第二話「きっかけはすぐ傍に」
何はともあれ、入学式から二カ月ほど経ち、環境の変化や人間関係に奔走していた人物たちは落ち着きを見せ始めている。
やたら騒ぐ人、クラスの中心で頼りになる人、単独行動を好む人など、多種多様なクラスメイトがいるが、結局俺はいつものメンバーとつるんでいた。
俺たちはあれから、清水さんを含めた四人で遊ぶことが多くなった。
とは言っても、遥は自分のクラスでの付き合いもあるし各々バイトもあるため、おもに休日に四人が揃う時間があれば駄弁ったり遊ぶといった感じである。常に四人で行動しているわけではない。
清水さんはあれからだいぶ打ち解け、暇な時間が合う時には遥と二人で買い物に行ったりしているらしい。
◆
時は六月初週の金曜日、その放課後。
日に日に気温が上がり始め、過ごしにくさが目立ち始める時期である。
悠一はこの時期のことを『水着が輝き始める時期』と目を輝かせながら言っていた。あいつ、暑さで沸いてるのか。……まあ確かに水泳の授業はもうすぐ始まるのだろうが。
ちなみに、悠一と遥はデートだと言って早々に引きあげてしまった。二人は去り際に俺と清水さんを見て、「後は若い人たちだけで、ね? むふふ」と捨て台詞を残していった。……お前らおっさんか。
「ようやく一週間終わったね~」
と、洩らし、机にグテ~っと突っ伏したのは清水さんだ。
長く艶のある髪がバサッと机に無造作に撒かれており、実に不気味である。昔のホラー映画を思い出しそうだ。リ○グとか。
入学式の日の消極的な清水さんを思い返すと「誰この人?」と思ってしまうが、本人が言うにはこっちの方が素に近いそうだ。
……そこでふと、水泳帽のどこにこの長い髪を収納するんだろう、と気になってしまった。一瞬水泳帽を某エイリアンの頭のように膨らました彼女の姿を想像する。……なにか根源的な恐怖を想起させる絵面だ。心が凍て切りそう……。
とにかく、考えてもわからないのでなまらすごい技術で収納するのだと思っておく。この学校の水泳は男女で別々なため、そこら辺は永遠の謎だ。
なにはともあれ、さきほどから隣の席で不気味さを醸し出す物体を視界に捉えつつ、声をかけてみることにした。
「なんかお疲れだな。あと、髪ボサボサだぞ、直しなさい」
「……そりゃー、一週間のお勤めの後だもん。疲れるよ」
彼女はそう言いながらノソッと起き上がり、少々頬を恥ずかしげに染め、髪型をササッと直す。
お勤めご苦労さんです、とでも言えばいいのか? ヤの付く人みたいに。
俺は労いの言葉を考え、とりあえず無難な返答を選択する。
「まあ明日から休みだし。休めばいいんじゃないか?」
我ながら何の面白味もないことを言うものだ。きっとセンス×が付いている。成長にポイント掛かりまくりだよ。
すると、清水さんはむぅとむくれた顔をした。
「それじゃあ遊びにいけないよぉ。わたし土・日のどっちかはバイトだし」
彼女はそう文句を言ってきた。……疲れているのに遊びに行くものだろうか? 普通休むだろ。
休みの日ぐらいは休む、用事がない時は――というのが俺の数あるポリシーの内の一つだ。
(……いや、普通のことだろ、それ)
俺は内心で自身にツッコミながら苦笑する。
しかし、惰眠を貪っている時が人生の最も幸福な時だと思う俺は彼女にもこの至福を味わってもらうべく、休んじゃえよ~、と清水さんに脳内から毒電波を送り始めた。
すると、電波が届いたのかはわからないが彼女が口を開く。
「それにさ、明日の土曜日。四人で映画観に行くって約束したの、忘れたの?」
ジト目で見てくる清水さん。
その視線を受けて、ボケッとした表情で電波を送っていた俺はビクッとしてしまう。
そういえば何日か前にそんな約束をしたような気がする。
たしか遥が「土曜日、予定空けときなさい。詳しい事は後でメールするから」と言ってきて、メールを受け取って、俺は内容を見て、了解と送った……っけ。
……不味い。
ここで「忘れてました☆」なんて言おうものなら明日は非難の嵐だろう。いや、それだけで済めばまだいい。下手をすれば、三人から冷たい視線で見られ続ける事態に陥りかねない。そんな針のムシロ状態で映画とか、何の拷問ですか?
そうならない為に、冷や汗を流しながら決心する。
(全力で誤魔化すしかないっ)
「し、知らないなあそんなこと。何かの間違いじゃないのか?」
「忘れてたんだよね? ――いいんだよ、誤魔化さなくて。わたしにはわかってるから」
清水さんはニッコリ笑い、聖母のような雰囲気でそう仰られた。まるで後光が差しているかのようだ。ま、眩しい、というか俺ってなんて汚いんだろうっ。
思わぬタイミングで自分の醜さを痛感させられた俺は、このまま彼女に抱き付いて懺悔したくなってしまった。
だが、そんな迷える子羊である俺の心を清水さんは撃ち砕く。
「許してあげるから映画館でジュース奢ってね♪」
「……なんですと」
さっきまでの聖母のような雰囲気から一転、小悪魔のような笑みを浮かべている清水さん。ていうか何、映画館のジュースって。あなた、映画館のジュースが高いのをわかっていて奢らせようとしているでしょう!
俺はまたしても冷や汗を流すものの、それで悠一たちにバレずに済むなら安いものだと自分を納得させる。
「あ、もちろん三人分だよ?」
三倍……だと……?
あまりのショックにピシッと顔に亀裂が入る。そんな俺を見て、清水さんはニヤニヤした笑みを浮かべていた。
ほんとキャラ変わったな、こいつ。
◆
「いやー、まさか真司がジュース奢ってくれるとはな」
「ほんとほんと。珍しいこともあるもんだわ。いったいどういう風の向きまわしなのよ?」
「俺はな……悪魔に脅迫されたんだよ。もし奢るとしてもわざわざ映画館のジュース選ぶわけないだろが……」
俺はトホホといった感じで愚痴る。
土曜日の正午、俺たち四人は映画館に来ていた。
そして現在、俺はジュースの代金をきっちり徴収され、座席に向かっているところである。
千円札と五百円玉が旅立ち、ほんの少し空きが広くなったサイフを見る。……なんだろう、この胸にこみ上げてくる、いつかの卒業式を思いだす寂寥感は。
「――ああ、これが別れというものか」
俺は、まるで子の旅立ちを想う親の気持ちを感じていた。
どこの馬の骨とも知れない男(店員)に貰われていった娘たちを想い、天井を見上げながら目を細める。――これからあの子たちは多くの人の手を渡っていくのだろう。その旅路は楽ではあるまい。……身体には気をつけるんだよー! と心の内で手を振る俺。
いやいや、待て。札に印刷されてるのおっちゃんじゃん。じゃあ息子?
そんな風に現実逃避していた俺に、清水さんがコソッと耳打ちしてきた。
「立花君、ありがとね。ホントに奢ってくれて」
俺は突如訪れた恐怖に身を焦がし、バッと振り返って彼女を見る。……彼女はクスッと微笑んでいた。
え、冗談だったの? とか、それならそう言ってくれよ、とか文句が一瞬思い浮かんだが、その笑みを見ると別にいいかと思ってしまった。
(……俺、そのうち悪い女に捕まるかもな……)
上映開始まで後、数分だ。
◆
俺たちが観た映画は巷で噂の恋愛モノだった。タイトルは忘れた。
内容はたしか、『支え合う内に、お互いが大切になっていく』という在り来たりなものだった。だが、在り来たりだからこそ、人の心に響くのだろう。
ちなみにこれを観ることになったのは、チケットを買う前に野郎二人はCG使いまくりのドンパチやる映画を所望した際、女子二人から恋愛モノがいいとの猛抗議をうけてしまったことに端を発する。
~~~~
「はぁ? なんで四人で来たのにSF観なきゃいけないわけ?」
「わたしはこっちのほうが観たいなー、なんて……」
これが女性陣の言い分。一方男性陣は、
「えー、俺こっち観たいんだって! こっち観ようぜー」
「……どっちでもいいよ、んなもん。めんどくさいから早く決めろよ」
悠一だけがノリノリで、俺はどうとでもなれといった感じだった。
映画館まで足を運んでいざチケットを買うといった時に、何を観たいかで争うなんて実に不毛だ。そんなに観たけりゃ別々に観ればいいのに。
むしろ俺だけ別行動でもいいのよ? 俺おもちゃ屋でプラモデル見たり、家具屋さんで便利グッズ探したりしたいから、と目で訴えておいた。
そんな不毛な抗争は、各勢力代表者である来栖悠一と朝倉遥によるジャンケン(三回勝負)にまで発展した。
結果はもちろんストレート勝ち、遥が。……悠一、弱すぎぃ。
~~~~
そんなこんなで観るものが決まり、そのどさくさに紛れてこっそり逃げ出そうとしていた俺は清水さんに袖を掴まれ、再びチケット売り場に連行された。そしてさきほどのジュース、旅立っていったお金たちに繋がるというわけだ。
結局、甘ったるいラブロマンスを見せつけられる事になった俺だったが……思ったほど悪くはなかった、というのが感想だ。……まあ終盤は甘過ぎて砂糖を吐けるんじゃないかと思ったが。
なんにせよ、面白いにしろ面白くないにしろバッドエンドを迎えなくてよかったと、終わった後安堵した。
女子二人は目を輝かせて観ていた。さすがお年頃。
悠一はグーグー寝ていた。そういうお年頃。
◆
「いやー、すっごく面白かったわ」
「ねー」
「特にさ、主人公がさ、ヒロインに愛を叫ぶシーンがさ――――」
「そうそう。でさ、ヒロインがその告白を受けてからの――――」
とは女子の談。二人はキャッキャと感想を持ち寄っている。
俺たちは映画を観終わった後、フードコートで一息ついていた。
俺たちが来ていた映画館は大型ショッピングモールの中にあるので、観終わった後はたいていこうして休憩をとり、買い物をしてからお開きとなるのだ。
ちなみに俺は、元気だなー、と二人を眺めつつ、フードコートで調達したカフェオレを吸い上げている。
「あー、そう……だな。――うんっ、面白かったね☆」
視線を彷徨わせて気まずそうにしていた悠一が、急にキャピッ☆と言う。俺はカフェオレの残りをズゴゴと飲みながら、お前寝てただろ、と心の中でツッコミをいれた。
「あんた寝てたでしょ。バカなの?」
遥からの辛辣なお言葉に、シュンとする悠一と苦笑いする清水さん。すぐバレる嘘ならつかなきゃいいのに。
そんな友人を哀れに思いつつ……、
「んで、これからどうする? もう少し休憩したら見て回るか?」
俺はこれからの予定についてみんなに確認をとる。
本音を言えば、誰かの買い物に付き合うのはあまり好きではない。買い物する時間がやたら長い人って時々いるし。……まあ親とかなんだが。だけど、この三人の買い物に付き合うのを想像しても嫌な気持ちにはならない自分がいた。
すると、遥がうーんと唸りながら考えだし、すぐに案を述べた。
「そうねぇー……。じゃ、服見に行こ。香里」
「うん、行こっか」
「夏物の新作あるといいんだけど」
「時期的にはあるんじゃないかな?」
と、仲の良い女子二人組。うんうん、女子の仲がいいのはいいことですね。お父さんね、こう……胸が暖かくなって――……あれ、俺たちは?
「あのー、つかぬ事をお聞きしますが、我々はいかがすれば……?」
恐る恐るお伺いをたてる。
「…………あ、そうね。じゃ、あんた達は採点係。せっかくの男なんだしね。なんならあんた達の服、選んであげよっか?」
遥のその反応を見るに、俺たちは忘れられていたようだ。
だが、それに気付いても俺たちは指摘したりはしない。俺たちはもう高校生という名の大人なのだ。
「……いいな、それ。そうしようぜ、真司」
「……だな。そうしよう」
男二人はほっと胸を撫で下ろす。別に「もう帰っていいよ」って言われたらどうしようとか考えてなかったですよ、ええ。
◆
お目当ての服屋に向かう途中、悠一が唐突に視線を斜め下あたりで彷徨わせつつ、憂い顔でこう言いだした。
「あの二人……できてんのかな?」
「……」
俺は、何言ってんだこいつ、と冷たい目で友人を見て、その後、前を歩く件の二人の様子を伺う。
幸い、今の珍妙な発言は聞かれていなかったようで、二人は、どんな服があるかなあ、と盛り上がっていた。
もし聞かれていたら血の雨が降っていたかと思うと、背筋がゾッとする。
「いきなりどうしたんだよ」
二人に聞かれないぐらいの声量で悠一に問う。
「だってさ、あんなに仲いいしさ。これはもう、そういうことなんじゃ……」
悠一も小さな声で返してくる。と、突然むふっといやらしい表情になる。
「――むしろそうであってほしい」
「……」
あまりにもムカつく下卑た面構えにイラついた俺は、エルボーでも喰らわせてやろうかと思ったが自重しておいた。
ちなみに俺たちのやり取りは、傍から見れば大の男二人が顔を近づけコソコソ内緒話をしている状態。周りの視線が非常に痛いです……。
さっさとこいつの過ちを指摘して終わらせてしまおう。
「お前バカなのか? あれ、お前の彼女じゃん。彼氏のお前がそういう妄想するのはどうなんだよ」
「実際そうなると嫌だけどさ……妄想だからこそいいというか。こう、グッとくるというか。わかんねーかな、これ」
得意げな顔で言う悠一。やっぱりこいつはエロい人だった。
「わかるわけねーだろ。彼女を女に取られるとか、男としてどうなんだよ……」
「……お前にはまだ早い話だったかな」
「俺どころか人類にも早いわっ」
「まったく……青いやつよのぉ」
悠一は、ふっふっふ、と笑いつつ、まるで何かを悟っているかのように言った。
頭の悪い会話をして軽く頭痛がする。本気で友人が心配になってきた。
こいつの性癖はいったいどうなっているんだ、と彼女である遥に聞きたくなったが、聞いた瞬間真っ赤な顔した鬼にぶちのめされそうなのでやめておくことにする。
まだ俺だって命は惜しい。
「何の話してんの?」
「なんだか、来栖君はニヤニヤしてたけど……」
すると、こそこそ話していた俺たちを怪しく思ったのか、遥と清水さんが探りを入れてきた。予想外の事態に俺は少し狼狽してしまう。
(落ち着け、俺。ここで選択を誤れば血を見るのは明らかだ。……主に悠一の血だが)
そう考えると、適当に答えればいいかなーと思ってしまうが、まあ、同じ男であり性と業を持つ者同士、ここは助けてやらねばなるまい。
ゆえに俺は、
「なあに。ただ悠一がお前らで妄想してただけだよ」
最高の笑顔で言ってやった。
「おいぃ!! なんで言うんだよおぉぉぉ! こういうときは庇ってくれるもんだろぉ! なんで友達売ろうとしてんだよぉぉ」
と、半泣きで掴みかかり非難してくる友人その一。そんなに遥が怖いのならアホな事言わなければいいだろうに。
そんな生き急いでいる友人に俺は、この窮地を乗り切る立花印のプランを教えてやる事にする。
「お前を差し出せば、俺は見逃してもらえるかもしれないだろ? 実際、俺は悪くないわけだし。――すまん、俺はまだ死にたくないんだ」
まあ、俺が助かるためのプランなんだが。
「っ……ひでえ、ひでえよぉ」
友人である俺の裏切りに、ひどくショックを受けているようで、彼の顔は蒼白だ。その様子に多少の罪悪感を覚えるが、俺が生き延びる為に必要な犠牲だと割り切る事にする。許しておくれ。
「ゆーいちぃ、後でお話、しよっか♪」
怒りか羞恥か原因はなんであれ、顔を真っ赤にしプルプル震えている遥がとびきりの笑顔でそう言った。
悠一は、キリキリと油の切れたロボットのように遥に顔を向け、
「……はい」
その死刑宣告に返事をしていた。
俺は、そんな死刑囚がほろりと涙を零したのを見逃さなかった。
さらば、友よ。安らかに眠れ。
俺は心の中で、勇ましくも愚かしい友人に敬礼しつつ、別れの言葉を送るのだった。
清水さんはそんな悠一を見て、若干引き気味で苦笑いしていた。
◆
そんな会話をしつつ、お目当ての服屋に到着した一行は、さっそく品物を物色し始める。
一行とは言っても主に騒いでいるのは女子二人組で、俺たちは二人が服を選ぶまで外でボーッとして待っているだけだが。
時々、死刑を待つ身なのにやたら元気なバカが、
「うおっ、あのマネキンエロいなぁ……特に腰がこう……キュッと……」
とか騒いでいるが相手にしない。
俺はバカじゃないし、マネキンに欲情するほど特殊ではないのだ。知り合いだと思われても困る。周りの人見てるぞ、悠一よ。
友人の危うさに嘆息しつつ、女子たちが服を選び終えるのを待つ。
「でさ、真面目な話なんだけどさ」
「……誰だよ?」
突然声色だけでなく顔つきまで真面目になった悠一が現れたので俺は思わず変なものを見る目で見てしまった。
「ちょ、何その反応。さすがに傷付くぞ……」
などといたく傷ついた様子で、やめてくれよと訴えてくる。
「日頃の行いってやつだろ……。で、真面目な話ってなんだよ?」
悠一を適当にあしらい、話を進めるため軌道修正する。
俺たちだけで話すという事は、清水さんか遥に関する事だろうか?
悠一は咳払いをして真面目な雰囲気に戻り、話し始める。
「まあ、俺たちだけで話してる時点で誰の事かはわかってると思うが、香里ちゃんについてだ」
「……」
「……香里ちゃんは、始めの頃と比べるとだいぶ俺たちと打ち解けたと思うんだけどさ。でも……」
一度言葉を切り、一拍置いたあと再び話し始める。
「……それでもなんか……二枚かな、壁を感じるというかさ。普通なら一枚なのに二枚、壁を感じるんだ」
「何言ってるかよくわかんねーぞ……バカなのか?」
「うあぁあぁぁぁ、俺の語彙の無さがぁぁ!?」
悠一は頭を抱えながら自分の無能さを嘆いている。
(壁……ねぇ)
正直言ってしまえば、俺も似たようなものを清水さんに対して感じていた。彼女は、表面上は明るく振舞っているがどこかで他者を踏みこませない一線を引いている。
あえて言っておくが、別に今までの俺たち三人組に壁が存在しなかったわけではない。
ただ単に、ある時悠一が俺の壁をずけずけと乗り越え踏み荒らし、遥がアフターケアのために乗りこんできただけだ。だから、俺も二人の壁を無視して物言いをするようになった。それだけの話なのだ。
誰もが持っている自分の領域、それをパーソナリティー・スペースというらしいが、彼女はそこに他者が踏み込むのを極度に嫌う。
普通の人なら不快に感じるだけであるはずだが、彼女の場合は違う。
――まるでそこに見られたくないものがあるかのように。
「……確かに。どこか物憂げにしてる時とか、不安そうにしてたり。……ちょっとしたプライベートに関する質問も、ほとんど答えてくれなかったな」
俺は言いつつ、思い出す。
~~~~
初めて会った日の彼女の言葉と態度。
誤魔化すように、態度を変えたこと。
『……私の事、知っても良い事ないよ』
自分を卑下している発言。
『……いいの? 私なんかが一緒に行っても』
自分に自信がない……いや、違う。他人から拒絶されることを恐れている?
~~~~
立ち直った悠一が再び話し始める。
「たった二カ月いっしょに過ごしただけでさ、なんなんだって思うかもしれない。別に俺たちみたいに、遠慮のない関係を強要したいわけじゃないんだ。だって、俺たち三人の関係は偶然、状況がうまく転がってこうなっただけだしさ。でも、ただ……」
彼はそこまで言って一呼吸置く。言いづらい内容なのだろうか。逡巡しているようだ。
だが、ついに言うことにしたのか、口を開く。
「それが、今は大丈夫でも…………そのままにしといたら……」
その先を彼は言わなかった。
お前ならわかるだろう? という無言の信頼か。
それとも、言わせないでくれというプレッシャーか。
「……なんにせよ、無理してたらいつか限界がくるかもな」
俺はそういった後、遥といっしょに服選びを楽しんでいる清水さんを見やり、ぼんやりと考える。
あいつも何か、抱えているのだろうか?
◆
時刻は午後四時過ぎ。何件目かの服屋で会計を済ませている最中。
採点係として連れてこられた俺と悠一は、女子二人が「これどう?」と提示してくる服に、
「それよりこっちの方がいいんじゃね?」
「……それでいいと思うぞ」
などとコメントしたのだが、「センスないな、あんたら」とでも言いたげな四つの目で見られてしまった。理不尽だ。
男二人は、すでに服を選んでもらい、自費で会計を済ませた後なので店の外で待機している。
コーディネートを担当した遥が言うには、「あんたたちは身長があるから、だいたいのものは似合うよ」だそうだ。
(遥よ、お前はわかっていない。身長があると、たとえ似合っていようと欲しい服だろうと自分に合うサイズが見つかり辛いのだよ)
そんな自分たちの悲しき宿命について想いを馳せる。
そうやって、二人が会計を済ませるのを待っている間に悠一が、
「さっきの話は、他の奴らには内緒な?」
と、釘を刺してきた。
他の奴らとはクラスメイトのことだろうか。そんな事は言われなくてもわかっている。
「俺がこんな話をする相手はお前らぐらいだって」
とは言ったが、別にクラスに他の知り合いがいないわけではない。当たり障りがない程度には学校でクラスメイトと交流している。集団生活ではいかに敵を作らないかが大切だし、彼らとわざわざ敵対する理由もない。
ただ、こういった重要な話をできるのは、こいつらぐらいだというだけだ。
知り合い程度でしかない人間の口の軽さは、いくら人付き合いが苦手な俺でもわかる。
そもそも清水さんが人を踏み入らせない領域を持っているからといって、それが問題かどうかは今の俺たちには判断しようがないのだ。そして、判断すべき時ではない。
俺たちは、あまりにも彼女のことを知らなすぎる。
会計を済ませた二人がホクホク顔でこちらに来た。どうやらお目当てのものを買えてご満悦な様子だ。
「よし。あんた達にこれからのことで提案があるんだけど」
遥が合流するないなや間髪いれずにそう言ってきた。
(嫌な予感しかしない……)
遥が提案と評するものは、良い方向に向かうとしても悪い方向に向かうとしても、必ず誰かを悉く引っ掻き回すことになるのだ。それで何度俺たちが痛い目にあってきたか。
俺は過ぎ去った悪夢の一つに思いを馳せる。
たしか……遥が提案した罰ゲームで俺が悠一のお姉さんを褒め殺しにしたんだった。まあ、ひどいしっぺ返しをくらうことになったのだが。俺が顔を真っ赤にして蹲ったのはあれが最初で最後だ。あの時の事は今でも俺の黒歴史である。
なんにせよ、この場合本人である遥を除く三人の内、最低でも誰か一人は犠牲になる。
悠一はたらりと汗を流しつつ臨戦態勢に入っている。もちろん俺もだ。
しかし、清水さんは状況が飲み込めずポカンとしている。「気を引き締めろ、戦場では気を抜いた奴から死ぬんだぞ」と電波を送ってみるが届かないようだ。
俺はゴクリと唾を呑み、次の言葉を今か今かと待つ。
「これからさ、ペアに分かれて周らない? 一時間後に集合ってことで!」
はい、いただきました。
俺は、遥の言葉を聞いた瞬間から脳をフル回転させる。考えろ、考えるんだ。目的はただ一つ。自分が一番被害を受けない方法を見つけることだっ。
そしてついに発見する。その方法を。
「じゃあ俺、悠――」
「悠一はあたしと周るから、真司と香里がペアね」
あっさり希望を砕かれた。どうやら読まれていたようだ。がっくりと項垂れる。
「集合場所は南の広場ね。それじゃ、また後でねー」
「仲良くやれよー」
遥は悠一の首根っこを引っ張って行ってしまった。
後に残されたのは、未だ状況が飲み込めない清水さんと、敗北した俺だった。
◆
「なんだかごめんね。わたしなんかと周る事になっちゃって……」
清水さんの荷物を受け取りいっしょに歩き始めた直後、申し訳なさそうに彼女は言った。
(俺が悠一と組もうとした事を気にしてるのか?)
この卑屈さに理由はあるんだろうかと一瞬考えるものの、それを振り払う。今はそんなことを考える時ではないと、さっき確認したばかりではないか。
「別に嫌じゃないぞ。さっきのだって、単に遥のやつが提案する事は碌でもない事が多いからさ。警戒して安全策を取ろうとしただけだから」
嘘ではない。
ペア分けした後、さらに何か言いだすのではないかと警戒したからこそ、悠一とペアになろうとしただけなのだ。あいつならいつでもスケープゴートにできるからな。
だが清水さんは納得していないらしく、まだ不安げな顔で疑いの視線を向けている。
「……本当に?」
「ほんとだって」
そう言ってみたものの、本当かなーといった雰囲気を彼女は放ち続ける。
(困った。どうしたもんだろう)
内心冷や汗をかいていると、視界の端にアクセサリーショップを捉えた。それを見た瞬間、これだ! と思いたつ。
「清水さん、アクセサリー見ていかないか?」
「……え? う、うん、いいけど……」
彼女は戸惑いながらも了承してくれた。
◆
アクセサリーショップの品は、どれもこれもやたら光を反射していた。
俺は場違い感を覚え、店を飛び出したい衝動に駆られるがグッとこらえる。清水さんを置いていくわけにはいかない。
その清水さんは、目を輝かせてアクセサリーを眺めていた。
彼女だってお年頃だ。オシャレなアクセサリーや小物には弱いんじゃないかと思ったが、どうやら当たりだったようだ。……若い女の子=アクセサリーが好き、なんて図式が成り立つのか? と不安だったのは内緒だ。
と、彼女の目が一つのアクセサリーの前で止まる。
その視線の先にあるのは、花の意匠をあしらった可愛らしいペンダントで、彼女の雰囲気にとても合っていた。
「それ、気にいったのか?」
「うん。……でも、服とか買っちゃったしね……」
残念そうな声で清水さんは言った。
お金が足りないのだろうか。金額を見てみると、一万円には届かないものの、俺たち学生にとってはかなりの値段だった。
(そんなに気にいったのなら、一肌脱がないわけにはいかないよな)
苦笑しつつも意気込んだ俺は手早く済ませてしまおうと、
「すいません。これ会計お願いします」
と、店員さんを呼び会計を頼む。
「え? 立花君? これって……え?」
どうやらこれは彼女にとってまったくの予想外の出来事だったようで、一瞬で処理限界を超えてしまったらしい。彼女は人形のように動かなくなってしまった。もう少ししたら頭から煙でも出るんじゃないだろうか。
「買ってやる。みんなで遊びに来た記念にな」
彼女が判断を下せない隙に、らしくないセリフで畳みかける。……本当に、らしくない。
俺自身は記念とかそういったものにはあまり興味がない。だが、この子はきっと好きなはずだ。恋愛モノの映画を見たがるような、普通の女の子なのだから。
店員さんが来てくれて会計をしてくれている間、清水さんは顔を紅くしたまま終始俯いていた。
(うーん、これはまいったな)
俺はそう思いつつ諭吉さんを店員さんにサッと渡しお釣りと袋を受け取る。そして俺たちは店を出た。
「ほれ、大事にしてくれよ」
「…………うん」
店を出た後彼女に袋を渡す。会計の時に、着けていくかどうか聞かれたのだが丁重にお断りした。
彼女はまだ顔が紅く、袋を受け取った体制のまま俯きがちでチラチラとこちらを見てくる。何か言いたいのだろうか。なんとも居心地が悪いのだが我慢することにする。
(俺が変な事を言ったのが悪いんだしな)
そんなことを考えていると、彼女は袋を両手で胸の辺りにギュッと抱き、少しずつ話し始めた。
「えっと、ね、こういうもの……誰かに買ってもらうの、私初めてで……」
彼女は混乱した頭で拙くも必死に、伝えようと言葉を紡ぐ。
「だから……その……――ありがとう」
彼女は、そう言ってはにかんだ。エヘヘとでも聞こえてきそうな可愛らしい笑顔。
正直かなりドキッとした。だが、顔には出さない。
いや、隠せてないか。俺の顔もきっと紅くなっていることだろう。
……だって暑いし、熱い。
「おう。じゃ、他のとこ行くか」
ぶっきらぼうに促し、歩きだして誤魔化そうとする。しかし、うまくいかなかったようだ。ほんの数歩後ろでクスッと笑う気配がする。何故だかそんな気がした。
「うん!」
彼女はそう言って、紅い顔をしたまま上機嫌で、俺の隣を歩き始めた。
◆
「いやー、なかなか良い雰囲気っすねー」
「そうだね。うまくいったようで良かったわ」
物陰からこっそりと真司と香里のことを見ているのは、何を隠そう彼らの友人である悠一と遥だ。
彼らは姿を消した後、すぐ二人の後をつけ始めたのだ。半分は老婆心で、半分は優しさで。
そして彼らは今、お互いに真っ赤になった顔で向き合っている二人を見て、ニヤニヤしつつ安堵している。
「あたし最初はさ、正直不安だったんだけど。なるようになるもんね」
「だから俺は言ったじゃん。あいつならうまくやるって」
「それでも気になるんだって。あたしはアンタらの保護者だし」
その言葉に悠一は少々ムッときていた。
「お前は俺たちの母ちゃんか?」
彼は、まるで少年が大人に反抗するような口ぶりで問う。
「それだけ大事ってことよ」
遥はそう言い、真っ赤な二人が歩いて行くのを見送っていた。その表情は、目を細め優しげな笑みで、まるで母親のようだった。
そんな彼女を見て悠一は苦笑する。いつだってこいつは優しいな、と。
彼は改めて、自分の彼女の大きさを誇らしく思っていた。
◆
二手に別れてからまもなく一時間が過ぎるといった頃、俺と清水さんは合流地点に到着した。
どうやら、遥たちは先に着いていたようで、机に荷物を置き、椅子に腰かけて寛いでいる。
「よーし、ちゃんと帰ってきたね。偉いぞー、真司、香里」
と、俺たちの姿を捉えた遥が言う。その子ども扱いするような言動に軽くイラッと来た俺はすぐさま反撃する。
「子ども扱いするなって。この年で迷子になるわけないだろ……」
「どうだろうね? 人生には迷ってるようだけど?」
遥はケラケラ笑いながら茶化してくる。……ほんとにずけずけと踏み込んでくる御仁だな。
清水さんはそんな遥の様子を見て、あらら、といった感じで笑っていた。これを見て引かないってことは、それなりに仲がいいか、見慣れているかだろう。
というか、遥は何故こんなに上機嫌なのだろう。
自分の彼女を見て、やれやれ、とでも言いたげな仕草をしていた悠一に、
(お前何かしたの?)
そう目で問いかける。しかし返答はノ―。両手でバツ印を作られ、おまけに口パクでブッブーとまでされてしまった。
生意気な悠一には後で報復するとして、電車の時間が迫っている今は帰り支度を進めるのが先決だろう。
「わかったからさっさと荷物持てよ遥。帰りの便、もうすぐだぞ」
「んふふ、仕方ない奴よなあ。感謝しろよー?」
「……何にだよ……」
「およ、言っちゃってもいいのかなあ? 知らないわよぉ? どうなっても」
「……やっぱり言わなくていい。嫌な予感がする……」
その内容を言わせると、非常にまずい気がした。
「ほーら、遥。荷物持ってやるから、行くぞー」
「遥ちゃん、行こうよ」
俺を見かねたのか、悠一と清水さんが遥のお守りをかって出てくれる。そうして遥はようやく重い腰を上げてくれた。
俺はため息を一つ吐き、三人とともにバス停へと向かった。
◆
帰り道は何事もなく時間が過ぎていった。電車からバスに乗り換え、各々、家の最寄りのバス停で降りて行ったので、家までの道中は一人だ。
夕暮れの日差しが照りつけるアスファルトの道は、もうすぐ夏だということを意識させる。たかだか十五年と少ししか生きていない俺だが、何故だかこの情景を一人で歩いていると、胸が締め付けられるような気がした。
家には十分もかからず到着し、自分の部屋へと直行。
荷物を適当に床に放り出して、ベッドにドサッと身を投げる。仰向けになっていると疲労のせいだろうか、心地よい眠気がじわじわと意識を浸食してくる。
眠気に侵されつつある意識で今日のことを振り返る。いろいろとあったように思うが、一番印象的だったのは清水さんだ。
『ありがとう』
はにかみつつ言われたあの言葉。その場面を反芻するだけで口元が緩んできてしまう。
まあ、諭吉さんを犠牲にする事になってしまったのは痛手だが、気にしても仕方ない。
(あの笑顔だけでお釣りがくるさ)
この良い気分のまま、朝まで眠ってしまおうかとも考える。
(良い夢が観れそうだ)
眠気に身を任せようとしたその時、携帯の着信音が鳴り響いた。
誰だよ……、と悪態を吐きながらポケットから携帯を取り出す。着信音からするとメールだろうと、Eメールアプリを起動し受信箱から新着をチェックする。
メールの差出人は清水さんだった。
~~~~
差出人:清水香里
本文 :家に着きました。
今日は本当にありがとうございました。
ペンダント嬉しかったです。
また学校で。
~~~~
(……律義なやつ)
俺はその文面を見て、ふっと笑みをこぼしていた。最近の女の子にしては絵文字やら顔文字がほとんどない簡素なものだったし硬い文面だったが、それが彼女らしさを顕著に表していた。
そのメールに適当な返事を書き、送信ボタンを押す。
「……また学校でな」
そう呟いた声が自分でも意外なほど穏やかだったことに顔をしかめて携帯を放り出すと、眠りにつこうとする。
しかし、再び鳴り響く着信音。
「……」
清水さんが返信してきたのだろうか? 律儀みたいだしあり得るな。
そう思った俺は緩慢な動きで携帯を手に取り、画面を操作しメールを引っ張り出す。
だが、メール画面をチェックした瞬間、俺は凍りついてしまった。
~~~~
差出人:朝倉遥
本文 :明日のヒトフタマルマル時、我が城に来られたし。
貴殿に拒否権はない。
お昼は食べずに来ること♡
~~~~
……これはきっと悪い夢だ。