第三話「朝倉宅にて」
次の日の日曜日、午前十一時五十六分。俺は遥の家の前に佇んでいた。
寝たらメール消えるんじゃねーかな、と期待して眠りに着いたのだが、朝チェックしても健在だった。そう、昨日のメールは悪い夢なんかじゃなく、現実だった。
(ああ、やだなあ……。何言われるんだろ)
気分はかなりブルーなのだが、もしすっぽかしでもすれば奴はすぐに俺の家に強襲をかけるだろう。奴は俺の家を知っている。しかも守ってくれる親は外出中だ。
たとえ居留守を使おうとも待っているのは鬼のピンポン連打。鳴り続けるピンポンって、なんであんなに怖いんだろうね。……とにかく、俺に逃げ場などないのだ。
俺は、深呼吸を一つし、意を決しインターホンを鳴らす。こいつの家のインターホンはモニターが付いていないタイプで音と声しか伝わらない。
数秒待つと、遥の声が返ってくる。
《おー、鍵開いてるから入っておいで》
「……おい待て。まず相手を確認しろよ。危ない奴だったらどうすんだ」
友人のあまりの不用心さに顔をしかめる。だが、ここでジッとしていても仕方ないので、お邪魔させていただくことにする。
「お邪魔しまーす」
と、ドアを開けつつ一応言っておく。聴いている人がいなくても礼儀は大事だ。
(遥が居るのはリビングか?)
俺はリビングのドアへ向かう。以前から俺と悠一はこの家に遊びに来ていたので、だいたいの場所はわかっている。かって知ったるなんとやらだ。
一応ノックをし、リビングにつながるドアを開ける。
そこで待っていたのは、ドアに背を向けるかたちで椅子に座っている遥だった。彼女は首を横に向け、横目でこちらを見ている。
その格好は、上:少々小さめのシャツ(身体のラインがバッチリ☆)、下:短パン(ピチピチ☆)、髪はうなじ辺りで軽くまとめていた。健康的な色をしたうなじがチラチラ目にはいる。
(なんでそんな格好なんだよ)
友人の無防備さに頭を抱える。しかし遥は、入口で頭を抱えた状態でうんうん唸る俺を見てキョトンとしていた。
「どったの? 変な物でも食った? 拾い食いは駄目だって教えてあげたでしょー」
違う、違うんですよ。原因はあ・な・た。というか拾い食いとかするわけないだろ。
「……お前、なんでそんな格好なんだよ。ていうか、いつも言ってんだろ」
半ばあきらめ気味で言いつつ溜息を吐く。
「……あー、服の事? 別にいいじゃん。家なんだし」
あっけらからんと言い放つ女傑。さらに「意識しちゃうんか? お?」とおっさんみたいに聞かれてしまえば「もういいっす……」と諦めるしかない。
しかし今回だけは、これだけは言わせてもらわなければならない。
「……服の事はいいとしてもな。インターホン押したのが誰かってことぐらいは確認しろよ。危ない奴だったらどうすんだよ」
彼女に説教する。
わかっている。そんな偶然そうあるわけではないって事は。でも、万が一の事を考えると胃がキリキリと痛む。大切な友人に、辛い思いなどしてほしくない。
俺が真面目に言っている事がわかったのか、遥は真顔に戻りふっと笑みをこぼした。
「ごめんね、心配させちゃって。――でもさ、大丈夫だよ」
遥は俺の目を見つめながら続ける。
「だってさ……もしそうなっても、悠一と真司が守ってくれるでしょ?」
彼女はそう言ったあと、満面の笑みになった。
今の彼女の言葉は別に、俺たちがいつだって助けに来てくれる、なんて愉快な意味で言ったわけでは決してない。彼女はそこまで愚かではない。
――ただ、今回の件を反省した上で、俺たちのことを信じていると彼女はそう言ったのだ。
そして、その言葉にどこか喜んでしまっている自分がいるのも事実で。
(……まったく、こいつは)
遥の言葉でなんだか怒る気が失せてしまった。あんな笑顔で言われてしまえば、俺にはもう何も言えない。……そもそも遥には普段から頭が上がらないしな。
こうなるよう計算して言ったのだとしたら末恐ろしいが、それはないだろう。だって今あいつ、「うっひゃー、恥っずかしー」とか言いつつ、手でパタパタ扇いでるもん。
「……あんまり当てにすんなよ?」
一言、照れ隠しもかねて言っておく。
「おう♪」
彼女は頬を赤く染めたまま、ニカッと笑いそう言った。
◆
「そうめんでいいよね? お母さんが買いすぎて、いっぱい余っててさ」
遥は言いつつ、水をはった鍋を火にかけようとしている。
「ああ、それでいいぞ」
ソファに腰掛けつつ、「それは夏に向けて購入したものなんじゃ?」と考えるものの黙っておく。下手な事を言って昼食を取り上げられたら困る。
と、そこで俺は『お母さん』という単語でふと疑問がわく。
「……妹ちゃんとおばさんたちはいないのか?」
「あー、みんなで朝から買い物だよ。映画も観てくるって言ってたから、帰るの夕方かな」
映画、ということは昨日俺たちが行ったショッピングモールだろうか。地方だと暇つぶしできる場所が少ないんだよな。だから、知り合いと遊ぶ場所が被って遭遇……なんて哀し恥ずかしイベントはザラにある。
それにしても妹ちゃんに会えなかったのは残念だ。遥と違って素直で良い子なのに。
「……ちょっと! 今失礼なこと考えなかった?」
「ソンナコトアリマセンヨ?」
それを聞いて遥はフンッと鼻を鳴らすと調理に戻った。
遥はお湯が沸くまでの間に、卵を薄く焼いたものを細かく切り、さらに、生姜をすりおろしていた。おそらく薬味だろう。そして、沸いたお湯の中にそうめんを入れ、適当な時間でざるに移し冷水で引き締める。これで完成だ。
育ち盛りとしてはいささか物足りないとは思うが、手伝いもしなかった分際でそんなことを言うほど恥知らずではない。味に文句は付けますがね。
「ごめんねー。真司には物足りないかも」
こちらの思考を読んだかのように遥が言う。
「いや、そんなことないぞ。いただきます」
俺は誤魔化しつつ、それ以上有無を言わせぬ為、さっさと食べ始めてしまう。
遥はそんな俺を見て微笑み、「いただきます」とそうめんに箸を向けた。
◆
「で、あんたを呼んだ理由なんだけどさ…」
二人で食事の後片付けを済ませ、食後の温かいお茶を飲みつつ、ほっと一息ついていると遥がしゃべり始めた。
「真司の目から見てさ、香里って……どう?」
どう? なんて唐突に聞かれても返答に困る。
「可愛いんじゃないか? 多少物怖じしてしまう点を除けば、性格もかなり良い部類だろう。困った時は率先して助けてくれるからな。それに料理も出来るそうだぞ。ほぼ毎日自分で弁当を作っていると言っていたし、この前卵焼きを少しわけてもらったことがあったんだけど、なかなかの味だった。絶妙な塩加減と砂糖とだしの分量でふんわりと焼きあがっていた。同年代であそこまでうまく卵焼きを作れる女子はそういないんじゃないか? いや、きっとあいつぐらいに違いない。――それに加え、勉強もできる。成績はクラスでも上位だからな。例えばわからないところを聞いたら、仕方ないなあ、とでも言いたげな顔でわかりやすく教えてくれるぞ。わかっているところをわざと聞くのもまた一興だ。それがバレた時に頬を膨らませているあいつを見るのはなかなか愉快だぞ? おまけに働き者で、優しくて、気立てもいい。――以上の理由から、きっと世の男子は清水さんのことを放っておかないはずだ、うん。というか、クラスの男子はチラチラあいつのこと見てるな。はっはっは」
「…………あんた、どんだけ香里のこと好きなのよ……」
遥は若干引き気味だ。……なんだよぅ、聞いてきたのはそっちじゃんか。あと、別に好きとかではない。単に仲がいいだけだ。
「てか、違くて!! 確かにおおむね同感だけど……今聞きたいのは別の事! 悠一から何も聞いてない?」
おおむね同感なのか……というか怒られてしまった。少々ムッとくるが、ここは我慢する。
(悠一から? ということは、昨日話された内容のことか)
「それって、清水さんが壁うんぬんってやつか?」
一言一句確認するのは面倒な為ぼんやりとした内容で確認を取る。……別にさっきの仕返しという訳ではない。
「……うん? 壁? ……そうそうそれ……たぶん?」
自信なさげに頭の上に大量の『?』を浮かべながら遥は肯定する。内容ははっきり伝えないとお互いに困る結果になるな。
助け船の意味も込めて、気になっていた事を確認する。
「で、悠一があんなこと言いだしたのは、お前が何か言ったからだろ?」
そう聞くと、遥はどこかバツの悪そうな顔をして話し始めた。
「うん。ちょっと香里のことで気になった事があったから、相談したんだよ」
彼女は続ける。
「あたしさ、香里と知り合ってから結構遊びにいったんだー。学校帰りに買い食いとか、休みの日にカラオケ行ったり、服見に行ったりね」
その光景は容易に想像できる。たぶん、清水さんは腕を掴まれて『あっち行くよー』とか『次はこっちー』と連れまわされたのだろう。……うちの子がすいません。
遥は、ふう、と一呼吸置く。
「でもさ、最初の頃はさ、ほんと余所余所しかったんだ。今でさえ親しそうに接してくれるけどさ、それでもどこか……何か隠そうとしてる気がするんだ」
そう言って遥は自分を落ち着けるためなのか、一口お茶を啜る。
「それを悠一にちょっと愚痴ってみたんだけど、そしたらあいつも似た事感じてたらしくてさ。それで、真司にも聞いてみようってなって、昨日あんたに聞いたわけ」
なるほど、そういう流れだったのか。
一番清水さんと交流していて同姓である遥が違和感を感じ、それを聞いた悠一は自分の中でもそういった疑念があることを認識し、俺にも確認をとったとそういうことだろう。
遥は俺が納得したのを見てとったのか、続きを話し始める。
「誤解しないでほしいんだけど、別に香里のことが嫌いってわけじゃないよ? むしろ好きな方だし。でもまー、なんというか。ほっとけないというかさ……」
いつも直球な遥にしてはめずらしく言葉を濁す。
遥の性格からして、友人である清水さんが何か悩んでいるのなら助けたいはずだ。――それはもうほんと、問題をぶち抜く勢いで。しかし、清水さんが助けを必要としているか、その確信が未だに持てないのだろう。だから行動に移せない。
俺は、遥が我慢の限界を迎えたときに何かやらかさないように釘を刺しておく事にした。
「でもな、例え清水さんが問題を抱えていようと、助けを必要とする状況であったとしても、だ。本人が俺たちの助けを望んでいなければそれは余計なお節介でしかないぞ」
遥は俺の言葉を聴き、うぐっと仰け反る。
お茶を啜ったあと、さらに追撃を加える。
「下手すりゃ、清水さんは離れていくだろうな。……お前は真っ直ぐすぎるんだって。少しは変化球を覚えろ」
そういえばこいつがゲームで育てる野球選手は剛速球しか持ってなかったなー、球速だけやたらと上げるんだよな、それをロマンとか言ってたっけ、と余計な事を考える。
遥は打ちのめされ、うう、と呻きながら恨めしそうにこちらを見ている。そして、言い辛そうに口を開く。
「……わかってるわよ。そんなこと。でも、荒療治が必要な時ってあるでしょう?」
あんたならわかるわよね? とでも言いたげな眼差しを向けてくる。
(……ああ、わかりますとも。そりゃあね)
俺は動揺を悟られないよう、話を続ける。
「……荒療治が必要だったとしてもな、今がそうだってわけじゃないだろう? 機会を待つことも大事だと思うがね」
その機会を逃さないことも大事だがな、とは言わないでおく。こいつなら、見逃したりはしないだろう。
「……そうだね。ちょっと焦りすぎてたみたいだわ」
遥は溜息を吐いて言った。どうやら納得してもらえたようだ。
(焦ってしまうぐらい大切に思ってるんだろ?)
とは思うが、口には出さない。口に出したら、きっと恥ずかしがった遥の照れ隠しの拳が飛んでくるはずだ。女の子の力で殴られてもそう痛くないが、それでも痛いものは痛い。
「じゃ、この話は一旦終わりってことでいいか? 進展があり次第、悠一を交えて話すということで」
俺はこの話題を終わらせようとする。
難しい話題で少々疲れたようだ。自然と溜息がこぼれてしまう。
「そうだね、その時はよろしく。……疲れたでしょ? もうすぐ悠一が甘いもの買ってきてくれるから待っててね」
と、遥。
悠一さん彼女のパシリっすか、と友人の小間使いっぷりに尊敬と憐れみを感じるが、すぐにその感情は霧散する。甘いもの、はやく持ってきてくれ。
「……後から悠一が来るようにしてたってのに、清水さんは誘わなかったのか?」
ふと疑問に思い遥に問う。こいつなら普通に誘いそうなものだが。
「香里はね、今日バイトなんだってさ」
無念そうに言った後、小声で「昨日の事、からかおうと思ってたのになー」と呟いている。なんとも不穏な空気を感じた俺は、今日バイトで良かったな清水さん、と心の中で彼女に称賛を贈る。
そんな事を考えていると、インターホンが鳴った。どうやら悠一が来たようだ。
それを聴いて立ち上がろうとした遥を手で制し、俺が代わりに応対する。
インターホンのスピーカーからは《来たぞー》と呑気な声が聞こえてくる。俺は咳払いをし、息を吸ってマイクに向かう。
「貴様なんぞに娘はやらーんッ!!」
と、できるだけドスのきいた声で言ってやった。すると《うっひょあ!?》と外から悠一の驚いた声が聞こえてきた。なんとも間抜けな声だ。
それを聞いた俺は、くっくっくと声を押し殺して笑った。遥にいたってはヒーヒー言っていた。……どんだけ笑ってんだ。
ひとしきり笑った後、悠一を出迎えに行ってやることにする。
玄関のドアを開けて二人で出迎えてやると、悠一は「マジでビビったんだからなっ!」と涙目で喚いてきた。意外と小心者だな、こいつ。
◆
「まったく……何考えてんだよ」
悠一はぶつくさ文句を言いながらコンビニで買ってきたと思わしきプリンをパクついていた。リビングでメンゴメンゴと二人で謝ったにも関わらず、まだ怒り心頭といった具合。
ちなみに、そのプリンは生クリームが乗っていて、ちょっとリッチである。
「まあ冷静になってみれば、遥の親父さんとは似てなかったけどさ」
遥のお父さんは、優しげな雰囲気を纏った紳士だ。さっきの俺が演じた『なんちゃってお父さん』とは似ても似つかない。
悠一は、仕方ねえなといった感じで許してくれた。
三人でプリンを食べつつ、清水さんについては現状維持だと厳命する。
「ま、だよなー。あの子と知り合って、まだちょっとだし」
「うん、だから今はそっとしておくことになったんだ」
悠一と遥が言う。どうやら彼にも納得してもらえたようだ。
「で、それはそれとして、これからどうする? ゲームでもするか」
と、悠一。
「やるとしたら格ゲーね」
と、遥。
「じゃ、俺はこの辺で……」
お暇しようとする俺。しかし、その肩をがしっと二人が掴んでくる。
二人は笑顔で「いいじゃんかー」、「逃げんなよー」と亡者のように縋りついてくる。
(お前ら強すぎて面白くないんだよ!)
溜息を吐いて諦めた俺を、二人は遥の部屋まで引き摺っていくのだった。
◆
バイトから帰り、鍵を開ける。
部屋の中は薄暗い。
部屋には誰もいない。当たり前だよね、とぼやく。
ベッドの脇で膝を抱え、虚空を眺めながら呟く。
「……早く、明日にならないかな」
その声に、返事はない。
胸元ではペンダントが鈍く輝いていた。