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第五話「来栖宅での一悶着」

「いらっしゃい、真司くん。久しぶりね」


 そう言って悠一の家で出迎えてくれたのは、悠一の姉である来栖愛(まな)()(くるすまなみ)さんだった。

 大学二年である彼女は、服装も大学生っぽくカジュアルにまとまっており、髪も肩より下くらいの長さで、毛先に少しウェーブまでかけている。スタイルも良く、背丈も女性の平均よりも少し高いため、いかにも年上といった雰囲気を醸し出している。


「お久しぶりです、愛美さん。相変わらず綺麗ですね」


 俺はあいさつをしつつ、そんな軽口をたたく。しかし愛美さんはまったく動じない。


「あら、ありがとう。真司くんもかっこいいわよ?」


 俺の軽口は軽くいなされてしまう。

 相変わらず手強いな、と内心冷や汗を拭う俺とニコニコ笑っている愛美さんを見て悠一はガックリと項垂れる。


「……俺を無視してイチャつかないでくれます?」


 彼はションボリしながらそう言った。

 このまま悠一を無視して愛美さんと決着をつけるのもいいが、遥と清水さんも待っていることだしと諦めることにする。


 愛美さんも「仕方ないわね……」と言って肩を竦めた。どうやら諦めてくれたようだ。

 ――と思いきや。


「女の子二人は悠一の部屋にいるわよ。――――あと、エッチな本の隠し場所も教えておいたから安心してねっ♪」


「安心できるかぁぁー!! なんて事してくれてんだ姉ちゃんのアホー!」


 涙目で階段を駆け上がる悠一を見送ったあと愛美さんを見てみると、とてもイジワルな笑みを浮かべていた。


(やっぱりこの人怖いな)


 なんというか、一筋縄ではいかない雰囲気がこの人にはある。


 かくいう俺も初めてこの人と会った時は、これでもかとからかわれたものだ。まだ初心だった中学の頃の話なのだから、年上の女性に免疫などあるはずがない。だから仕方ない……はず。


 それ以来復讐を誓った俺は、隙あらば愛美さんが狼狽した姿を見てやろうと画策している。だが、今日のように簡単にかわされてしまう。どうやら先は長いようだ。


「ふふ、からかいがいがあるわよね、悠一って」


 そう言ったあと、「もちろん君もね」と愛美さんは言った。……なんかやべぇ、この人危ないよ。


「そうですね。……いつも遥にどつかれてますよ、あいつ」


 俺は愛美さんのターゲットを悠一に移すために、遥もついでに話題に出す。この状況で生き残るためには手段を選んでいる余裕はない。

 それを聞いて、愛美さんは眉間にしわを寄せていた。


「そうねえ……。遥ちゃんが彼女になって少しは頼りがいが出るかと思ってたんだけど、そうでもないみたいなのよね」


 と、溜息をつき「遥ちゃんに愛想尽かされないといいんだけど」と愛美さんは呟いた。なんだかんだで悠一のことを大切に思っているのだろう。その事が表情から伺えた。

 だから、俺は悠一の事をフォローしておくことにする。


「まあ、たしかに普段は頼りになりませんけどね、いざって時には意外と頼りになりますよ、あいつ」


 たぶん、とは付け加えないでおく。付けたら台無しだから。

 拙いながらもそうフォローする俺を見て、愛美さんは微笑んでいた。


「……そう。それなら少しは安心できるわ」


 そう言ったあと、愛美さんはなぜか俺に近づき手を伸ばしてきた。


(え、なに? 俺なにか変な事言ったか? なにか気に障る事を?)


 内心最大級の混乱に陥ってしまった俺は身動きできずにいる。心臓は恐怖でバクバク鳴っている。そんな俺に、ついに愛美さんの手が到達した。

 

 ポフッ。

 

 そんな音がしたんじゃないかと思うぐらい呆気なく、俺の頭に愛美さんの手のひらが触れていた。


「……あの、これは?」


 と、お伺いをたててみる。


「ふふ、何だろうね?」


 愛美さんはそう言いながら微笑んでいた。彼女の手は俺の頭を撫でていた。


(これは、褒められているんだろうか?)


 そう思うと気恥ずかしくなってくる。性格はちょっとアレだが、愛美さんは美人だ。そんな人に頭を撫でられれば、照れてしまうのはあたりまえだろう。


「あれ、顔赤いね? もしかして、照れてる?」


 愛美さんはさっきとはうって変わって、ニヤァとした笑みを浮かべていた。やられた、と思うがもう遅い。愛美さんは口を開く。


「ふふ、恥ずかしがっちゃって。かわいいなー」


「……別に、恥ずかしがってません」


 俺は精いっぱいの抵抗としてそう言うが、その発言は捕食者にとってスパイスにしかならない。ほら、愛美さんすごいニコニコしてるもの。


「はいはい。君は恥ずかしがってないよね。ちょっと顔が赤いだけだものね?」


 もうやめてー、と心で叫ぶが、人をからかうことを生きがいにしている愛美さんがそう簡単におもちゃを手放すはずがない。

 俺は、いっそのこと愛美さんに抱き付くという大博打に出てやろうか、それとも思考することを手放して楽になろうかとも思い始めるが、そんな考えは突如吹き飛んだ。


《ぎゃーー》


 悲鳴が聴こえてきたからである。

 その悲鳴は上の階から聴こえてきた。そしてその声は悠一のものだ。


「何やってんだ、あいつ」


 俺は、悲鳴で冷静になれたことに感謝しつつ、その悲鳴の主に呆れていた。


「……エッチな本のことで遥ちゃんに怒られたんじゃないかしら」


 愛美さんは「もう、いいところだったのに……」と少々ご立腹だ。あとで悠一には制裁が待っている事だろう。

 今のうちに離脱した方がいいなと思い、俺は愛美さんに先制する。


「じゃあ俺も悠一の部屋に行きますんで。……久しぶりに愛美さんに会えて良かったです」


 逃げる為の建前を言い、…ほんの少しの本音を覗かせておく。

 愛美さんはそれを聞いて一瞬だけびっくりしたような表情をしたあと、ほんの少し頬を染めた。


「ええ。私も会えて良かったわ。……近いうちにまた来てね」


 彼女は優しげな笑みをこぼして言った。俺は「わかりました、また近いうちに」と言って階段を登り始める。


 そんな俺の背中に、かすかに届く小さな声があった。


「……あの子と、友達でいてあげてね」


 それは愛美さんの独り言だったのだろうか。あの子とはだれのことなのだろう。階段を上りながら少し考えてみるものの答えはでない。


 疑問が頭の中でグルグルと渦巻いていた。



 悠一の部屋に入った俺を待っていたのは、ちゃぶ台の上に並べられたエロ本数冊と、その表紙を真っ赤な顔で正座して見ている清水さん。そして、ベッドの上で遥にチョークスリーパーをきめられている悠一だった。


 そのあまりにも混沌とした状況に、思わず手に持ったペットボトル・お菓子・紙コップが入った袋を落としてしまいそうになるが、なんとかこらえる。


「……なにやってんだ、お前ら……」


 俺はこの場にいる全員に聞いてみる。まともな答えが返ってくるとは思えないが。


「何! って! お仕置き! よ!」


 遥は般若のような顔したまま、腕をグイグイ締めつつそう言った。


「っ……たす……て……ぐぅ……」


 悠一はもう限界といった具合で喘いでいた。遥の腕をしきりに叩いて、ギブの意思表示をしている。


「……え? ……見てない……わたし見てないよ!?」


 突然真っ赤な顔で手をブンブン振りながら慌て始めたのは清水さんだ。いや、お前ガン見してたよね? なんにせよ、清水さんは後に回しても大丈夫なようだ。

 正直、こいつらを見捨てて愛美さんと優雅なティータイム(紙コップとジュースで)に洒落こみたいとも思うのだが。しかし、見捨てたらそれはそれで後々責められそうなので、仕方なく事態の収拾にあたることにする。


「とりあえず、そいつ離してやれよ」


 あまりにひどい状況にめまいがするが、そろそろ本当にやばくなっている悠一を助けてやることにする。

 それを聞いた遥はしぶしぶといった様子で悠一を解放した。彼は解放された直後に、咳き込みながら酸素を思う存分補給したことですぐに復活した。


「ふぅー、死ぬかと思ったぜ、まったく。遥は加減ってのを知らねーから……」


 やれやれといった感じで悠一が言うと、遥がキッと睨んだ。


「あたし、まだ許してないんだけど?」


 そう言いつつ、ジリジリと悠一に近づき始める。

 それを見て悠一は、ひいっと呻くと俺の後ろに隠れてしまった。男に縋りつかれても嬉しくない。一刻も早くこの状況を脱したい。


「落ち着けって。で、何でお前そんなに怒ってんだ?」


 だいたい察しはつくが、一応本人に確認しておく。

 すると、遥は気炎でも吐く勢いで言い分を述べ始めた。


「そんなの! こいつがエロ本持ってたからに決まってんでしょぉぉー!! 彼女であるあたしがいるのにさあぁッ!!」


 声でけーよ、清水さん驚いてんじゃん、と言いたいが怒りの矛先が俺に向いても困るので黙っておく。


 話を聞くと、思っていた通り『あたしがいるのにエロ本持ってたのが気にくわない』のだそうだ。


(どうするかなぁ……めんどくさいなぁ)


 痴話喧嘩なら勝手にやってくれ、などと思うが、このまま放っておくともっと面倒くさくなりそうなのでとりあえず弁護を始める。


「まあ、それが男の悲しいさがですきん☆」


「……真司。あんた、ふざけてんの?」


 やばい、ちょっと場を和ませようとふざけてみたが不評だったようだ。すげー顔で睨んでおいでだ。次に失敗したら俺までさっきの悠一のようになってしまうだろう。

 俺は咳払いし、再び弁護を始める。


「ゴホンっ。あー、何というかですね。……彼女とエロ本は別……と言いますかね。――そういうものなんです」


(……なんだ、このフワッとした言い分は)


 自分でもそう呆れてしまうぐらい、しょうもない内容だった。だが、悠一はそれを聞いて「うんうん」と首を縦に振っていた。どこに感銘を受けたんだ、お前。

 遥はその言い分を聞き、さっきよりは幾分か落ち着いたようだった。


「……そりゃあさ、そういうもんだってことはわかってるんだけどさ……でも、納得したくないというか……」


 彼女はそう言った後、俯いてしまった。

 悠一はそんな遥を見てあたふたしている。事態を静観していた清水さんも「どうしよう……?」と慌てている。


 俺はそんな情けない悠一に「何か言ってやれよ」と小声で促す。すると、悠一はビクつきながら遥に近づき、自分の首に手を当てながら声をかける。


「……あのよ……悪かったよ。ごめん、遥」


 彼は拙いながらも彼女に謝った。

 やればできるじゃないか、と俺は安堵し、事態が終息したことに一息つこうとする。

 ――しかし、


「あたしがほんとに怒ってるのはねえ……」


 遥が怒りで震えている。


「巨乳モノばかりだったってことよぉぉぉーー!!」


 そっちかー。

 俺と悠一は内心、こりゃまいったと頭をペシッとはたく。遥って貧乳だもんなー。

 彼女が振りかぶった拳が、悠一の腹に吸い込まれていった。



「で、なんで清水さんはエロ本見つめてたんだ?」


 俺は、一つの命が散った戦場で清水さんにそう問いかけた。


 ちなみに、悠一はベッドの上で身体を丸め真っ青な顔で呻き声をあげている。遥はプンプンと未だ怒り収まらぬといった様子で、ベッドに背を向け座っている。


 問われた清水さんはギクリと身を強張らせ、誤魔化し始める。


「えーと、何の事かな。わたし、エッチな本を見つめてた事なんてないと思うなー」


 目がすごい勢いで泳いでいるのですが、いったいどういうことなのでしょうか。


「……さっき見てたと思うんだが。真っ赤な顔で。興味津々で」


 俺は真顔でそう言ってみるが、「そ、そんなことないってば!」と清水さんに怒鳴られてしまう。

 というか今もチラチラ見てるんですが、この人。


(……試してみるか)


 俺は近くにあるエロ本を引っ掴むと、清水さんに突きつける。……一応言っておくが表紙である。大人の女性がセクシーポーズをとっているだけだ。それでも十分あれだが。


 すると清水さんは顔を真っ赤にし本から顔を背けるものの、チラチラと表紙に目をやっている。彼女が目を逸らしたほうに本を持っていくと、またしても顔を背ける。だが、チラチラ見てくる。持っていく、背ける、見る。


(やばい、これ楽しい)


 俺は、まるで愛美さんが乗り移ったかのように清水さんをからかうのを楽しんでいた。

 やめ時がいまいちわからないので、とりあえずしばらく続けてみることにする。


 そして繰り返すこと数十回……。


 俺は続けていくうちに、いいようのない使命感を感じ始めていた。……きっとこれが、俺が生まれてきた理由なんだっ!


「あんた……なぁにやってんの?」


 ……気付くと後ろには般若が立っていた。

清水さんは半泣きで遥に飛びつくとグズり始めてしまった。相当追い詰めてしまったらしい。


 ああ、やってしまった、といろいろな意味で後悔するがもう遅い。引き際を見誤った者は(みな)等しく死んでいくのだ。


 俺は最期に、自分の脳天に手刀が振り下ろされるのを見た。



「まったく! なんでうちの男どもはバカばっかりなのかしらね」


 遥はベッドに座ったまま呆れ顔でそんなことをぼやいていた。エロ本は部屋の隅に積み上げられている。恐らく後で捨てられてしまうのだろう。


「「反省してまーす」」


 うちの男どもこと、俺と悠一は遥の前に正座し反省していることを伝える。いやいや、あんな反応されればからかいたくもなりますって。

 だが、悪い事をしてしまったのは事実なのできちんと謝っておくことにする。


「ごめんな、清水さん」


「……」


 だが清水さんはプイッと顔を背け、『わたし、許さないから』と言外に伝えてくる。


(どうするかなあ)


 どれだけ考えてもいい案が浮かばない。

やむを得ず、俺は先人たちが古くから使い続けてきた秘策を使うことにする。自分の立場を危うくする諸刃の剣だが、仕方あるまい。


「……じゃあ今度一つだけ、清水さんのお願いをきくから。それで許してくれ」


 俺がそう言うと、清水さんの耳がピクッと動いた。もうひと押しか?


「ついでに甘いものも奢ってあげたいなー、なんて」


「し、仕方ない人だなあ、立花君は。そこまで言うなら、許してあげないこともないよ?」


(わっかりやすっ)


 彼女は期待に胸を膨らませているようで、口元をニヤつかせながらそういった。まあ、とりあえず許してもらえるようなので、これで一安心だ。


(これからは、からかう時は注意しないとな)


 密かに次の機会をうかがっている事は内緒だ。しばらくほとぼりを冷まさなければならない。

 次にからかう時のことを考えると、高揚が抑えられない俺であった。



「それにしても。来栖君のお姉さん、綺麗だったねー」


 とは清水さんの感想だ。それは、誰が愛美さんを見てもおそらくはそう答えるであろう内容だった。

 現在、俺たちはお菓子を食べつつ談笑しているところだ。

 清水さんの感想を聞いた悠一は、えー、と異論を述べる。


「そうかあ? 俺にはよくわかんねえけど。……ただ、怒ると怖い。マジで怖い。あれは――」


 なにやらトラウマを掘り起こしてしまったらしく、「ごめん……ごめん。腕はそっちに曲がらないんだ……」とか言っている。愛美さん、何したんだあんた。

 どうやら悠一は、そのまま精神がどこかに旅立ってしまったようだ。ブツブツと謝罪を口にし続けている。そんな悠一の様子に若干引き気味な俺たちは、それをそっとしておき話を続けることにした。


「た、確かにすごく綺麗よね。正直あたしもドキッとするときあるわ」


 と、遥は言う。それは、何かしらの心身症の疑いがあります。速やかに最寄りの病院を受診しましょう。


「遥ちゃんもなの? わたしも、愛美さんに今日初めて会ったけどクラッときたよ」


 と、清水さんまでもが言った。神経症の可能性も考えられます。速やかに受診しましょう。


 俺は心の内で二人にボケつつ、こいつら大丈夫だろうか? と心配になっていた。以前悠一が言っていた『できてるんじゃ?』発言が真実味を帯びてきていた。


(いや、それはないな)


 俺は、ないわーと失笑しジュースの入った紙コップをあおる。

 一人でボケとツッコミを楽しんでいた俺を二人は訝しんだのか、無理やり会話に入らせようとする。


「で? 真司は愛美さんのこと、どう思うのさ」


「……どう思うの?」


「どう……って」


 二人はそう言って俺を問い詰めてきた。若干清水さんのほうは勢いがある気がするが、気のせいだろう。

 俺はそう結論付け、質問に対して回答を述べる。


「綺麗だな。……たぶん、今まで会った女性の中で一番に」


 俺は正直にそう言った。すると、遥はあごに手をあてて「ほほう……」といやらしく笑い、清水さんは「そっか……」と少し落ち込んでいた。なんなんだろう、これは。

 遥は清水さんのほうをチラッと見た後、


「それは愛美さんを好きってことなのかい?」


 と、流れとしては当然な質問を投げてきた。当然であるがゆえに予測しやすい。

 俺は準備していた正直な答えを伝える。


「好きと言えば好きだが、恋愛感情ではないと思うぞ。お互いのこと、ほとんど知らないしな」


 そう、俺は愛美さんについては知らないことが多すぎる。

 たしかに、彼女には惹かれる部分がたくさんある。それに、逢った回数はへたな知り合いよりはよっぽど多い。


 だが、だからといってこの『好き』が、恋愛感情としての『好き』だという確信が持てない。そんな状態で恋愛としての『好き』を持ち出しても、それはきっと一時の気の迷いだ。


 まだガキでしかない俺でもこれだけはわかる。相手の裏側を知らないまま好きと言う行為は、きっと罪深い。自分を誤魔化して相手に好きというのは、きっと愚劣だ。


 そんな生き方をして人づきあいを続ける人間がいるからこそ、世の中には破局があふれているのではないだろうか?


「ふうん、そうなんだ」


 遥は、なるほどね、といった様子で納得してくれた。だが清水さんは納得していないらしく、質問を続けてきた。


「じゃ、じゃあさ……これから愛美さんのことを好きになるってことは…あるの?」


 清水さんは不安そうに聞いてくる。

 ここはきっと、嘘でも『ありえないよ』と言ってあげるのが優しさなのだろう。だけど、俺にはそんな無責任なことはできない。

 優しい嘘は人を救うのだろう。それは間違いない。だが、それはツケを先送りにしているだけだ。

 いつかツケを払うときが来た時、一番……何倍も傷つくのは、嘘をつかれた側なのだ。その時どれだけその人が傷つくかなんて、嘘をつく側は考えもしないのだろう。


「……あるかもな。さっき言った通り、愛美さんを綺麗だとは思うから」


 俺はそう伝える。清水さんは「だよね……」と落ち込んでいる。

 何故彼女が落ち込むのか、その確信は持てなかったが、その姿を見ているとほんの少しだけ胸が締め付けられる錯覚に陥った。


(少しフォローしておくか)


 俺はそう思い、一言付け加えることにした。


「……でも、もしかしたら他のやつを好きになることもあるかもな」


「っ……そっか……」


 その言葉を聞いた時、清水さんの表情はほんの少しだけ明るくなったような気がした。だが、それでも未だに彼女の表情には影がさしているように見えた。


 重い沈黙がおりる――


「ええっ! それってもしかしてっ、あたしのことを好きになるってことっ? 駄目よっ! あたしには心に決めた人がっ!」


 と思ったら、遥が突然三文芝居を始めた。しかもかなりわざとらしい言い方と手ぶりで、だ。


 何の脈絡もなく始め、そしてあまりにもひどいものだったので思わず評価が辛口になってしまう。


「ひどい出来だな、おい。――ていうか誰がお前みたいな貧乳好きになるか、バカ!」


「バカとは何よーバカとは……って貧乳いうんじゃないわよ!! あたしのは慎ましいだけッ!! 自己主張してないだけよッ!」


 頭がぶつかるんじゃないかと思うぐらい近づき、いがみ合い始めた俺たちを見かねたのか、清水さんは俺たちの間に入り「やめなよ~」と必死に止めようとしていた。


 遥はきっと、気まずくなりそうだった俺たちを見かねたのだろう。だから、決定的にズレてしまう前にうやむやにしたのだ。


 遥の気遣いに俺は「ありがとう」と、誰にも聞かれないほど小さな声で呟いた。


「……うお!? ……なに、なんだよ、この状況?」


 そして、バカがようやくお帰りになったようだった。


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