぼってるときにボソッと言ってきた、アレですか?」


「はい、アレです♪」


「わかるわけないでしょうがっ!!」


 語気を荒げ、思わず立ち上がりながら机を両手のひらで叩く。紅茶の入ったカップが揺れた。中身がこぼれなかったのは幸いか。

 というか、無理でしょ。誰の事言ってるのかわかんなかったもん。せめて、ヒント出そうよ……。


「だってぇ、さすがに私だってあの子がちょっとデリケートな問題を抱えてるってぐらいしか、わからなかったんだもん。だから一応君に、『味方でいてあげてね』って意味でそう言ったのよ、ボソッと」


 愛美さんは少々困り顔でそう言ってきた。どんな表情をしてもこの人は絵になっているからずるい。その顔面偏差値を少しは分けてもらいたいものだ。


「…………まあいいです。一応きれいに治まりましたから」


 ムスッとした顔でそう言って、椅子に座る。

 そして紅茶の入ったカップに口を付ける。入れてからしばらく口をつけずに放っておいたので、少しぬるくなっていた。


 と、愛美さんが片眼を閉じ、その綺麗な唇に人差指をあて、


「……間接キス」


「……っ!? ゴブッ……っ……ぅぁ……」


 突然の爆弾発言におもわずむせてしまう。

 愛美さんのほうを見ると、ニマニマ笑っていた。どうやら冗談だったようで、またからかわれてしまったようだ。


 ……やっぱりこの人は苦手だ。



「あ~あ、早く香里帰ってこないかなあ~」


 そうぼやいたのは遥。彼女は、ソーダの水面に浮いているアイスをストローでザクザク突き刺しながら、うぁ~と呻いている。


「……親御さんがなかなか離したがらないんじゃねえの?」


 そう言いながら、アイスコーヒーをストローでかき混ぜているのは悠一だ。


 彼らは今、来栖宅からほどよく離れた場所にあるカフェで暇つぶしをしていた。

 なぜ、悠一が遥とここにいるのかというと、愛美が「ちょっと真司くんと二人で話させてくれないかしら?」との脅迫という名のお願いをしてきたからに他ならない。


「……何話してんだろ……」


「……気になるなら聞いてこいよ……」


「……香里いつ帰ってくるの?」


「……知らねーよ……」


 悠一の返答はやけにぶっきらぼうだ。

 それもそのはず。遥はさっきから同じ話を繰り返している。しかも、やれ「香里まだ~」だの、やれ「早く帰ってきて香里~」だの、さっきから香里香里言っている。

 どうやら香里の過去を知って、ますます彼女のことが放っておけなくなったらしい。


~~~~


 あの後、真司は香里が泣きやむまでずっと抱きしめ頭を撫で続けていた。


 十数分だろうか。その間、遥は顔を俯かせ震えていた。悠一は、こいつまーた泣いてんのか、とおっかなびっくりしていた。


 だがしかし、香里が泣きやみ顔を上げた途端、遥は突然真司を突き飛ばし(真司はぶべっとか言って床に突っ伏した)、目の前で起こった残虐な所業に小動物のように怯える香里をギュッと抱きしめ、彼女はこう言った。


「真司ばっかりずるい!!」


 悠一はそれを聞いて思っていた。いや、お前何してんの? と。


 真司は突っ伏したまま動かないし、香里はされるがままだし、遥は彼女を抱きしめたまま動こうとしない。普段飄々としてふざけている悠一が事態の収拾にあたり始めるほど、それはそれはひどい絵面だった。


 それから香里が里帰りするまでの数日間、遥は彼女にやたら構っていた。名目上は心配だから、とのことだったが香里と一緒に居たがっていたのは明らかだ。


~~~~


 そんな訳で、悠一は恋人を取られたかのような、ちょっとしたジェラシーを感じながら遥の相手をしていた。


(軽々しく遥と香里ちゃんで妄想するんじゃなかった……まさかそれに近い状態になるなんて……)


 彼は現在、軽はずみに妄想にはしった自分を絶賛反省中なのである。


「……かおり~……」


 テーブルに頭を乗せ、物憂げな表情で遥はそう呟いた。


(とにかく早く帰ってきてくれ、香里ちゃん……)


 心の底からそう思う悠一なのだった。

 


 愛美さんとの恐怖のティータイムを過ごした後、俺は帰路についていた。

 時刻は四時過ぎ。外はまだまだ明るい時間だ。


「……疲れた」


 俺はそうぼやく。


 それだけ愛美さんとの会話は気を使うのだ。少しでも隙を見せれば、彼女はそれを見逃さずに攻め立ててくる。……別に彼女と過ごす時間が嫌いだと言うわけではないのだが。


「……清水さん、いつ帰ってくんだろ……」


 清水さんが里帰りしてからの数日、彼女とは連絡を取り合っていない。


 今はデリケートな時期だろうし、久しぶりに家族水入らずで過ごす時間だ。俺たちが邪魔をするわけにはいかないと思い、こちらから連絡をとるのは控えていた。あの過保護な遥でさえ我慢しているのだ。……少し、本当に少しだけ心配だからといって、俺が連絡をとるわけにはいかない。


 また意地張ってるなー、と自分でも思うのだがそういう性分だから仕方ない。


「……はぁ……」


 そんなことを考えていると無意識に立ち止まり、溜息がこぼれてしまった。

 まあ便りがないのは健康の証とも言うし……、そう気を取り直して歩き始めたその時だった。

 携帯が鳴り始めた。

 俺は慌てて携帯を取り出す。……画面には……清水さんの名前。


「何かあったのか!? 誰を殴ればいいっ!?」


「わっ!? どうしたの急に? 何だか遥ちゃんみたいだよ……」


 どうやら俺の早とちりだったらしい。……というか、遥って清水さんにそんな風に見られてるのな。


「……すまん。全て悠一が悪いんだ。恨むならあいつを恨んでくれ」


「……そうなの? じゃあ、わたしが怒っておくね」


 とりあえず冗談で悠一が悪いと言っただけなのだが、彼女は信じてしまったようだ。すまん、悠一。


「それで、どうしたんだ? 急に電話なんて」


「……うん。………これから二人だけで、会えないかな?」


「……は?」


 

 彼女から指定された場所は、この近辺の最寄りの駅だった。


 なんでもさっきの電話は、電車の乗り継ぎの合間にしてきたのだとか。時間がなかったのでなぜ二人でなのかは聞けなかった。とりあえず待っていてほしい、と言われたので俺は今現在駅のホームで彼女を乗せた電車が着くのを待っているという訳だ。


「……もうすぐだな」


 現在の時刻は五時を過ぎたころ。あと数分で彼女を乗せた電車が到着するはずだ。

 ボーっと線路の向こう側を眺めていると、つい先日のことが頭に蘇ってきた。


~~~~


 彼女に謝罪し、彼女の慟哭を聞き、彼女に泣くことを促した。


 よくもまああれだけ恥ずかしいセリフをポンポン並べたものだと思う。今思うと顔から火が出そうだ。……でも、後悔はしていない。

 自分が必死に、伝えようと紡いだ言葉が、彼女を立ち上がらせる力になった。そう思うと、恥ずかしさなんかより誇らしさのほうが湧きあがってくるというものだ。


 そして、彼女の弱さ。

 誰よりも傷つき、誰よりも頑張ったからこその弱さ。俺たちはそれを知った。知って、受け入れた。俺も、悠一も、遥も、……そして、きっと彼女自身も。


 だからこそ、その弱さはこれから変わっていくんだと思う。

 熱された金属が、溶けて形を変えるように。たとえそれがクズ鉄であっても、溶かして他の金属と混ぜ合わせれば違う形になる。


 ――彼女の弱さはきっと、これから彼女を支える強さに変わっていく。


~~~~


 ……そんなことを考えていると電車がホームへと近づいてきた。きっとこの電車だ。


 電車が止まり、幾人もの人影が降りてくる。でも、なぜだか絶対に見つけられる、そんな確信が俺にはあった。


 人の波の中に、彼女を見つけた。


 彼女は俺の姿を見つけると、微笑みながらこう言った。


「……ただいま」


「……ああ。……おかえり」


 俺も自然と微笑んでいた。



 俺たちは清水さんの家に向けて歩いていた。

 彼女の旅行鞄は俺が引き摺っている。彼女はけっこう重そうに引き摺っていたし、……これくらいはしてやってもいいかなと、そう思ったからだ。


「……まだまだ暑いね」


「……夏、終わってないからな」


 少々気まずい。さっき駅のホームで再会した時、なんだか妙なムードだったからだろうか。なんというか、こう、ドラマみたいに再会した途端ハグ……みたいな?


 なんだかそんな光景がチラついてしまい、どうにも彼女を意識してしまう。実に俺らしくない状態だ。


「……あのね、ありがと。……迎えに来てくれて」


 彼女は顔を伏せながらそう言った。……度々見てきた照れた彼女だ。どうやら彼女はいつも通り。なんだか特別意識していた自分が変みたいだ。


「……ああ、別にいいさ。でも、なんで俺だけなんだ?」


 調子が戻ってきた俺はそう彼女に聞いてみた。すると彼女は、顔を紅くしながらも真面目な表情でこう言った。


「…………あなたに、聞いてほしいことがあったから」


 その言葉を聞いて、思わず立ち止まる。なんだかやけに意味深な言葉だ。

 俺が返事に窮していると彼女は話し始めた。


「……一つ目は、お祭りのとき八つ当たりしてごめんなさい! わたし泣き喚いちゃって。……ずっと謝らないとって思ってたの」


「……」


「二つ目は、わたしの話を聞いてくれてありがとう。……それに、わたしの味方だって言ってくれて……嬉しかった」


 彼女は、涙は出ていなかったが泣き笑いとでも表現できるような表情でそう言った。俺は未だ無言で彼女の話に耳を傾ける。


「……最後は、もう……無理してわたしの味方でいなくていいよ? あなたが味方だって言ってくれたのは、きっとわたしを見かねてのことだと思うし……。それに、これ以上面倒をかけたくないの……」


 彼女はそう言った。今にも泣き出しそうなのに、必死に耐えながら。

 それを見て俺はこう思っていた。


(……ああ、やっぱりこいつはバカだ)


「お前バカだな」


 そう言って、彼女の額にデコピンをする。相変わらずピシッと良い音が鳴った。


「いたぁ!! 何するのぉ!?」


 泣きかけていたためか、鼻が詰まったような声で非難してきた。


「お前がバカなこと言ってるからバカって言ったんだよ。バカ」


 彼女の発言にむっときていたからだろうか。やたら罵倒が増える。

 俺にバカバカ言われたせいか、泣きそうな顔に怒りを滲ませながら、彼女は胸の内を吐露し始める。


「……っ……バカってなんなの!? わたしは、あなたたちに!! ………あなたに、迷惑……かけたく、なくて……」


 最後まで言い終わる頃には、彼女の頭と肩は力なく垂れ下がっていた。


(またそんなこと言って……。ここにいたのが俺でよかったな。もし遥だったら引っ叩かれてたぞ)


 そう思いながら、俺は話し始める。


「あのな。俺がお前の味方だって言ったのは、お前が可哀想だったからじゃないぞ」


「……え?」


 彼女は意外な事を聞いたかのように驚いている。


「同情とか、憐れみとか。……普通に毎日をおくっている人間が突発的な不幸に巻き込まれたのなら、そういう感情で手を差し伸べるのもいいだろうさ。きっとその方が適切で、一般的だろうから」


 俺は一呼吸置いて、続きを話す。


「……でもな、お前はそうじゃないだろ?」 


「……」


「お前はずっと耐えてきた。頑張ってきた。歯を食いしばって、それでもここまで来たんだ」


「……」


「周りに助けを求めることもできなくて、結局現状に耐えることしかできなくて。……でも、諦めずに歩いたんだろう?」


 そう、この子の頑張りは……安い感情でどうこうしていいものではないのだ。


「……だから、同情なんかじゃなくて、憐れみでもない。……俺がお前の味方だと言ったのは、俺がお前の味方でいたいと……そう思ったからだ」


 安い同情ほど、人を傷つけるものはない。


「そもそも、面倒だったらすぐに見捨ててる。俺がそういう性格だってことくらい、わかってるだろ?」


「……」


 だから、憐れみなんかで人を慰めたりしない。期待なんて持たせはしない。


「……それでも、俺がお前を見捨てなかったのは、俺が……」


 俺が……何だろう?


「……?」


 彼女も不思議そうにこっちを見ている。

 こいつを好きだから? いや、そう思うほどの気持ちだろうか?


「……何でだろうな?」


「っ!! ……わたしに聞かないでよっ!!」


 ついうっかり彼女に聞いてしまい、怒号を浴びせられてしまう。


「もお!!」


 彼女はプリプリ怒っている。

 しかし少しすると、こちらをチラリと流し眼で見ながら、こう聞いてきた。


「……………迷惑じゃ……ないんだよね?」


 彼女はそう確認してくる。


「それだけは間違いない。俺だけじゃなく悠一も遥も、な」


 そう肯定してやる。

 すると、彼女はたっぷり数秒顔を伏せて押し黙ったあと、バッと顔を上げ二・三歩歩くとくるりと俺の方を振り返り、笑顔でこう言った。


「さっきの続き! わかったら教えてね♪」


「……ああ、約束する」


 俺はそう返した。

 その返答に彼女はご満悦といった様子だ。その顔全てに快活な笑顔が張り付いている。


「よしっ。……ほら! 早く行こっ!」


 そう言って、彼女は手を伸ばす。


「……仕方ないな」


 俺は彼女の傍に寄ると、その小さくも暖かな手をそっと握った。暑さのせいでお互いの手のひらは汗ばんでいたが、……そんなことは気にならなかった。


 そして、気付いたことが一つ。……俺はきっと、この子を放っておけないのだ。 



 きっと彼は、続きをわざと言わなかったんじゃなくて、本当にわからなかったんだろう。

 以前聞いた彼の恋愛観。同い年にしてはやたら人の内面を気にしているようだった。


 彼は愛美さんへの気持ちを聞かれた時、こう言っていた。


『お互いのこと、ほとんど知らないしな』


 つまりは、わたしはまだ彼に自信を持って『好き』と言わせられるほど、わたしの事を教えることができていないんだ。……そしてわたしも、彼のことをよく知らない。


 知っていきたい。たとえそれが辛いことであったとしても。

 今のわたしには、何が正しいかなんてわからない。

 それでも、ちゃんと見ていきたい。

 逃げても何も変わらないことを、理解することができた。

 立ち向かえば、変えることができるかもしれないことを知った。

 だから、これからは向き合おう。

 まっすぐに、彼と。

 


「……そういえば」


 清水さんの家に向けて再び歩き始めしばらく経った後、彼女が急にポツリと言った。


「花火……結局ちゃんと見れなかったね」


「……まあ仕方ないだろ。それどころじゃなかったわけだし」


 むしろあの状況で、花火うっひょー、とか言ってたらそいつの人間性を疑う。……というか確実に性格が破綻している。直ちに矯正が必要だ。

 俺はあまりにもおぞましい想像をした後、思考する。


(……意外と楽しみにしてたのか? 浴衣着てきたぐらいだし。もしそうなら、なおさら残念だろうな)


 だがそんな時、ふと考えが頭をよぎる。


(いや、まだ間に合うんじゃないか?)


「清水さん。花火、まだ見れるぞ」


「……さすがに無理なんじゃ……」



「うおぉーー!! かおりぃ~。うおぉーー!!」


「ちょ、ちょっと!? 遥ちゃんっ!?」


「やかましいわ!! 近所迷惑だろうがっ!」


 叫びながら清水さんに抱きついているのは他でもない、遥だ。俺の怒鳴り声にも反応しない。完全にトリップなされている。


 俺たちはあの後、一度清水さんの部屋に荷物を置きに帰り、その後、悠一と遥に『河原。七時に集合。花火とバケツ持参』とメールを送った。


 その時、清水さんが帰ってきたことは教えなかった。二人へのサプライズ的な効果を期待したのだが、まさか遥が壊れてしまうとは思わなかった。……人って簡単に壊れるんだね。ちょっと罪悪感、テヘッ。


「悠一……すまん。遥はもうっ……戻ってこないんだ……」


「いやいや、勝手に人の彼女を再起不能みたいに言わないでくれます? ……ちょっと錯乱してるだけだから……」


 悠一は最初はむっとした顔で言っていたが、途中から遠くを見るような眼をしてそう言った。

 ふざけるのはこれくらいにして、理由を問う。


「……で、なんで遥はああなってんだ?」


「……寂しかったんじゃね。あと、心配だったろうし」


 悠一は遥を、仕方ないやつ、とでも言いたげに優しく見つめながらそう言った。

 こいつらしくない顔してんなー、とは思うが放っておく。たまには真面目にシメさせてやるのもいいだろう。

 そう思った俺は、さっさと準備を済ませることにする。


「……これくらいか?」


 バケツの淵を川に沈め、水を汲む。ちなみに小川で水深も低いため、こけても溺れ死ぬ心配はない。

 俺はバケツを持って三人のところに戻る。


「かおり~、寂しくなかった? 嫌な事なかった?」


「だ、大丈夫だったからっ。遥ちゃん、離れて~」


 ……(やっこ)さん、まだやってたんかい……。そろそろ止めねばなるまい。清水さんも困っている。


「……いいかげんにしろ」


 俺はそう言って、遥の頭に手刀を振り下ろす。


「あだっ。……何すんのよ真司。事と次第によっちゃあ、容赦しないわよ?」


 遥がギロッと睨んでくる。……正直逃げたい。でも我慢して立ち向かわなければならない。


「……自分がしたこと思い出してみろ」


「あたしがしたことぉ?」


 そう言った遥は、ふむ、と思案顔になる。そして数秒が経ったあと、だらだらと汗を流し始めた。……おそらく、自分がしでかした奇行に思い当たったのだろう。


「言い訳があるなら聞こうか?」


「……テヘッ?」


「……おい、こら」


 誤魔化して逃げようとした遥の首根っこを掴み、清水さんに向かい合わせる。そうすると遥は気まずそうに謝った。


「……香里、ごめんよぉ」


「気にしてないよ、遥ちゃん」


 どうやらきれいに治まったようだ。



「ほらほら悠一ぃ~~。逃げないと焼けちゃうわよぉ~~」


「ばっかっ、やめろ遥ぁぁ!? 冗談になってねーぞぉっ!!」


 良い子は絶対に真似しないでね。悪い子も真似しちゃ駄目だぞ☆、な展開を見せているのは、アホなカップルである。巻き込まれたくないので俺と清水さんはおとなしく普通に花火を楽しんでいる。


「きれいだねぇ」


「そうだな」


 そっけない会話だが、今はそれで十分だった。


「……ありがとう、立花君。花火……見せてくれて」


 彼女は手に持った花火の火を見つめながらそう言った。その言葉には、万感の想いが込められている気がした。


「ああ」


 ……もっと気の利いた返事しろよ、と脳内で自分にツッコむ。

 そんなことを考えていると彼女の花火の火がぽとりと落ち、消えてしまった。


「あっ……消えちゃった」


 切なそうな表情で彼女は言う。


「なんだか……ちょっと淋しいね……。残ってるのは……線香花火?」


 四人で持ち寄った花火もあと少しとなっていた。じきにこんな花火と同様に夏が終わるだろう。……そう思うと、少しだけ淋しいような気がした。


「わたしね、線香花火って苦手なんだ……」


 火をつけた後、彼女はそう呟いた。線香花火は弱弱しく輝き始める。


「この今にも消えそうな感じがさ……もう終わっちゃうんだって感じがして……」


 彼女はその弱弱しい火を見つめている。


「……別に、終わりってわけじゃないだろ」


 俺は自分の分の線香花火に火を灯し、続ける。…………遥の笑い声が聞こえる。


「あくまでこれは一区切りってだけで……また今度、それが無理なら来年っていう……確認に必要なものなんだと思う」


 線香花火はパチパチと音をたてている。…………悠一の悲鳴が聞こえてきた。


「人の関係と同じだよ。ずっと同じではいられないから、区切りをつけて変わっていくんだ」


 輝き続けた線香花火は、ついに消えた。


「……立花君って時々くさい台詞言うよね」


 彼女はクスっと笑っている。


「……悪かったな」


 俺は気恥かしさを感じ、ムスッとしてそっぽを向く。そんな俺を見ても彼女は話し続ける。


「……でもね。わたしはそんな立花君に救われたから。だから、あなたはあなたでいいと思うよ」


 その言葉に俺ははっとし、彼女を見る。彼女は微笑んでいた。


「立花君の言葉は、厳しいようですごく優しい。でもそれは、あなた自身に対する厳しさの裏返しだと思うんだ。それがどうしてなのかはわからないし、無理にとは言わないよ? でも、……できるなら、あなたもあなた自身に優しくしてあげて……」


 今の彼女の表情は、今まで見た中で一番大人びていた気がした。


「……ありがとな、清水さん」


 こみ上げてくる気持ちを全てかたちにしたかったが、そう言うだけで精いっぱいだった。

 彼女のくれた言葉が、心に沁み渡っていった。


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